第一章 来と訪 … 壱(いち)
〈壱〉
穏やかな朝。カーテンの向こうからは鳥のさえずる声が聞こえ、そのカーテンの隙間から漏れる白い光は、綺麗に整理整頓された小さな部屋に柔らかく満ちていた。
窓際に置かれたベッドの上で、一人の少女が静かに目覚めた。枕もとに置いてある目覚まし時計は六時四五分を差していて、その時計のアラームは五分後に鳴るようセットされてある。
彼女はいつも目覚ましより早く起きてしまう。だがそれは嫌ではなくて、むしろ時計に勝った気がして気分が良かった。ベッドの中で一度伸びをしてから、サイドテーブルの上のリモコンに手を伸ばした。
「ピピッ」
スイッチを押すと軽やかな電子音がして、部屋の電気が緩やかに点灯した。ゆっくりと体を起こしベッドから出ると、カーテンを開けた。彼女の動きやものの動作、それらはまるで彼女自身を慣らすための準備運動のようだった。
それもそのはず、もともと彼女は身体が弱く、特に朝は激しい運動や急激な行動はいつも避けているのだ。ただ、できることなら思いっきり走り回ったり身体を動かしたりしたいと願っていた。
制服に着替え廊下に出ると、一階にあるリビングから微かにテレビの音声が漏れ聞こえた。
リビングまで下りてくると、ちょうど朝ご飯が食卓に用意されたところだった。テーブルをはさんで向こう側に母、手前には父が座っている。
「おはよう」と挨拶を交わし席につくと、彼女の母が「大丈夫?」と様子をうかがった。いつものことだ。と、彼女は思いながら苦笑いした。
「朝から学校、いけそう? 無理しなくていいからね。しんどくなったら、いつでも保健室にいって休むのよ」
「わかってるよ。もう子供じゃないんだから」
パンを一口かじって、「それに、今日はいつもより調子がいい」と言いかけたが、口の中のそれと一緒に飲み込んだ。「過信は良くない」と言われるのは目に見えていた。
「えりはもう高校二年生なんだ。大丈夫だ」
〝えり〟とは彼女の名前で、月島家の一人娘だ。
目玉焼きに醤油をかけながら、誰に向かって言うでもなく父が独り言のように言った。元気づけるような言い方だったが、下を向いたままだったので、まるで目玉焼き向かって言い聞かせているように見えた。
母と違い、父は割と淡白で、そのせいか不思議と友達やテレビなどから聞くような、父に対する反抗期や嫌悪感はさほど顕著には出ていない。そのため、父にこう言われても嫌な気はしなかった。
チラリと隣に座る父の顔を見る。飄々とした表情の父の目は、テレビに映る天気予報を眺めていた。
食事を済ませ支度をすると、父は先に家を出た。少ししてえりが母とともに現れた。玄関先の鏡で身なりをチェックして髪型を整える。
「いってきます」
扉を開け外に出ると、穏やかな日差しと涼やかな風が頬を撫でた。どんどん秋らしくなる世界に、変化に、秘かに胸が躍った。
それはなぜなのかわからない。単純にその気候が好きだからなのかもしれない。もしかしたら、なにか自分自身や自分の周りで思いもよらないことが起きるのかもしれない。
「きっと大丈夫」
遠く青い、澄んだ空を見上げ大きく息を吸い込んだ。背中を押すように、またそよ風が吹いた。
学校につくと、正面玄関を横切って生徒用の靴箱がある入口へ向かい、今日はそのまま教室を目指すことにした。普段であれば、学校へ来るだけで疲れてしまい、一限目の間は、まっすぐ廊下をいった先にある保健室へいっていたのだ。
教室のある二階へ向かおうと階段のある廊下の中ほどの角で曲がると、ちょうど階段から二人の同級生が下りてきていた。一人は風間瀬里。彼女は女子の中では背が高い方で、卵のように丸く、且つ目鼻立ちの整った顔をしている。もう一人は関根由依。三つ編みにした後ろの髪を後頭部で輪にした、ハーフアップをアレンジした髪型が彼女のトレードマークだ。それ以外の髪型を、少なくともえりは今までほとんど見たことがない。
彼女たちはえりと同じクラスで大の親友だ。えりが右手をあげて声をかけようとした時、それよりも先に瀬里たちがえりに気付き駆け下りてきた。
「おはよう、えり!」
「おはよう」
「二人ともおはよう……って、どこいくの?」
駆け寄るようにやってきた二人は、そのままえりを連れて保健室のある方へ歩き始めた。しかし肝心のえりが二人を引き留め、キョトンとした顔を二人に向けるので、瀬里たちも不思議そうな表情を浮かべた。
「どこって、保健室だけど」
瀬里の言葉に由依も頷いてみせると、えりはふふっと微笑んで首を小さく横に振った。
「今日はいかないよ。なぜか不思議なんだけど、いつになく調子が良いの」
瀬里たちは改めてえりの姿を見て、確かに普段よりも発色のいい肌に、いつもより少し明るく元気そうな姿を見て、「うん」と頷いてみせた。
「でも無理しちゃ駄目だよ? しんどくなったら、すぐ休むか保健室にいくのよ」
「やだ、由依。お母さんみたい」
わざとらしく眉をひそめると、瀬里たちはそれを見て笑いだし、えりもつられるように一緒に笑った。朝から、しかも声を出して笑ったのはもしかしたら初めてかもしれない、とえりはふと思った。体の内からどんどんと力が溢れ出てくるような、そんな感覚が彼女の中でしていた。
「ところで〝ヒメ〟ちゃんは? 教室にいるの?」
〝ヒメ〟とは彼女たちの友人グループの一人で、あだ名の由来は見た目がおっとりとした雰囲気であることから、〝お姫さまのような子〟ということで〝ヒメ〟と呼んでいるのもあるのだが、実は名前が本郷陽愛とかいて〝ホンゴウヒメ〟と呼ぶので、本名がそのままあだ名となったのである。えりたちは普段、その陽愛を含めた四人で過ごしている。
「あぁ、陽愛な……あの子はまだ来てないだろうなぁ」
「メールも来てないし」と由依が少し呆れた顔をすると、瀬里も苦笑いを浮かべる。
「朝、私たちが来た時にいなかったし、それからこの階段で陽愛ちゃんに会ってないのを考えると、今日はギリギリかな」
その時、瀬里があることを思い出して、えりに話を切り出した。
「そうそう、えりはシルバーウィーク空いてる?」
「うん、空いてるよ……?」
「よかった。あのね、隣の市に大型ショッピングモールが先日オープンしたんだけど、一緒にいかない?」
そう言えば昨日の夜、ニュースでその新しくできたショッピングモールの取材模様が流れていたと思い出した。そして、そのニュースを見ながら、きっと瀬里や由依のどちらか、あるいは二人共が誘ってくるだろうなとぼんやり思ったことも。
階段の踊り場で立ち止まり「ふふっ」と思い出し笑いをすると、瀬里たち二人が「どうしたの?」と振り返って彼女を見た。えりはなんでもないとかぶりを振ってみせた。
「私もみんなと一緒にいきたいと思ってたから、もちろんいくよ」
えりたちは、早く陽愛にも予定が空いているかどうか聞きたくて仕方がなくなった。遊びの誘いはもちろん、ショッピングモールを観にいくという誘いは、実際にいけるかいけないかは別にしても、彼女はきっと賛同するはずだからだ。そしてすごく喜ぶに違いなかった。
「こういう誘いは敢えて直接話したいね」
「きっと喜ぶだろうね、陽愛ちゃん」
瀬里とえりが楽しげに話す中、由依は携帯を確認しながら、小さく溜め息をついた。
「なんでこう言う時にギリギリなのかねぇ、あの子は」
えりたち三人が教室についた頃、予鈴のチャイムがなり、同じ頃、陽愛はようやく学校につき靴を履き替えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます