3 老獪な豚人

 俺は魔力で夜目を利かせ、豚人オークの足跡を追跡する。


 足跡を光らせるだけの追跡の魔法は単純だけに魔力の消費は少ないが、相手にも確実に察知されるのが欠点だ。

 豚人も追跡者に警戒しているだろう。油断はできない。


 豚人の足跡は1つのみ。だが、結構な大物らしい。

 成長した豚人の個体は、オークリーダー、オークジェネラル、オークチャンピオン、オークロードなどと呼ばれることもあるが、出世魚と同じく名前が違うだけで同じ種族だ。


 だが、年経て成長した個体は経験を積み、知恵がある。

 ただの豚人とは別物と考えた方が良い。


 ……なるほど群れの長か、女を巣穴に連れ帰ってゆっくり楽しむ腹積もりだな。


 慎重に周囲の気配を探る。


 オークリーダーならまだしもチャンピオン以上ならば最悪だ。

 冷たいようだが、いざともなれば女を見捨てて逃げる決断も必要だろう。

 さすがに見ず知らずの女を助けるために命を捨てることは出来ない。


 足跡に掛けた魔法マーキングの感じからして敵は近づいてきたようだ。


 ……いよいよだ、油断するなよ。


 俺は自らを戒め、警戒度を一段上げた。


 肌がひりつくような緊張感、喉はカラカラだ。

 こんな時、冒険者稼業は命懸けなのだと痛感する。


 ……いた、女だ!


 俺は遠くから女を見つけた。

 それはわざと目立つように、大きな木に女の両手をナイフで打ち付けているようだ。女は気を失っているのか、ぐったりとしていた。


 ……ナイフは冒険者から奪った物か? 酷いことをする。


 すぐに助けてやりたいが俺は「冷静になれ」と自らを叱咤し、身を隠したまま周囲の様子を探る。


 これは囮だ。


 明らかに敵は追跡者をおびき出そうとたくらんでいる。

 不用意に女を助けようと近づけば待ち伏せを食らうことは想像に易い。


 ……見極めろ、敵の姿を。


 足跡は女の側で途絶えているが、これはバックトラックだ。

 バックトラックとは、足跡を辿られるのを防ぐため自分でつけた足跡の上をなぞるように数歩戻った後で大きく跳ね、追跡者から身を隠す野性動物の知恵だ。


 豚人がバックトラックをするなどとは聞いたこともないが、目の前の現実はそうとしか思えない。


 身を隠し、待ち伏せしている。


 女を捨てて逃げるのならば、わざわざはりつけ紛いのことをする必要がないからだ。


 ……生命感知を使うか……?


 俺は悩むが、強力な魔法を使えば魔力不足を起こし、後の戦いに影響しかねない。


 ここは森の中だ。


 目の前の敵を倒した後に次のモンスターが来ないとも限らない。

 自らギリギリ限界の戦法を選択するやつは長生きできないだろう。


 じっと耐えることしばし……時間にすれば数分だが、永遠にも感じられる長さだ。


 この根比べ、痺れを切らしたのは敵が先だった。


 がさり、と近くの藪が音を立てる。

 俺は息を潜めて藪を観察した。


 ……違う、石か枝でも投げたな。本物は……あそこか!


 俺は照明弾をイメージし、魔法を発動する。


 一瞬、強い光が出るだけの魔法。

 だが闇に目が慣れた巨体の豚人は強い光に目を眩ませ悲鳴を上げた。

 決定的な好機だ。


 ……貰ったぞっ!!


 俺は無言のまま豚人に飛び掛かり、そのまま左の鎖骨あたりから深々と山刀を突き刺した。


 ……仕留めた!


 固い皮膚と筋を突き破り、ツルンと刃が通る手応えを感じ……俺は油断した。


「プギャアアアアッ!!」


 俺の予想に反し、巨体の豚人は反撃に出た。

 怒り狂い、山刀を刺したまま両腕を振り回し、俺を吹き飛ばす。


 目を眩ませ闇雲に腕を振り回しただけの攻撃だ。だが、200キロ近い巨体の一撃は恐るべき威力を秘めていた。


 胸に強い衝撃を受け、俺は堪らず転がるようにその場から逃れた。


 ……やられた、畜生め!


 俺は内心で毒づきながら呼吸を整え、殴られた胸のダメージを革鎧の上から触って手早く確認する。


 幸い、骨に異常はない。


 俺は腰のえびらから短弓と矢を取り出し、間を置かずに豚人に射かけた。


「こっちだ、この豚! ケツを蹴飛ばしてるぜ!!」


 俺は大声を上げながら次の矢を射る。


 短弓の矢など豚人には効果は無い。だが、これは豚人の注意を引いているのだ。

 森人エルフの女を巻き込みたくはない。


 豚人は「プギャアアアア」と叫ぶと、俺の方に振り向き……そのまま朽ち木のようにバタリと倒れた。


 俺は倒れた豚人の顔面に矢を射たが反応がない。

 どうやら死んだふりでは無いようだ。


 ……助かった。


 俺は「ふうーっ」と大きな息を吐き、片膝をついた。

 豚人が向かってきたら軽作業用のナイフで戦うしかなかった……それは即ち、自殺行為だ。

 まさに紙一重の勝利だった。



 この世界に来た頃は『剣』や『魔法』が使えるだけでテンションが上がっていたが、モンスターとの戦いは格好いいものでも楽しいものでもない。


 泥にまみれながら命を的に命を奪う。

 モンスターの討伐とはそうしたものだ。




――――――




 俺は戦いで昂たかぶった気持ちを鎮め、豚人の死骸にゆっくりと近づいた。


 ……大きいな、ジェネラルはあるかもな。


 仕留めた豚人の大きさに呆れつつも、刺さったままになっていた山刀を引き抜いた。肉が絞まっており、引き抜くのも一苦労である。


 ……切っ先が少し欠けてしまったか。研ぎに出さないとな。


 俺は山刀の血油を軽く拭ぬぐい、鞘に納めた。

 そして豚人の討伐証明たる鼻をナイフで削ぎ、槍の先のように尖った犬歯を根元から抉えぐり取る。

 この立派な犬歯は高く売れるだろう。


 こいつがオークジェネラルならば4~5等の冒険者がパーティーを組んで戦うような相手だ。

 単独ソロで倒せたのは運が良かった。


 ちなみに、上位種などのサイズを認定するのは冒険者ギルドだ。豚人ならば切り取った鼻の直径で決まる。

 討伐依頼で上位種を仕留めると報酬に結構な色がつくが、大物に出会えるかどうかは完全に運であり、わざわざ狙う者は稀だ。


 俺は豚人から離れると、磔にされた森人に近づいた。

 既に彼女は気がついていたようで、俺に怯えて小さく「ヒッ」と悲鳴を上げる。


 先程助けた気丈な娘とは対照的な反応だ。


「心配しないで、連れはすでに助けた。彼女に頼まれて助けに来たんだ」

「え……シェイラ? シェイラも無事、なの?」


 先程の娘はシェイラと言う名前らしい。


 俺は「まあな」と答え、両手に突き立てられていたナイフを引き抜いた。

 森人の娘は「ぎゃああっ」と悲鳴を上げたが、我慢してもらうより他はない。


「む、傷が酷いな……悪いが俺は回復魔法が使えない。応急処置をするが痛むぞ」


 俺は返事も聞かずに森人の娘の傷口を水筒の水で洗い流し、噛んで柔らかくした薬草を張り付けた。


 いちいち森人の娘は「うっ」とか「あっ」などと色っぽく喘あえぐので気が散って仕方がない。


 薬草はいきなり傷が塞がったりはしないが、炎症と化膿を抑える効果がある。

 これを塗り込んだら傷口を強く縛るだけだ。


「キミの集落には回復魔法を使えるものはいるか?」


 俺の質問に、森人の娘は「はい、います」とか細く答えた。

 手が痛むのか顔色が悪い。


 手当てが終わり「あとは集落で回復してもらえ」と伝え、俺は森人から離れた。


 改めて観察すると、この娘はかなりの美人だ。

 革で作った粗末な服を着ているが、整った顔立ちに森人特有の色素の薄さがマッチして何とも言えない清らかな色気を感じる。

 年の頃は10代の半ばほどに見えるが、森人は寿命が長く、見た目で年は分からない。


 森人は人の基準で美人が多いとされるが、なるほど納得である。

 先に助けた娘も美形であった。


「その傷では帰れんだろう。近くまで送ってやる、集落が近づいたら別れよう」


  この森人の娘は心配だが、わざわざ森の奥に隠れ住んでいるのだ……余所者に近づかれたくないのは容易に想像がつく。

 あまり刺激はしたくない。


 『近くまで』とわざわざ言ったのはそうした配慮のつもりだった。


 俺の意図に気づいてくれたか、娘は少し躊躇ためらいつつも「お願いします」と頷いた。





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豚人オーク


豚のような頭部を持つ亜人。繁殖力が強く、わりとどこにでもいる。

一応の知能は備えており、意志の疎通は可能。

大きな体格をしており、身長は170~200センチ、体重は150~200キロにもなる。

春が発情期らしく、毎年春が来ると人間の女を拐うために亜人ではなくモンスター扱いをされている。

個体の大きさにより、リーダー、ジェネラル、チャンピオン、ロードなどと呼び名の変わる『出世モンスター』である。

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