3 知恵の門

 遺跡の中は不思議な空間だった。

 何もなく、ぼんやりと白く蛍光灯のような灯りのついただけの建物――その中心に腰くらいの高さがある台がある。


「わーっ! わーっ!? 不思議だ! 声が響かないぞ!」


 シェイラが騒いで反響を試しているが、確かにほとんど音の響きを感じない。


「明るいのもそうだし、なんだかちょっと不気味だね。何の部屋なの?」

「ああ、ここは祭壇みたいな宗教施設だと聞いていたが……」


 レーレが気味悪がるのも無理もない。

 たしかに何もない白い空間は落ち着かないものだ。


 ドナートは祭壇だと言っていたが、俺のイメージは上映前のプラネタリウムに近い。

 これは感覚の違いだろう。


 全体的にぼやっと白く、天井は丸い。ここに椅子が並んでいればまさしくプラネタリウムだ。


「ここで終わりなのか?」


 シェイラが好奇心で耳をひくつかせながら尋ねてきた。


「ああ、祭壇があるだけと言っていたな。たぶんこれだな」


 俺が近づくと、不思議なことが起きた。


 何か分からないがキィィンと甲高い音が鳴りはじめたのだ。


「なんだ!?」


 俺が慌てて剣を構えると、強い違和感がある。

 不思議なことに剣が細かく振動しているらしい。


「あれ? 剣が鳴ってるのか」


 そっと離れる……音がやんだ。

 再度、近づく……やはり鳴った。

 どうやら祭壇(?)に反応しているようだが、事前にこんな情報は聞いていない。


「2人とも、これは聞いていない未確認の状況だ。つまり新発見かもしれん」


 俺は自分を落ち着かせるためにゆっくりと「引き返すか?」と2人に尋ねた。


「それって、イプノティスモの瞳みたいなのが見つかるかも知れないってことだよね?」

「やっぱりエステバンはすごいなっ!」


 2人は無邪気にはしゃぐが、未踏の古代遺跡を攻略するなんてのは並大抵のことじゃない。

 新発見の遺跡などは、領主が大規模な探索隊を組織して調査すると聞いたこともある。


 さすがに未知の遺跡扱いするのは大袈裟でも、遺跡の未踏域に個人で挑むのは無謀だろう。

 引き返すならこのタイミングが最良だが――


 ……報告に帰るにしても新発見の証拠を見つける必要はあるか。


 そう、エスコーダ卿に異変を報告するには新発見の証拠がいる。何もなくては単なる与太話で終わってしまうだろう。

 つまり、ここで引き返す場合は成果はゼロ。これは寂しい気もする。


 迷うこと数秒、俺の考えが引き返すことに傾きかけたころ「大丈夫だ」とシェイラが笑った。


「ここは私のご先祖さまの家なんだろ? なら大丈夫だ。私は毎日お参りしてたからな」


 シェイラはフンスと鼻息も荒く薄い胸を張った。

 よくわからないが、森人の宗教は祖霊崇拝なのだろうか。


「そうは言うけどな、ご先祖さんが『お前なんかシェイラに相応しくない』って怒るかもしれないぞ?」

「大丈夫だぞっ。心配しないでくれっ、エステバンはカッコいいぞ」


 冗談を言ったら変な気を使われてしまった。

 シェイラは俺にくっついて「父上も認めてくれるはずだ」とか言ってるし、なんかこう……まあいいか。


 なんだか毒気を抜かれてしまった。

 たしかにシェイラのご先祖さまなら悪辣な罠はなさそうな気はする。


「わかったよ。ただ、ヤバそうだったらすぐに逃げる。俺の指示には従うんだぞ」


 二人は「わかったよ」「まかせてくれっ」と個性をだして俺の言葉に応えた。


 さっそく、シェイラの頭をぐしゃぐしゃと撫でて「少し離れてろ」と指示すると「やめろー」と抗議はするものの素直に離れた。

 ちゃんと指示には従うようだ。


 ……よし、もう一度近づいてみるか。


 少し怖いが、祭壇に近づくと再び剣が鳴りはじめた。

 そっと剣を祭壇に置くと、先ほどのコンソールのようなものが表示される。

 先ほどと同じように操作すると、俺が理解できる言語になった。


 ……『ようこそ記録室、こちらは4番ゲート』か……記録室とは施設の名前か?


 試しに剣を祭壇から離したが、コンソールは問題なく表示されている。どうやら起動にのみ必要だったらしい。

 ここに剣を置いていかずにすみそうだ。


 しかし、古代遺跡に現代の言葉が記録されるとは不思議な話だが、なんらかの翻訳装置なのだろうか。


「とりあえず大丈夫そうだ。操作するから気をつけてくれ」


 俺が『入室』と書いたボタンを押すと、地面が揺れた。

 いや、地面ではなく床が沈みはじめたのだ。


「わっ、わっ、なんだこれっ、沈んでるぞっ!」

「ひええ、シェイラのご先祖さまのだし『うっかりしてたぞ』とか言って罠をつけたんじゃないのー!?」


 レーレが不安になることを言うが、これは昇降機のたぐいだ。

 だが、エレベーターを見たことがない彼女らがパニックになるのも無理はない。


「二人とも、とりあえず真ん中に寄れ。はしっこにいたら異変に対応できないぞ」


 俺の指示でシェイラとレーレが寄ってきたが必要以上に近い。

 不安なのはわかるが……広い空間なのに狭い。


 ……しかし、深いな。どこまで続いているんだ?


 上を見上げたら天井が見えない。


 ……何かしらの記録室だとしたら、ここまでして守る記録とは何なのだろう。そして、鍵になったこの月の剣、これは古代の異物なのか?


 床は沈む。

 この先にはどのような秘密が眠っているのだろうか。




――――――




 数分後、床はガコンと大きな音を立てて止まった。

 かなり深い位置のようだが、相変わらず人工的な光があるので問題はない。


「ついたのかな?」

「入り口は3つあるぞ?」


 レーレとシェイラがやいやい言い合っているが、アクセス可となっているのは『管理室』のみのようだ。

 みれば横幅4メートルくらいの通路に繋がる扉が開いていた。


「残念だが、あの扉以外は入れないみたいだな。問題は隊列だ。前と後ろ、どちらが安全とも言いがたいが――」


 この場合、俺たちが使用できないだけで後ろにも通路があるのが問題だ。

 モンスターや罠などに後ろから狙われる可能性は十分にある。

 しかし、未知の危険と遭遇するかもしれないのは前も同じだ。


 ……それに、お約束だと、後ろから現れたエスコーダ卿やドナートさんが『ご苦労だった』とか言って横取りを狙うパターンだよな。


 まあ、さすがにそれはないとは思うが、少人数で前後を警戒するのはなかなか難しい。


 俺が「どうしたもんかな」と呟くと、シェイラが横にちょこんとつき、手を繋いできた。


「こうすれば婚約者だってわかるはずだ」

「いや、探索中に手が塞がるのはダメだな」


 俺がダメ出しすると「なんでだっ!」と猛抗議をしてきたが……何でもクソもないだろう。めんどくせえな。


「だが横並びは無難だな。何かあれば俺が対処するから、シェイラは異変を探ってくれ」


 こうして、横並びで進むことしばし。

 進む通路は、やはり人工的な光が灯る水色っぽい壁だ。

 床が面白く、通路の真ん中に青いラインが入っている。


 ……古代森人にも右側通行とかあったのかな?


 ひたすら歩くのは退屈だ。

 つい、どうでもいいことを考えてしまう。


「あっ? 行き止まりだぞ」

「小さな部屋みたいだな」


 完全な行き止まりとなった小部屋には、中央に例の祭壇がある――コンソールだろう。


 左右の壁には蜘蛛くもをモチーフにしたような不思議な金属でできた像が1つずつ。

 明らかに怪しい。


「こいつ、明らかに動くよな? 先に殴ってやるか」


 俺がメタル蜘蛛(エステバン命名)に近づくと、レーレに髪を引っ張られた。


「ダメだよっ! この子たちスプリガンだよ! 叩いたら起きちゃう!」

「あたた、引っ張るなよ……ふむ、これがスプリガンか。初めて見た」


 レーレが教えてくれたスプリガンとは、遺跡を守るモンスターとして有名だ。

 だが、知名度はあるが、未踏の遺跡調査などまず機会がないので遭遇することは滅多にない。


 ……つまり、コイツらが襲ってこないってことは、俺たちは侵入者扱いはされていないってことか?


 少し離れてスプリガンを観察するが、やはり動く様子はない。


「よし、この祭壇を調べるぞ。スプリガンが動いたら戦わずに一気に逃げる」


 命あっての物種である。

 遺跡の守護者と戦うなんてバカはしたくない。


 俺が警戒しながら近づくと、いままでと雰囲気が違う。


「なになに『知恵の扉、中等教育で教わるものばかりです。設問に答えて先に進んでください。パスは2回まで』と書いてあるな」


 ページを開くと、歴史やら文学などのジャンルを選べるようだが、さすがに古代人の歴史はわからない。

 ここは無難に数学を選択する。


「あっ、問題がでたぞ」


 そこにはどこか見慣れた数式が書いてあった。


『関数f(x)を微分して導関数f'(x)を求めなさい』


 ……び、微分だと……!?


 俺の背中に冷たい汗が伝った。

 微分積分なんてなんの役にたつんだとバカにしていたが、まさか冒険者になって使うとは思わなかった。


『f(x)=x²(x³+x²)』


 ……やべえ、まったくわからん。パスするか? いや、いきなりパスして次が簡単になるとは限らないが……


 ちなみにこの問題を見たシェイラの反応は「模様が出た」である。これは仕方ない。


「エステバン、これ、算数なの?」

「ああ……ちょっと考えさせてくれ」


 レーレが心配そうにこちらを見つめている。さすがに彼女には任せることはできない。

 俺は脳細胞をフル回転させて記憶を探る。


 ……確かこうした問題はカッコを外すのがセオリーだったはず……たぶん。とにかく外してみよう。


 俺は床に木炭で数式を書いてみる。


 ……カッコを外せばf(x)=x²(x³+x²)=x⁵+x⁴ だ。たしかこれに指数を前にもってきて、次数を1つ下げる……だったはずだが。


 人間、不思議なもんで、手を動かせばなんとかなるもんである。

 数式を書いているうちに思い出してきた。


「f'(x)=5x⁴+4x³ だな」


 俺が答えを出すと、行き止まりだった壁の一部が「プシッ」と音を立てながらスライドし、先を示した。


「わ、エステバンすごい!」


 レーレが驚きの声をあげ、シェイラはなぜか「エステバンは賢いんだ」と胸を張る。シェイラの反応はもはやお約束だな。


 しかし、遺跡を守るキーが学力テストでいいのだろうか?


 ……間違いない、このバカバカしさはシェイラのご先祖さんの遺跡だ。


 俺はゲンナリした気持ちで先を見つめた。




■■■■



スプリガン


古代遺跡に現れる機械仕掛けのモンスター。

素材や形は様々なタイプがいるようだが、この遺跡にいるのは小型のようだ。

侵入者を排除する習性があるため、遺跡の守護者だと誤解されているが、本来は遺跡の保全に務めているらしい。侵入者を排除するのも保全のいち業務なのである。

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