第一章 来と訪  … 参(さん)

〈参〉

 秋晴れの日曜。高い空は青く澄み渡り、絶好のお散歩日和となった。

 とある駅の西口改札の脇に三人の少女が立っている。彼女たちは各々、時計を見たりスマホの画面を確認したり、周りを見たりしていた。どうやら待ち合わせをしているようだが、一人、友人が来ていないらしい。

 この駅は急行もとまるような大きな駅で、西口と東口、そして北口の計三つ改札口がある。そのうち西口と東口は共に大きなフロントになっており、この駅を頻繁に使わない人は、度々間違えてしまうという。

「あれほど西口に集合といったのに……」

 心配そうな表情でオロオロと周りを見ながら風間瀬里がつぶやいた。

「今日は人も多いし、改札を通してもらえたとしても、あるいは連絡通路で来ても、こっち側に来るのは大変かもね」

「それにしても、意外な人が迷子になったね」


 開店に合わせて集まろうと、九時に西口の改札で集合と彼女たちは話し合った。彼女たちの中で、体調面で一番心配されたのはもちろん月島えりであったが、本人が大丈夫だと言うのでその時間になった。

 当のえりは、本人が言うとおり時間通りに来られたものの、駅を出入りする多くの人に、早くも人酔いをしそうになっていた。

 その隣で苦笑いを浮かべているのは、別の理由で最も遅刻の心配をされていた本郷陽愛だ。

「陽愛が間に合うと、誰かが迷子になったり、遅刻したりするのか」

「なるほど、珍しいことはしない方がいいねー……って、ちょっと!」

 瀬里が真剣そうな顔で陽愛の方を見ながらそう言うと、陽愛はノリツッコミをした。間でそのやり取りを見ていたえりのスマホに、電話がかかってきた。迷子になっている当人、関根由依からである。

「あ、電話。もしもし? 大丈夫?」

「ごめん、場所間違えて。今ようやく西口の改札が見えるところまで来た」

「ほんと? ちょっと待って」

 電話に答えながら辺りを見回すと、えりの視界に由依を見つけた。すると、近くにいたほかの二人も気付いて由依に向かって手を振った。

「あ、見えた! もう大丈夫」

 彼女は連絡通路を抜け、西口改札付近まで下りる階段の途中にいた。三人を見つけると、電話を切ることなく駆け足で階段を下りてきた。

「階段はゆっくり下りて」

 えりたちの心配もそっちのけで、由依は三人のもとへ飛び込むようにやって来た。

「間違えてごめん。遅れました」

「ほんとだよ。でも、誰かにさらわれたとか、事件に巻き込まれなくてよかった」

「心配かけたね」

 ホッとした顔の瀬里に、由依は手を握って冗談っぽく笑いかけた。

「ま、全員そろったことだし、いこうか」

「そうだね」

 ちょっとしたハプニングはあったものの、彼女たちはようやく目的のショッピングモールへと向かった。


 そのモールは駅から歩いて十分とかからない場所にあり、また広い敷地を有する駐車場に立体駐車場、屋上の駐車場もあるので、とにかくアクセスには困らない。

 さらに、このモールは映画館やその他の商業施設が当然のように併設されていて、まさしく複合型ショッピングモールといったところだ。

「ここって、確かペットショップにドッグランとかもあったよね?」

「うん、あるよ」

「駐車場の方だっけ?」

「そうそう。ここからだと反対側にあるみたい。途中でよろうね」

 雑談をしていた由依が視線を前に移すと、もう近くにそのショッピングモールが見え、思わず「あっ」と声が漏れた。

「実際に来てみると、思ってたより大きいね、建物」

 徐々に近づいてくると、よりその建物の大きさがわかるようになってきて、ネットで地図を確認しながら歩いていた彼女たちは立ち止まって見上げた。

 灰色に塗られた真四角の近代的な建物が、駅から続く緩やかに傾斜した遊歩道の先にそびえたっていた。建物の最上部はイメージカラーである明るい紫の色で塗られ、そのショッピングモールのロゴがその色のついた場所にデザインされていた。

 人の流れに乗って遊歩道をいくと、自分たちは建物の側面を回り込んで、駅側から駐車場側へ出たことに気がついた。

「あ、駐車場側に来ちゃった」

「いいじゃん、折角だし正面から入ろうよ」

 先頭を歩いていたえりに、由依が声をかけた。振り向いて頷くえりの隣で、陽愛は小さく声をあげた。

「あ、見て! 庭園みたいな広場がある」

 他の三人も彼女が指し示す方を見ると、確かに大きな木や、青々とした芝生、そして微かに小川のようなものも見えた。それを遠目に見て、瀬里は感慨深そうにつぶやいた。

「ネットの地図にあった広場はあれなんだ」

 さらに進んでいくと、その庭園を囲むようにしてオープンテラスやガラス張りの正面玄関と四列のエスカレーターがあり、そして、奥には全面ガラス張りのドームが続いており、そのドームの中にはカフェやその他ショップが並んでいた。

「まるでテーマパークだね」

 瀬里が独り言のようにつぶやくと、そばにいた三人は小さく頷いた。どこから入るか少し迷ったが、四人はとりあえず正面にある大きな入口から中に入ることにした。



 ショッピングモールへ入っていく家族連れやカップルなど大勢の人だかりを、駐車場の方から遠巻きに眺めている二人組がいた。

 一人はセミロングの白っぽい髪をさらりと風になびかせ、涼やかに立っていた。もう一人は薄い水色の髪で、肩口まであるその髪はまるで水を含んでいるかのようにツヤツヤと潤っていた。

 服装は、季節は秋へと変わり涼しくなってきたこの時期に、長袖であるものの生地は薄手で、尚且つ防寒具は持っていない様子であった。襟は丸く、そこから覗く黒い帯紐は首もとで蝶々結びにして垂らしており、下は黒のスカートをはいていて、まるで女学院を思わせるようなセーラー服姿でいた。

 その二人組は中学生くらいの少女の形態をしていて、見た目はもちろん、声や仕草なども女の子然としていた。

「アクア、冷静にね」

 白い髪の少女が、水色の髪の少女を「アクア」と呼んで、そっと忠告した。すると彼女は笑いながら、呆れたような口調で返した。

「まったく、アイシアってば。私たちの任務は、我々の存在をこの星の者たちに知らしめることよ? そして、自分たちは支配されるか排除されるかの、そういう存在なんだってことを思い知らせるのが目的なのよ」

 アクアから「アイシア」と呼ばれた少女は、先程までの涼やかな表情から一転、申し訳なさそうな顔で俯いた。

「うん、わかってるわ」

「なに、じゃあ、領主様が信用できないとか? それとも、この任務自体が嫌?」

 アクアはアイシアの方を向いた。アイシアも彼女の目を真正面から見た。アイシアの目に曇りはない。いや、むしろ鼻から心配などしてなかった。アクアは知っている。アイシアは昔から何事も落ち着いて判断するような子ではあったが、意思がぶれるようなことはなかった。

「そんなことはないわ。ただ、着実に、完璧に任務を遂行しないと、って。そのためには、冷静になって行動を――」

「大丈夫よ、そんなに固くならなくても。私たち二人ならどんな任務だって成し遂げられるわ」

 アイシアの言葉を遮って、アクアは励ましながらやや強引に彼女の手を握った。しかし、照れくさくなって途中で顔をそむけた。

 すると、横から照れくさそうな声が返ってきた。

「ありがとう、アクア。恥ずかしくて、私、溶けちゃいそう」

 彼女たちはお互い頬を赤らめ、アクアは焦って手を離し、先を歩き始めた。

「もう、バカ! いくわよ」

「うん」

 こうして彼女たちもショッピングモールの中へと入っていくのであった。

 


 しばらくした後。

「結構歩いたねー」

「思ってたより、目移りしちゃったからね。ちょっと休もっか」

 えりたち四人は、パンフレットを見ながら気になるお店をどこからいくか話し合って、そのお店の多くが二階のフロアに点在しているということから、先に二階から歩き回っていたのだ。しかし、あまりにもフロア全体が広く、三分の二をいったところで歩き疲れてしまい、一度休憩することにしたのだ。

「そうだね。あ、あそこにフードコートあるよ」

 えりは前方を小さく指し示した。そこには、お昼前にも係わらず、多くの人で賑わっていた。すると瀬里や由依たちがホッとしたような声を出す。

「よかった。じゃあ、先お手洗いいくね」

「私もいく」

「えー? じゃあ、私もいく」

「普通に四人でいこうよ」


 結局四人でお手洗いにいき、しばらくしてからそろってフードコートへ戻ってきた。そこで、彼女たちは目前の光景に言葉を失った。

 つい数分前まで通路にまで人があふれ、それぞれのブースの前も人が一人すれ違うのも容易ではなかったほどに、休日で訪れた買い物客でごった返していたフードコート内や、そこから見える通路に誰も、そう人っ子一人いなかったのだ。

「え……これって、どうなってるの……?」

「怖い……ほんとに、誰もいないのかな?」

瀬里と由依がフロアを恐々見回していると、後ろにいたえりが口を開いた。

「わからないけど、火事とか、なにかあったのかもしれない。他にも人がいるかも知れないし、見て回ろう」

 店内放送で火事などを知らせるようなアナウンスが流れていない点などを鑑みるに、そういった事件や事故が起きているとは考えにくいが、それ以外で現実的に今のこの状態を説明できることは、彼女たちには思いつかなかった。

 恐る恐る、ゆっくりと辺りを見回しながら歩く彼女たちだったが、どこを見渡しても人の陰はなく、その上、人の話し声や歩く時の靴の音、あの活気だった賑やかな喧騒はなく、ただ店内に流れる晴れやかなアップテンポの曲だけが聞こえていて、それが逆にこの現象の異常さや空虚さを際立たせていた。

「誰かー! 誰かいませんかー!」

 瀬里が声を張って叫ぶが返答はなく、ただ、この静けさの中に空しく消えていくだけであった。

「こんなことって、有り得る?」

「あ、そうだ! スマホで警察呼ぼうよ」

「あ、そうか。そうだね、陽愛ちゃん」

 名案を思いついた、と言わんばかりに急いでスマホを取り出した陽愛であったが、画面の表示を見てすぐに肩を落とした。

「ううん、ダメ。圏外になってる」

 その言葉を受けて、三人が一斉に自分のスマホを確認する。しかし、三人のスマホも同様に圏外になっていた。

「えぇ、みんなも? そんな、どうしよう……」

「ちょっと、由依。しっかり」

 ショックを受けて床にしゃがみこむ由依に瀬里が寄り添って肩をさすった。そんな二人を見ながら、えりはどうにかしなければと考えた。

(どうしよう。由依はいつも明るく振る舞ってるけど、その実、本当は大きなショックとかに弱い。だから、早く何とかしないと由依だけじゃない、二人もパニックになっちゃう……早くどうにかしなきゃ。早くここから出て。ここから……)

「そうだ、そうだよ!」

「え、なに?」

「エリ、どうしたの? 急に」

 突然大きな声を出したえりに、他の三人は驚いて彼女の顔を見た。えりはその三人の顔を見ながら慌てたように話し出した。

「そう、ここから出られたらいいんだよ。まだこの建物から出られないかどうかはわからない。だから、それを試してみようよ」

「えりちゃん、つまり?」

「つまり、出口にいってみよう」

 ガッツポーズをして、力説できた気になっているえりの姿に、膝を抱えて座っていた由依が顔をその膝のところにうずめて肩を震わせ始めた。

「どうしたの? 由依」

「ごめん、私変なこと言ったかな」

 瀬里やえりたちが心配する中、にわかに顔をあげて、由依が笑いだした。

「もう、えり。急いで喋ると回りくどいよ。笑える」

「え、笑ってたの?」

 つられて笑い始めた瀬里たちを見て、えりは拗ねたように口をとがらせた。

「もう。いくよ」

 今いる場所から一番近い出入り口はどこか地図を見て確認すると、どうやら初めに入ったあの出入り口まで戻らないといけないことがわかった。仕方なく彼女たちは地図を頼りに来た道を戻ることにした。


 しばらく歩いていると、彼女たちは通路の真ん中で膝を抱え、そこに顔をうずめて小さく丸まりうずくまっている、一人の少女を見つけた。その少女は、キュロットと袖にフリルがあしらわれた七分袖の服を着ていて、艶のある黒髪は、丸まった背中を通って床まで垂れていた。少女の姿に四人は一瞬ヒヤリとしたが、すすり泣く声が聞こえ、心配に感じたので声をかけて近づくことにした。

「ちょっと、声かけた方が良くない?」

「えぇー?」

 みんなと目配せしたえりは、何となく指名されている感じがして、不服に思いながらも仕方なく少女の方に向き直り近寄って声をかけた。

「ねぇ、あなた。大丈夫?」

 少女は肩を小さくビクリとさせ、ゆっくりとえりたちの方を向いた。腕の陰から覗いた顔は白く、ずっと泣いていたのだろう、赤く充血して腫れた目が余計に際立った。

 数秒見つめ合ったかという時、緊張の糸が途切れたのか、少女の目から栓が壊れたかのごとく大粒の涙が溢れ出し、そのまま飛びつくようにしてえりの胸元へ抱きついた。

「え、なに、なに? どうしたの?」

「怖かったんだね。もう、大丈夫だよ」

 えりや由依が声をかけてみるものの、時折嗚咽を漏らしながら泣くばっかりで、えりたちはとりあえず、少女が落ち着くまで少し待つことにして、それから事情を聞いてみることにした。

 膝に抱えたまましばらく背中をさすっていると、徐々に落ち着いてきて、ゆっくりと深呼吸を始めた。まだ小学生くらいの小さな体、細い肩が、呼吸に合わせて大きく上下した。

 瀬里がえりの横に座って少女に話しかける。

「大丈夫? 怪我とかしてない?」

 すると少女は、涙を指で拭ってから首を横に振った。それを見て一同はホッとして笑みがこぼれた。

「そっか、よかった。ところで、あなた一人? 他の人は?」

「……パパと、ママと、来てたんだけど、トイレから出てきたら……」

「誰もいなかったんだ」

 途中で言葉を失って俯く少女の話を継いで、えりが口を開いた。少女はただ、そっと頷くだけだった。

 えりはなにか考え込むように、俯いたままの少女のことをじっと見つめると、急になにかを思い立ち、そっと少女を自分の膝から降ろした。そして、軽く膝をポンとたたくと「よし」と声を出した。

「じゃあ、あなたのお父さんとお母さん、一緒に探そう」

 えりの発言に、少女は目を見開いてパッと顔をあげた。瀬里や由依たちも「えっ」と声を出して驚いた。

「もしかしたら、親御さんはいなくなってなくて、はぐれちゃっただけで今も別のところを探してるかもしれないし。それに、私たち以外にもまだ誰かいるかも知れないから」

「うん、そうね。もしかしたらご両親見つかるかもしれないし、そうしましょう」

 陽愛が手をたたいて賛同すると、他の二人も「うん」と頷いた。その様子を見て、少女はパッと笑顔になった。

「ほんと? ありがとう! じゃあ、早く探しに行きましょ」

 さっきまでの涙が嘘だったかのように明るくなった少女は、飛び上がるように立つと急かすようにえりの手を引っ張った。少し前までよっぽど心細かったのかもしれないと思って、四人は顔を見合わせながら困ったように笑った。


 少女を先頭にして歩きながら、彼女たちは簡単に自己紹介をしあった。

「私はえり、隣のお姉さんが瀬里で、その後ろにいるお姉さんが由依。それから」

「知ってる。あのお姉さんは、ヒメでしょ?」

「さすがにわかるか。さっきから名前呼んでたし」

 由依の言葉にえりたちが笑っていると、えりの腕を少女が揺らした。

「ねぇねぇ、なんであのお姉さんだけ〝ヒメ〟って呼ばれてるの? お姫様なの?」

 少女の質問に、えりたちはお互いが初めて出会った頃のことを思い出した。自分たちも、かつて似たような質問をしたことがあった。

「ううん、私の本名が、ヒメって言うんだよ」

「そうだったんだ。珍しい名前なのね。アタシと一緒!」

「ほんと? なんて言うの?」

 陽愛が尋ねると、他の三人もにこやかに少女を見る。少女は楽しげに、そして勿体ぶるように、口もとに両手を当てて「フフッ」と笑い声を漏らした。

「なに? どうしたの?」

「だって、恥ずかしい」

「えー。大丈夫、笑ったり茶化したりなんかしない。だから、ね、教えて?」

 恥ずかしがる少女に、えりたちは手をあわせて懇願する。

 少女はちょっとの間、上目遣いで彼女たちのことを見ていたが、小さく頷くと徐に口もとから手を離し、そっと背筋を正した。

「アタシの名前はね? アクアって言うの」

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