ソーサリエの伝説・3
「……てのが、ソーサリエの伝説であり、歴史なんだ。この学校は、元々が大学で、その時の遺物のひとつさ。王宮なんざ、跡形もネェ……」
アガサは思わずフレイの話にのめりこんでいた。
「イミコが恐れていたのは……占いなんかの相性ではなかったのね?」
呆けたアガサの言葉に、フレイは立ち上がった。
「あったりまえさ! いまだに天空は崩れかけているんだぜ! 土のソーサリエたちの技術によって、一進一退の現状が維持されているだけで、ほっとけば千年後には、跡形もなくなるぜ!」
悲しい物語だ。
愛し合う二人の相性が、世界を崩壊させてしまうなんて。
「その、ルイの末裔がジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌで、マリの末裔がファビアン・ド・ブローニュってわけ。ルイとマリは離婚した後もよき友人として、ソーサリエのために研究を重ね、遠戚と名乗りあっているわけ」
「……」
アガサは無言になってしまった。
こんな悲しいご先祖様を持っているファビアンが、火の精霊を連れているアガサ・ブラウンと、恋人になりたいと思うだろうか?
――いや、思うはずがない。
この恋は、アガサが熊ちゃんだからとか、髭面パジャマだからとか、タイツかぶりの忍びの者だからとか、そんな子供じた問題以前に大問題なのだ。
「じゃあ……ファビアンを好きになるのは、やめたほうがいいんだ。でも……。初めて会ったときは、問題なかった。私、生まれつきのソーサリエじゃないから、大丈夫じゃないかなぁ?」
無理やりこじつけるアガサの希望は、簡単に打ち砕かれた。
「あのさぁ……。おいらが付いている限り、ソーサリエの才能がないのは、もっと危険なの! あん時も今回も、ヤツの制御が利いていたから大丈夫だったけれどさ。それだって、けっこうヤツにはキツイはずさ。おいらだって、無理やり水のソーサリエの制御を受けるのは、気持ちわりいんだ」
「……」
「まぁ、ホール・パスを手に入れるくらいにおいらを制御できるようになったら、お友だち程度にはなれると思うぜ」
慰めにもならない。
「もっと早くに教えてよね」
「ずっとファビアンは駄目だって、おいらは言い続けてきたぞ!」
それはそうだけど……。
もう、諦めるなんて無理。
――だって、本当の名前を呼ばれてしまったもの。
あの甘い声で。
アガサって……。
アガサは、生まれて初めての挫折を味わっていた。
人生十二年間、ここまで落ち込んだのは、正直初めてである。
ついでに、フレイも弱りきっていて、相変わらずロウソクから滑り落ち続けている。
おそらく、アガサの涙を我慢して、伝説を語ったのが、余計に体に堪えたのだろう。
――だめ!
こんな私、アガサ・ブラウンなんかじゃない!
アガサは、どうにか失恋のショックから立ち直り、自分に貼り付けてしまった『ダメダメ・ソーサリエ』のレッテルを外そうと思った。
だが、回り始めたネガティブの歯車は、中々元には戻らない。
「がんばって、お友だちに……。がんばって、お友だちに……」
そんなのじゃ、とてもがんばれない。
元気なアガサというのは、不幸を知らなかったから存在したのだ。
人生には不幸があることを知った今、そう簡単に前向きになれはしない。
アガサは、大きなため息をついた。
「あーあ……。せめて、ここに甘いお菓子があれば、元気が復活するのになぁ」
そんなアガサがたどり着いた先は……。
食堂であった。
アガサは、食堂の扉を押した。
ファビアンの話では、この食堂を突っ切ると一番近道で、火のソーサリエの棟に戻ることができるはずだった。
が……。それは、一般の人の場合である。
アガサのことを知り尽くしているフレイは、アガサの特殊性を考えて、この近道を避けたのである。
でも、今のフレイにはそのようなことを考えるゆとりはなかった。
「う、わ……」
ロウソクに照らし出された世界に、アガサは思わず唸ってしまった。
テーブルの上には、何もない。
でも、テーブルの横には、ケーキ用のケースが連なっていた。
思わず走り寄って覗いてみると!
アガサが見たこともないような、芸術的な美しいケーキが並んでいた。
細い糸のようなクリームの帯で巻き上げられたモンブランの上には、艶やかなマロン・グラッセが乗っている。
しろいふわふわのショート・ケーキには、真っ赤で大きなイチゴ。
その横のアップルタルトは、信じられないほど薄く切られたリンゴがトランプを広げたように並べられている。
それに、隣のケーキの美しいアメ細工といったら! まるで蝶が羽を広げたような美しさ。
さらに、その下の段には4種類の真っ赤なベリーを乗せたタルトもあるし、その隣にはアーモンドがのっかったチョコレートケーキが、ココア・パウダーでおめかししている。
そいつらは、まるで、アガサに向かって
「私を食べて」
「いえいえ、私を!」
「いーえ、私をぜひ食べて!」
と、自己主張しているようだった。
「わかった! 喧嘩しないでね。全部食べてあげるから!」
つい、アガサの口からとんでもない言葉が漏れてしまった。
「わー! ねーさん、ダメ! 夜のケーキは太るし、何よりもおいら達、時間がねーよ!」
フレイが、必死にロウソクをよじ登って抗議したけれど、アガサの耳には届いていない。
フレイは、がんばって飛び上がり、アガサの耳元で怒鳴り続けた。
「ケーキは太る! ケーキは太る! ケーキは太る!」
さすがのアガサも、ここで正気に戻った。
「わ、わ、わかったわよ! ここは、堪えがたきを堪えることにする」
アガサは、後ろ髪を引かれる思いで――といっても、今はタイツを被っているのだが――ケーキのケース前を後にした。
出口の扉はすぐそこだった。
アガサは、誘惑を振りきった……つもりだった。
が、出口の扉の近くには、小さな丸テーブルがおいてあり、そこには花の変わりに、綺麗に盛り上げられた色とりどりのマカロンが飾ってあった。
「きゃっ! かわいいっ! 綺麗!」
アガサは、思わず叫んでしまった。
配色がなんともいえない。
薄茶はキャラメル、ピンクはストロベリー、薄緑はビスタチオ、濃茶はチョコレートかコーヒーか? 黄色っぽいのはクリームで……ああ、想像だけでは味がわからない。
出口に近いということもあり、アガサは気が緩んでしまった。
フレイの目を盗んで、こっそりと手を伸ばした。
味が不明の黄色のマカロン。アガサは手早く口に運んだ。
「侵入者発見! 侵入者発見! 直ちに出口を封鎖せよ!」
突然の大きな声。
なんと、マカロンの山が叫んでいるではないか!
「うわーっ! ねーさん、それ、有名な防犯マカロン!」
「もーっ! フレイったらいつも一言遅い!」
「おいら、ちゃんと食べるなって、言っただろ!」
お互いに責め合ってももう遅い。
あわれ、忍びのアガサ、御用となる。
しかし、アガサが一番悲しかったのは、マカロンだと思ってかじった物は黄色信号のイミテーションであり、甘いどころか食べ物でもなかったことである。
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