イミコ・タイフーン

イミコ・タイフーン・1


 イミコは必死にジャン‐ルイの後を追いかけた。

 しかし、螺旋階段にたどりついた頃には、もう姿が見えなくなっていた。

 ジャン‐ルイは、相当腹を立てて駆け上っていったに違いない。どうにか追いつきたいイミコであるが、気力はあっても体力がない。

 階段の石壁にへばりついて、ふうふう息をする有様だった。


「イミコは体力がなさ過ぎるのですよ。いっそのこと、魔法で一気に上がりますか?」


 カエンの言葉に、イミコはぎくりとした。

 これは、先ほどの二の舞である。言葉を間違わず、はっきりと断らなければ。


「いいえ! いいです!」


 はっきり言ったつもりなのだが、とたんにカエンがにやりと笑った。


「イィエーィ! グーッドです!」


 純和風精霊のカエンが、何で急に英語になるの! と腹を立ててももう遅い。

 カエンはいきなり火の玉となって、再びイミコを包み込んだ。


「きゃーーーーーーー!」


 というけたたましい超音波の悲鳴。

 先ほどと同じ事態に陥ったのである。

 階段の中腹で一息ついていたジャン‐ルイは、結局同じように巻き込まれて階段を打ち上げ花火のような勢いで登る事となった。


 先ほどと違ったのは、階段の終わりに床に叩き付けられるのではなく、実際に花火のように打ち上げられてしまったことである。

 イミコの超音波のために、精霊たちは気を失っている。

 天井に届くほどには至らなかったので、ジャン‐ルイは上手く着地に成功した。だが、イミコのほうは、見事におしりから落ちた。


「あいたたたた……」


 イミコはすっかり涙目になっていた。

 普通ならば、死なないまでも尾てい骨くらい折れそうな勢いだった。しかし、イミコは運がよかった。

 ジャン‐ルイに助け起こされて気がつくと、イミコのおしりの下で、カエンとバーンがぺったんこになっていた。

 精霊たちには災難だった。ちょうどいいクッションになってしまったのだ。


「きゃーーー! ちょっと、大丈夫?」


 イミコはあわてて精霊を拾い上げると、まるで洗濯物を干す前のように、ハタハタと振ってみた。

 パンパン! と、切れのいい音を立てて、精霊たちはきれいに膨らんだ。

 イミコがほっとしたのもつかの間、背後からジャン‐ルイの堪えきれないらしい笑い声が聞こえて、顔から火が出そうになった。


 ――もう! どうしてこんな恥ずかしいことになってしまうの?


 おしりで精霊を押しつぶしてしまったところを、好きな人に笑われるなんて、もう死んでしまいたいくらいである。

 しかし、ジャン‐ルイのほうは、涙を流しそうな勢いで笑い続け、やがて落ち着いのか、一言。


「おかげで気がまぎれたよ」


 ぐったりしたままの精霊を両手で掴んだまま、イミコはジャン‐ルイの顔を見た。

 どこか寂しげに見えるのは、気のせいだろうか?


「あ、あの……」


 イミコは、聞きたいことを聞こうとして、ややうつむいた。


 アガタが無事だったのになぜ、先ほどはあんなに不機嫌になったの?

 それって、アガタがプロポーズされたから? 

 それって、もしかしてアガタのことが……。


 いや、とても怖くて聞けない。

 と、イミコが思っていたにも関わらず。


「ジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌどのは、もしかしてアガタの事を好きなのではないでしょうか?」


 イミコの右手の中にいたカエンが、はっきりと質問した。

 イミコは思わず床にカエンを投げつけてしまい、自分のあまりの過激さに再び驚いてしまった。


「僕が? アガタのことを?」


 ジャン‐ルイは、びっくりして目を丸くした。


「あ、あ、あ、あの……。カエンの質問はちょっと失礼よね? そ、それは、もう、アガタは妹みたいな存在だから、あの、あの……」


 イミコは思わず両手を硬く握りしめ、話を変えようと必死になった。その手の間で、バーンがつぶれそうな状態になっていた。


「僕が……」


 まるで自分の気持ちを推し量るように、ジャン‐ルイは言葉を繰り返した。

 イミコはあわてて一歩踏み出した。そこで、床に落ちていたカエンを踏みつけたが気がつかなかった。

 カエンは自分で蒔いた種、バーンはいい迷惑である。


 ――僕はアガタが好きなんだ!

 なーーーーんて言われたら、私、死んじゃうかも?


 と、イミコは涙が出そうだった。

 が、ジャン‐ルイのほうは再びくすくすと笑い出した。


「……たしかに気になる子だけどね。たぶん、そんなのじゃないと思う」


 たぶん……が少し引っかかるが、イミコの手は緩められ、バーンがやっと握りこぶしから解放されて、ふらふらと飛び回った。

 ぐったりしたバーンは、ピンと立ったジャン‐ルイの短い赤毛のうえに座り込んだ。

 それを一瞬上目で見上げて、ジャン‐ルイは続けた。


「僕はどうもおせっかいなたちなんだけれど、その分、自分が一番力になっていないと気がすまないところがある。それは、妹のアガタに対してもそうだから……」


「妹さん?」


 両手を胸の前で握ったまま、イミコは聞き返す。

 その時、イミコは両足揃えてカエンを踏んでいた。カエンの上にはイミコの全体重がかかった。

 イミコの名誉のために言っておくが、彼女はアガサほど体重があるわけでもなく、むしろやせっぽっちなのだ。

 だが、てのひら大の精霊にとってみれば、戦艦並みの重さに違いない。しかも、戦艦というものは海に浮かぶが、空中に浮かない。当然、宇宙も飛ばない。石製の床の上では、その重みは計り知れない。

 カエンがイミコの足下でブスブスくすぶったとしても、仕方がないことなのである。


 精霊に起きている悲劇――もしくは報いというのか――はさておき、ジャン‐ルイの話は続いていた。


「妹は体が弱いから、僕はできるだけ側にいてあげて、家に帰る時もお土産を欠かさないんだけれどね。妹は、僕よりもファビに会えるほうがうれしいようで……。夏休み・冬休みのたびに、今回みたいな気分になるんだよね。それを思い出した」


 イミコは驚いて飛び上がった。


「ファビって! あ、あ、あのファビアンですかぁ?」


 足の下のカエンにはますます被害が及んだが、この場でそれに気がついているのは、カエン当人だけだった。

 イミコの驚きはもっともである。

 火のソーサリエと水のソーサリエが、家族ぐるみでおつきあいがあるなんて、すごい事なのだ。


「ファビは、火の魔法も使いこなせる天才だから問題はないよ。それにね、妹には精霊がいないから。家族で唯一の普通の人なんだ」


 ジャン‐ルイは、少しだけ肩をすくめた。


「なんかね、兄の僕なんかよりも、妹もファビを頼っちゃって。ファビの好意はありがたいけれど、兄としては妬けてくるんだよね」


 兄が妬けるほど、アガタとファビアンは仲がいい。

 ということは、もしかして……ってことで、それはもしかして……ということで、つまるところ、アガサの恋は片思いということになるのかも知れない。

 そう考えると、アガサのことを『ばか!』と怒鳴ったイミコであるが、少しだけアガサに同情を覚える。

 いや、むしろ、これで心おきなくアリという新しい恋人とおつきあいできるのかも? とも思う。


「私、ファビアン・ド・ブローニュさんって、とても冷たい人だと思っていました」


 イミコの素直な感想に、ジャン‐ルイは、あはっと声を上げて笑った。


「氷の王子なんて、学校ではクールに言われているけれど、ファビはあれでも優しいところがあってね。休暇中は自分の家にいるよりも僕の家で妹の世話をしていることのほうが多いくらいだ。アガタが寂しがるといけないとか言ってね」


「さ、寂しい……」


 その話を聞いて、イミコは急に悲しくなった。

 なぜって、自分のことを重ねたから。


「わ、私……。妹さんが寂しいのわかります。だって、私の家は何故か私だけがソーサリエで……。みんな、私だけおかしいって白い目で見て……」


 回りで自分だけが違う存在であるなんて……。


 それは、なんて悲しいこと。

 学校ではいじめられるし、泣いて帰っても家族はかまってくれない。

 どうせ、おまえがおかしいからお友だちができないんだよ、と毎日のように言われ続け……。

 それで自信満々の子になるはずがない。イミコは、自分もすっかりその気になってしまったのだ。

 あげくの果て、イミコは12歳の誕生日の放課後に、学校の屋上から飛び降りた。

 あの日の透き通るような青空を思い出す。見上げれば、涙がにじむほどまぶしかった。

 思い出がどんどん蘇ってくる。

 靴を揃えて置いた時の何ともいえない虚しさとか。

 必死に登った柵の冷たさとか。

 思えば、あの2メートルはあるだろう金網を、逆上がりもできないイミコが乗り越えられたのも、もう死ななければ生きていけないという強い意志が働いたからなのだ。

 もちろん、死んだら生きてはいないのだが。


 突然、イミコは「わーん!」と声を上げて泣き崩れてしまった。

 何がおきたのかわからず、さすがにジャン‐ルイは途方に暮れていた。でも、もっと困っていたのは、さらに涙で弱らされているカエンだったのだが。


「イ、イミコ? 僕、何か悪い事でも言ったかな?」


「ううううんっ! ただ……あまりにも悲しくて、かわいそうで……」



 どんどん進む妄想は、ひとりぼっちが多かった内気なイミコの楽しみのひとつ。

 イミコは今、頭の中で、ジャン‐ルイの妹のアガタになっていた。

 生まれつき体の弱いイミコは、家族に邪険にされ、薄暗い部屋の湿ったベッドのうえで、枕を濡らしながら日々を過ごすのだ。

 部屋は座敷牢である。元々はミソでも置いていた蔵だったかも知れない。ミソくさい。

 本当のアガタならばフランス人であり、どのように不幸でもミソくさい部屋にいるはずはないのだが、そこはイミコの妄想であるから、お国柄は無視である。

 イミコの置かれた状況は、それだけで充分気が狂いそうなのだが、それだけではない。

 黒猫が常に嫌な声で窓の向こうで泣いているのだ。その影は、満月の光に照らされて大きく映り、イミコを震え上がらせる。

 窓は、高窓で覗く事も出来ず、そのうえ、鉄格子が入っている。イミコが脱走して、世間様の目に留まると、家族の恥になるからだ。

 体の不自由なイミコが高窓から脱走するはずはないのだが、あくまでもこれはイミコの妄想であるから、そのような矛盾も矛盾ではない。

 つまり、イミコは世界で一番不幸でかわいそうな女の子と同化していた。

 そして、その不幸な女の子に手を差し伸べてくれるのは……。


「妹のことで泣いてくれるなんて……君は優しいんだね」


 ジャン‐ルイは心動かされたようだった。


「ありがとう。でも、僕はきっと、妹も元気になれるって信じている」


 すっと差し出される手。それは、ジャン‐ルイの手だった。



 この後、イミコがほわんほわんに舞い上がっていたのは、説明する必要もないだろう。

 だが、イミコがカエンのことを思い出したのは、帰りにエレベーターの魔法を使おうとした時である。

 カエンはぺったんこになったまま、イミコの靴に貼り付いていたのだ。まるで困ったチャンが捨てた駅のホームのガムみたいに。

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