アガサ、忍びの者となる・2

 

 見回りの生徒は、大きな声を張り上げながら、階段を下りてきた。

 彼らは、当番制で教室のある階を毎晩回るのである。この当番は、四階に当たったものの使命であり、他の階の者たちには課せられない。

 この不公平な制度も、目下ジャン‐ルイの頭を悩ませているものではある。

 しかし、モエバーが「4階の生徒には特別に単位を与える」などと適当な不平等条件を示しているものだから、ジャン‐ルイの主張に逆らって四階の住人になりたがる生徒が多いくらいだった。

 早く多くの単位を獲得し、3年生になれたならば……中央食堂での美味しい料理が彼らを待っているのだ。

 おのずと、当番の仕事にも熱が入るのである。


「火の用心!」

 カチカチッ!


「精霊1匹、火事のもと!」

 カチカチッ!


 二人の生徒は、アガサたちがいる階段を下ってくる。

 煌々と照らされる灯りで、廊下のすみずみまでよく見える。

 不気味なソーサリエたちの肖像や、昼間よりもずっとはっきりと浮き上がる階段横の装飾など。太い柱の影がゆらゆらと躍っている。

 それは、まるで……幽霊のようだった。ソーサリエの学校に幽霊がいたならば、の話だが。

 まるで、肝試しのような雰囲気。おそらく、イミコのような女の子だったら、いくら中央食堂に近くなるとおだてられたって、四階の住人にはなりたくはないだろう。

 だが、彼らはなれているらしい。

 平然と自分達のペースで階段を降り、1階のホールにたどり着き、さらに食堂方面に向かって歩いていった。


 その間、アガサといえば……。


「ううう……。もう限界」


 苦しいうめき声と共に、どすっと鈍い音がした。

 床が白黒の大理石で出来ていたおかげで、落下した音はさほど響かなかったが、なんせ石である。


「あいたたたたた……」


 アガサはオシリをさすった。

 逃げ切れないと思い、手すりを乗り越えて階段脇にぶら下がったまではよかった。

 アガサの手元すれすれに、当番の生徒たちは階段を降りていったが、アガサには気がつかなかった。

 彼らの明かりが一階の床に映し出したアガサの影は、かなり巨大で奇妙なものであった。落ちそうになって足をばたつかせ、必死にもがいていたから、不気味な蜘蛛のようだった。

 しかし、彼らは真直ぐに前を向いていた。

 まさか、忍びのものが階段の脇にぶらぶらしているとは、思いもよらなかったのである。ただ、ひたすら生真面目に仕事を遂行してた。

 アガサは救われた。

 あの影のみっともなさといったら、忍びの姿以上に見られたくなかったからだ。


 彼らの姿が見えなくなって、フレイはけろりしてと言った。


「あ、ねーさん。敵は去ったぜ! もういいぜ!」


 火の精霊のほうは羽があるから、この事態にも何の苦労もない。

 ただ、ひっそりとアガサのマントに隠れていて、敵が去ったら今度はアガサの鼻先を飛び回るだけなのである。

 だが、つかまっているのが精一杯のアガサに、階段まで這い上がる力など、あるはずがない。

 というわけで、アガサは見事に落下したのである。


 普通ならば、この高さから落下したならば、命はあってもケガは免れないはずだった。


「ねーさん! ほんの少し浮いていたようだぜ! やったね!」


 フレイはうれしそうに踊りながら、アガサの目と鼻の先をクルクル回って見せた。


「ううう……。実感ないんですけれど」


 オシリが痛いアガサは、涙目になりながらも、立ち上がってみた。

 確かに打撲以外のケガはないらしい。

 これはとっさに、落ちたくない! と思ったから、何らかの呪文になって、体を浮かせることができたのかもしれない。

 とはいえ、エレベーターのように体を浮かせることは、習得までにもうしばらく掛かりそうだった。

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