ソーサリエの伝説・2


 ファビアンの示した道は、先ほどとは経路が違う。

 食堂までの回廊は、片面がガラス張りになっていて、もう片面には大きめの窓があった。シャンデリアがぶら下がっていて、これに灯りが灯れば、さぞや豪華な場所だろうと思われる。

 ロウソクに神経を集中させて、アガサは抜き足・差し足・忍び足で歩いていた。


 そして、ふと……。


 アガサはつい、鏡に写った自分の姿を見て、ショックでロウソクを落としそうになった。

 タイツを被り、足の部分をぐるぐる巻きにして、顔を隠している。

 ピチピチのスエット・スーツに、深緑色の唐草模様の風呂敷マント。

 抜き足差し足の片足を上げたところで、硬直している自分の姿は……。

 まさに、忍びの者である。


 ――あんまりじゃない! この姿で私!

 あの、ファビアン・ド・ブローニュとお話してしまったんだわ!


 さらに最悪なことに……汗臭い。

 これで、ファビアンのマントに包まれていたかと思うと……。

 滝のように汗が出てきてしまった。

 運命の恋に、障害はつきもの。

 だが、これほどまでに残酷な障害が、この世にあるものだろうか? いいや、ない。

 少なくてもアガサが知っている限りの悲恋話の中で、最悪の展開である。


「うううう……死んじゃいたいほど、恥ずかしい!」


 今までの疲れも一気に出てしまい、アガサは回廊の真ん中でへたりこんでしまった。

 よくよく考えると、浮かれるべきことは何もない。

 結局、とても親切なジャン‐ルイを裏切ってまでした冒険も、本を読み切ることができなかったから失敗しているのだ。

 それなのに、つい王子様と話せたからと思って、有頂天になっていたなんて!


 恋する乙女の心は、変わりやすい天気模様に似ている。

 悪いことばかりが、次から次へとアガサの脳裏に浮かんでは消えた。

 あまりのショックに、アガサは一気に落ち込んだ。

 フレイが、必死になってロウソクを這い上がってきた。


「ねーさん、泣くなよ。おいら、これ以上弱ったら、本当に死ぬ」


 やっと一言口にすると、力なく、つつつ……と落ちていく。

 アガサは泣きシャックリを上げて、フレイを捕まえると、再びロウソクの天辺に乗せてあげた。


「……ねーさん。本当にファビアンは無理。火のソーサリエと水のソーサリエは、一緒にはなれない」


「私、ソーサリエなんかじゃないもん!」


 アガサは、湧き出す涙を抑えることができなかった。


「ソーサリエだったら、フレイを抑えきれたはずだわ!」


 突然、燃え盛るフレイに対して何も出来なかった自分を思い出してしまったのだ。

 あの時の、情けない気持ちといったら……。

 わーっ! と大きな声を上げて、アガサは床にふしてしまった。


 フレイは、よろよろと飛んできて、アガサの頭の上に着地した。

 本当は、涙はフレイの体には毒なのである。しかし、フレイはアガサの被ったタイツの上に膝を抱えて座り込んだ。


「あのさ……。アガタは、もしかして、火と水の相性の悪さって、わかっちゃいないんじゃねーの?」


「ひくっ」


 これが、唯一アガサが出せた返事代わりの声だった。


「そういやぁおいら、説明していなかったな。だいたい、駄目っていえば、普通は皆、納得してくれるだがよ、ねーさんは変わっているからなぁ……」


「ひくひくっ」


 これは、そんなことはないという否定の言葉だが、さっきのイエスとあまり違わない。

 フレイは長い話を語り始めた。


「これはさぁ、ソーサリエの王国崩壊の伝説なんだけれどさぁ……」



 ソーサリエは、人間が猿であった時代から天空に王国を築いていたんだ。時に人々の神となり、時に恐れの対象にもなってきたが、今ほど密接な関係にはなかった。

 なぜって、当時の天空は今よりももっと広く、ソーサリエは下界で人々と交わって暮らす必要なんてなかったからね。

 天空に浮かぶ大地は、所々に穴がある程度で、街も畑も、山も谷も、川も海も存在していたんだ。

 人々は、下界のことなど何も知らず、一生を過ごすことが多かった。精霊の力を利用している限り、常に豊かで飢える者もなかった。

 そして、精霊たちもみんな仲良くやっていたものさ。


「何だか、天国みたいだね」


「まぁね、天国って言われていた時代もあったな」


 基本的に、精霊の属性は4つ。

 火・水・土・風。今も変わらないけれどね。

 これらの力は、お互いに反発する力があり、誤用すると危険だといわれているんだ。また、同調するところもあり、組み合わせで色々なこともできるのさ。

 たとえば、風と火と土を使って、大きな山を砕き、その石を利用して建物を建てたり、水と土を使って荒地を畑に変えたり。

 ところが、どうがんばっても反発力が強すぎて、お互いどうにもできないのが、火と水の力だった。

 この精霊同士が近づくと、お互いがお互いを打ち消そうとして暴走してしまう。


「つまり……さっきみたいに?」


「分別がつけばいいんだけどねえ」


「ファビアンみたいに?」


「アイツは年齢のわりに、分別つきすぎ!」


 本当にフレイはファビアンが嫌いなようである。こほんと咳払いして、話を続けた。


 ソーサリエが力をつけて、精霊の暴走を抑えることができれば、何の問題もないけれど、子供同士は属性ごとに別々に育てられるんだ。

 だから、同属性以外の結婚は厳禁。

 たまに、火と土、水と風などの喜ばしからぬカップリングもあったけれど、子供の属性が違ったりすると、一緒に育てることはできない。

 だから、当然のように同属性のカップリングばかりだった。

 火と水に至っては、大人同士でも気が緩んだら暴走することがあるので、誰も結婚なんか考えなった。

 夫婦喧嘩で家が吹っ飛ぶこともありえるし、街が崩壊する危険性もあったから、誰も火と水を一緒にすることはなかった。


 今から一万年ほど前に、ソーサリエ大学が作られた。

 ここでは、さらに属性の研究が進められて、その結果、火と水の融合は、ものすごいエネルギーを持っていることが発見されてね。

 その研究をした者が、火の精霊バーンを付けていたルイ・ヴァンセンヌと、水の精霊レインを付けたマリ・ブローニュだった。

 この二人は大学で研究を共に重ねるうちに恋に落ち、まわりの反対を押し切って結婚してしまった。

 人々は、何か恐ろしいことが起きるのでは? と、恐れたが、二人の仲はとてもよくて、研究も素晴らしいものばかりだった。

 当時のソーサリエの王国は、賢王の政策もあって今の時代よりもずっと豊かだったといわれている。

 火と水の融合エネルギーは、ロウソクなしで灯りをつけることができたし、巨大なモーターを動かすこともできた。今の電力のようなもので、しかも、無尽蔵に近い力を生み出していた。


「ところが、悪夢はやってきた」


 ルイとマリは、力のあるソーサリエだったから、お互いの精霊を完全に制御することができていたんだ。

 だが、生まれてきた子供は違う。

 二人は、もしも、子供の精霊が火であったらルイが、水であったらマリが育てて、子供が力を制御できるようになってから、家族として共に過ごそうと考えていた。それは、寂しさもあるけれども、掟を破って愛を貫いたからには堪えるべき試練だと思っていた。

 しかし、現実は甘くはないんだよね。

 生まれてきた子供は、なんと火と水の属性を併せ持った、奇形の精霊が付いてしまったんだ。

 当然、子供は精霊を制御できない。

 当時の血の濃いソーサリエにとって、精霊の死はソーサリエの死をも意味したから、精霊を殺すこともできない。

 ルイとマリは、お互いの力を出し合って、火水の精霊を抑えきろうとした。


「でもさ、そんなこと、できると思う?」


「で……できるんじゃない? 努力と根性さえあれば……」


 ち、ち、ち、とフレイは口をとんがらせて、首を振った。


「それができると思うのは、傲慢ってことさ」


 子供の成長とともに力をつけていった火水の精霊は、ついにその力を解放してしまった。

 彼が望む・望まないに関わらず、自ら内に秘めた力が暴走してしまった。

 その結果、とんでもないことがどんどん起きちまった。

 ソーサリエの王国は大爆発して、崩壊し、ばらばらの大地になってしまった。多くの人々が、虹の雲の中に落ち、命を失った。


「う……あの時見た変な影って……」


「まぁ、一万年ほど前から住み着いた、いわば亡霊ってヤツさ」


 生き残った人々は、多くが下界へと逃げた。しかし、火水の力は下界をも破壊するほど強かった。

 雷ごうごうピカピカ。大洪水・大噴火・そして寒波。


「ノアの洪水とか……たぶんこの時の話だったと思ったなぁ」


「そ、それもソーサリエのせいなの?」


「まぁ、普通の人ってさ、説明付きにくいことは、全部神話にしちまうからな」


 ルイとマリは、力を振り絞って火水の精霊を結晶の中に閉じ込めて、永久にその力を封じることにする。

 その結果、二人の子供は死んじまったよ。結局は、自分たちの子供よりも世界を救うことを選んだんだ。

 二人は自分たちの愛を恥じて離婚した。

 たしかに、ルイとマリの罪は大きかった。

 しかし、その後、ソーサリエの世界を救い、蘇らせた功績のおかげで、彼らは今でも尊敬されている。

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