氷の王子様・2


 計画通りに事が運ばなかったので、ジャン‐ルイは少し苛ついていた。

 螺旋階段の中央をエレベーター魔法で下りながらも、あちらこちらにいる水の精霊と反応してブスブスとバーンが燃えそうになるくらいに。

 おかげで、バーンは目をくりくり回しながら、睨みつける水の精霊たちに、おべっかたっぷりの微笑みと言葉を投げかけなければならなかった。


「みなさん、それではごきげんよう」


 でも、一番ご機嫌斜めだったのは、バーンの主人であるソーサリエなのだ。

 ブツブツと独り言である。


「アイツ、いったい何にこだわっているんだろう? 協力してくれてもいいものを……」


 火の寮に戻る足は、だんだん鈍ってきた。

 最初は苛つきで早かったのだが、アガサのがっかりした顔を見たくないと思うと、どうしても遅くなる。


 だいたい……。

 何と言われて断られたと言えばいいものやら?


 ――僕は何とも思わない。


「最悪……」


 ついにジャン‐ルイの足は止まってしまった。

 そして、方向を変えて中央食堂に寄ることにした。まずは、モンブランを買っておいた方がよさそうだ。

 アガサの訓練につきあえそうな人は、他にいそうにない。


「アイツの気が変わってくれるのを待つしかないな」


 でも、変わるだろうか? あれだけかたくなだと無理かも知れない。

 妹の名を出したら、アガタ思いの彼の事、きっといい返事がもらえると思っていた。だが、逆効果だったらしい。


 ――アガサはアガタじゃない。




「はーい。ケーキは何にします?」


 奨学金アルバイターの女の子が、ニコニコしながらケーキ注文を待っている。

 彼女の生まれは中国の奥地。放牧民の出身で、ここでは馬がいないと嘆いている子だ。


「モンブ……」


 ランと言いかけて、ジャン‐ルイは言葉に詰まった。

 この異国の少女と言葉が通じるのは、マダム・フルールの魔法のおかげである。

 ジャン‐ルイは、多少の英語ならば話せる。だが、発音はフランスなまりである。

 だから、この学校では、火の精霊言語とフランス語でしか会話をしない。

 お互いの耳に言葉が届く時、それぞれの言語に変換されているのだ。

 マダム・フルールのセンスまじりで。


「お客サーン! 後ろが詰まっているんですよ。早く決めてよ」


「ごめん! いらない!」


 ジャン‐ルイは、ケーキも買う事なく、慌てて走り出した。



 ――ファビアンのヤツ!




 生徒総監がここまで慌ただしく吹き抜けエレベーターを飛び上がり、さらに廊下を走るのは、とても珍しいことだった。

 だが、ジャン‐ルイは息も荒いまま、アガサとイミコの部屋をノックした。

 その音は、とととととん、とととととん、とととととん、と、はっきりいって迷惑なぐらい忙しかった。


「あ、ジャンジャン!」


 ぱっと明るい笑顔で出てきたのは、アガサである。

 朝から階段の往復を三回こなし、体育の授業を二度も受け、それでも元気いっぱいである。

 当然だろう。あこがれの王子様との個人授業が待っているのだと思えば。

 だが、今はその話ではない。


「イミコいる? 借りたいんだけど」


「はいぃ?」


 ジャン‐ルイの真剣な表情にアガサは拍子抜けした。

 当然ながら、アガサは真っ先に自分の話の返事が聞けると思っていたのだから。


「え? 私?」


 アガサと同じ展開を予想していたイミコは、ぽけっとした顔のまま、やってきた。

 その手をジャン‐ルイは掴むと、たった一言。


「借りるね」


「あ、うん。ごゆっくり……」


 狐につままれたような顔で、アガサは手を振って見送った。




 あこがれの先輩にいきなり拉致され、部屋につれてこられるシチュエーション。

 期待と動揺で心臓が破裂寸前にならない女の子がいるだろうか? ましてや、あのイミコである。


「どどどどど、どど、どおしししししちゃったああああんでええええすかあああ?」


 声が震えてしまい、マダム・フルールの魔法も翻訳不可能状態である。


「実はアガタのことなんだけど、彼女には聞かれたくなくて」


 アガサのことと聞いて、イミコの肩は一気に三十センチほど落ちてしまった。

 やはり、イミコの王子様は、まずはアガサが大事らしい。


 ――いつもがっかり。

 今日もがっかり。


 でも、もうなんだか慣れちゃった……。



「聞かれたくないって……もしかして、お断りされたんですか?」


「手っ取り早く言うとそういう事なんだけど、事は簡単なことじゃない」


 アガサのために真剣になるジャン‐ルイの顔は、いくら慣れてもやっぱり悲しい。


「私、お茶入れますね」


 長丁場になりそうだと感じて、イミコは立ち上がった。だが、ジャン‐ルイはその手を取って、もう一度イミコをソファーに座らせた。


「アガタの名前を英語で書ける?」 


 イミコの書いた綴りを見て、ジャン‐ルイはふーっとため息をついた。


「やっぱりだ。ファビのヤツ、頭が良すぎてボロをだした」


 何を言っているのかさっぱりイミコにはわからない。だいたい、なぜ、アガサの名前が大事なのかもわからない。


「アガタの名前は、フランス語風に読むと『アガタ』なんだ。でも、英語読みすると違う」


「知っているわ。アガタの名前は英語読みすると……」


 突然、イミコはうっと息を止めた。ジャン‐ルイが驚く中、イミコはいきなり、うーんと力み始めた。

 顔が真っ赤になって、髪が逆立つ。顔がまんまるになってしまった。


「ちょ、ちょっと君、大丈夫かい?」


 ジャン‐ルイが心配そうに声をかけた瞬間。


「アガさ!」


 と、いきなりイミコが叫んだ。

 目が点になったのは、今度はジャン‐ルイのほうである。


「……って言うのよ。でも、無理しないで『アガタ』でもいいって」


「君って……すごいんだね」



 マダム・フルールの翻訳魔法から抜けるのは、四大精霊言語の習得が必要である。

 だから、四年生であるジャン‐ルイも、翻訳魔法に頼っている。そして、実際にその魔法に頼らないで話をしているのは、学校で唯一、ファビアンだけなのだ。

 ほんの少しだけでも、一年生でそれができるのは、イミコくらいなものだろう。

 だが、今は感心している場合ではない。


「そう、だからここでは英語でもフランス語でも日本語でも、全部一色単にマダムの翻訳が入るから、英語が母国語の人が聞いても『アガタ』になってしまう」


「私の耳には日本語で聞こえてくるのだけど、やっぱり『アガタ』って聞こえるわ」


「つまり、マダムの支配下にないヤツだけ、アガタの正しい名前を知っていて呼べるんだ」


「……それって誰?」


「ファビアン・ド・ブローニュ」


 イミコはきょとんとした。


「……それってどういう事?」


「つまり……ファビアンは、どういうわけかアガタのことを知っている」


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