第二章
ルームメイト
ルームメイト・1
アガサは、蜀台にのったろうそくの火を消さないように気をつけながら、ゆっくりと歩いた。
昼とは思えない暗い通路は、壁も床も石で出来ていてひんやりとしている。しかも、迷路のように入り組んでいて、かなり細く、迷子になりそうだった。どうやら裏道らしい。
フレイはぐったりと火の中に座り込んでいて、時々、右とか左とか道を指図する。が、時に押し黙ってしまうので、アガサのほうが困って聞く有様だった。
「あぅ……ねーさん、本当にすまない」
どうやら落ち込んでいるのは水の精に水をかけられたからではなく、自分の間違いに自己嫌悪になっているかららしかった。
「うん? だってもう起きちゃったことだし。さっきフレイだって言っていたじゃない。ここで泣き続けていたって、道は開かれないもの」
「うん……」
やはり、フレイは元気がない。1ヶ月後のことが心配らしい。
やがて現れた石の螺旋階段を上りながら、アガサは失敗した試験のことを考えていた。
「なんで、今回は上手く火がつかなかったのかなぁ?」
「そりゃあそうさ。下界よりも天空のほうが力が働く。おいらたち精霊は、力の加減が利かない。だから、ソーサリエの手綱ひとつなんだ」
「なによ、それ?」
「つまりな、マッチをすれば火がつくだろ? でも、マッチ自身は自分では火をつけられないってことさ」
アガサは、自分にすべての責任を振られてしまったようでゲンナリした。
「じゃあ、私がどうにかしないと駄目なのね」
「あとは、おいらが死ぬほど弱るか……だな」
話をしているうちに、気分が暗くなる。
最初は、どうにか学校に残れることを素直に喜んだのだけど、それは問題を先送りしただけに過ぎない。
それに、思ったよりもフレイが弱っていることが気になった。
(もっと喜んでくれると思ったんだけど……)
「ごめん、ねーさん」
再びフレイが謝る。
フレイがアガサの心を読めることを思い出して、アガサは恥ずかしくなってしまった。
階段はどこまでもどこまでも続いてゆくようで、アガサはさすがに息が上がってきた。こんな階段を毎日上り下りしていたら、さぞや鍛えられることだろう。
元気が失せてきて、アガサは気がついた。
――そういえば、食べたものはもう胃袋にないんだわ。さっき、吐いちゃったもの!
それに、久しぶりに大声を出したから、おなかがすいちゃったんだわ!
そう思ったとたんに、おなかがぐうーと鳴った。
「せめて、マダム・フルールがお菓子くらい出してくれたら、もうちょっと私の頭もさえたと思うんだけど」
フレイは、アガサの想像力を食べていると言っていた。
頭がすっきりしていたら、フレイも元気になるだろう……。
今は食べ物のことしか思い浮かばす、たぶん、食べ物を想像していてもフレイの栄養にはなりそうにない。
やっと、階段から横の通路が出ている。小さな扉を開けた先は、広めの廊下があった。その左右に、いくつかの部屋がある。
一番手前の部屋を、フレイは指差した。
「そこ……」
力が抜けてしまいそうな相棒の態度に、ややがっかりしてしまうアガサだが、気を取り直した。
扉の前で、髪の毛を整えてみる。かなり絡まっているようだが、鏡がないからわからない。
たしか……ルームメイトがいるはずなのだ。
どのような子なのだろう? わずか1ヶ月の付き合いとなっても、優しい子ならばいいなぁ。
さらに、
「あら、待っていたのよ、一緒にスコーンでもいかが?」
とか言って、お茶を出してくれたら最高なんだけれど。
などと思いながら、アガサはノックした。
返事がない。
不審に思ってもう一度ノック。
「はあい……」
やっと弱々しい返事が返ってきた。
そっと開いた扉の隙間から、赤茶けた髪の少女が半分だけ顔を出している。
「あの、私、今日入学したアガサ・ブラウンです!」
相手がなかなか歓迎したそぶりを見せてくれないので、アガサのほうから声を掛けた。
少女は茶色い目をぱちぱちと瞬きした。すこし驚いているようである。
「あの……もしかして、私のこと、聞いていませんか?」
不安になって、アガサは聞いてみた。
だいたい、ぎりぎりまで入学も怪しかったのだから、寮の部屋の割り当ては混乱しているのかもしれない。
が……。
「いえ、お聞きしています。どうぞぉ……」
ふんわりと気のないような声で、少女はアガサを部屋に招きいれた。
なんだか、フレイも弱っているし、この少女も脱力な感じだし……アガサもなんだか力が抜けてしまうようだった。
「はぁ……失礼いたしまぁすぅ……」
う、駄目だ! 気合を入れなくちゃ!
アガサは三度首を振って、頬をぺちぺちと叩いた。
部屋は学生寮とは思えないほどの立派さだった。
まず目に入ったのは、どこかの宮殿のようなシャンデリアである。それに似合うだけの天井の高さが、広い部屋をますます広く見せる。机や大きな本棚があっても、まったく ゆとりで踊れるぐらいだ。
しかも一部屋などではない。奥にベッドルームがあるらしい。バスとトイレも分かれているし、バスタブもある。
これは……学生じゃなくて姫君である。
つい、きょろきょろと見回してしまい、ろうそくからフレイを振り落としてしまった。フレイは元気なく倒れたままだったが、火に突っ込むと、ふにゃ……と声を上げた。
アガサは机の上にろうそくを置いた。ほっとした。
「あの……部屋、ここ使ってください。私、ベッドルームに机を動かしますから……」
いきなりルームメイトの少女が言い出す。
「はい?」
何のことだかわからずに、アガサは聞き返した。
「あの……私と顔を合わせるのが嫌でしたら、部屋をお互いに分けたほうがいいかと思いまして……あの、ベッドルームも使いたいのでしたら、私、衝立で囲むスペースだけいただければ……」
「はぁ?」
再びアガサが聞き返すと、少女はうつむいて黙り込んでしまった。
一気に脱力が進む。だいたい、私は名前を名乗ったのに、この子ったら名前も教えてくれないなんて、どういうつもりなのだろう? しかも、衝立?
怪訝な顔をしてしまったらしい。少女はますます萎縮した。
「そ、それも嫌なら……私、ベッドの中で勉強しますから、許してください!」
アガサは苛々しながらも、少女の様子を観察した。
まるで、アガサが拳を振り上げでもしているような仕草である。目をぎっちりと閉じ、下を向き、歯を食いしばっている。しかも、なぜか手を合わせておでこに押し付けているのだ。
髪は赤茶だけど、どうもアジア系のようらしい。日本か中国か韓国か……。
と、思いつつ、ソーサリエの国際色豊かさには驚いてしまう。
どうもマダム・フルールはフランス人らしいし、アガサはイギリス人だ。そしてこの子は……。
「あなたの名前は? どこから来て、どのくらいここにいるの?」
詰問ぽく聞こえてしまったのか、少女はびくっと震えた。
「あの、私はイミコです。日本から来ました。ここへは、まだ1ヶ月で……」
アガサが過去に読んだ本によると、日本人という人たちは奥ゆかしいのだそうだ。黙っているのが美徳だと思っているらしい。
「イミコさん、私はあなたと仲良くしたいの。だから、部屋は分けなくてもいいわ。一緒に勉強したいし……」
アガサには、一緒に勉強したい理由があった。
たった一人でいるよりも、何でもかんでもいいから、この学校のことを教えてくれる友達が欲しい。
「実はね、私、何も知らないの」
それを聞いたとたん、イミコの顔が明るくなった。
「あの、それって……もしかして、ソーサリエだって知らなかったとか……?」
「ええ、まぁ……そんなところ」
まさか、実はソーサリエでもない……なんて、かなりとんでもないことなのだろう。
アガサは言いそびれてしまった。が、とんでもないと責められるどころか、イミコはますます元気になった。
「そんな方がいらっしゃるなんて……びっくりです。実は、私も12歳になって、ここに飛んでくるまでソーサリエだって知らなかったのです。ああ! うれしいです! 同じだわ、私たち」
確かに同じ境遇である。
それが、なぜ、この少女はこんなにうれしがるのだろう?
……とはいえ、アガサはこの少女よりも、もっと深刻だが。
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