アガサ、お調子に乗る・2


 赤と青の絨毯が、青空の中をふわりと舞った。

 その上で、フレイは筆をとっていた。

 すっかり毛が無くなってしまったイシャムの顔に、墨で眉毛を書き込むのだが、風で手元が狂ってしまう。

 その度にイシャムの顔は奇妙な表情になってしまい、アガサを大いに笑わせていた。


「笑うなって、ねーさん! こっちはマジ、真剣なんだぜ! おっと、イシャム。顔歪ませんなよ! また失敗しちまう」


 イシャムは、自分の状況が読めておらず、アガサが笑うたびに情けない顔になっていく。

 そこにフレイはひらりと舞い上がり、気合いを入れて、やー! とばかりに筆を走らせるのだ。


「ち、ちょっと、右眉が細いんじゃない?」


 アガサのアドバイスで右を太くすると、今度は左が細くなる。左を太くすると、今度は右が物足りない。


「形が微妙にちがうような気がします」


 アリのアドバイスに従って、形を整えようとすると、ますます眉が太くなる。


「お、おい。我が輩の顔はどうなっているねん?」


 ついに、アガサもアリも無言になってしまった。


「間違いなく、以前よりも精悍になっていかしているぜ!」


 フレイだけが、自信満々で胸を張って答えた。



 とにかく、眉は以前より三倍は太く濃いところで確定した。

 今度はヒゲだった。


「ねえねえ、私もやってみたい!」


 アガサは、フレイから筆を奪った。


「だめだって、ねーさん! こういう事は、絵心あるヤツがやるべき事なの! ねーさんの出番はないってば!」


「まー! 失礼ね! 絵心なくてもヒゲぐらい書けるわよ!」


「我が輩の顔はキャンバスかの?」


 そのような状態で、絨毯の上は盛り上がり、学生牢の点呼の時間を気にしていたのは、ただ一人、冷静なアリだけだったと思われる。

 絨毯を急がせながらも、笑いの渦は尽きる事がなかった。



 散々もめたイシャムのヒゲも、右がアガサ、左がフレイ担当で話がまとまり、何度も書き直した末に、やっと形が定まった。

 フレイの書いた左側は、太い眉の精悍さにあわせたかっちりしたものだった。

 太めの生え際と直線的に伸びる先端、そして直角に跳ね上がり頬に達してシャープに消える様は、いかにも品の良さと誇りの高さを示している良作である。

 そして、アガサの担当した右は、やや丸みを帯びた流線型であり、先端がくるりと一回転して元気よく飛跳ねている。

 実は、この一回転の形がなかなかうまく書けず、何度も書き直した。非常に苦労したところであり、そのかいあって、まさにアガサの快心作であった。


「かっこいい! イシャム」


「イシャム様、本当に素敵です」


 自画自賛のアガサと美的感覚に問題のあるアリに褒められて、イシャムはすっかりその気になった。


「そ、そうかのう?」


 ヒゲを撫でようとして、空振りしつつつ、イシャムは満足げである。

 フレイが小声で言った。


「アガタ、本当にあれで決まりかよ?」


「あら? 私の計算高い作品に文句でもある?」


「計算? どこが?」


「ほら、あれはね、イシャムがヒゲを撫ですぎて、ヒゲがくるんとカールされた、っていう設定なの。すごく計算高いでしょ?」


 アガサは満足そうにうなずいた。

 その横で、フレイはがっくりうなだれた。


 

 そんな盛り上がった状態で、アガサたちは学生牢に戻って来たのだ。

 だが、アガサを待っていたのは、点呼当番ではない。

 涙を流しながらも呆然としているイミコと、難しい顔をしたまま愕然としているジャン‐ルイであった。


「あれ? 二人ともどうしたの? こんなところで」


 笑いすぎで涙目のまま、笑顔でアガサは訪ねた。


「どうしたって、あの、こんなところって、あの……」


 赤い顔のまま、涙をボロボロこぼしながら、イミコは気が動転していた。

 ジャン‐ルイのほうは、厳しい顔をしたまま、言葉もでない様子である。


「え? どうしちゃったの? 二人とも? もしかして? 私の事、心配してくれた? あははは……大丈夫よ、この通り!」


 絨毯の上で、アガサはガッツポーズをとり、元気をアピールした。

 イシャムが、面変わりした顔のまま、ジャン‐ルイに声をかけた。


「おう、ジャンジャン! 久しぶりであるな。おたくの嬢ちゃんだがの、バルバル国王アリがよ、とても気に入ってな」


 ジャン‐ルイの顔が、初めてぴくりと動いた。


「イシャム? イシャムなのか?」


「他の誰だって言うねん?」


 ……とは言われても……。


 ジャン‐ルイの知らない精悍な顔がそこにあった。

 今度はアリが口を開いた。


「火のソーサリエ生徒総監であらせますジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌさんですね? 噂はかねがねお聞きしております。わたしは、バルバル国王アリ・サファド・バルバル」


 胸に手を当て、深々とお辞儀するのは、二人が初対面だからなのだろう。


「ご機嫌・よう」


「よう・ご機嫌」


 その挨拶を聞いて、アガサはますます興奮した。


「ねえねえ、フレイ。今の聞いた? ジャンジャンも同じ挨拶したよ、ねえ、ねえ」


「うるせーな、ねーさん。それどころじゃないって」


「ま、何よ! うるさいですってぇ!」



 さて、今までの流れからいって。

 こういう場合のフレイの言葉は、間違いなく従うべきだということを、たいていの人ならば気がつくところである。たいていの人ならば。

 だが、アガサの場合、変人であるので、たいていの人と同じに考えてはいけない。

 彼女が事態を把握するには、もう少し『痛い目』を見て、フレイに

「だから、おいら、言っただろ!」

 と言われないとだめなのである。

 その事態までは、まだ時間が少々時間がかかりそうな気配であった。



 フレイと小声でやり合っている中、ジャン‐ルイとアリの会話は進んでいた。


「実は、かくかくしかじか、ありまして、アガタ姫を助けるに至りました。そして、色々事情をお聞きして、火の魔法の試験にも力を貸したいと思った次第……」


「それは……どうも」


 いつもよりもジャン‐ルイの態度が硬いのにイミコは気がつき、はらはらしていた。しかし、アガサのほうといえば、相変わらずフレイと小競り合いを続けている。


「アガタ姫は、将来、バルバルへ嫁いでいただく方、私の妃となる身です。当然、私としても姫のために全力をつくし……ごほっつ!」


 アリの言葉は途中で途切れた。アガサの強烈パンチが背中に当たったからである。


「い! いやだああ! アリったら! その話は、まだ返事をしていないでしょ? だって、私、まだ十二歳だし、とてもすぐに決断できないし!」


 ごほごほと咳き込みながら、頬を染めてアリは反論した。


「でも、考えてみるとおっしゃったではありませんか? それにバルバルでは十歳から結婚できるのですよ?」


「ここはバルバルじゃないもの!」



 そう。

 アガサはいきなりアリからプロポーズされてしまったのだ。

 一瞬、アガサの脳裏に、あまりに豪華な王宮で侍女にハタハタ扇であおがれ、クッションに埋もれて過ごす絢爛豪華な日々が浮かばなかったわけではない。

 だが、まだ12歳のアガサには、出会ってすぐの結婚なんて思い浮かばなかった。

 あまりにも突飛すぎたので、即答で答えた。


「まあ、そのうち考えてみる」


 アリは、この言葉を前向きな返事として受け取ったようだった。



 このやり取りは、どうやらますますジャン‐ルイを不機嫌にしたらしい。

 当然と言えば当然である。アガサを心配して夜も眠れなかった身としては……。


「アガタは、この地下牢にずっといたわけではなく、あなたの所にいたのですね?」


「ええ、もちろん泊まっていただきましたよ」


 ますます表情が硬くなっているジャン‐ルイなのに、アガサは興奮が覚めやらず、余計な事をぺらぺらしゃべりまくった。


「そうそう! あのね、アリの部屋ってすごいのよ! 絢爛豪華ってあのことを言うのよね、壁も床も豪華な織物で包まれている感じでね、クッションがいっぱいでね、そしてたくさんの神様の銅像があってね、それでね、なんと部屋の中に噴水があってね、素敵な香りが満ちていてね」


「もうやめろよ、ねーさん」


 あきれた声でフレイが言った。


「あら? だってフレイ、あんなすごい部屋、私、見たの初めてで。私の部屋も広いと思ったけれど、あの部屋は……」


 ジャン‐ルイは、アガサの話を無視してアリに複雑な微笑みを向けた。


「我が火のソーサリエの生徒を手厚くもてなしていただき、ありがとうございます」


「我が喜び故に」


 胸に手を当て、アリも微笑み返す。


「どうやら、僕の苦労は徒労だったようだね。アガタには、たくさんの救い主がいる。だから、これも不要かも知れないが……とりあえず」


 ジャン‐ルイは、ポケットから小さな手紙を取り出し、アガサに渡した。



「え? 何?」

「昨夜、マダムとやりとりして、やっともらった『許可書』だよ。地下牢の危険性を説いて、三日間のうちの二日間は自室謹慎でよいという……」


 それは、かなり苦労して得たものだった。

 自室から出られないジャン‐ルイは、結局イミコとイミコの精霊カエンを何度も学長室を往復させ、この手紙を勝ち取った。

 最後、マダムは泡風呂の中で、イミコの精霊カエンに向かって、

「ベッドの中までついてこないでね」

 と言って、根負けしたのだ。


「でも、君が豪華絢爛な部屋で過ごしたいなら、この手紙は捨てても構わない。僕はこれで失礼するよ」


 そう言うと、ジャン‐ルイは、アリとイシャムに「よろしく」と言って、さっと身を翻した。


「え? あの? ジャンジャン?」


 アガサが慌てて背中に声を掛けたが、彼は無視した。

 イミコが動揺してアガサの顔を見、ジャン‐ルイの顔を見、アガサの顔を見、ジャン‐ルイの背中を見、そして、アガサのほうを見た。


「あの……アガタ。ごめんね。でも、あの、一言……言わせてね」


 イミコは何度かもじもじして覚悟が決まったらしく、目をつぶり、大きな声で叫んだ。


「バカ!」


 そう言うと、イミコはばたばたとジャン‐ルイの後を追って走り去ってしまった。

 後は、何が何だかまだ把握しきれないアガサと、ライバルらしき存在を退散させて気持ち良さそうなアリと、ヒゲを撫でながら傍観していたイシャムと、それぞれの精霊が残っただけである。


「え? 何で私が、バカなの?」


 ショックで呆然としているアガサに、フレイは決まり文句を言った。


「だから、おいら言っただろ? ねーさん、おいらの忠告をいつも無視するだろ? だから、バカバカバカだーって、言うんだよ!」


「バカが多すぎよ!」


 そう反撃しつつも、先ほどまでの楽しい気分はどこかに吹っ飛んでしまったアガサであった。

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