入学試験・2
恐る恐るアガサは扉に手をかけた。が、開く勇気がない。
入試だなんて知らなかった。落ちた人はいないといっても、これからアガサが【初めての人】にならないとも限らない。
だいたい、たった今【ソーサリエ】という言葉を知ったのだ。何を聞かれても答えられない。
その時、扉が先に開き、アガサは不意をつかれた。
「ぎゃああああ!」
声と共に腕を振り回したが、バランスを崩し、その場にばったり倒れてしまった。
床に転げると、目の前にとんがった靴の先が見える。
どうやら、この靴の持ち主が、アガサが開けようとした扉を先に開けたらしい。
そっと見上げると……。少年だった。
「あ……」
おもわず声を上げてしまった。顔に血が上る。
すらっとした長身。見覚えのあるプラチナブロンドの髪。
青いマントに身を包んでいはいるものの、先ほどの窓辺の王子様だ。胸元からかすかにのぞくブラウスの白が、いかにも彼の整った顔に映える。
こんな綺麗な男の子、見たことないわ……。
近くで見ると、ますます素敵。
アガサは起き上がることもできぬまま、うっとり見つめてしまった。
しかし、少年のほうはまるで軽蔑するかのように、冷めた青い瞳をアガサに投げかけて、そのまま部屋を出て行ってしまった。
転げたアガサを助けることもなく、謝る言葉の一つもなく、冷たく響くコツコツとした靴音のみを残して。
――えー? 何? 何よ、あの男!
つい、赤い顔をますます赤くしてしまう。
大ショック。
見かけは綺麗でも性格悪そう……。
転んだ女の子を助け起こさないなんて、てんで紳士じゃないわ!
つつつ……と、目の前を飛ぶフレイに促されて、アガサは慌てて飛び起きた。
服のほこりを払い……その時、自分の服がパジャマのままであることに気がついて、さらに赤風船のように赤くなった。
何たることだろう!
初対面の美少年の前に、パジャマ姿をさらすとは!
さらに、これが面接に望む生徒の有様であろうか?
あの美少年、それでアガサを軽蔑したに違いない。
しかし、逆光を受けている女性は、あまり気にしていないようだった。
ややふっくらとした女性は、アガサよりも机の上の書類のほうが興味深いようで、何度も眼鏡を上げなおしている。
やがて、そっと手を上げると、窓辺のカーテンがするりと下り、さらに部屋にあったろうそくがすべて灯った。
逆光はなくなり、この女性が気品と優しさを兼ね備えた人物であることがわかる。
初老で白髪。色白で緑色の温かい目をしていた。
「はじめまして、アガタ・ブラウン。私は、マリー・フルールと申します。このソーサリエ学校の学長であります」
ニコニコと微笑まれて、アガサは少しだけほっとした。
が……。
「私、アガサです」
名前の修正だけは忘れなかった。
「あら、ごめんなさい。でもね、私、英語のTHの発音が苦手ですの。許してくださいね」
「は……あ……」
アガサは、ぽかんと口を開けてしまった。
学校の先生が、苦手だからといって人の名前を変えちゃう? とはいえ、このマダム・フルールには、おもわず許してしまう不思議な魅力があった。
「あ。もう……」
フレイが呆れて呟いた。
「知らないよ、もう。これでこの学校で、ねーさんの名前はアガタに決まったよ」
意味がわからず、アガサは焦った。
何か失敗をしたのだろうか?
マダム・フルールは、再び書類に目を落とす。
「出身はイギリス……ブラウン。うーむ、これは……」
ちょっと難しそうな顔をして、マダムは眼鏡を取った。優しそうな瞳である。しかし、言うことはきつかった。
「残念ですわ、マドモアゼル。どうやら、あなたの入学は認められそうにありません」
「え、ええええええ???」
声を上げたのはアガサではない。精霊のフレイのほうだった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! マダム! 何でアガタは入学できないのさ! おいら、どうなっちまうのさ!」
ブンブンとせわしい羽音を立てて、フレイはマダム・フルールの周りを飛び始めた。
マダムは、何度かフレイを目で追ったが、これ以上見ていると目が回ると判断したらしい。そっと目を伏せた。
「アガタ・ブラウンは、ソーサリエの血筋にありません。フレイ、おまえが彼女を選んでしまったのは、おまえの間違い・勘違いです」
フレイはその言葉を聞いたととたん、ショックで机の上に落下してしまった。さらに机を焦がしてしまったが、マダム・フルールは優しくフレイを指先でつまむと、机の上にあった 燭台の中に投げ込んだ。
「きゃあ!」
今度の悲鳴はアガサである。
何が起こったのか理解に苦しんでいたアガサであるが、自分の精霊が火に焼かれてしまうとなれば、黙ってはいられない。
「マダム! 何をするんですか! ひ、ひどすぎます!」
あら、心外……とでも言いたげに、マダム・フルールはアガサのほうを見た。
「誤解なさらないで。フレイは火の精霊。気を失ったので、火の中に入れて介抱しているだけですの」
「あ……あ、そう……」
声のトーンがおもわず下がる。確かに、フレイは気持ちよさそうに眠っているようにも見える。
「アガタ・ブラウン。あなたには本当に悪いことをしました。普通の家に育ったあなたにとって、フレイの存在は本当に厄介だったことでしょう」
するすると歩み寄って、マダム・フルールはそっとアガサの肩に手を乗せた。
いかにも慈愛・慈愛・慈愛の微笑みである。
「でも、もう安心してください。あなたは家に帰れます。熊さんの魔法も解き、火事で死ななかったことに書類を書き換えます。今ならまだ、訂正も可能でしょう」
そう言いながらマダム・フルールは軽く指を鳴らした。
「また、精霊にあなたを下界まで送らせます。そして、お詫びをこめまして、あなたの残りの人生を祝福しましょう」
一陣の風が起きたかと思うと、緑色の髪をした精霊がたちまち現れて、マダムとアガサに会釈した。
「お呼びでございますか? マダム・フルール」
品のある顔立ち。そして、等身大――いや、精霊の掌サイズではない。普通の人間の大きさである。
「ええ、風の精霊エアリアよ、この少女を下界まで送りなさい」
エアリアと呼ばれた精霊は、うやうやしくアガサの手をとった。その手の感じはフレイのそれに似ているが、もっと冷たくて頼りなかった。
「ま、まってください! マダム・フルール」
アガサはおもわず手を引っ込めていた。
「あの、あの、私の精霊……いえ、フレイはどうなっちゃうんですか?」
マダムは驚いたような顔をして、手を口元に持っていった。どうやら、それはあくびを隠す仕草だったらしい。
「アガタさん、もうあなたには関係のないことです」
アガサは、恐る恐る聞いてみた。
「ま、まさか、火に戻っちゃうとか、そんなことないでしょうね?」
ちらりと見ると、ろうそくの光の中からふらふらとフレイが出てきていた。
目に生気は見られない。
少しは元気になったものの、彼の命は風前の灯にも見え、頼りなかった。
そのフレイに、マダムは天使の笑顔を見せて一言呟いた。
「ドジ」
思わず耳を疑うほど、このマダムには似合わない言葉である。
しかしマダムは整然として振り向くと、さらに優しそうに微笑んで、アガサの質問に答えた。
「ごく普通の人間に迷惑をかけたのです。当然、フレイはもとの火に戻ってもらいます。そして、二度と過ちを犯さぬよう、千年間の再生を禁じられることとなります」
すっかりしょぼくれたフレイの様子を見ていると、それは精霊にとってかなり厳しい罰になるのだろう。
少しかわいそう……。
素直にそう感じてしまった。
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