不当な裁判・2


 ホール・パスが行方不明になってしまった。

 ジャン‐ルイは困り果てていた。

 朝一番で受けるつもりだった授業をキャンセルし、気分が悪いけれど、モエの元にいって、紛失届を出さなければならない。

 モエのことだから、忙しさにかこつけて、再交付の手続きに時間をかけるにちがいないと思うと、苛々が募る。

 もう一度、部屋中を探した。が、見つからない。


「やはり……食事の時に落としたんだろうなぁ……」


 ジャン‐ルイは、再び食堂に行くことに決めた。

 昨夜は暗がりの中で探したのだから、見つからなくても当然なのだ。

 学生で混む前に行かないと……。と思い立ち、ジャン‐ルイは部屋の扉を思いっきりあけた。

 すると……。


「きゃー!」


 甲高い女の子の悲鳴。

 ジャン‐ルイは、瞬きした。

 どうやら、ドアの向うにその少女は立っていたらしい。ドアにぶつかり、ひっくり返って頭を抱えている。


「ごめん、ケガはないかい?」


 慌てて手を差し出すと、彼女はその手をむんずとつかまえていきなり立ち上がり、さらにジャン‐ルイの胸に飛び込んできた。

 それだけでも驚きなのに、さらに大声で泣き出した。

 隣部屋の少年が、あまりの声で驚いてドアを開け、ジャン‐ルイの姿を見て目を丸くした。


「おい? 朝から女の子、泣かしていんの?」


 ジャン‐ルイは慌てて否定した。


「いや、これは、あの……ちょっとした事故で……」


 と言いつつ、ジャン‐ルイは女の子を部屋に引き入れた。

 このまま廊下で泣かれてしまったら、今に6階中……いや、他の階からも野次馬が来るだろう。そいつらは、まさかこの女の子が、ドアに頭をぶつけて泣いているなどとは思わないだろう。

 だって……。

 自分だって、それだけで彼女が泣いているとは思えない。


 部屋に入ると、女の子は少しだけ落ち着いて大人しくなった。が、涙は相変わらず止まらない。


「あれ? 君は、たしか……アガタのお友だちのイミコさん?」


 彼のイミコに対する認識は、この程度だった。が、今日のイミコはそのようなことで落ち込まない。

 なぜならば、もっと切羽詰った大事な用事で、いても立ってもいられずにジャン‐ルイを訪ねてきたのだから。

 さすがにドアの前で、内気なイミコはノックを躊躇した。

 だが、親友の危機にそんなことは言ってられない。勇気を振り絞り、ノックしようとした瞬間に、ドアが勢いよく開いてしまったのだ。


「まずは落ち着いて。お茶でも入れよう……」


「そんな、落ち着いてなんて、い、い、い……いられないんです!」


 イミコは泣き出した。


「落ち着かないと、何もわからないよ? ね?」


 そういって、ジャン‐ルイはイミコの肩をぽんと叩き、お茶を入れにキッチンに向かった。



 イミコは、お茶を飲みつつ涙を流しながら、今までの出来事を正直に語った。

 アガサの仮入学の意味を話すときには、カエンが嫌そうな顔をしたが、それでも正直に伝えた。

 パスを盗んだことは、さすがに目をつぶって、ごめんなさいを繰り返しながら告白した。

 そして、今朝、アガサに起きてしまった深刻な事態を打ち明けたところで、再びわっと大きな声を上げて泣き出してしまった。

 ジャン‐ルイは、壁に寄りかかって腕組みをしたまま、黙って聞いていた。話が終わったあとも、しばらく彼は考え続けていた。


 やっぱり……こんなことをした後で、助けてもらおうなんて、都合がよすぎるわ。


 イミコは諦めかけていた。

 しかし、ジャン‐ルイはそんな狭い人間ではなかったのである。

 モエと長い間戦ってきた彼には、モエの手口が読めていた。だから、真直ぐに向かっていっても、けしていい結果にはならないこともわかっている。


「バーン、お使いを頼む」


 肩先に止まった精霊に命令する。

 バーンは、やや火の精霊にしてては珍しい丸っこい瞳をクルクルと回すと、元気よく窓から飛び出していった。


「イミコさん、まずは落ち着いて。泣いていても何も解決にならないからね」


 そういうと、ジャン‐ルイはイミコの隣に座った。


「深呼吸してごらん? 吸って……吐いて……」


 片手で脈を計るようにしてイミコの手を掴み、もう片手をイミコの目の前で上下させる。イミコはつられて深呼吸した。


「落ち着いた? 大丈夫?」


 うんうんと、うなずくイミコ。

 すると、ジャン‐ルイは立ち上がった。


「じゃあ、アガタを助けに行こう! 僕の精霊はいないから、カエンを借りるよ?」


 こうして、イミコとジャン‐ルイは、アガサ救出のためにプロフェッスール・モエの元へと向かった。




 落ち着いたはずのイミコだった。

 ところが、ジャン‐ルイがカエンを使って下るエレベーターの速度はどこかの遊園地のフリーフォールのような速さで、イミコは結局、悲鳴を上げ続け、ジャン‐ルイにしがみ続けていた。

 そのけたたましさのおかげで、二人がモエの元に着いたときには、なんだなんだと野次馬が押しかけ、大人数になってた。


「よって、判6つ! 学長に報告するまでもなく、アガタ・ブラウンを退学処分します!」


 モエの声は、廊下に集まった生徒たちの耳にも入り、ざわめきが起こった。


「待ってください! 意義ありです!」


 勢いよくドアを開け、ジャン‐ルイが飛び込んでいった。



 モエは、無礼な生徒総監の顔を睨むと、眼鏡を再び5度も上げなおした。


「あれま、意義などとは……。いくらヴァンセンヌの御曹司とはいえ、この決定を覆すことはできませんよ。現行犯なんですから!」


 アガサといえば、この頼もしい助っ人の声を聞いて……喜ぶどころか震え上がってしまった。

 何が辛いといっても、親切を仇で返した相手の顔を見るほど、情けないことはない。


 ――顔……見たくないよぉ。


 そんなアガサの願いも虚しく、彼はツカツカと部屋に入り、アガサとモエの間に立った。

 一瞬、ジャン‐ルイがアガサのほうを見た。

 アガサは恥ずかしさのあまり、顔を伏せてしまった。

 ジャン‐ルイは、それにはかまわず、モエの机の上に置かれた罪状認否の文章を読み返した。


「アガタ・ブラウンは、火のソーサリエの食堂で出される食事に文句をつけたうえ、食堂で人々を扇動した」


 廊下で生徒たちがざわつく。


「アガタ・ブラウンは、ジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌから精霊を使ってホール・パスを盗み出した」


 イミコが思わず顔を両手で覆った。


「アガサ・ブラウンは、中央食堂に忍びこみ、扇動した仲間と事件を起こそうとたくらんだ……か。なるほど」


 ジャン‐ルイは大きな声で読み終わりと、いきなりそれを破り捨てた。


「こんなのは、嘘っぱちです!」


 モエは、真っ赤になって怒った。

 まさに火のソーサリエ、口からぼおおおっと火でも吐き出しそうな勢いである。実際は、つばが飛んできただけだった。


「嘘じゃありません! この子は、食い意地が汚い上に、仲間と暴動を起こすつもりだったのです!」



 実は、これはジャン‐ルイのたくらみのひとつだった。

 ドアの向うで野次馬根性丸出しの者たちは、先日ジャン‐ルイの演説に大いに賛同した者たちだ。

 この罪状が嘘であれ、本当であれ、誰もがやらかして欲しいと願っていることである。それくらい、食事の不満は強かったのだ。

 アガサは、ここに集まった生徒たちの同情を大いに受けることとなる。

 権力に屈することになろうとも、モエには脅威の世論となる可能性があり、上手くすれば判決を覆すこともできるかもしれない。

 もちろん、それだけではアガサを救えないことも、ジャン‐ルイは知っていた。

 

「確かに食堂で演説した者がいる。でも、それは僕です。それに、別に扇動したわけではありません。こんなのは罪じゃない!」


 ドアのほうから、そうだ、そうだ! と声がした。が、モエがきっと睨むと、声はだんだん小さくなった。


「忍び込んだのは罪でも、実際はお菓子を食べたわけではない。防犯装置をかじってみただけだ」


 モエは、ばかばかしいとばかりに笑った。


「お菓子と間違えてかじっただけの話です」


 実は、そうなんです……と、内心アガサは思ったが、余計な口を挟むのは止めておいた。

 それは、正しい選択だった。


「だいたい、扇動がなかったのに、暴動をたくらめるわけがない……」


 確かに、アガサが仲間を扇動しているというのは、モエが作ったでっちあげである。

 山なりに連なった生徒たち、そして演説の張本人がいる。実際にその場の証人が揃っているのだから、この罪を貫き通すのは難しい。

 モエは、何度か咳払いを繰り返した。


「よろしい……。その部分は証拠不十分といたしましょう。だが、確実に3つの判は押されます。彼女の退学は揺るぎません!」


 再び眼鏡を6回上げて、モエは言った。


「偽証罪。侵入罪。それと、あなたのホール・パスを盗んだ窃盗罪。これは、覆せない事実です」


「偽証罪?」


 さすがに、ジャン‐ルイもこれは考えてはいなかったらしい。


「は、はめられちゃったんです!」


 思わずアガサが叫んだ。


「不敬罪」


 モエがにやりと笑った。

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