第三章 狼と煙 … 壱
〈壱〉
休み時間。少女が一人、自分の席で小さく欠伸をしている。そんな彼女を囲むように、三人の友人が椅子を寄せて座っている。
「えり、このところ眠そうだね」
「うーん、そうなの。先週の日曜日からかな。不思議な夢を見るようになって、それから何となく寝れなくって……」
月島えりの言葉を聞いて、他の三人は同じことを考えていた。先週に起きた出来事といえば、彼女たちにとっては、えりがとった不思議な言動が思い起こされた。
「えりちゃん。どんな夢を見るの?」
えりの正面に座っていた本郷陽愛が、心配そうに彼女を見つめる。少しの間、言いにくそうに口をつぐんだのち、えりは言葉を選ぶようにポツリポツリと話し始めた。
「その日その日で夢の内容が少しずつ違うんだけど、ある時は、私にそっくりな人が私の目の前で誰かに首を絞められてたり、またある時は、私が誰かに襲われそうになってたりして、でも、どれも断片的でとりとめがなくて、いつも中途半端に終わるの。だから、すごくモヤモヤしたままになって眠れないの」
「ちょ、えり。めっちゃ怖いじゃん、その夢」
えりの右側に座っていた関根由依が目を丸くする。その向かい側で、風間瀬里は真剣な面持ちで顎に手をやった。
「それにしても、先週からそういう夢を見るようになったってことは、直前に何かしら夢の内容と似た出来事に遭遇したか、或いは目撃してたって考えるのが自然よね? そしたら原因がはっきりするんだけど、少なくとも一緒にいた私たちは見た覚えはないし……」
瀬里の言葉を聞きながら、しばらくえりは一点を見つめていたが、やがておもむろに自分の考えを打ち明けた。
「……やっぱり、あのゴーグルに何か細工がしてあったんじゃないかな」
「細工?」
えりの言葉に、由依たちが首をかしげる。
「そう。実は私、ゴーグルをつけられるまでとつけられてる間、その前後の記憶が曖昧なの」
「えっ?」
由依たちが驚きの表情を浮かべるが、えりは気にせずそのまま続けた。
「それでね。もしかして、私だけ別の映像を見せられてて、それで記憶が曖昧だったり、変な夢見たりするんじゃないかって思うの」
「そんな、えりちゃんだけ?」
陽愛が瀬里の方を見た。瀬里は小さく頷きながら言葉を紡いだ。
「どういう理由かはわからないけど、可能性としては、それが一番濃厚かも」
「どうであれ、あのゴーグルと、それをつけて回ってたあの男の人が怪しいね」
瀬里の言葉を受けて、由依は腕を組んだ。すると直後、ハッと何かを閃いたような顔をした。
「そうだ、今日の放課後、いや、もう今からでも早退なりなんなりしちゃってさ、またショッピングモールに行ってみようよ! そしたら何かわかるんじゃないかな?」
「まさか、あの男の人が今日も来てるとは思えないんだけど」
「休日のみ、あそこでゴーグルの宣伝に来てる可能性もあるよね?」
瀬里や由依、陽愛が話し合う姿を見て、えりは、有り難いようなそれでいて申し訳ないような気持ちになってきた。
無理やりにでも話をまとめようかと思い、口を開いたその時だった。
唐突に廊下の外が騒がしくなってきて、徐々に生徒たちが廊下を行ったり来たり、慌ただしく駆け足で移動し始め、仕舞いには教室の中にまで、その喧噪や不穏な空気やらが流れ込んできた。
「え、一体何ごと?」
えりたちが状況を掴めずに辺りを見回していると、周囲にいた同級生たちから会話が漏れ聞こえてきた。
「え、なにって?」
「だから、オオカミ。オオカミの群れがどっからかやってきて、この学校の敷地内に入って来たっぽいよ」
「まじで? こわ」
「やばくない?」
「大丈夫かな」
えりたち四人は、口々に漏れる彼、彼女たちの言葉を聞いて耳を疑った。
「オオカミ?」
「しかも、群れで?」
「ちょっと待って、この国には今、野生のオオカミは生息していないはずよ?」
瀬里が疑問を口にした時、廊下でさらなる声が上がった。
「なにあれ、コスプレ?」
「すごい、本格的」
「あれさ、狼男じゃない?」
「何かの撮影かな?」
「ねぇ! さっき一階で、一年生の子があのオオカミに襲われて怪我したって!」
廊下から聞こえてくる声に、四人が目を丸くして顔を見合わせていると、奥から教師たちの声が響いてきた。
「早く! 教室に入りなさい!」
「今すぐ入って!」
すると直後、校内放送が鳴った。
「緊急放送、緊急放送。校庭にいる生徒は、先生の指示に従い速やかに体育館へ逃げてください。校舎の中にいる生徒は、近くの教室に今すぐ入ってください」
「ねぇ、なにこの状況……」
由依が心配そうな声を出した。えりたちは彼女の背中をさすって、「大丈夫だよ」と声をかけた。その間にも、続々と廊下にいた生徒たちが教室に雪崩れ込むようにして入ってくる。
指示を飛ばしていた教師がドアから顔をのぞかせた。
「いい? 今は危険だから、絶対外に出ないこと。それと、ドアと窓の鍵を閉めて」
そう言うと、廊下に出ている生徒はいないか確認しに、すぐさまどこかへと走って行ってしまった。
ドアの近くにいた生徒が、教師が去った後、すぐにドアと窓を閉め、施錠した。
「これで、いいんだよね……?」
不必要とは分かっているだろうが、確認を取らずにはいられないのだろう。施錠した生徒が近くにいた生徒たちに向かって小さな声で訊いた。一方、尋ねられた生徒たちは、顔を見合わせてから、おずおずと頷いて見せた。
しばらくして、誰かが、誰にとはなしに独り言のような口調で疑問の声をこぼした。
「でも、これじゃああの群れが今どこにいるのか分からなくない?」
その声に誰かがポツリと答えた。
「今きたメッセージによると、まだ中庭にいるみたいです」
「早く去ってくんないかな?」
学生たちが不安に項垂れている時、中庭では数名の教師と教頭が、件のオオカミと、それを率いる狼男と対峙していた。
「何用かは知りませんが、お引き取りください」
「〝お引き取り〟ねぇ」
体格がよく大柄なその狼男は、空ろを眺めながら不敵な笑みを浮かべた。狼男の周囲を行ったり来たりとうろついているオオカミたちも、人の言葉がわかるのか、それとも条件反射や何かなのか、ニタニタと笑っている。
「じゃあ、一つ俺らの願いを聞いてくれよ。それはいたってシンプルなお願いだ。それを聞いてくれたら考えてやる」
狼男の言葉に、教師たちは互いに顔を見合わせた。一度唾を飲み込み、教頭が半歩前に進み出て口を開いた。
「そのお願いの中身にもよる。我々が叶えられるものなら、何でも協力する。だが、我々は子供たちの命と安全を預かっている。それらを脅かすようなことであれば、協力はできない」
「なら実力行使をするまでだ」
教頭が話し終わるか終わらないかのところで狼男が言葉を吐き捨てた。そして、スッと右手を顔の高さまで上げると、それまでうろついていたオオカミたちがピクリと反応を示し、各々がその場で四方八方を睨み、低く唸り始めた。
その状況に教師たちは慌てて声を上げた。
「ま、待ってくれ! わかった、その願いというのを聞かせてくれ!」
教頭の言葉に、狼男はまたしてもニヤリと不敵にほほ笑んだ。
「いいだろう。じゃあ、俺らからのお願いを聞いてくれ——月島えりを、ここに連れてこい」
教師たちは驚いた。生徒全員に対して、あるいはその中の一部の生徒に危害が及ぶのではないかという想定はしていたが、それがまさか一個人を、しかも名指しで示してくるとは思ってもみなかったのだ。
その上、その月島えりという生徒は高校入学当初より体が弱く、教師一同気にかけるようにと指示を出し、目をかけてはきたものの、何か目立って素行が悪いということはなく、むしろ明るく優しい性格の持ち主で、誰かに恨まれるようなことをする子ではないと教師たちは認識していたので、なぜこのような得体の知れない者たちが現れ、尚且つ脅迫まがいの言動をしてまで彼女のことを名指しで呼び出すのか、それが驚きで仕方がなかった。
「その月島えり、という子が、なにか……?」
「〝なにか〟じゃねぇだろぉ。いるんだろ? ここに!」
男はついに苛立ちを隠せなくなってきたのか、見るからに体毛が逆立ち始め、吐く息も荒くなっていった。
「連れて来いよ! ツキシマァ、エェェリィィィッ!!」
狼男の雄たけびのような叫びは、教室の中にいた月島本人のみならず、同じ教室にいた生徒たちにもはっきりと聞こえた。
「なんで、なんでえりちゃんの名前が……?」
みんなの気持ちを代弁したかのような陽愛の言葉に、月島自身もわけがわからず、ただ小さく、震えるように首を振ることしかできなかった。
その時、校舎内を見回っていた教師がえりたちのいる教室の前にやってきた。
扉を開けるようにジェスチャーをしているので、近くにいる生徒がそっとカギを開けた。すると、教師は額に汗をかきながら教室を見回した。
「彼女が何をしたというんだ!」
「あぁっ!? 関係ねぇだろ! 俺ぁ気がそんなに長くねぇんだ。つべこべ言わずにさっさと連れて来い!」
教頭が意を決して詰め寄ろうとしたものの、男の威圧と叫ぶたびに吐かれる、臭気を帯びた風圧のある息に、もはやたじろぐしかなかった。
そこへ、別の教師が割って入ってきた。
「これ以上暴れるなら、警察を呼びますよ!」
「あぁ? 〝ケーサツ〟? ハッ。いいさ、呼んでみやがれ! その〝ケーサツ〟ってのにも会ってみてぇし……な……」
狼男は、その割って入ってきた教師を見て、思わず目を奪われ、固まってしまった。その教師は縁なしの眼鏡をかけ、サラサラとした長い黒髪をなびかせて彼らのところへ駆け寄ってきた。
そしてなにより、その教師は胸が大きかった。その狼男にとって最高の女性と思えるポイントがそろった彼女は、もはや完璧であり、女神の降臨ともいえた。
その教師は、この高校で社会科を担当していて、そして月島えりたちとも面識があった。
「彼女が何をしたというんですか? これ以上彼女たちに危害を加えようというなら、私たちが許しません」
その女性の毅然とした態度にまたしても心を射抜かれ、男は威張る風を見せてはみるものの、やや態度を軟化させた。
「そんなに知りたいっていうなら、教えてやろう」
そういうと男はズボンのポケットからUSBメモリのようなものを取り出した。
(万が一と思って持ってきててよかったぜ)
内心そう思いながらあるスイッチを押すと、空中にホログラムが出現し、何かの映像を再生し始めた。
「これが、俺がここに来た理由だ」
そのホログラムの内容は、月島えりと、彼女と似た容姿のルーンが〝奴ら〟の仲間であるアクアと戦う姿だった。もちろん、月島えりが最後アクアの心臓、中枢核を刀で突き刺すシーンも、ホログラムで映し出された。
「俺は仲間を殺されたんだ。この、月島えりって奴に。だから俺らはここにやってきた。そいつを殺すために」
男がホログラムを消し、装置をポケットに仕舞おうとしたとき、男とともに、周りにいたオオカミたちも異変に気が付いた。
何度も鼻を鳴らし臭いを嗅ぎ、そして確信に変わると見る見るうちに表情が険しくなっていった。
狼男たちの前を塞ぐように立ちはだかる教師たちを睨むと、男は呻くような声で言った。
「謀ったな」
その言葉に、狼狽える教師たち。その表情や態度を見て、男は尚も吐き捨てるように言葉を続けた。
「なめた態度取りやがって! 俺らをここで足止めして、その間に生徒を逃がそうってか。随分と甘く見られたもんだなぁ!」
男は腰をかがめ、右手を頭の位置まで掲げた。それを見た教頭が、泣きつくように男の前に飛び出し、顔を真っ白にしながら土下座をした。
「待ってくれ! 頼む、私の命を、私の命ならばどうしてもいい! だがしかし、生徒にだけは、うちの生徒に危害を加えるのだけは——」
「——黙れ!」
必死の嘆願をする教頭の言葉を遮って、男が吠えた。その一瞬、その場は静まりかえり、教頭や教師たちの目が、その男に集中した。
男はニタァと冷徹で不気味な笑みを浮かべた。
「もう遅い」
凍り付いた空気を切り裂くが如く、男は勢いよく右手を下げた。
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