虹の雲と闇のトンネル

虹の雲と闇のトンネル・1


 何が何だかわからないまま、アガサはフレイに抱きかかえられたまま、ものすごい速さで上昇していた。まるで、遊園地のジェットコースターを逆さに走らせているような、奇妙な感覚だ。

 みるみる地上が遠くなる。

 アガサの口は「ひっ」という短い声のあと、そのまま凍り付いてしまった。

 急上昇が一段落すると、フレイはあたりをきょろきょろし出した。何かを探しているようだ。

 しかし、その間は、今まで混乱して何もできなかったアガサに、少しものを考えるゆとりを与えた。 


「あ、あ、あなた、何物なのよ! 私をどこへ連れてゆくのよ! 何で急に大きくなったのよ! そもそも何で私に付きまとうの? いったいぜんたい、何があったのよ! 何で私が熊なのよ!」


「ねーさん、質問多すぎ!」


 実はアガサも一気に聞きすぎて、何を聞いたのかわからなくなった。

 フレイはつまらなそうに、片手でボサボサの髪をかき上げた。

 その瞬間、支えていた手をアガサの肩から放したので、アガサはもう少しでバランスを崩して落っこちそうになった。


「わ、わ、わかったから! まずは……うーん、何から聞けばいいのよ!」

 慌ててフレイにしがみつきながら、アガサは叫んだ。


「何もわからない者が真っ先にする質問だけど、テンで意味ない質問だなぁ……」

 フレイは再び笑った。


 掌サイズで見慣れていた精霊だが、等身大になると少し違和感があった。迫力が出るというか、ドキッとしてしまう。

 顔立ちがはっきりとわかる。陶器のような滑らかな肌をしていて、やや小さめの鼻と口をしている。気かなそうなつりあがった瞳は赤く、白目が少ない。

 いかにも人間ではない存在だ。

 その上、今まではほとんど聞こえなかった羽音が聞こえる。ぶーん……という音だが、どこか心が休まるような気がして、アガサの興奮は徐々に落ち着いてきた。


「あなたは誰よ?」


「さっきの自己紹介、聞いてなかったのかい? おいら、火の精霊。ねーさんとペアを組んでいるっていうのは、ほら、なんとなく知っていただろ?」


 アガサはうーんと唸った。

 確かに、物心ついたときからコイツは側にいたし、おそらく自分に付いている精霊だ、とは思っていた。

 だが、なぜ、自分だけに精霊が付いたのかもわからないし、他の人に精霊がいないのかもわからない。

 それに、どうして急に精霊が大きくなって口を聞くようになったのかもわからない。


「勘違いしなさんな。急に、じゃねえよ。おいら、いつだってねーさんに話しかけてきたし、ねーさんの願い事も聞いてきたつもりだぜ? ねーさんのほうが、やっとおいらの言葉を理解できるようになっただけで」


 ということは、今までの小火騒ぎや先生の髭を焦がしたことも、私の願い事っていうわけ?


 そこまで考え付いて、アガサは急に鳥肌がたった。


「わ、私、望んでなんかいない! 家が焼けてしまえばいいなんて思ったことはないし、家族が焼きだされればいいなんてことも!」


 確かに嫌な家だと思ったこともあった。

 いや、ほとんど毎日そう思って過ごしていた。

 でも、けして心の底から家族を憎んでいたわけではない。


 こういうことになって、初めてわかった。

 皆、嫌いだと罵っていたけれど、本気なんかじゃなかったんだ。

 死んじまえ! と、怒鳴ったこともあったけれど、けして心からじゃなかったんだ。


 母や父、姉妹の顔が目に浮かび、アガサは涙ぐんだ。


「ひ、ひどいわ! 何であんなことしたの! ただ、皆でバースディケーキのろうそくの火を消しただけよ! それだけで命も奪おうなんて、人間の考えることではないわ! ひどい! ひどい!」


 あの時、ものすごく嫌な予感がしたのだ。しかし、熊のぬいぐるみひとつで、コイツの悪巧みを見逃してしまった。


 ――情けない! 情けない! 情けない!


 ばたばたとフレイの胸を叩くと、彼はこほんと咳き込んだ。


「ひどいのはどっちだい? おいら、ねーさんの願いだけを聞いてきたんだぜ? 誕生日のケーキ? ローソクを吹き消したから? あほか? それなら、ねーさん、もう12回も焼け死んでいる」


 確かに……。


 アガサの家では誕生日のたびにケーキのろうそくを吹き消していた。アガサは、振り上げたこぶしを止めた。


「だいたいおいら、人間じゃないよ。失礼なことを言わないで欲しいなぁ。それにさ、確かに今までの小火騒ぎはおいらのやったことだけど、火事はおいらのせいじゃない」

「へ?」

「隣のばあさんの寝煙草が原因さ。調べればすぐにわかることさ」


 アガサは目を丸くした。

 そういえば、隣のばあさんはこっそり煙草を吸うのだった。息子がうるさいものだから、いつも隠れて吸っている。

 つまり、火事はもらい火だったのだ。


 アガサはほっとした。


 少なくても、自分がうっかり望んでしまったことで火事が起きて、家族を焼け出したわけではないのだ。

 人間の考えることではない……とは、フレイに言った言葉ではない。自分の奥底に潜んでいたかもしれない願い事に恐れをなして、自分で自分を責めていたのだ。


 火の精霊=自分。

 自分の内なる願いを読み取る者。


 火の精霊と自分がどれだけ近しいものなのか、アガサはまだ気がついてはいない。だが、少しはその片鱗を感じたのだ。 

 アガサのほっとした顔を見て、フレイはいたずらっぽく笑ってみせた。


「とはいえ、今までの前科から、ちゃんと調べてもらえなければ、あの火事、ねーさんのせいになるだろうなぁ。魔女っこは、そしてついに自分も焼け死んじまったというわけで」


「ひ、ひどい! やっぱり私、あなたに殺されてしまったようなものよ!」


 再び動き出したアガサの手を、フレイは軽く受け取ってしまった。


「あ、あった! トンネルだよ! 待ってて、ねーさん!」


 フレイは軽く口笛を吹くと、いきなりアガサの話の腰を折った。

 そして、いきなり光のような速さで、今度は横向きに飛び始めた。


「ひゃぁああああ!」


 アガサの言葉は、意味のない悲鳴に変わってしまった。


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