第二章 風と雲  … 壱

〈壱〉

 別のフロアで、一人の女性が耳につけた無線をいじりながら歩いていた。

「もしもし、ルーン。ルーン、聞こえるかい? ……やっぱり駄目か」

 青のスキニージーンズに、黒のライダースジャケットを着た姿で、広い通路のど真ん中をブツブツとつぶやきながら一人歩くその女性は、無線をまたいじり、今度は別のところにかけ始めた。

「本部、本部。こちら、ヒヴァナ・マレドナ。応答せよ。本部、本部」

 そう、彼女の名はヒヴァナ。少し前のルーンとの連絡を最後に、彼女はルーンとはおろか、本部との連絡もできなくなっていた。

「マズイねぇ。これは、本格的に厄介だ…………っ!」

 ヒヴァナが無線を耳から外し、肩を落として落胆したその時、急に背後からなにかが飛んでくる気配を察知して、咄嗟に身をひるがえし、立膝をついて低く屈みながらサーベルの刀身を鞘から半分ほど抜いた。

 飛んできた方向はもちろん、背後にも神経を張り巡らして辺りを警戒するが、辺りは気味が悪いほど空気の動きもなく、自分たちが突入した時からずっと流れている店内放送の軽快なミュージック以外、なにも聞こえてこなかった。

(まさか気のせい? いや、そんなはずは。確かにあたしを狙って、なにかが飛んできた)

 ヒヴァナが思案していると、数十メートル離れた物陰からいくつも小さな塊が彼女めがけて急スピードで飛んできた。それを切り落としたりかわしたりしながら、あることに気がついた。

(この飛翔体、もしかして、水? ということは〝奴ら〟は水を操る者?)

 飛んでくるすべての水の弾丸をかわしきったところで、ヒヴァナは物陰に向かって叫んだ。

「ちょいと、卑怯じゃないかい? 隠れたまんまでケンカ売ろうなんて、度胸も糞もないねぇ! ホラ、さっさと姿みせたらどうだい」

 少しの間何の反応もなかったが、待っていると、一人の少女がヒヴァナの前に現れた。肩口まである薄い水色の髪。丸襟のセーラーに黒のスカート。そう、姿を現したその少女はまぎれもなくアクアだった。

「おや、どんな奴が出てくるかと思えば、可愛いチビッ子じゃないか」

 ヒヴァナは楽しげにそう言うと、品定めするように遠目でじっと見つめた。しかし、一方アクアはそんなことは意に介さず、ただ虚空を見つめながら、徐に右腕を真上にあげ、掌を天井に向けた。

「誰になんと言われようと、いくら卑怯だと罵られようと、私たちは私たちのやり方で、私たちの能力(ちから)でやっていく。誰にも邪魔させない。必ず任務を果たしてみせる――」

 アクアが喋っている途中から、遠くの方より微かにカタカタと音が鳴り、それが段々と大きくなっていくと、ついにはどこからともなく水が大量に空中を飛んでやってきて、一か所に集まり始めた。

「――どんな手を、使ってでも!」

 それはみるみる内に巨大化して、しまいにはアクアの頭上で大きな水の球体へとなっていった。

 ヒヴァナはその巨大な水の球体を見上げ、乾いた笑いをこぼした。

「こいつぁ、飛びっきり厄介だねぇ……」

 ヒヴァナが剣を鞘に納め、腰をかがめて身構えた。そこへ、アクアがあげていた右腕をサッと胸の高さまで下ろした。

「ドロップ!」

「っ!」

 すると、その球体から滝のように水が飛び出し、連なってヒヴァナに向かい襲いかかった。寸でのところで後ろに飛び退きかわすが、その水の束は崩れることなく、まるで生きているかのようにヒヴァナの後を追ってバウンドを続けて襲っていく。

(くそっ、これじゃあ埒が明かない。こうなったら……)

 ヒヴァナは少し距離をとるように、後ろへワンステップはさんで飛び退くと、剣を引き抜いた。

「火焔『炎舞』!」

 ヒヴァナが言葉を唱えると、突如彼女の周りに円をかくように炎が出現し、それが炎の渦となって障壁のように相手の攻撃を阻んだ。

 ヒヴァナは勢いよく襲い来る水の束に、何とか踏ん張り、耐えながら相手の出方や次の一手を探った。

(……さぁて、お次は?)

「ぐっ……炎の壁で防いだか……だけどっ」

 そんな最中、アクアは次の一手に出た。今度は左の掌を、なにかを押し出すように前へつき出した。すると、それに合わせていくつもの水の束が頭上の球体から飛び出し、一直線にヒヴァナを囲う炎の渦へと襲い掛かった。

 強い衝撃がヒヴァナの身体にも伝わり、思わず声をあげた。

「あぁっ! くっ、なんて力なんだ……!」

 その時だった。ヒヴァナを守っていた炎の壁を、水の束が突き破って飛び込んできたのだ。そのままヒヴァナは激流に飲まれ、押し流されていく。

 早い流れの中で、何とか体勢を立て直そうともがいていたヒヴァナの視界に、急に壁が映った。突如として現れたその壁は、猛スピードで接近してくる。ヒヴァナは、かわすことはできないと悟り、防御の姿勢に入った。

 「ドゴッ」と大きな音をたてて、ヒヴァナもろとも水の束がその壁に激突した。あまりの衝撃に、ヒヴァナはそこで気を失った。

 

 氷でできた大きな囲いの中に、先程アクアが放った大量の水がまるでプールのように溜まっていた。ヒヴァナが激突した壁はまさにこの氷の壁で、もちろんアイシアによるものだ。

 二人は始め物陰からヒヴァナのことを観察、尾行し、タイミングを見計らって、まずアクアが気を引くために先攻して仕掛ける。それから、大量の水で襲いかかり溺れさせるか、あるいはそのまま押し流す。幸いここには多くの水があり、しかも枯れるということはまずない。

 そして、押し流したその先がアイシアの出番だ。突如出現する氷の壁で流れをせき止め、壁にヒヴァナを激突させることで体力を奪い、あわよくば気絶させる。あとはヒヴァナを、彼女の周りの水ごと凍らしてしまえば、もう勝ったも同然だった。

「さ、アイシア。やっちゃいましょ?」

 氷の壁の上に登って、力なく浮かぶヒヴァナを縁から見下ろしながらアクアが素っ気なく言うと、横で同じように見下ろしていたアイシアがアクアの方を向きながら言った。

「もう少し沈めてくれないと、頭が出ちゃう。全身をちゃんと凍らせたいの」

「難儀だなぁ、もう」

 アクアは不貞腐れながらもヒヴァナの身体を少しずつ沈め、その上から水を被せた。そんなアクアの様子に満足したのか、それとも微笑ましく思ったのか、ニコニコと笑みをこぼすと、今や水中に漂うヒヴァナを、その周囲ごと凍らせ始めた。

「これで、残すはあと一人だね」

「うん、そうだね。もう少しで帰れるよ。アイシア」

「領主様、褒めてくれるかな」

 凍らせる作業を終えた二人は、縁の上で向き直った。そして、アクアはアイシアの手を握った。

「大丈夫だよ。絶対褒めてもらえる。心配ないよ」

「うん」

 アイシアが頷くのを見て、アクアは安心した。

「ほら、次、次! まだ一人残ってるんだから」

 アクアは、アイシアを急かしながら先に氷の壁を下りていった。そんなアクアの姿を見ながら、きっと気後れしている私を彼女なりに励ましているんだと思い、嬉しくも、申し訳ない気持ちになった。

「アクア……」



 アイシアが、空中を掌でなぞるように左から右へ一文字に動かすと、二人の目の前にそびえていた氷の壁が、みるみる、上からサーっと消えていった。すると、水面の高さまで達したのか徐々に縁から中の水が溢れ出し、彼女たちの足を濡らした。

「ねぇ、アクア。もう一人のいる場所はどこ?」

 アイシアが、横にいるアクアの顔を見て尋ねると、彼女は目をつぶって感覚を研ぎ澄ませ、意識を集中した。

「んー、今移動してるみたいね。ランドマークの近くよ」

「なるほど、じゃあ分かりやすいわね」

 二人が会話をしている間に、目の前にそびえていた氷の壁はあらかた消え去り、先程までくるぶしのあたりを濡らしていた水が、今は足元をひたひたと流れるほどになった。

 後に残ったのは、蚕のように氷で覆われたヒヴァナだけだった。

 氷漬けとなったヒヴァナをその場に立たせておいて立ち去ろうとした彼女たちだったが、背中を向けて一歩踏み出した時、アイシアが違和感を覚えて立ち止まり、急いで振り返った。

 しかし、見た目には特別変化はなく、異変は見受けられない。だけど、アイシアは確かになにかを感じた。

 急に立ち止まって慌てて振り返るアイシアを、アクアが不思議そうな表情で見つめた。それに気づいたアイシアは、取り繕うように笑顔を作って首を横に振った。

「アイシア、どうしたの?」

「え、ううん、なんでもない。凍らせ方が甘かったかなって、確認しただけ」

「なにそれ」

 アクアは、苦笑いを浮かべるアイシアに、困ったように笑ってみせた。アイシアは、なんでもない、ただの思い過ごしだと自分に言い聞かせて、心に募る違和感を必死に振り払った。

 それから二人は再び歩き出そうとしたが、その直後、今度はアクアにもハッキリとわかる異変が起きた。

「パキッ、ピキッ」

 氷に小さなヒビが入っていく音がして、アクアとアイシアは驚き、慌てて振り返った。

「なに、さっきの音……まさか、あの氷の音とか、ないよね?」

 アクアの言葉にアイシアは一瞬喉が詰まりそうになったが、何とか声を出した。

 ただ、口から出た言葉は、アクアへの返答ではなかった。

「アクア、ごめん」

「え?」

「さっき、なんでもないとか言ったけど、実は違和感を覚えて、それで振り返ったの」

 アイシアの突然の謝罪に動揺しながらも、アクアは彼女を責めず、冷静を保とうと努めた。

「大丈夫だよ。ほら、凍らせ方をもう少し強めようよ、ね?」

「う、うん」

 アイシアは戸惑いながらも、アクアの提案に乗って、両手を前につき出し、掌をヒヴァナの方へ向けてもう一度氷を固めた。今度はもう少し厚く、強く……。

「はぁ、はぁ……これで、どうかな」

 力の出力をあげればあげるほど体力を使うのか、アイシアは額に汗をかき、小さく肩を上下させた。

 再度凍らせたものの、振り返るのが恐ろしく、二人は一歩、また一歩と後ずさりした。

 「ほら、勘違いだったんだよ」二人がそう笑いあおうと、口を開いた。しかし……。


「ベキッ、ビキビキッ、バキッ!」

 

 今度は確実に、目の前で、蚕の繭のように覆っていた氷が大きな音をたててヒビが入り始めた。

「う、嘘でしょ!?」

「そんなまさか!」

 またもやひび割れはじめる氷の塊に、アイシアはもう一度凍らせようと手を出した、しかし、一向に手ごたえが感じられない。

「駄目、能力(ちから)が効かない。凍らないよ!」

 アイシアは急いで胸の前に手を持ってきて、両方の掌を向い合せた。すると、掌の間の空間がどんどんと冷えていくのを感じた。

「能力(ちから)が出なくなったんじゃない。あの人に通じてないんだ」

 愕然とするアクアとアイシア。彼女たちが見つめる先で、とうとうヒヴァナを覆っていた氷が塊のまま大きく崩壊し始めた。

「ガシャーン!」

 大きな音をたてて崩れる氷の中から蒸気が一斉に溢れ出し、同じく蒸気を全身から発して現れたヒヴァナは、口もとをニッと歪ませた。

「ちょいと、凍らせ方が甘かったんじゃないかい?」

 ヒヴァナから発せられる熱気があまりにも強く、アクアたちはまた一歩後ろに下がった。

 その時だった。アクアはとあるセンサーの一つに大きな反応があったことを感知した。

「ハッ、今……センサーが断ち切られた」

「え、それって、まさか。ランドマークに向かってたもう一人が?」

「うん、きっとそうね。もうっ、こんな時に」

 苛立ちを隠せないアクアと、焦りの色が表情に現れているアイシア。彼女たちの様子をよそに、ヒヴァナは転がる氷の塊をガシャガシャと踏み越えて、氷の繭から外へ出た。

「さて、また二対一で来るかい? それとも一対一? あたしゃどっちでも一向に構やしないけどねぇ」


 少しの間、三人に無言の時間が訪れた。その均衡をアイシアが破った。

「アクア、もう一人の方に行って……」

ポツリとつぶやくようにアクアに向かって言葉を発すると、アクアは目を見開いた。

「アイシア、まさか、一人で?」

「大丈夫。一人ででも、戦える。それに、私だって気付いてるよ。アクアがかけたセンサー、全部断ち切られちゃったんでしょ?」

「それは……」

「だから、行って。こっちは私に任せて」

 アクアとアイシアは、ようやく顔を見合わせた。アイシアの表情は決意を固めたという顔だったが、アクアは心配そうに眉を寄せ、目にはうっすら涙が見えた。やがて、「わかった」と答えると、アクアはヒヴァナを牽制するように睨みながら数歩後ずさりして、それから背中を向けて走り去っていった。


 アクアが去って、足音が聞こえなくなるのを確認してから、アイシアは自分に言い聞かせるように話し始めた。

「アクアと私はずっと、昔から二体一組で行動してた。だけど、もう『二体でも半人前』なんて誰にも言わせない。そして、アクアにも気を遣わせたり無理させたりなんかさせない」


 アイシアの語りを聞きながら、ヒヴァナは剣についた水滴を一振りして払った。

「それで? どうするんだい?」

 ヒヴァナの質問には直接答えず、アイシアは、今度は相手に話しかけるように喋り始めた。

「貴女は、ヒヴァナさんと言いましたよね。私、実は剣術も習ってるんです。でも、なかなかいい相手がいなくて」

 アイシアはそう言いながら右の掌を水平にして顔の前に持ってくると、その掌に向かってフーッと息を吹きかけた。すると、なにもなかったところに白く光る刀剣の形をしたものが出現した。

 それは、握るとパッと姿を変えて、空色に輝くソードへと変貌した。

 ほぉ、と感嘆の声を漏らすヒヴァナをよそに、アイシアは言葉を続けた。

「そこで、ヒヴァナさんに是非、お手合わせ願いたく存じます」

 アイシアの突然の申し入れにヒヴァナはニヤリと笑った。

「あぁ、結構さ。フフッ、いよいよ愉快だねぇ」

 

 とても嬉しそうなヒヴァナの顔を見て、アイシアは唇を噛んだ。しかし、すぐに一呼吸入れるとソードを構えた。

「では、参ります!」

 そして、意を決したようにアイシアは駆け出すと、ヒヴァナに向かってソードを振り下ろした。

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