第一章 来と訪  … 肆(し)

〈肆〉

 少女は口元から手を離すと、スッと背筋を伸ばした。

「アタシの名前はね? アクアって言うの」

 アクアと名乗る少女は、えりたちの表情を確認するような視線を送った。当の四人はアクアが思っていたような反応はしていないようだ。むしろ、合点がいったような表情をしていた。

「確かに珍しいね」

「うん。でもいいじゃない。すごく可愛いと思うわ」

「うん、私もそう思う。爽やかな感じもするし、お姉さんは好きだよ」

 アクアは、彼女たちに褒められて照れながら「ありがとう」と返した。


 少しだけ打ち解けた気がした五人は、出口に直接向かわず、大回りをして出口に向かうことにした。

 その道中、吹き抜けになった場所にさしかかった時だった。辺りに漂う冷気と、近くの壁や天井を微かに照らす青白い明かりに気がついた。

 不思議に思い一同が周りに目を向けながら歩いていると、先頭にいたアクアが少し先を指さして声をあげた。

「ねぇ、あれ! あれ見て!」

 言われるがまま、少女が指し示す方を見て彼女たち四人は一瞬言葉を失った。

「…………な、なに、あれ」

「真っ白な、氷の……?」

 えりたち四人が絶句している中、アクアは落ち着いた様子で彼女たちの方を振り返り話しかけた。

「とりあえず、近寄れるところまで近寄ってみましょう。ここからじゃ、なにが起きてるのかわかりませんし」

 少女に促され、彼女たちはおずおずと後ろをついていくように歩いた。

 近づくにつれて、彼女たちは徐々にその白く巨大なものの全貌がわかるようになった。

 そこにあったのは、継ぎ接ぎのない、真っ白な氷によって造られた、大きな鳥の巣状の空間だった。

 よく見ると、その巨大な鳥の巣の中には、いくつもの人型があり、どれも逃げ惑うような体勢や恐れ怯えたような表情をしているようにも見えた。

「なにあれ、恐い」

 絞り出すように由依がそうつぶやくと、アクアがその真っ白な鳥の巣を見つめながら口を開いた。

「でも、もしかしたら、パパとママが」

 言葉の最後が、声が小さくなっていって聞き取りづらかったので、横にいたえりが「なに?」と聞き返すと、それに対して返答しながら身を起こした。

「パパとママ、もしかしたらあそこにいるかも」

「まさか!」

「ちょっと見てくる!」

 えりが驚き戸惑う間に、アクアは言葉を言い終わるか否かというタイミングで立ち上がって駈けだした。

「待って、アクアちゃん!」

 えりたちの制止を振り切り、アクアは一目散に近くの階段を駆け下りた。えりたちは急いで彼女の後を追い、一階に下りると巨大な鳥の巣のさらに間近まで駆け寄った。

その前で呆然と立ち尽くすアクアの傍らまでいき、えりは声をかける。

「ちょっとアクアちゃん。急に一人で走っていっちゃって、ダメじゃない」

 えりの言葉に、気の抜けたように「はい」と返すアクアに、えりは念を押すようにもう一度話しかけた。

「アクアちゃん、勝手に一人でいっちゃダメ。一緒にいよう? ね」

 すると、アクアから思いもよらない返答が返ってきた。

「私はあなたたちと一緒にはいたくない」

「え?」

 アクアから返ってきた声は、つい数分前までの幼く可愛らしい少女のものではなく、どこか冷ややかで、えりたちを突き放すような、先の声よりもやや年が上な声がした。

「アクアちゃん、ちょっと、なに言って……!」

 言葉を最後まで言い切る前に、えりは身体の異変に気付いて、自分の身体を見た。すると自分の腹部に、水のようなものでできたリングが腕ごと嵌められていた。それは水とは思えないほどの硬さと締め付ける強さで、ふと振り返るとえり以外の三人もまた同様に拘束されていた。

「な、なにこれ!」

 驚きを隠せないえりたちの方をアクアはゆっくりと振り返った。その顔は今までよりも大人びて見え、目は冷たく、まるでえりたち四人を見下しているようだった。

 えりたちが今の状況に混乱しながらも、何とか水のリングから逃れようとしていると、アクアが唐突に語り始めた。

「最初あなたたちを見つけた時、どうやってここまで連れてこようかって悩んだわ。だってあなたたち、さっさと出口の方に向かおうとしてたんですもの。でも、水のボールに包んで持ってくるのも結構大変だし、そうかと言って、今みたいにリングで拘束して連れてくるのはもっと難しいだろうしなぁって。やっぱり四人一気に運ぶのは、ちょっと大変なのよねぇ」

「アクアちゃん……」

 えりが消え入りそうな声をやっとの思いで出して少女を呼んだが、アクア自身には聞こえていないのか、止まることも、気にすることもせず、しかも、次第に楽しげに独白を続けた。

「だけど、絶対に逃がさないって、出口にはいかせない、そんなことさせないって思ったの。だって、やっと見つけたニンゲンだもの! 見せしめや成果、練習台のために、いっぱいニンゲンを集めようと思ってたら突然いなくなっちゃって、そんな中やっと見つけた獲物だもの。だから、えりお姉ちゃん。あなたが他の場所も見て回ろうって言ってくれた時は嬉しかったわ。思わず飛び跳ねそうになっちゃった。だって、ここまで連れてくるための手間が一つ減ったんですもの」

 饒舌に語っているアクアに、えりは恐怖と混乱で涙がこぼれ始め、声は震え始めた。

「あなた、一体……?」

 アクアはようやく話すのをやめ、えりの方を向いた。口元には微笑みを浮かべていたが、目の奥では笑っておらず、作り笑顔の中でも酷く冷徹さを覚えるものだった。

「私? フフ、改めて自己紹介するわね。私の名前は〝アクア〟。この世界の水と同じ物質で組成された生命体。因みに、あなたたちの前で流した〝涙〟は私の身体の一部。だから、涙を流すなんて、自由自在。こんなので動かされるんだもの、やっぱりニンゲンって、単純で愚か」

 アクアはそう言うと、「ホラッ」と左目を指さした。するとそのタイミングでツーッと一筋の涙が頬をつたった。しかし、一度目をぱちりと瞬かせると、まるで肌に溶けていくかのように、その一筋の涙は消えていった。

 えりはそれを見て、腰から砕け落ちるように座り込んだ。後ろでも、誰かがバランスを崩してズルズルと姿勢を落としていく音がした。

「ちょっと、由依、由依!」

 瀬里や陽愛が由依の名を必死に叫び、呼び掛ける声がするので、えりは重たい頭を背後に振ると、瀬里にもたれかかるようにして気を失っている由依の姿がそこにあった。

「由依…………由依!」

 悲しみと絶望で動きが鈍化していた脳に、新たな衝撃が入って嫌な方法で覚めてしまった。しかし、その目の前の出来事は悲しみと絶望に変わりなかった。

「あら、由依お姉ちゃん。もしかして気絶しちゃったの? はぁ、脆い」

 アクアの発した言葉一つ一つに感じられる陰湿さに、切なさや憤り、そしてショックなどが混ざり合って、情けなさや悔しさを感じながらも、されど、涙を流すことしかできなかった。その涙は、決してすぐには乾かない。


「ちょっとアクア、なにしてるの?」

 悲しみに暮れ、座り込む四人の姿を見ていたアクアに、少し離れたところから何者かが声をかけた。その声の方を向いて、アクアの表情がパッと明るくなった。

「あ、おーい。アイシア、見てー!」

「え、なになに?」

 アクアが手を振る方を見ると、セミロングくらいのまっすぐ伸びた真っ白い髪が印象的な、中学生ぐらいの雰囲気の少女が二階の手すりから身を乗り出してこちらを覗いていた。

アイシアと呼ばれたその少女は、えりたちを見ると一瞬にして嬉しそうな表情になった。

「やっと見つけたのね? アクアすごい、消えてないニンゲンが本当にいたんだ」

 アイシアは手すりを乗り越えると、瞬時に作った氷のスロープに飛び乗って、器用に上体を起こした姿勢のまま階下のフロアまで滑り降りてきた。アクアはそばまでやってきたアイシアに、自慢するように胸を張って話しかけ始めた。

「だから言ったでしょ? まだ他にもいるって。それと、この人たち以外のニンゲンがいなくなった原因は、恐らく結界よ。だとしたら必ず、結界を張った者がいて……」

 話の途中でアクアはあることに気付いた。

「あら、噂をすれば」

 なにかを感じ取ったのか、アンテナを四方に振ってサーチするように、アクアは辺りを見回してフッと笑った。

 その顔を見てアイシアは問いかけた。

「もしかして、その当人が?」

「んー、多分ね。とりあえず、新たなお客サマが二名来られたわ。さ、迎えてあげましょ?」

 アクアはそう言ってアイシアに微笑みかけると、えりたち四人の足に水のリングでできた足枷をつけた。

「一応言っておくけど、逃げようなんて考えないことね。その枷も、この空気も、私のセンサーみたいなものだから」

 去り際にそう言い残すと、アクアはアイシアとともにショッピングモールの奥へと消えていった。

 その時えりは、おぼろげながらアクアの変化に気付いた。髪が水色になっていて、しかも長さが肩の辺りにまで短くなっていたのだ。

 えりは俯いた。床をぼんやりと眺めながら、声の抑揚に気を配る元気もなく、棒読み気味に声を出した。

「瀬里、由依、陽愛ちゃん。ごめん、私のせいで、こんなことに」

 えりが徐に頭を下げると、陽愛と瀬里がそれぞれ彼女の言葉に首を振るのを感じた。見上げると、そこには目に涙をいっぱい溜めた二人の顔があった。

 もう、なにも言うことはなかった。また、大粒の涙が彼女たちの膝を濡らした。



 えりたち三人が泣き疲れてぐったりとしている頃、導かれるように、一人の少女が例の鳥の巣のある方へ向かっていた。

 辺りを警戒しながら進むその少女は、真っ黒なロングパーカーを着て、靴は重りつきの黒いブーツ、服も上下ともに黒の学ランのようなものを着ていた。

 パーカーの前は開いていて、歩く度にヒラヒラとなびき、腰に提げた二振りの刀が顔を覗かした。

 

 少女の名はルーン。もともと別の任務につく予定だったが、急遽こちらに来ることとなった。


 しばらく歩いていると、前の方から異様な冷気を感じ、ルーンは駆け足でその冷気の感じる方へ向かった。すると、そこで驚きのものを見つけた。それは、真っ白な氷の塊でできたあの鳥の巣だった。

「な、なんだこれは」

 近寄って見ていると、耳につけた無線から声がした。

「もしもし、ルーン。なにか見つけたかい?」

「ヒヴァナさん。こっちに、氷のようなものでできた空間があります」

 ルーンは辺りを見回して、警戒を続けながら同時にその鳥の巣の特徴や周りの様子などをつぶさに観察した。

「氷でできた空間……?」

「はい。氷の柱がいくつも重なって、鳥の巣状になってます。あと、数十人ほどの人間が、その氷の中に……」

 ルーンの言葉に、ヒヴァナは鼻で息を吐いた。

「ルーン、そこが〝奴ら〟の拠点か、あるいは目印(ランドマーク)になっている可能性が高い。十分気をつけるんだ」

「はい、わかりました」

 ルーンとの交信を終えると、ヒヴァナはまた一つ溜め息をついた。

「厄介だねぇ」


 ルーンは交信終了後、被害状況を詳しく調べるため、一階に下りてみることにした。

 近くの階段は、例の鳥の巣から伸びた氷の柱によって塞がれてしまっており、やむなく迂回して別の階段から下りることにした。

 遠回りをしてやっと一階に下りてきたところで、ルーンは鳥の巣のそばで座り込み、ぐったりとしている四人の少女に気付いた。

「結界を張ったはずなのに、なぜ一般人が……?」

 一度、今の状況を報告し、必要であればこちらに合流してもらおうと思い、急ぎヒヴァナへ連絡をとろうとするが、なぜか応答がなかった。それどころか、電源が入っていないのか、無線が通じなかった。

(無線が通じない。なにがあったんだ?)

 ルーンはすぐさま別のところに連絡を入れた。そこは、ルーンたちが所属する部隊の本部だ。無線が繋がり、向こうのオペレーターが出た。

「はい」

「私だ、ルーンだ。急ぎで応援がいる。頼む!」

 早口でまくしたてると、一瞬間があった後、オペレーターより応答がきた。

「了解しました、すぐに応援を派遣します。それまで引き続き要警戒、任務遂行を」

「了解」

 ルーンは無線を切ると、「チッ」と舌打ちをした。なぜならオペレーターのセリフが、応援の人員がまだ準備態勢に入れていない、ということをさす常套句であったからだ。

 だがしかし、事実、今日は人員を割かれるようなイベントが重なったと、ルーンは思った。

 ルーンたちの所属する部隊の本部がある国は王制国家で、今日は王都一五〇年の祝賀行事が行われているため、人員の多くがその行事に駆り出されている。

 尚且つ、それ以外にも小さな事件が二つ三つと同時多発的に起こったため、人手が足りない状況は理解できた。


「応援が来るまで、自分が何とかしなければ……」

 ルーンは刀の柄を両手でつかみ、まぶたを閉じぐっと握りしめて、集中力を高めた。とりあえず、今自分にできることは鳥の巣の近くにいる一般人の保護だ。原因は不明だが、結界内に彼女たちがいるということは、まぎれもない事実だ。

 ルーンは彼女たちの方へ向き直り、そちらへ二、三歩踏み出した時だった。座って項垂れていた少女の内の一人が不意に顔をあげ、ルーンの方を見た。

 その時、二人の視線がピッタリと重なり、その瞬間、お互い雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

 なんと、目の前に自分と容姿がそっくりな人物がいるのだ。

「な……」

「え……?」

 二人とも、あまりの衝撃に言葉にならない声を出すのがやっとだった。目線を逸らすことができず、数秒間、ただ二人は硬直したまま見つめ合った。

 彼女たちにとってはとてつもなく長く感じたその数秒間がたち、静寂を破るように何とか声を出したのはルーンだった。振り絞って出した言葉で、彼女は質問した。

「貴女は、何者なんだ……?」

「…………あ、わ……」

 少し間が空いて、相手の少女の口が微かに動いたが、なにを言っているのかわからなかった。

 聞こえるところまで近づこうと咄嗟に思い、ルーンが半歩前に出た時、未だ怯えながらも、相手の少女が必死に声を出し答えた。

「私は、えり……月島えり」

 ルーンはえりの声を聞いて、その声は怯えて震えているのに、なにより初めて聞く声であるのに、なぜか心が安らぎ、身体から無駄な力が抜けていくように感じた。まるで、遥か以前から会いたがっていた人にようやく出会えたような、そんな心地がした。

 身体の奥からじわりとぬくもりが広がってきて、ルーンは思わずフッと微笑んだ。

「月島、えり……そうか……私はルーン。ルーン・セスト・ドゥニエだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る