アガサ強化プロジェクト・2


 いきなりすごい爆風。

 強烈な光と熱。



 イミコは何が何なのかわからないまま、ジャン‐ルイにしがみついていた。

 ジャン‐ルイもイミコを抱きとめたまま、目をつぶっていた。だが、精霊バーンに頬を叩かれて、目を開けた。

 あたりは修羅場だった。

 部屋がごうごうと燃えている。

 その中をバーンが飛んで行くのを見て、ジャン‐ルイは慌ててイミコを放し、バーンの後を追いつつ、呪文を唱えた。


「火は火で制す!」


 とたんにあたりは再び光りに包まれた。

 まだ、状況のわからないイミコは、思わず涙目になって顔を手で覆い隠した。

 そして、再び目を開けた時には……。


 何事もなかった。



「よくも私をたぶらかしてくれたわね!」


 その言葉をともに、アリの顔面にパンチを入れたアガサだった。

 だが、何とそのパンチは突然火を噴き、あっという間に大爆発となり、部屋中を燃やし尽くしたのだった。

 アガサとアリは、その事実を理解する間もなく焼け死んだはずだった。

 しかし、一瞬のうちに時間が逆流した。

 そして今、ジャン‐ルイとイミコの前に立っているアガサは、アリの顔面にパンチのまま、硬直していたのである。

 気の毒なアリは、アガサのパンチのわけもわからないまま、しかもパンチを受けたまま、やはり硬直していた。

 まるで、完全に二人の時間が止まったようである。

 ただ、形のいいアリの鼻から、つつつ……と、血がたれたことだけが、時間が動いている証拠であった。


「い、いったい何が起こったの?」


 おろおろとイミコがあたりを見渡した。

 火の海になったように見えた部屋は、普段と全く違わない。でも、何かが違う。

 ジャン‐ルイは、ほっとため息をつくと、アガサの足下で黒くなっているフレイを拾い上げた。


「フレイの力が一瞬にして解放されたんだよ」


 ジャン‐ルイの掌でぐったりしているフレイの元に、バーンがひらひらと舞い降りた。そして、必死に火をおこして温めている。


「どういうことなの?」


 イミコが恐る恐る聞くと、ジャン‐ルイは片手で額の汗を拭いながら言った。


「精霊は主であるソーサリエの命令には逆らえないんだ。アガサの何かがフレイに命令として働いて、大爆発を起こさせたんだよ」


 そのとたん、硬直していたアガサの体が崩れ落ちた。


「いいいい、今の悪夢は、私のせいなの?」



 あの瞬間、アガサはついに怒りを爆発させた。

 とたんに……火だるまになって……燃えて、熱くて……あの図書館のときと同じ。

 自分の拳骨に触れたアリの顔が、ブクブクと火ぶくれになっていく様子が目に焼きついて。

 はっと気がつくと、それはまるで夢のようだった。

 でも、夢じゃない。

 アガサには、はっきりその肌の感覚が残っていた。


「私! そんなつもりじゃないっ!」


「アガタ!」


 泣き崩れるアガサに手を差し出したのはイミコだった。


「アガタ、違うわ。今のはアガタのせいじゃ……」


「そんな嘘を言ってはいけません」


 必死に慰めるイミコの肩の上で、カエンがすぐに反論した。


「今のは、完全にアガタのせいなのです。アガタがフレイに『怒り爆発』の命令を出したのです」


 このような時に本当のことをいう精霊ほど嫌なヤツはいない。イミコはあわてて肩の上のカエンを払おうとしたが、一瞬遅かった。

 カエンはイミコの頭の上に移動し、さらに真実を告げた。


「アガタにはソーサリエたる素質がまったくありません。力を押える能力がないのです。だから、下の世界よりもより強い力が働くこの学校では、とても危険な存在です」


「あ、あ、あ、アガタ、そ、そ、そんな事ないってば! 気にしないでね。カエンの言う事………痛!」


 カエンを叩こうとしたイミコの手は、見事に自分の頭を叩いて終わってしまった。

 しかも、今まで黙って考え込んでいたジャン‐ルイまでもが言い出した。


「確かに……今回は僕がいたから、すぐに魔法でカバーできたけれど。もしもいなかったら……。いや、それより僕がここまでの力を出せるとは……」


「まさに火事場の馬鹿力です。今回助かったのは、奇跡です。アガタは危険です」


 さらにカエンがうれしそうに言う。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 二人とも! ひどいわ! それじゃあまるで、アガタがものすごく悪いみたいじゃない? ただ、存在しているだけで諸悪の根源みたいじゃない? まるで調教していない猛獣みたいじゃない? ニトログリセリンか壊れかけた原子炉みたいじゃない? 原子爆弾を抱えたヒットラーみたいじゃない?」


 必死にアガサをかばうのはイミコだけだったが、正直いうとイミコの言葉が今のアガサには一番こたえた。


「どうせ私は世界で一番危険な女よ! 今までだって、学校の先生のヒゲは焼いちゃうし、家だって火事になっちゃったし!」


「家の火事は隣のばあさんの寝たばこだって……おいら、言っただろ?」


 ジャン‐ルイの手の中でぐったりしていたフレイが、ぼそりと呟いた。


「で、でも! どうしたらいいのよ? フレイに命令しないようにしないように、怒ったり泣いたりもいけないわけ? 猛獣を檻に閉じ込めるみたいに? ニトログリセリンを動かさないように? 原子炉をコンクリートで覆うように? ヒットラーを拘束するみたいに? 私に何も感じないようにしろとでもいうの?」


「少なくても……」


 涙と鼻水を流しているアガサの横で、鼻血を流しているアリがやっと口を開いた。


「私と私の王宮にとって、危険人物になるだろうことは、間違いないと思います。どうにかしないと、妻に迎えることはできない……」


 つい、もう一発殴ってやろうかと思ったが、アガサは口だけに留めた。


「何よ! 元を正せば、あなたが私を第4夫人にしようと企んだから悪いのよ!」


 アリの目が点になる。


「あの……それで怒ったのですか? では、順番を入れ替えて第1夫人にします」


「そういう問題じゃなく!」



「マカロン!」


 いきなりのジャン‐ルイの声に、みんなの注意が彼に向いた。


「今の騒動ですこしつぶれたけれど、アガタの処分終了お祝いに買ってきたんだ。なぁ、みんな。少し落ち着いて話さないか?」


 生徒総監らしい落ち着いた態度で、ジャン‐ルイは提案した。


「あ、あたし……。スコーンがあるから。ヨーグルトとジャムも。トーストもできるし。それで、朝食にする? よ、用意するね」


 イミコがいそいそと立ち上がった。そして、そそくさと台所に消えた。

 アガサはすっかり意気消沈して座り込んだままだった。

 ジャン‐ルイは、フレイの介抱をバーンに任せると、くるりとアリの方に向き直った。


「さて。アリ。君はどうしてここにいる? 僕が知っている限り、こんな朝早くに別の寮から火のソーサリエを訪ねてくる者はいなかった」


 アリはハンカチで鼻を押えながら、似合わない鼻つまみ声で答えた。


「あぐぅわたひめがしんぷぁいどぅわったからです」


「はぁ?」


 ジャン‐ルイがうまく聞き取れなかったらしいと知って、フーリがふわふわ飛んできた。そして、アリの言葉をひそひそとジャン‐ルイに告げた。

 少しだけジャン‐ルイの顔が歪んだ。


「そうじゃなくて、どういう方法で来たかってことです」


 鼻が折れていなくて幸いだったが、アリの鼻血は中々止まらない。 


「クァゼのまほうのそらとふちゅーたんをつくぅわってですにょ」


 その言葉を聞いて、ジャン‐ルイはうーんとうなり、腕を組んで考えこんだ。そして、いきなりにやっと笑いアリに握手を求めた。


「鼻血にはつっぺが一番だよ。仲良くしよう、アリ」

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