第三章 狼と煙  … 弐

〈弐〉


「俺が知らないところで何てことなってんだぁ!?」

「大きな声を出すんじゃないよ、まったく」

 軍本部の施設内にある関係者及び職員専用の食堂で、ヒヴァナとヴァイス、そしてルーンの三人が食事をしていた。

「第一、日がな一日、中庭に行っては寝てばっかりいるからじゃないか。でも、ヴァイスにとっては嬉しい限りだろ? 誰に咎められるでもなく、むしろ上からの命令で暇なんだ」

「戦士の休息と言ってくれ。俺は好きで寝てるんじゃない、次の仕事のために英気を養ってるんだ。これじゃあ、養うどころか鈍っちまうぜ」

「すいません、私が、一般人を巻き込んだから……」

 ルーンが俯いたままでいると、ヒヴァナとヴァイスは呆れたような顔をした。

「ルーン、それは言わない約束だったじゃないか。あの時は危機的状況だった。偶然刀を拾った要救護者、月島えりが、敵の急所を突き、ルーンの窮地を助けようとした。それだけの話じゃないか」

「いいか、今回の処分だって、言ってしまえば有休消化みたいなもんだ。減給はないし、緊急部会だって結局開かれなかった。見かけだけの処分だよ。だから気にするな」

「はい……」

 まだ落ち込んだままでいるルーンをしり目に、空中に浮かんだディスプレイに映し出されたニュースを見ながら、ヒヴァナとヴァイスはご飯を口に運んでいた。

 そんな時だった。唐突にルーンの脳裏を電気のような衝撃が走った。一瞬、彼女はそれが何なのか掴めなかったが、直後に原因を感じ取った。

 ルーンの表情の変化に気づいたヒヴァナたちは、彼女を見て食事の手を止めた。

「ルーン、どうしたんだい」

「彼女が、月島えりが、今危険な状況に遭っています」

「なに!」

「どういうことだい?」

「急に、脳裏に映像が流れてきたんです。そうしたら、彼女たちのところに〝奴ら〟が……」

 彼女の発した言葉に、二人は息をのんだ。ルーンに何が起こっているのかは分からなかったが、もしこの発言が本当ならば、それは緊急事態だった。

「〝奴ら〟だと? いったい、どんな相手なんだ」

「それが、どうやら彼女が知覚できる範囲しか見えないみたいで、〝奴ら〟の姿までは分かりません。ただ、彼女を通して感じた気配は、間違いなく〝奴ら〟でした」

 普段から嘘や冗談の類を言うようなタイプではないルーンが、いつになく真剣な顔で言うのを見て、ヒヴァナたちは彼女の言葉を信じることにした。

 二人は一度、目を見合わせると改めてルーンの顔を見た。

「ちょいと、オペレーターのところに行ってみようか」



「イミューはいるかい?」

「はい、こちらに……あら、ヒヴァナ殿。それから、ヴァイス殿とルーン殿まで。皆さんお揃いで——」

「すまない、話はあとだ。イミュー、〝奴ら〟に動きはあったかい?」

 イミューと呼ばれたオペレーターは、あのモニター部に所属する、小さな尖った耳を持つ少女のような見た目のオペレーターだ。

イミューは、急にやってきて突然何を言い出すのかと、目をパチパチさせた。

「え、〝奴ら〟の動きですか? 今のところないですねー、ビックリするくらい」

 あっけらかんと答えるイミューに、今度はヴァイスが身を乗り出すようにして質問し始めた。

「それは、本当か? もう一度サーチ掛けてもらえないか」

「何度やっても同じですぅ。我が軍が誇るサーチ能力、技術は並ではありませんから」

 自分の仕事にケチをつけられた気になって、イミューは少し拗ねた調子で、口を尖らせながら答えた。ただ、完全に跳ね返すのも悪いと思い、取り敢えず確認も込めてサーチをしてみるも、やはり〝奴ら〟のエネルギー反応は出なかった。

「言わずもがなとは思いますが、対象範囲は当然、例の月島えりという少女がいる地域を中心に、〝奴ら〟の出現が頻発している地域全体です」

「これは一体どういうことだ?」

「あの、何があってここに詰め掛けているのか、説明してもらってもいいですか?」

「イミュー、これは……」

 呆れた表情のイミューに、ヒヴァナが説明をしようとした時だった。

「お取込み中失礼します。ちょっと気になる点を見つけたので、確認をしたいのですが……って、ヒヴァナさんにルーンさん、ヴァイスさんまで。どうかされたんですか」

 頭の上から声がすると思ったら、ヒヴァナたちの頭上にホログラムのモニターが現れ、そこにはレムリアが映っていたのだ。

「いや、こちらの用事は大丈夫だ。レムリアから話してくれ」

「え、えぇ。実は今、あなたたちが使う結界の調節をしてて、そちらのサーチ画面に調節中の結界が表示されるかどうか確認をしてたんです。その時に偶然見つけたんですけど。今現時点で、出動してる隊員っていますか? もっと言うなら、例の月島えりが通う高校に誰か出撃しましたか?」

 レムリアの発言に、ホログラムの近くにいたイミューやヒヴァナたちはともに顔を見合わせた。

「そのような出撃命令や記録はありません。何を見つけたんですか?」

「じゃあ、これって……あの、今モニター共有します」

 言葉の途中から慌てた様子が表れだしたのを聞いて、イミューたちは胸騒ぎがするのを静かに感じた。そして、モニターに映し出されたものを見て、一同は息をのんだ。

 モニターに映し出されたそれは、イミューたちモニター部が普段〝奴ら〟を探すときなどに使うサーチ画面の地図だった。

 しかし、レムリアから共有されてきた地図には先ほどのサーチ結果と違って、月島たちの通う高校の、ちょうどその場所に大きな赤い半球状の目印が表示されていた。

「これは……?」

 その画面を見て、一人、その場の誰よりも顔面蒼白にしている少女がいた。

 ルーンはよろよろと後ずさりながら、うわ言のように声を漏らした。それは、怯えというよりも、武者震いに等しかった。

「〝奴ら〟だ……。やっぱり〝奴ら〟が、彼女を襲いに来たんだ……!」

 ヒヴァナやヴァイスたちが彼女に目をやった直後、見計らったように一瞬にして彼女は踵を返し、出口に向かって走り出した。

「ルーン!」

「おい、ルーン!」

 あと僅かのところで反応が遅れ、ヴァイスはルーンの腕を掴み損ねた。

「ヒヴァナ、ルーンは俺が追いかける。お前はここで、今何が起こっているのか、探ってくれ」

 この場をヒヴァナに任せ、ヴァイスは、飛び出していったルーンの後を追いかけた。

「これはどうなってるんだ……?」

 ヒヴァナが「厄介だねぇ」と口癖を漏らした時だった。モニター部へまた別の訪問者が現れた。


「ヒヴァナっち、ここで何してるの? それに、さっきルナたそとヴァイスが飛び出していったけど、何かあったの?」

 そこに現れたのはティエラ・ズナーニエだった。どうやら偶然、ルーンとヴァイスが走ってモニター部から出ていくのを見かけて、慌てて見に来たらしい。

 ヒヴァナは、心を決めて小さく深呼吸をすると、前置きをしてからいきさつを簡単に話し始めた。

「イミューやレムリアも聞いてほしいんだけど、実は……さっき食堂にいた時に、ルーンの脳裏に突然映像が流れたらしいんだ。そこには月島えりが映っていて、それから〝奴ら〟の気配もした、と。それで、警報も出撃命令も出てないのに〝奴ら〟が現れたというのを不思議に感じて、ここに確認しに来たんだ」

「なるほど、それであんなに何度もサーチを掛けるよう言ったんですね?」

「あぁ」

 話を聞きながら、ティエラはホログラムのモニターに映る地図を見て指をさした。

「それで、その赤い半球状の目印は何?」

「それは、正体不明の結界です」

「正体不明の結界?」

「はい、我々の軍がこの場所に出撃していないのにも関わらず、我々が使うそれと似た波長の結界が張られているんです。しかもその場所が、月島えりさんたちが通う高校、その場所なんです」

 レムリアの報告を聞いて、ティエラは目を見開いた。

「どういうことよ……。それで、ルナたそは〝奴ら〟の仕業だと思って飛び出したの……?」

「えぇ、その通りです」

「でも……あり得ないわ」

「え?」

「警戒してたのに、それを掻い潜って現れたというの?」

 独り言のように狼狽を口にし、俯くティエラの肩を、ヒヴァナがそっと掴んだ。

「ティエラ。正体が分からない今、あたしたちは確認しに行くしかないじゃないか。考えるのは、後でも遅くないだろ?」

 ティエラはヒヴァナの目を見て、逡巡の色を見せたが、すぐにまた見つめ返した。

「確かにそうだね。事と次第によっては取り返しがつかなくなるかもしれない」

「では、ティエラ殿。出撃命令を……!」

 イミューが軍の管内に伝令を出そうと準備した時、それをティエラが止めた。

「待って、もう出撃してるから大丈夫だよ」

「え、どういうことですか?」

 戸惑うイミュー、そして、レムリアも不思議そうに見つめる中、ティエラがヒヴァナの方に向き直った。

「改めてここに命ずる。第八小団隊、謎の結界の調査の為、直ちに高校へ急行せよ」

「ハッ」

 ヒヴァナは命令を受けると、すぐさま部屋を飛び出していった。それを見て、レムリアが声を上げた。

「ちょ、ちょっと待ってください。彼女たちは任務から外されたんですよね? 月島えりに関わる任務から」

「うん、そうだよ?」

「だったらどうして行かせたんですか?」

 困惑して尋ねるレムリアに、ティエラはわざとらしくため息をついて見せた。

「はぁーあ、だからレムっちって苦手なんだよなぁ」

「え、なんで急に悪口?」

「私、さっき一言も『月島えり』って言ってないよね? 私はただ、彼女たちに結界を調べてきてねって言っただけだよ?☆」

 いつも通りのティエラに戻り、ウィンクを飛ばすティエラを見て、レムリアは正真正銘の、落胆を込めたため息をついた。

「なるほど、そういうことですか……それにしても、この結界は何なんでしょうか。〝奴ら〟がここまで高度な結界を張ることなんてできるんでしょうか?」

「そこなのよね……やっぱり、『第四事件』と何か関係があるのかしら」

「何か言いましたか?」

「ううん。取り敢えず、総轄部の方でも結界について調査してみるわ。ヒヴァナっちたちが戻ってきたら連絡して」

 ティエラは伝言を残すと足早に部屋を出て行った。その後姿を見送ると、イミューとレムリアは顔を見合わせて小さく首をひねった。

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