第一章 来と訪  … 弐(に)

〈弐〉

 土曜日の午前十時ごろ、病院のロビーはすでに少し混んでいて、三人掛けの椅子はどれも埋まっているようだ。診療は朝から受け付けがされているので仕方がないかもしれないが、もう少し早く来ればよかったと反省した。

 ロビーで待っている人の多くは、角の二か所に置かれたテレビをじっと見ていた。テレビにはニュース番組が映し出されていて、月島えりも何となくテレビを見た。テレビではちょうど新しいニュースを読み始めたところだった。

「警察によりますと、本日未明、怪しい物音や不審な人影を目撃したという、住人からの通報があったそうです。その現場付近では不自然に切り落とされた枝が道路の上に散乱していたり、また、アスファルトには、数センチ程度のものから数メートルにも及ぶものまで、なにか鋭利なもので傷付けられたような跡が数十か所ほど残されていたりと、数々の痕跡が確認されております。そこで、現在警察では辺りを巡回して警戒するほか、これ以外にも普段と変わったことがないか付近の住人に聞き込みを行い、捜査を進めているようです」

 映像が切り替わり、画面には実際の現場の様子が映し出された。そこは一見閑静な住宅街であったが、警察の車両がいくつか止まり、付近には立ち入れないよう、規制線が張られていた。「立入禁止」の黄色いテープの向こうでは警察官や鑑識の人が何人もいて、なにかを話し合ったり、道路を指さしたりしていた。チラリと映った車道の上には、確かに長さや大きさの違う街路樹の枝がいくつも散乱していて、その上アスファルトにはいくつも傷がついているのがわかった。

(そんなことがあったんだ。すごく騒然としてる。なんだろう、ちょっと怖いな)

 えりはそっとテレビから目を逸らした。そのまま奥の壁に設置された、まるで電話ボックスにある電話機のような形をした機械の前まで来ると、上部にあるタッチ式の画面を操作して、その真下に空いた穴に診察券を挿入した。すぐに吐き出された診察券を受け取ると、また画面を触って診療科目を選択し担当の先生を選んだ。担当はいつも同じ馴染みの女の先生に診てもらっている。

 画面の真ん中に「しばらくお待ちください」という表示が現れた。これは整理番号を発券する機械で、診察券を通した穴の下にはそれよりも少し幅のある細長い穴があって、数秒ほどすると、そこから整理番号が印字された感熱紙が出てくるのだ。

 発券された整理番号を受け取るとえりは階段を二階に上がった。目的の部屋の前まで来ると、いくつか廊下に並べられた椅子の一つにちょこんと座った。奇しくも、先に順番待ちをしている者はおらず、えりは心の中でホッと息をついた。

 スマホを取り出し、チャットのアプリを開いた。先日、陽愛も参加できることがわかり、もとから賑やかなグループチャットがさらに盛り上がっている。いつどこに集まりどうやっていくか早々に決めると、どういうショップがあるのか、スイーツショップはなにがあるか、いく前から気分を盛り上げ、期待に想像を膨らましていた。

(楽しみだなぁ)

 グループ内の会話を見返していると、到着してから数分もしなかっただろうか、すぐに中から看護婦が現れて彼女の名前を呼んだ。

「月島えりさーん」

「あ、はい。私です」

「はい、中へどうぞー」

 部屋の中へ入ると、看護婦に促されて脇に置かれたバスケットに、持っていたカバンや上着の類を入れた。

 直前まで三台のパソコン画面を確認していた先生が、えりに向かってニコリと微笑んで「おはよう」と言う。えりも先生に「おはようございます」と挨拶して椅子に座った。

 挨拶もほどほどに、先生は早速聴診器で呼吸や心音などを確認すると、「うん、オッケー」と言った。

「前に来たのは半年前くらいか。その時と比べて顔色良くなったように見えるけど、どう? 体調は」

「何となくなんですけど、先週くらいから、すごく良いです。今まで、朝早く起きられてもその後動けなかったり、学校にいけても一限には出られなかったりしてたのに、今では起き上がって直ぐに動きだせるし、周りの子と同じように一限も問題なく受けられるんです。あと、身体が軽くなった感じがします」

「身体が軽く?」

「はい、きっと気分的に軽くなったのかなって思います。毎日体重計に乗ってるんですけど、ほとんど変化がないので」

 先生はよしよしとえりの頭を撫でて、「そこまで言わなくてもいいよ」と笑った。

「呼吸とか心音もだいぶ良くなってるように思うし、いい傾向だね。ちょっと薬減らしてみようか。それで、一度様子見ようね」

「ほんとですか。よかった、良くなってるってことですよね?」

「うん、良くなってる。でも、油断は禁物だからね? 今日から連休に入るけど、今まで通り、激しい運動とかしたらダメだからね。はしゃいで倒れましたなんて、洒落にならないよ?」

 先生は画面になにかを打ち込み、また、書類にサラサラと何やら外国語らしき言葉を書き込むと、一度えりの方に向き直り目を見て注意をした。えりは「はい」と頷き、「もちろんです」と続けた。

「ま、えりちゃんなら大丈夫だと思うけどね。――じゃぁ、身長と体重計りにいこうか」

 身長や体重の測定を終え、受付窓口によって薬局に手渡すための書類などを受け取ると、ロビーを通って出口に向かった。先程のニュース番組はすでに終わり、バラエティー番組が流れていた。

 先生に「良くなっている」と言われて気分が良くなったえりは、足取り軽く、揚々と家路についた。

 いよいよ明日は瀬里たちと例のショッピングモールにいく日だ、そう考えるだけでも余計に心は高鳴るのだった。

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