2 悪魔との取引

 アレンタの町を出た俺たちは本街道を避け、賢者コンラードの集落を通過するように進んだ。


 脇街道の盗賊は衛兵隊が交戦して退けたようだし、本街道で戦時下の封鎖なんかに遭遇したら目も当てられない。

 豚人オークの発情期はまだだし、避けられるトラブルなら避けるのが無難だ。



「えーと、果実酒サングリア

「エステバン!」


 シェイラとレーレが道中の退屈を紛らすために『好きなものを順番にいう』ゲームをしてるようだが……


「んーと、野菜煮込みピスト

「エステバン!」


 先ほどからシェイラが4回連続で俺を出しているのだが……これでゲームが成立してるのだろうか?

 謎だ。


「もー、ズルいよっ! さっきからエステバンばっかじゃないか」

「いいんだっ! 私は邪悪なダークエルフだからなっ! 怖いんだぞっ!」


 レーレの抗議も空しく、シェイラの威嚇的な動きと『ダークエルフだから』という謎の理論に封じられた。

 ダークエルフ、便利だな。



『楽しそうで何よりだ』



 ふと、どこからか、しわがれた声がした。

 聞き覚えのある声、忘れられない声だ。


 俺は一瞬で浮わついた気分を切り捨て、周囲を警戒する。


「シェイラ、気をつけ――」


 ここで、気がついた。

 周囲にはシェイラやレーレの気配はない。


 ……すでにアイツの術中ってわけか!


 俺は荷物を投げ捨て、剣を抜き、斧を構えた。


『くく、そう警戒しないでくれ。驚かせたかったわけじゃないんだ』


 目の前の木にとまるカラスが語りだしたが、これすら幻覚かも知れない。

 俺はカラスには気を取られぬよう注意し、全体の気配を探る。


『こうまで私の幻術が通じないとはな……自信喪失だ』


 気がつけば忽然こつぜんと、なんの前触れもなく角の生えた男が現れた。

 ヤギのような立派な角が異様ではあるが、相変わらず役者のような美形である。


「趣味が悪いぞ、ハルパス」

『くく、そう言うな。今日は頼みがあってきたんだよ』


 この男は魔貴族ハルパス、以前ひと悶着あった相手だが、今日は雰囲気が違う。


 馴れ馴れしく話す様子に敵意は感じられないが、会話の前に確認しなくてはならないことがある。


「ハルパス、シェイラ――一緒にいた森人だが、彼女の姿が見えないが?」

『心配かね? 彼女には危害は加えない。安心してほしい』


 ハルパスはこう言うが……正直、この男に保証されても何の気休めにもならない。


 ……だが、信じるしかない、か……


 信じられないと突っぱねたら問答無用で殺されるかもしれない。

 ここは言質をとったことに満足すべきだろう。


『そんなに睨まないでくれ、いつお前の斧が唸りをあげて私を引き裂くかと思うと恐ろしいよ。幻術が効かない相手に私は無力だからな』


 ハルパスは肩をすくめておどけた仕草を見せる。

 どこまでも人を食った態度だ。


「用件とは?」

『ふむ、話せば長くなるが、聞いてくれるかね』


 ハルパスはニヤリと笑い、満足げに頷いた。

 なんというか、絵になる男である。


『実はな、最近価値観が変わってね……人間との融和派、穏健派になったんだ』


 この唐突な言葉に俺は戸惑い、思わず「は?」と声が出た。


『笑うなよ、お前のせいさ古狐』


 ハルパスはキザったらしく髪を掻き上げ、憂いを含んだ表情を見せた。


『私は今まで人間とは他種を認めず、奪うことばかり考えている野蛮な種族だと信じていた』


 散々な言い種ではあるが、過去形ではある。

 たしかに森人のように人間を警戒しながら生きている種族もあるが……


「いや、そうは言うがな、犬人コボルト蜥蜴人リザードマンなんかは上手く共存してないか?」

『人間の支配を受け入れただけさ。彼らは人間の法に従い、町の片隅で小さくなって生きてるじゃないか』


 ハルパスは『彼らから人間の王がうまれるのかね?』と皮肉げにくつくつと笑う。


 ……なるほど、視点が違えば見えかたも変わるものだな。


 考えてみれば犬人の金持ち犬(3話)も貴族邸でぞんざいな扱いを受けていたし、牛人の血を引くマルリス(8話、9話)も周囲からうとまれていた。


 森人やリリパットも隠れて住んでいる。

 人とごく近いドワーフだって町の片隅で同族のコミュニティを形成していることが多い。


 本来なら亜人である豚人オークなどはモンスター扱いを受けているほどだ。


 ……蜥蜴人の娼婦を買うときも、皆わりと引いてたしな。


 身近なところを少し考えただけで思い当たるふしはいくらでもある。


 つい「なるほど」と口からこぼれた。

 たまに異種間の混血児が産まれるときもあるが、変わり者の恋愛であったり、不幸な経緯で産まれたパターンも多いはずだ。


『くく、そこで納得するのが面白いところさ。お前は異種族を隔てず、リリパットや牛人とも好んで寝るだろう? その姿を見て色々と思うところがあった』


 覗くなよ、とは思うが……まあ、そこはいい。


 俺は自分で言うのもなんだがアイマール王国では変わり者だ。

 日本人としての価値観を引きずって生きている。

 多種族との交流にしたってケモナーに寛容な日本人特有の性癖の部分が大きいだろう。


 俺という特殊なサンプルを抽出して判断し、あとで「こんなはずじゃなかった」と言われるのは御免だ。


「俺という例だけで判断するのは良くないぞ」

『そうだな。だが、魔族はお前たちが思っている以上に人間を観察しているはずだ。その上で、私は考えたのさ』


 ハルパスは一呼吸いれて、こちらを強い視線で見つめる。


 なんだか喋りがやたら上手くて言いくるめられそうだが、考えてみればコイツは魔貴族だ。


 …… 立場上、外交や演説なんかもやるのかな?


 俺はピントのズレたことを考えてしまう。悪い癖だ。


『お前は少なくとも、魔族の女を抱けるだろう? くく、かーっかっかっか!』


 ハルパスは何が楽しいのか、自分の言葉で嬉しげに笑い始めた。

 よほどツボに入ったらしく大爆笑である。


『そこで、だ。私はお前にプレゼントを渡したい』


 また話が飛んだ。今までの流れからなぜプレゼントの話になるのか。


 見返りに何を請求されるのか、考えただけでゾッとする。

 コイツから贈り物をもらうなんてありえない。


 俺が「いや――」と断りの言葉を口にするよりも早く、ハルパスは『ぬるぬるだ』と言い放った。


「なに?」

『ぬるぬるしたものを求めているのだろう? あるぞ』


 もはや、俺はハルパスの術中から逃れられなくなっているのを知覚した。


 ……くっ、なんて話術なんだ!


 ハルパスは的確にこちらの弱点をついてくる……ローションが手に入るのか、と考えただけで想像と胯間が膨らむ。欲しい。


 俺の戸惑いをよそに、ハルパスは『この道を行った交差点を左に――』などと普通に説明している。


『だいたいその辺りに亜人とも魔族ともつかない部族がいる。ぬるぬるの持ち主だ』


 つい聞いてしまった。

 プレゼントを受け取ってしまったのだ。


 魔貴族推薦のローション、絶対欲しい。


「……それで、対価はなんだ?」

『話が早くて助かるよ。私の領地は人間の国とも近いだろう?』


 いや、近いだろう? とか言われても全然知らんし。

 だが、ハルパスは俺の戸惑いなどお構いなしだ。


『この地の利を活かして融和派の国を作ろうと思う。つまり魔族と亜人と人間が住める国だ』


 ハルパスの話はイマイチわからないことばかりだが、おそらくこの場合の国とは都市のことだろう。


『そこで、だ。人間の英雄であるお前を招きたいのさ』

「は?」


 ハルパスの口から耳慣れない言葉が出た。

 英雄とは文字通り英雄だ。狭義では人間の軍をまとめて魔族と戦う将帥を意味するはずだが……まったく意味がわからない。


「なんで俺が英雄なんだ? 人違いじゃないか?」

『クックック、つまらない謙遜はよせ。森人から霊薬と宝剣を授かり、多くの異種族を束ね、賢者と呼ばれる者――そうそう、ヴァラファールを滅ぼしたのもあったな。これが英雄でなくては魔族こちらが困る』


 ハルパスは実に愉快げに『しかも僅か1年の話だ』とつけ加えた。


 確かに、その説明だととんでもない偉業を成し遂げた英雄豪傑の類いにしか聞こえない。

 もちろん実態はかなり微妙なのだが――


「すまんが、旅の途中だ。魔族の領地に行く余裕がない」

『構わんよ、魔族の寿命は長い。目的を果たしてからで十分だ』


 ハルパスは俺の都合などお構いなしだが――考えてみたら貴族だし、こんなものなのだろうか。


『来てくれたら将軍でも宰相でも好きな肩書きを任せるぞ。好きな女も抱かせてやろう。なんなら他を征服し、魔王になるか英雄どのよ。かーっかっかっか!』


 高笑いを残し、ハルパスは忽然と消えた。得意の幻術だろう。


 ……しかし、魔族の女か……


 俺はまだ見ぬ強豪たちとの出会いを想像し、体が熱くなるのを感じた。


「うーん、うーん、生ハムハモン! この前エステバンと食べたんだもんねー」

「あっ、なんだそれ、ズルいぞっ!」


 近くで賑やかな声が聞こえた。先を急ごう。




■■■■



英雄


そのまんま、英雄である。

余人には成しがたい偉業を成し遂げた者のことをいうが、この世界では魔族と戦う人間の指導者のことを特に英雄と呼ぶことがある。

エステバンは一種の人傑には違いないが、指導者になった経験はないので、現時点で人間から英雄と呼ばれることはないと思われる。

魔族の方が高く評価しているらしい。

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