第五章 暗と転 … 肆
「凶報だ……。たった今、孵化した……!」
「わかった! 今すぐ私たちも向かう。それまで現場を頼む!」
「あぁ……」
返事も途中で、ヒヴァナからの連絡は途絶えた。一気に慌ただしく、忙しない雰囲気へと変わるロビー。
こんな形で自分の元いた世界に戻ることになるとは、数時間前までは予想だにしていなかった。そう、思いつめた表情であの一文字らから受け取った刀、花時雨を握りしめる月島。そんな彼女の肩にそっとルーンは手を置いた。
「ごめんね、なんだか緊張しちゃって」
「気にすることはない。私も初任務の時は確かそんな風だった。……ま、まぁ、ほとんど記憶にないが」
「ふふっ。そこ照れなくてもいいじゃん」
「なっ」
「でも、ありがとう。少しだけ緊張ほぐれた」
「そうか、なら良かった」
気持ち和やかな雰囲気になり、さてこれから、軍に入隊して初めての仕事だ、と月島が背筋を伸ばして列に並ぼうとした時だった。第七小団の隊員たちへ指示を出し終わったティエラがつかつかと彼女たちのところへ近寄ってきた。
だが、その顔はどこか思いつめたような表情だった。
「ティエラさん、どうかしたんですか?」
「ごめん、エリたそ。エリたそは、ここで待っててほしい」
「……え?」
「ティエラさん、それはどういう……」
「危険には晒せないから。決まったことだし。だから待機してて」
言葉少なにそう言い残すと、すぐに踵を返してティエラは先頭に戻っていった。
「ルーンちゃん、わざわざ励ましてくれたのに、へへ、何か笑っちゃうね」
落胆した気持ちを隠すように、月島は笑ってみせる。だが月島もわかっていた。ほんの少し前まで刀を実際に持ったことも振るったこともない少女が戦闘に繰り出せるはずがない。だが、それでもどこか月島はやるせなかった。
気が付けば集団は、螺旋階段に挟まれた大扉の中へと、次々と入っていっていた。
「すまない。月島、すぐ戻ってくるから。君の世界を、私が守ってくるから」
ルーンが発した言葉は、月島にとって嬉しかったが、反面、少し痛かった。
本当は自分だって、この手で守りたいし救いたい。そして、きっとそれができるはずだった。それを願って、叶えるために月島はルーンたちを追ってここまで来たのだ。
月島はぎゅっと手を握りしめた。
(本当に、これで良いんだろうか……)
いつも、これは自分の悪い癖だ、と彼女は恥ずかしくなる。考えるよりも、心に思うよりも先に、気が付くと身体が動いている。
「待って! 私も、私も何かできる!」
「月島……?」
「何をしてるんだ、君。早く来るんだ」
「で、ですが……」
集団の後についていき、扉の奥に姿を消そうとしていたルーンを月島が呼び止め、彼女を追ってついていこうとする。
それに気づいて足を止めて振り返るルーンだが、別の隊員に呼び止められて扉の奥、暗い闇の中へと引っ張っていく。
「待って!」
閉まり始める扉を見て駆け出す月島。だが、それを誰かに止められた。
急に腕を掴まれ、その反動で振り返る形となった月島は、腕を掴んできた相手を見て目を丸くした。
「待ってください月島殿!」
「あ、あなたは……?」
「ちゃんとご挨拶するのは初めてでしたね。ご挨拶遅れました。私、イミュー・コプリーと申します。今朝、入口を通られたときお名前をお呼びしたのは、この私です」
もう少し余裕があればちゃんとご挨拶できたのに、と月島は歯がゆい気持ちになった。
閉まりゆく扉とイミューの穢れなき眼で見つめてくる顔とをにらめっこして、月島は早口でお礼を言った。
「ご挨拶ありがとう、イミューちゃん。だけど、ごめんね。また後で!」
「あ、だから待って! 行っちゃダメですって!」
「扉閉まっちゃう。お願い、放して!」
「ダメなんですー!」
身長など見た目の大きさに寄らず、あり得ない力で腕を引っ張られて、全く扉に近づけない月島。そうこうしている間にもどんどんと扉は閉まり、もう人の半身ほどの隙間もなく、瞬きの間にもぱたりと音を立てて完全に閉まるだろうと言ったところだった。
「なんでダメなの!?」
「命令だからです! 命令は命令ですので!」
「だからって、ここでじっとなんてしてられない。できることをしないと……!」
改めてイミューの顔を振り返ってみた時、その目を見て月島は一瞬驚きを隠せなかった。
先ほどまでの、必死さはあったもののどこか可愛らしさの残る、あどけない少女のような顔が、今は厳しい目つきで彼女のことを見つめ、そこにはふざけた様子は微塵もなかった。
「僭越ながら、失礼ですが月島殿。月島殿はご自分のお立場がよく分かっていないようですね」
「私の、立場……?」
目を丸くする月島の背後で、扉が完全に閉ざされた。
「月島殿は、正式な隊員ではありません。総轄部の一同、もっと言えばその長である、カエルレウス・ライト殿の恩義により、軍法の抜け道をくぐって今ここに月島殿はおられるのです」
「え……?」
「そうでなければ、今頃あなたは軍法会議にかけられていてもおかしくなかったのです。そのことをわきまえて行動願いたい」
突然言い渡された事実に、月島はひどく驚き、また頭の処理が追い付かずにその場に立ち尽くした。
人々の悲鳴や、隊員たちの懸命な誘導、必死な叫びが響き渡る。
月島えりが過ごした世界。彼女も一度は訪れたことがある、有名な大都市。今やそこは観光名所ではなく一つの戦場と化した。
空や空中を数多くの透明な人魚たちが、まるで水中を優雅に泳ぎ回るが如く飛び交い、誰に見られることもなく突如として人間たちに吸い付き、その者たちの精気を吸っていく。
「くっ……! 一体何が起きているんだ!?」
その戦場に飛び込んだヒヴァナたち。だが、彼女たちは混乱の中にいた。
「人魚の姿が見えなくなってる! それに、奴らが出てきた卵も姿を消した!」
「あはは、はっはっはっはっ……!」
人々が慌てふためき、乗り込んだ隊員たちも収拾がつかなくなっている姿に、一人、高笑いをする者がいた。
「愉快だ! 多くの人々の叫び声、血や肉が、俺の血となり肉となり、そして力になるんだ。いいぞ、もっと泣け、叫べ、怯えろ!」
「ルシヨ、気ニ入ッタカ」
思念体を通して透明な人魚の群れが人々を襲う様を見ていたルシは、モヤの〝奴ら〟の兄から声をかけられ、意識を一旦戻した。
「あぁ、気に入ったよ。それにしても、つくづくお前らの言う『交友関係』ってのは、不思議なものだな」
「オ褒メニアズカリ、光栄ダ」
モヤの兄弟は、身体だけでなく顔もモヤでできているため、なかなか表情が掴めにくいのだが、その中で怪しく光る眼が、笑ったように、不気味に歪むのだけが見えた。
「ヒヴァナっち。どうやらこの透明な人魚、私たち人間の精気を吸い取って奪うみたい」
「レムリアが突き止めたのかい?」
「……いや、彼女からの情報じゃないわ。私やヴァイスが、奴らから襲撃されて、身をもって知ったことよ」
「おい、大丈夫なのか?」
「私たちは大丈夫。どうやら襲撃してきた人魚を倒せば、精気は取り戻せるらしい。だけど、その倒すのが厄介だわ。あいつら、精気をある程度吸わないと姿を現さない。だから、吸われてすぐに反撃できなかったら、しばらく廃人になっちゃうわよ」
「確かに、厄介だねぇ」
額に汗をかきながら、物陰に隠れて周囲を警戒するヒヴァナとティエラ。そこへヴァイスが合流する。
「取り敢えず卵のあったビルの周辺にいた人間を遠ざけられた。だが、あいつらだって自由自在に飛び回ってんだ、どこまで範囲を下げればいいんだ」
「一か八か、ある程度吸われに行くしかないのかもな」
「ヒヴァナっち。そんな賭け、させるわけないでしょ?」
ティエラは、上司として無茶をさせるわけにはいかなかった。だが、ヒヴァナやヴァイスの気持ちも分かった。こうしている間にも、他の隊員や民間人が襲われているかもしれない。そう思ったらヒヴァナの言う土地、わが身や精神を削るような戦いをした方がいいのかもしれない。
ティエラ、ヒヴァナ、そしてヴァイスは結論が出せぬまま、その場に立ち尽くした。
「おい天満、お嬢からの報告だ。ふわふわ泳いでる人魚は、俺たちの精気を吸うらしい」
「え、精気を? 敵が見えない中、どう凌げば……あれ?」
「どうした」
第二小団の天満と東が辺りに流れる気を探りながら、警戒していると、物陰からルーンに似た少女が姿を見せた。
だが、確かルーンはティエラの指示で、第五小団のロッソとエミールのところへ合流しているはずだった。
「ルーンちゃん、どうしたの?」
「あ、天満さん……!」
「えぇ!?」
「お、おい。ここにいて大丈夫なのか」
彼女から名前を聞いて目を丸くする天満と東。改めて顔を眺め納得する二人だったが、すぐにまた驚いた。彼女はルーンではなく、本部にいるはずの月島だったのだ。
「もしかして、急遽出撃命令に変わったの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「違うの?!」
「おい、月島って言ったか。新人だからって『知りませんでした』は通用しないぞ。指示に従わずに勝手な行動をとったら、タダじゃ済まされない」
「このこと、イミューちゃんは知ってるの?」
「知っています」
矢継ぎ早に質問や説教を繰り返す天満と東の二人。そこへホログラムのモニターが出現し、イミューの姿が映し出された。
「イミューちゃん。これはどういうこと?」
モニターの声に、天満が顔を上げて彼女へ尋ねると、一拍おいて、イミューが顛末を話し始めた。
「本部から支援する手もあると、モニター部に月島殿を案内をしたんです」
それはヒヴァナやルーンたちが出撃した後のことだった。
「分かりましたか? 分かったのなら、自室に戻って待機を……」
「私、知らなかった……。そんな、誰かのご厚意やズルをするみたいな手でこの場所にいるだなんて……」
イミューは月島の顔を見て目を丸くした。目からはぽろぽろと珠のような涙がこぼれては頬もつたわずに落ちていたのだ。
「ごめん、迷惑かけて……」
手で顔を覆い、次第に喉を詰まらせ始めた月島。自分の吐いてしまった言葉と、周りからの冷たい視線に、イミューは小さく頭を抱え、慌てて月島に声をかける。
「あ、ほら、月島殿はそれだけ美味しい人材だ、と言うことですよ! だから今回の件も、訓練をしっかりと積んでから実践に送りたいという考えのもと月島殿を本部に残したのです!」
冷や汗をかきながら身振り手振りを駆使して、イミューは月島をなだめ、説得する。
その甲斐あってか、間をおいて目を少し腫らした月島が手をずらして顔を覗かせた。
イミューはそれを見て畳みかけるようにさらに説得を加える。
「それに、ここにいては何もできないということはありません。月島殿にはまだできることがあります」
「私に……できること?」
イミューに手を引かれて、月島は初めてモニター部へ入った。
「へぇ、こんなところがあったんだ……」
部屋の中へ入ると、幾つものホログラムモニターを前に誰かと会話をしている隊員たちがあちこちにいて、椅子に座って仕事をしている者から、立って仕事をしている者まで様々だった。
「そうです。この部屋から、私たちは皆さまに指示を送ったり、或いは逆に、皆さまから連絡を受けたりしているのです。あと、テレポートポータルの管理もこちらで行っております」
「テレポートポータル?」
「えぇ、先ほどティエラ殿たちが出撃していったあの扉の先が、テレポートポータルになります。常に様々な隊員が時空や世界線を行き来しているので、重なるときは重なってしまうのです。なので、事故が起きぬようここで管理をして、かち合わないようにしています。まぁ、いわば管制塔のような感じですかね」
イミューから説明を受けながら月島は一つの席の前にやって来る。数台のモニターが置かれたその席の前に来ると、イミューは何やら異世界の物と思われる文字が表示されたホログラムを消した。
すると、ホログラムを消したのに連動してモニターの画面が点灯し、同時にホログラムのモニターも数台空中に出現した。
「わぁっ、何これ!」
「ちょっと、驚きすぎですよ、月島殿」
月島の驚いた声が周りに響いたのか、部屋にいた隊員が月島たちの方を振り返った。
イミューは誤魔化すように微笑み、手を小さくひらひらと振ってみせた。
「えー、だって、こんなの見たことないんだもん。ところで、さっきのホログラム、なんて書いてあったの?」
「あれは、『イミュー』と書いてあったんです。ただのネームプレートです」
「なんだ、名前か」
少しだけがっかりした様子の月島の様子に、イミューはくすりと笑った。
「ちなみに、〝奴ら〟がいつどこに出現するのか、日夜監視を行っているのもこの部屋です」
「日夜……すごく、大変な仕事だね」
イミューの容姿を眺めながら、月島は彼女のことを気遣った。だが、イミューはその言葉を聞いてやれやれとポーズをとり、首をわざとらしく振った。
「異種族と話すとき、これは恒例ですね。月島殿、お気遣い有り難いですが、ご心配なく。こう見えても私は月島殿より二回りほど年上です故」
もはや慣れっこなのか、どや顔で説明をするイミュー。反対に、月島はより心配そうな顔になった。
「身体は大事にした方がいいと思うよ?」
「分かってますよ。それに、基本的に我々、三交代制ですから」
月島の心配にイミューは口を尖らせる。
ロビーにいた時とは対照的に、和やかな雰囲気になった二人。そこへ急いでいる様子のレムリアが入ってきた。
「あの、イミューはいる?」
「はい、ここですが。どうかされました?」
「あぁ、よかった……あら、ルーンさん。ここで何を?」
「あ、いえ、私は……」
「レムリア殿、何を言っているんですか? 彼女こそが月島えり殿ですよ」
レムリアはイミューの言葉を聞いて目を丸くし、急用であったはずなのに、月島に向き直り、足をそろえて綺麗に敬礼し、丁寧に挨拶をした。
「ご挨拶が遅れ、加えて、人違いをするという重なるご無礼。誠に申し訳ございません。初めまして。わたくし、レムリア・エルリコットと申します。科学解析部と言う部門に所属しています」
「よろしくお願いします」
おずおずと頭を下げる月島と、一仕事でも終えたかのようにすっきりとした満足げなレムリア。何とも噛み合ってない二人の様子に苦笑いを浮かべつつ、イミューはレムリアに話を促した。
「それで、私に用があったのでは?」
「あ、そうでした。実は、あの人魚たちのことを調べていて幾つか分かったことがあるんです。あの人魚たち、それぞれの個体が独立して存在しているということではなく、あの卵を母体としてそれを中心に個々が網目状のネットワークで繋がった、あれら全てがある種一つの生命体、〝奴ら〟だったんです」
「えぇ?」
「古い文献にあの人魚たちのことが書かれているのを見つけて、それによると、一つの個体が倒されてもまたあの卵から個体が生み出され、それが無限に続けられる、と」
「それはつまり……?」
月島が恐る恐るレムリアに尋ねると、彼女が目線をそちらへ向け、静かに答えた。
「個体をいくら倒しても、その分がまた湧いて出てくるということです」
「その文献に対処法は書いてないの?」
イミューが聞くが、レムリアは小さく首を横に振る。
「結局、その文献の中で、当時の彼らは人魚たちと決着を付けられなかったようです」
レムリアはホログラムを空中に展開し、画像データ化したその件の文献を表示させた。
その文献の文字は月島の知る言語体系ではなかったので読めなかったが、イミューやレムリアには読めるようで、レムリアは辛そうに唇を噛み、イミューは小さく息をのみ、口元を両手で押さえた。
月島のため、レムリアは改めてその文献の内容を要約して伝える。
「突如として現れたあの人魚たちは、町が一つ消えるほどの大人数の者の精気を吸いつくし廃人同然にすると、またしても突然に姿を消してしまったそうです」
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