第六章 比と肩  … 壱

〈壱〉

「つまり、いくら倒したところで、鼬ごっこだってことかい?」

 イミューからの報告にため息をつくヒヴァナ。心なしか、集中できていないようにも見受けられた。

「はい。あくまでも母体は卵ですので、そこを叩く他ないと思います」

「イミュー。その見えない卵をどう叩くの?」

 ティエラからの質問に言いよどむイミュー。ティエラが腕を組む。

「……ないのね?」

「いえ、あるにはあるんですが……」

「なら言ってよー」

「おい、ヒヴァナ!」

 ティエラがイミューに答えを催促した時だった。辺りを警戒していたヴァイスが声を上げた。その声にヒヴァナが反応した直後、彼女の身に違和感が襲った。

 徐々に血の気が引いていき、記憶が徐々に擦れていくような感覚。そして、まるで自分自身が風船で、しぼんでいくような、内側から自分というものが縮んでいくような得も言われぬ感覚だった。

 全身の力が抜け、膝から崩れ落ちるヒヴァナ。異変に気が付き、すぐにティエラが応戦する。

「くそったれ!」

 見る見るうちに輪郭を表していた人魚に対し、銃弾を何発も撃ち込む。人魚は、苦しむような、苦悶の表情で泡となって消えていった。

 すぐにヴァイスも駆け寄り、ヒヴァナを抱き起す。

「大丈夫か?」

「あ、あぁ、すまない。ぬかった……」

 ヴァイスに肩を借りながら立ち上がるヒヴァナ。額に玉のような汗をかきながらイミューを見る。

「何でも良い。対処法があるなら教えてくれ」


 それから少しして、天満や東たちと共に月島がヒヴァナたちと合流した。

「命令を破ってしまい、申し訳ありません」

 怒られるであろうことは覚悟して来たつもりだったが、それでもヒヴァナやティエラを目の前にすると、月島は怖くて思わず震えた。

「事情は聞いた。それしか手が無いのだ、取り敢えず今は作戦を優先しよう」

 ヒヴァナは月島を気遣うようなそぶりを見せるものの、表情は硬く、とても許しているようではなかった。

 無線でルーンも繋ぎ、ティエラが月島とルーンに指示を出す。

「いい? 現在確認されてる〝奴ら〟及び卵は三つ。姿を消したその卵の姿が視認できているのはエリたそとルナたその二人だけ。二人には卵のある場所まで行って、それを討伐してほしい。その間、私たちが外でうじゃうじゃ泳いでる人魚たちを相手するわ」

「はい!」

「了解です!」

「ルナたそには、引き続き第五小団のロッソとエミールが付いてあげて」

「ラジャ」

 無線を受けていたロッソたちは、互いに目配せをして頷き合うと、早速行動に移った。

「エリたそには……」

 ティエラが指示の途中でヒヴァナの顔をチラリと見る。ヒヴァナは嫌な予感がして顔をしかめる。

「私とヒヴァナっちが付くわ☆」

「……分かったよ」

 ヴァイスに借りていた肩から離れ、気持ちを入れ直してた時、ヒヴァナは辺りで自分たちの様子を伺っているかのように円を描いて泳ぐ人魚の姿に気が付いた。

 それは、思えば月島が現れた辺りからだった。姿が見えなかった人魚たちの輪郭や姿かたちが何となく見えるようになってきたのだ。

 ヒヴァナは、複雑な表情を浮かべた。被害にあった人数がそれだけ多くいるのか、それとも月島や、或いはデュプリケートの力なのか、ヒヴァナにはどちらが正確なのか分からない。けれど、そのどちらであっても彼女にとっては辛かった。

「母さん……」

「ヒヴァナっち」

 人魚を見つめながら何か呟くヒヴァナ。声をかけられて我に返りそちらを向くと、不思議そうな表情で顔を覗き込むティエラと、不安げな表情を浮かべている月島の姿がった。

「エリィ、人魚たちの相手はあたしたちがする。エリィは迷わず卵のところへ向かうんだ」

「わかりました」

「じゃあ行こう」

 月島は初めて人のいない都会を走った。人の代わりに、得体の知れない存在がそこら中にいて、その上それらは宙を泳いでいる。そんな光景も、月島は初めて見た。

 いつ襲って来られるかもわからない緊迫した状況でただ目的の場所に向かってまっすぐ走る月島と、左右を並走し、周囲を気に掛けるヒヴァナとティエラ。

 しばらく走っていて、月島がふと違和感に気が付いた。

「さっきから人魚たち、私たちのことをじっと見てきてません?」

「わかる。チョー静か」

「……」

 三人はともに嫌な予感を抱きながらビルに向かった。

 目前までたどり着き、いよいよ中に入ろうという時にルーンから無線が入った。

「ルーン、どうした?」

「……――……――」

「ルーン?」

「ルーンちゃん?」

(ザザッ……ザッ……)

 しかし、ノイズばかり入って、肝心のルーンの声が聞こえない。何度か呼びかけるが反応が返ってこない。

「何かあったのかも」

「つき……、は……な」

「え?」

「つきしま、なかに……は……るな……!」

(プツッ)

「おい、ルーン! ロッソ! エミール!」

 ルーンからの無線は切れ、ヒヴァナが何度もルーンたちに呼びかけるが、もう応答はなかった。

「最後、『入るな』って言ってなかった、ルナたそ……?」

「入るなと言うはずがない。あたしたちは卵を対処しなければならないんだ。何か、幻覚を見せられているに違いない」

「けど、ルーンちゃんが……」

「大丈夫だ!」

 突然叫ぶように怒りを露わにするヒヴァナ。驚いて目を見開くティエラと月島。彼女たちの目を見て、ヒヴァナは動揺したように目線を逸らせた。

「ヒヴァナ、少しは落ち着け」

 無線からヴァイスの声が飛んだ。息遣いから、走りながら話しているようだ。

「今俺がルーンたちのところへ合流する。それでいいな、ヒヴァナ」

「……あぁ」

 無線が切れた後、力なく肩を落とすヒヴァナ。月島は、根拠のない自責の念に駆られ、彼女へ手を伸ばそうとする。

「あの……」

 声をかけようとしたその手をティエラが止め、月島に向かって小さく首を振った。

「私たちも行くよ」

 ティエラは珍しく厳しい表情で短くそう言うと、月島とヒヴァナの間を割り入るように突っ切って、ビルの中へと進入していった。

 困ったようにヒヴァナとティエラの背中を交互に見ていた月島も、間もなくティエラの後を追って中へ入った。


「な、なにこれ……!?」

「不思議な模様が、壁一面に……!」

 ビルの中へ一歩踏み込むと、壁一面に水色や淡い青に怪しく光り輝く円形の模様が浮かび上がっていた。それは、二重や一重、三重のものと様々だった。

「火焔・不知火」

 二人の背後からヒヴァナの声が聞こえた。しかし、いつもと違って暗く、沈んだ彼女の声色にティエラと月島は疑問を覚えた。

「ヒヴァナさん……?」

 ヒヴァナの顔を確認しようと後ろを振り返る直前、突如として大きな火の玉が浮かび上がり、二人の周囲を囲むように浮遊し始めた。

「これ、どういうこと……!?」

 ティエラが問いただすが、ヒヴァナからの返答はない。ただ、彼女の目は虚ろで、焦点が定まっていなかった。

「……操られてる?」

「どうして……」

「分からない。けど、この壁一面に現れてる紋様が関係してるかも」

 フラフラとおぼつかない足取りで二人ににじり寄るヒヴァナ。それに合わせて、ティエラと月島も間合いを取るように後ずさる。

 ふと、ティエラは目の端に上階へと上がる階段を捉えた。

「エリたそ、こっちを見ずに、耳だけ利かせて」

「……はい」

「8時方向に、上へと上がる階段があるわ。合図を出すから、そしたら構わず走って」

 ティエラの言葉に、月島は自身の鼓動が強まるのを感じた。夢なら覚めてほしい。そう思ってしまうほど、切迫した不安や危機感、責任感が彼女を覆った。

(分かってたはずなのに……怖い……ルーンちゃん)

「深呼吸だ」

「え?」

 無線から聞こえるのとは違った、頭の中に直接響いてくるような声が聞こえた。それも、今ここにはいない、無線も繋がらない状態の存在からのもの。

「ルーンちゃん?」

 隣を見ると、そこには何故かルーンの姿があった。しかし、隣にいる彼女は普段の彼女よりもにこやかで、そして微かだが全体的に輝いているようにも見えた。

「不安な時は深呼吸をするんだ。そしたら不思議と、視野が広がるし、身体も動き出すんだ」

「うん」

 試しに月島は小さく深呼吸をしてみた。劇的な変化、とまではいかないものの、心なしか、浮足立っていた自分の足がしっかりと地についたような気がした。

「止まりなさい! 止まって!」

 亜空間から銃を取り出すと、ティエラは今もなお近づいてくるヒヴァナにその銃口を向け制止を呼びかける。だがしかしその足は止まりそうにない。

「ヒヴァナっち……撃たせないで……」

 小さな声でそう呟く声が月島に聞こえた。刀を握りしめる手に、思わず力がこもる。

 そして間もなくのこと。

「……走って!」

「っ!」

 ティエラの合図と共に、月島は急いで階段の方へと駆け出す。一方ティエラは、彼女とは反対方向へ火の玉を避けながら走り、同時にヒヴァナの足元へ向かって発砲する。

(任せたわよ、エリたそ……!)

 心の中で成功を祈り、ティエラは建物の奥へと走っていく。ヒヴァナは走り去る両者を目で追い、どちらを追跡するか思案したのちにティエラの方へ足を向けた。


 発砲音がフロアに鳴り響く。しかし、どれも相手に当たっていないようだった。

「懐かしいね、ヒヴァナっち。模擬戦の時、一度ヒヴァナっちと当たったことがあったっけ?」

 細い廊下を走りながら、時折後方へ向かって威嚇射撃をするティエラ。だが、ヒヴァナの足は止まらず、どんどんと袋小路へと自身の方が追い込まれていく。

「これ、マジやばよりのやば?」

 廊下の突き当りが見え、ティエラはほとほと運が尽きたか、と冷や汗を流した。

 後ろからヒヴァナがやって来る。とうとう追い詰めた、とばかりに角を曲がり、剣を構えた。が、そこにティエラの姿はなく、床にも天井にも隠れられる場所は見当たらなかった。

 用心するようにゆっくりと歩を進め、突き当りまで歩いていくと、向かって右手にまるで隠すように奥まって造られた非常階段が現れた。

 ノブを握り、一気に開け放つがそこに人影はなかった。どうやら裏に隠れて奇襲する、ということもなかったようだ。ヒヴァナはそれでも慎重に、警戒を怠ることなく階段を上っていく。

 中二階を越え、二階の踊り場が見えてきたとき、二階のフロアへと出る扉がわずかに開いているのが見えた。扉と枠の間に空の薬莢が挟んであったのだ。

「……」

 空の薬莢を手に取り、ジッと見つめるヒヴァナ。徐に立ち上がると、薬莢をポケットにしまい二階に出た。

 二階には、複数のテナントが入っているのか、いくつかの部屋に区切られていて、その多くがスモークガラスで覆われていて中が窺い知れなかった。

 廊下を歩くヒヴァナ。気配だけを頼りに進んでいる時、彼女を突然銃撃が襲った。

「っ……!」

 各部屋を覆うスモークガラスの向こう側からそれは飛んできて、彼女はその銃弾の嵐をかろうじて避けることで精いっぱいだった。

 急いで別の部屋へ飛び込み、弾が飛んでこない位置まですばやく移動したヒヴァナ。しかし、それが相手の罠だと気が付いた時にはすでに遅かった。

「そこまでよ!」

「ぐっ!」

 突然、物陰から飛び出してきた人影に背中を飛び蹴りされ、ヒヴァナは身体を大きく揺さぶられた。

 勢いそのままに飛ばされ、ヒヴァナは椅子や机の上の物などを巻き添えにしていく。

「これで呪縛が解けてくれれば楽なんだけど……」

 銃を構えながら慎重にヒヴァナのもとへ向かうティエラ。好き勝手な方へ倒れている椅子の中で、力なく横たわるヒヴァナの姿があった。

 剣は蹴り飛ばされたときに手元から離れたのか、ヒヴァナの近くにはなかった。

「ヒヴァナっち……?」

 警戒しながらも彼女の名前を呼んでみるティエラ。すると、微かに唇を震わせながらゆっくりと手を伸ばしてきた。

「ヒヴァナっち!」

 正気を取り戻したんだと思い、ティエラは急いで手を伸ばし、彼女の手を握ろうとした、が。

「っ……! きゃぁっ!?」

 それは一瞬のことだった。わずかに油断した隙をついて、不意にヒヴァナの手が彼女の襟首へ伸び、掴まれたと思った時には既に、あり得ない力で横へ投げ飛ばされ、ティエラの身体は宙を舞っていた。

「グハッ」

 机にぶつかって背中を強打し、ティエラは力なく床に突っ伏した。ゆっくりと近づき、ヒヴァナは倒れるティエラの横っ腹を足先で突く。

 そして動かないことを確認すると、突然興味が無くなったかのごとくそっぽを向き、月島を追うべく歩き始めた。



「はぁ、はぁ……階段、キツい……」

 あれからしばらく階段を駆け上がっていた月島だったが、元から基礎体力もそれほど無く、その上これからまだ二十階も三十階も上らなければならない。そう考えるとますます足が重くなり、棒のように動かなくなってきた。

 彼女は十階を過ぎたところで一度フロアに出て、辺りをキョロキョロと見回した。今のところヒヴァナは来ていないようだ。と、近くにエレベーターホールがあるのが見えた。

「乗っても良いよね……?」

 こんな緊急事態に暢気にエレベーターに乗って良いものかと一瞬そんな考えが頭をよぎったが、むしろ早く屋上へ向かうならこちらでないと駄目だろうと考え直し、頭を軽く振ってエレベーターに急いだ。

 屋上階へ直接これでは行けないようで、仕方なくエレベーターで行ける最上階のボタンを押し、残りの数階はまた階段で行くことにした。

 ぐんぐんと上昇し、約一秒ごとに階数がカウントされていく液晶を眺めながら、月島は不思議な感覚を覚えた。

 ヒヴァナやルーンたちに会う前までなら、どこかのビルに入って最上階を目指す、というと、そこにある展望台に行くためとか、何かワクワクするようなものが待っているのが常だった。ましてや、そういった時には必ず誰かと一緒で、親や友人がそばにいた。

 だが月島は今、別の意味でドキドキしていて、そして一人だ。とても心細いし、あまり良いとは言えない夢の中にいるかのような気分だ。もしかしたら、扉が開くと同時に夢が覚めて、ベッドの上で朝を迎えているかもしれない。それから、お父さんやお母さん、瀬里や由依、陽愛に夢の中で起きた出来事を話すだろう。

 考え事をしている間に、気がつけばもう目的の階に着くところだった。今更夢かもだなんて夢想している余裕なんてない、と気を引き締め直す。エレベーターが階に着き扉が開いたら、同時に外へ飛び出して階段を目指そうと身構えた。

 ピンッというチャイム音が鳴り、アナウンスが流れると同時に扉が開いた。半分ほど開いたところで飛び出そうとした月島は、扉の前に人が立っているのに気が付いて慌てて立ち止まった。

 その人物の顔を見て、月島は身体を硬直させた。扉の前にいたのは、今、できれば出くわしたくなかった人物だった。

「っ! ヒヴァナさん……」

「悪いねぇ、待たせちゃったかい?」

 ニタァと笑うヒヴァナの顔に、月島は思わず寒気を感じた。

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