入学試験・4



 今までのことを思い出す。

 たくさんの小火騒ぎ。それは、アガサが火のことを想像するだけで、フレイがお願いされたと思い込み、火をつけていたのだ。

 だとすれば、言葉が通じるようになった今、ろうそくに火を灯すことなんて、簡単過ぎることだと思われる。


 意識を集中。火をイメージ。

 そして……。


「火の精霊・フレイ! 願い! ろうそくに火をつけて」


 ダーン! という激しい音と白い光。


 次の瞬間、マダム・フルールの声が聞こえた。


「水の精霊・オールよ! 出でて火を収めたまえ!」

 

 ザザザザ……。


 いったい何が起きたのか、アガサにはわからなくなった。

 そのくらい激しい衝撃があったのである。

 しかし、今、目の前には微笑むマダム・フルールと、そのまわりを飛ぶ青い髪をした水の精霊がいるだけである。掌サイズのそれは、アガサと目があったとたん、ウインクした。

 部屋の様子は何も変わらない。カーテン越しに柔らかな光が注ぎ、光を補うろうそくの光が灯っているままである。

 でも、マダム・フルールが指し示したろうそくにには火が灯っていない。


 ゆっくり、起きたことを思い出してみる。


 たしか、お願いをした瞬間に……フレイが何か火の玉のようになって、それも大きく大きくなって……。

 爆発して、あたりを燃やし尽くしてしまうのではないか? と思われたとき、マダム・フルールが呪文を唱えて……。

 そう、水の精霊が現れて、火の玉を水の塊で包んでしまったのだ。


 で……フレイは?


 アガサは慌ててあたりを見回した。相棒はいない。

 最後に自分の足元を見た。

 そして、そこにぐったりと倒れているフレイを見つけた。


「ちょ、ちょっと! あなた、大丈夫!」


 慌ててしゃがみこみ、両手で包み込む。

 ぐったりとしていて、死んだよう……。心なしか、髪の色も色あせていて、目も硬く閉ざされている。

 涙が出てきた。


 ――私が知識もなく、精霊を使おうとしたから? だから、フレイは死んじゃったの?


 マダム・フルールがろうそくを持ってきた。

 しかし、それはマダムが灯したものだった。


「アガタさん、あなたの涙は、フレイをますます弱らせますよ」


 そういうと、マダム・フルールは指でフレイをつまむと、ポンとろうそくの火の中に入れた。


「もう、お分かりになりましたでしょう? 努力と根性だけでは、この世界を渡ってゆくことはできないのです」


 ぐったりとしたフレイ。

 かわいそうに……。

 間違って私を選んでしまったばかりに、こんな苦労を背負い込むことになって、しかも、もう消されようとしている。


 ――12年間も一緒にいたのに、それでいいの?


 いいや、それでいいはずはない。

 私は、ソーサリエとして生きるって決めたのだから!


「努力と根性は一日ではならず! です!」


 アガサはマダム・フルールの言葉に反論した。

 きりきりとつり上げる目には、かすかに涙も浮かんでいたが、ぽろりと落ちることはなかった。

 むしろ、めらめらと根性の炎が燃えている。


「そうですね」


 意外なことに、マダム・フルールはにっこりと微笑んだ。


「よろしいでしょう。あなたには1ヶ月の仮入学を許します。1ヵ月後、再テストをします。そのときまでに、安全にろうそくに火をつけられれば、正式に入学を認めましょう」



 火をつけることに失敗して、完全に入学はなくなったと思っていた。

 あまりにあっけないマダム・フルールの心変わりに、アガサは驚きながらも素直に喜んだ。

 目の前が急にぱっと明るくなったような気がして、1ヶ月後のことを考えることは、すぐにはできない。

 とりあえず、この学校にいることができて、フレイを救うことができたらしくて、それだけで天にも昇る……いや、もうここが天空なのであるが、そのような気持ちになったのである。


「ありがとうございます!」


 しゃきっと立ち上がり、挨拶をする。


「礼儀正しい生徒は大好きよ」


 にっこりと、マダム・フルールも微笑んだ。


「あなたの部屋はフレイが案内……って、大丈夫かしら? まぁ、そのろうそくをあげますから、そのまま連れていってくださいな」


 火にあぶられて気がついたフレイが、弱々しくもお礼をいう。


「感謝……。マダム……」


 ろうそくの蝋をたらさないように気をつけながら、アガサは学長の部屋を出て行った。




 その後、学長室でかわされた会話を、もちろんアガサは知らない。


「どう思います? オール」


 マダム・フルールが飛び回っている水の精霊に話しかけた。

 精霊は、長い睫毛をばたつかせながら、青い髪に指を通した。


「今の少女ですか? 1ヶ月間は楽しませてくれそうですね。私も働き甲斐がありますよ。あの調子じゃあ学校を焼きかねませんから」


 マダム・フルールは、椅子に腰かけてため息をついた。心労この上ない、という響きがする。


「ご心配なく、マダム。どうせあの子は1ヶ月後には諦めて下界に戻りますよ」 


 ろうそくが消え、カーテンがすべて開き、まぶしいほどに強い光が部屋に差し込む。天空は常に青空である。


「私が気になっているのは、アガタ・ブラウンのことではなく、ファビアン・ド・ブローニュのほうです」


 水の妖精は、その名前を聞いて、机の上に降り立った。

 そこに、アガサについての資料がある。

【ソーサリエとしての血筋になく、入学を不許可とするべき】とあり、その下には詳しい彼女のデータがあった。


「ちょっと途中で気が変わってね。アガタ・ブラウンを仮入学させてみたのは、ファビアンの行動が気になって仕方がなかったからなのよ」



 水のソーサリエであるファビアン・ド・ブローニュは、下界に戻ればロアール川沿いに城を構えるフランス貴族、学校にあればソーサリエの学校始まって以来の秀才である。

 さらに端正な顔立ちとあっては誰もが放っておかない。ミーハーな女生徒からは【氷の王子様】とすら呼ばれている。

 非の打ち所のない貴公子。生粋のソーサリエ。いずれはすべての精霊の力を持ち、マダム・フルールの跡を継げるのでは? と評判の生徒だ。


「水の精霊使いとして常に優秀で真面目な彼が、いったいどうしたのか心配なのですよ。こそこそと泥棒のような真似をするなんて……。あなたは何か知らないの? 彼付きの精霊・レインには何か聞いていない?」


 水の精霊・オールは小首をかしげた。


「何も……マダム・フルール。ですが、探りは入れてみます」

「ええ、お願い……」


 マダム・フルールは小さく息をついた。


 優等生の泥棒行為。


 学長がちょっと部屋を空けた隙に、ファビアンは部屋に忍び込んだ。

 そして机の上を物色し、ある少女の資料を、そっくり持ち出そうとした。しかも、その少女・アガサ・ブラウンは【ソーサリエではない者】という、前代未聞の存在なのだ。


 ――絶対に何かある。


 マダム・フルールは、現行犯でファビアンをつかまえて尋問したが、彼は一言も何も言わなかったのである。

 きりっと冷たい目のままで、ただ一言を繰り返すだけだった。


「申しわけありません」


 強情さも一級品なので、仕方がなく自室に戻るように言ったのだが。


「この書類が盗まれてしまっていたら……あの子の正体を見抜けずに、簡単に入学させていたわよねぇ。としたら、ファビアンはあの子を入学させたかったのかしら? そもそも、あの二人、知り合いなのかしら?」


 再び書類に目を落とし、マダム・フルールは首をかしげる。


「イギリス……うーん。それも父親はしがない工場の労働者。フランス貴族とは縁遠いわ。どう考えても、アガタ・ブラウンとファビアンには、知り合いの線はなさそうねぇ」


 それに、帰りがけの様子だ。

 彼は転んだアガサに対して、何の興味も示さなかったではないか?

 ますますもって、謎である。

 しかし、このマダム・フルール。実は大のミステリー好きなのである。

 当然ながらアガサ・クリスティの大ファンであり、彼女の小説を66本読んでいる。(ただし、アガタと発音してしまうのだが)

 この謎を解き明かす気持ちは大有りで、すでに気分はミス・マープルになっていた。

 ゆえに、あっけなくアガサの仮入学を許可したのであった。

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