アガサ、忍びの者となる

アガサ、忍びの者となる・1


 フレイの計画はこうだった。

 今夜のうちに中央図書館に忍び込み、火のつけ方の本を探して夜を徹して読破する。そして朝方戻ってきて、こっそりパスを戻しておく。

 上手くいけば、ジャン‐ルイに気がつかれることもないだろう。


 イミコはまだ納得がいかないらしい。

 それでもアガサの決心が固いことを知ると、黒い服を貸してくれた。

 小柄なイミコに比べると、太っているとまではいわないけれど、アガサには充分にボリュームがあった。

 服はややきついのだが、無理やり体を押し込める。ヘンリーネックの胸元のボタンは止まらず、ゆったりめのスエット・パンツはパンパンである。

 元々の服のシルエットがわからないくらいに、ぴっちりぴったりで、スエット・スーツというよりは、なぜかウエット・スーツを着ているような気分である。


「なんだか、忍者みたい」


 と、イミコが感想を漏らした。

 真っ赤な多毛症気味の髪の毛も、どうにかしなければならない。

 アガサは、黒いタイツを頭に被った。足の部分をぐるぐるとねじり、ターバンのようにして髪を隠した。さらに余った部分で、口元も隠し、目だけが覗くようにした。

 あまり人には見られたくはないが、見られては元々困るからこその変装である。鼻の下が少しもぞもぞするが、我慢する。

 まだ足りない。フレイを隠すための物が必要だ。

 精霊たちは暗闇で目をつぶらない限り、光を発してしまうのだ。


「マントがいるわね」


 そういってイミコはタンスの中を探し回り、大きな布を取り出した。

 そんなことするなんて卑怯よ、やめたほうがいいんじゃない? を連発しながらも、色々協力してくれるイミコは、本当は心が広いのだろう。アガサは感心してしまう。

 が、イミコの出した布には少しだけ気が引けた。


「これは、風呂敷といって物を色々包んで持ち運ぶためのものだけど……」


 確かにマントにはちょうどよかった。深緑の地色にやや黄色い唐草模様が派手かな? とは思われるが、フレイがこっそり隠れるには充分である。

 これで、完璧な忍びの者となった。


「じゃあ行ってくる」


 そういって、アガサとフレイは、抜き足差し足で部屋を後にした。



 消灯時間は過ぎていた。もうあたりは真っ暗である。

 フレイの明かりで足元を確認しながら、階段を降りてゆく。

 階段は、昼の様相とはまた違っていた。

 壁に掛かった絵は、ほとんど見えないが、それでも下のほうに掛かっているものは、うっすらと見える。その見え方が、すこし怖い。

 するるる……と、壁伝いに歩くと、いきなり怖いカツラ男の肖像画と目が合ったりするから、つい、悲鳴を上げてしまいそうになる。


「何だか歴代校長先生に睨まれているような気がするよ、もう」


 非常階段のほうが人には見つからないのでは? とアガサは思ったが、人ひとりが通れる幅の非常階段では、誰かにあったら逃げ隠れすることは出来ない。


「ここならば、まだ逃げ隠れできる……あ!」


 フレイの言葉が途中で止まった。

 アガサは、階段の踊り場の隅で身をすくめた。下から明かりがかすかに揺らめいている。誰かが吹き抜けを上がってくる。

 フレイは唐草風呂敷マントの下に潜り込み、アガサは壁に張り付いた。

 真っ暗な階段だが光に照らし出されれば、この変装した姿を……いや、姿を見られないために変装しているのだが――見られてしまうだろう。

 アガサはドキドキしながら、光の主に気がつかれないように、お祈りした。

 その人は、ややうつむき加減でアガサのことにも気が付かず、吹き抜けを上っていった。

 が、アガサはほっとすることはできなかった。

 ジャン‐ルイだったからだ。

 彼は、きっとホール・パスがなくなったのに気がつき、落としたのだと思って、食堂まで探しにいったに違いない。


「ごめんなさい、私なの!」


 そう口元から出てしまいそうな言葉を飲み込んで、アガサは、気落ちしているジャン‐ルイの姿を、苦しい気持ちで見送った。

 でも、もう後戻りはできない。

 ジャン‐ルイが、プロフェッスール・モエにパスの紛失を届ける前に、こっそりと戻すしか方法はない。


 ――けれど、どうしてこんなことに?


「ねぇ、フレイ? どうしてあなたは一万年以上も存在しているのに、火のつけ方とか、火を扱える場所とか、知らないの?」


 アガサは、さすがにこの方法に後ろめたくなって、ついブツブツと質問した。

 もしもフレイが何でも知っているならば、ジャン‐ルイを利用しなくてもよかったかもしれない。

 人に迷惑なんかかけなくたって、精霊の力でなんとかなるものなのでは?

 アガサがそんなことを考えていると、フレイは少しむっつりとした。


「おいらがこんなことをして楽しんでいるなんて、ねーさん、考えているわけないだろうなぁ?」


 アガサは、ぎくりとした。

 運命共同体……なんていいつつ、つい、すべてをフレイに押し付けようとしている自分に驚いてしまったのだ。


「ねーさん、酷なこと聞くなよ。おいら、いくら頭よくても一万年の記憶を保管しておくほどじゃないぜ! ねーさん、生まれた日のこと覚えてるか?」


「……覚えていない」


「おいらだって、アガタの前に起きた出来事は、あまり覚えていねーんだよ。おいらがこの学校に詳しいのは、アガタがぐーすか寝ている間に、不眠不休で勉強したからだぜ! まぁ、その間に、時々都合よく過去の出来事を思い出したりもするけどよ、そのぶん、色々忘れることもあんの! おいら、万能なわけじゃないぜ!」


 精霊は弱っているとき以外は眠らないらしい。アガサがぐうすか眠っている間に、フレイは努力しているらしい。


「ご、ごめん……」


 そうだ、もうこうなってしまってから、自分だけいい子になるなんて、ずるすぎる。

 アガサは再び気を奮い立たせ、抜き足差し足で階段を下りはじめた。


 やっと一階……というところまで来て、ほっとしたところだった。

 どこからともなく、カチカチッ! という綺麗な音が響いてきた。


「やば! ねーさん。見回りだよ。隠れて!」


「う……隠れてっていっても!」


 とりあえず、また暗がりにしゃがみこむ。

 その音とともに、二階の廊下から明かりがゆらゆらと見え始めた。

 壁に二つの影が伸び、ついに人影が現れた。

 その見回り当番の生徒は二人組みで一人は明かりを持ち、もう一人は木の棒を二つ持っていた。


「火の用心!」

 カチカチッ!


 この木の棒をあわせると、実にいい音だ。……と、関心している場合ではない。


「火の用心!」

 カチカチッ!


「精霊1匹、火事のもと!」

 カチカチッ!


 また階段の隅に身を潜ませるには、彼らが持っている明かりは明るすぎる。しかも、彼らは吹き抜けを使わず、階段に向かってくるではないか! これでは間違いなく見つかってしまう。

 アガサは階段を駆け下り始めた。


「ダメだ! これじゃあ上から丸見えだ! 間に合わない!」


 フレイが叫んだ。


「もー! じゃあどうすればいいのよ!」


 アガサは泣きたくなった。

ここで見つかったら、一巻の終わりである。

 いやそれよりも何よりも。

 こんなかっこ悪い姿は、絶対に誰にも見られたくはない。

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