16話 ゆれる乙女心
1 ご機嫌ななめ
ハイコボルドの
種馬として滞在していた俺だが、どうやら成果はあったらしい。
氏族のリーダーだったチャスは数日前から狩りに出掛けるのをピタリとやめ、長老ガラが現場復帰して狩りの指揮をとっている。
ハイコボルドの生態はよく分からないが、恐らくチャスは子を宿したのだろう。
ちなみにドラゴンはこのあたりでは滅多に現れないらしく、あの日以来見ていない。
男女の区別が判別しがたいハイコボルドではあるが、今の彼女はすっかり女性的な雰囲気を身にまとっている。
男まさりな女性とて、女性として扱えば本人も意識し、変化するものなのだ。
俺とシェイラはお客さん扱いではあるが余裕のない氏族に負担をかけるのも心苦しい。
狩りを手伝ったり、生活環境を整えたりと色々やっていた。
俺とチャスの姿を見ていたシェイラは不機嫌ではあったが、まあ仕方がないだろう。
膨れっ面をして口もきいてくれない。たまにダークエルフになってたが……長老ガラに説得された手前、文句は言ってこなかった。
たまに俺とチャスを覗いて一人遊びしてたのも知ってるが、それは言わぬが花だろう。
そして、今日は例のぬるぬるが完成する日……つまり、俺たちが旅立つ日だ。
「これが……?」
「そうです。これがパロル液です」
族長ガラが大きな鉢に入った透明な液体を差し出した……やや緑がかっているがローションそのものだ。
俺は「少しさわらせてください」と確認し、すくいとってみた。
少し手に重さを感じる。日本で市販しているローションとしてはかなり粘度の高い部類になるだろう。
「口に含んでも問題ありませんか?」
「もちろんです、害のあるモノではありません」
ガラに確認して、パロル液を口に含む。
やや苦味があり、青臭いがこれがヌメリ苔の風味なのだろう。
不自然なフルーツの味と香りみたいなタイプのローションより安心感がある。
そして、少しパロル液を噛み、自らの手の甲に舌で塗ると、ちょうどいい感じのヌルヌル感となった。
「ほう、パロル液の薄めかたをご存じでしたか」
長老ガラは「さすがは英雄ですな」と感心しているが……ローションの使い方など日本人なら常識である。
「日もちはどれくらいですか?」
「乾いて固くなり始めたら水を加えて煮沸します。これでひと冬以上はもちますが、凍ると使えなくなります。冬以外にはヌメリ苔がありますので、我らは保存はしないのです」
なるほど、かなり長期保存できそうだ。
暖かくなる季節だし凍結の心配もないだろう。
俺は小壺を2つばかし取り出し、じょうごを使って取り分けた。
「ありがとうございます。頂戴します」
俺が頭を下げると、ガラはため息をついた。
「どうされました?」
「いえ、なんでもありません」
口ではそう言うが、ガラの視線の先にはチャスがいた。
そう、チャスが身ごもり、ぬるぬるが手に入った。旅立ちが近づいてきたのだ。
俺はチャスに声をかけるべきか迷った。
何度も肌を合わせた関係でもあるし、俺の獣童貞を捧げた相手でもある。
それになんと言っても彼女が産むのは俺の子供なのだ。
もちろん情はあるが、彼女は氏族のリーダーとして群れをまとめる責任がある。
旅に連れていくなど論外だし、俺がここに残るわけにもいかない。
なんと声をかけるべきか……普段の俺は『別れ話は誠実に』がモットーだが、さすがにこのパターンは初めてだ。
俺の迷いを見たか、チャスは無言で近づき、両ひざをついて頭を下げた。
それを見たガラも、他のハイコボルドたちも次々と集まり、深々と頭を下げる。
言葉はない。
ハイコボルドの流儀は分からないが、これは別れの挨拶だろう。
俺は荷物を担ぎ、隅の方で様子を見ていたシェイラに「行くぞ」と声をかけた。
冒険者の心得として荷物は常にまとめてある。
これはシェイラも例外ではない。
突然のことに少し驚いた様子ではあるが、彼女もすぐに荷物を担ぎチャスたちに振り返った。
「縁があったらまた会おう!」
俺が大きな声で別れを告げると、シェイラとレーレも「またなっ!」「まったねー」と個性を出して別れを告げる。
俯いたままのチャスの表情はわからない。
だが、出会いと別れは冒険者の日常だ。
未練を残さず、涙を見せずが心意気である。
洞穴の外は寂しげな荒野が広がっている。
だが、頬を撫でる風はかなり柔らかい……春なのだ。
――――――
俺たちは荒野を抜け、次の町を目指すが――どうも雰囲気がおかしい。
「なあシェイラ、ぬるぬるも手に入ったし――」
「……ふんっ」
何度も話しかけているのだが、シェイラはプイッと顔を逸らすだけだ。
……うーん、今は髪も白いし怒ってないのか? あの日かな?
俺は首をかしげるが、チャスの件は長老ガラが言葉をつくして説得してくれたはずだ。
思春期によくある情緒不安定だろうか……黒くなったり白くなったりしているが、今は白シェイラだ。悪しきダークエルフではないらしい。
彼女も57歳、そろそろ落ち着いても良いのではないだろうか。
「エステバン、シェイラは寂しかったんだよ。チャスたちの事情はわかるけどさー」
いつの間にか俺の肩に乗っていたレーレが耳打ちしてくれる。
「なんだ? チャスのことは納得したと聞いていたが?」
「気持ちは別でしょ?」
たしかにレーレの言葉には一理ある。
俺はシェイラの機嫌を取るために話しかけるが
「悪かった。町についたら甘い物でも食べよう」
「ぬるぬるがあるし、エッチなこともできるぞ?」
「次の町で有名なのはなんだろうな? 欲しいもの買ってやるぞ」
あの手この手でなだめすかすのだが、シェイラはプイッと横を向く。
食べ物で釣られないとは驚きだ。彼女のガードは硬い。
「ねーねー、ボクにも欲しいもの買ってくれるの?」
ここでレーレが話にのっかってきたが……ここで彼女までご機嫌ななめになると厄介だ。
俺がしぶしぶ了承すると、レーレは「きしし、やったね」と喜んでいた。
確信犯のようだ――ちゃっかりしてやがる。
シェイラが口もきかないままに次の町が見えてきた。
頬を膨らませたままだが、つらくないのだろうか?
見えてきた町は規模こそ小ぶりだが、しっかりとした城壁に囲まれている。
城壁の外にはまばらに農家が点在し、町の生活を支えているようだ。
こうした城郭都市は規模以上に都市機能が集中しているのが特徴である。
冒険者ギルドもあるだろう。
次の冒険がはじまるのだ。
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