第6話
「やっぱり夜に泳ぐのはいいなぁ〜…。」
深夜、眠った海に私の独り言が響いた。
やっと泳ぐ気になれた私はみんなが寝静まった後こっそりと部屋を抜け出し海へ出てきたのだ。しかしよく考えたら見廻りか誰か来るかもしれない。仕方ないので少し深海へ行くとしよう。私は静かになれる海底が好きだ。まぁ、海底と言えるほど深くまで行けている訳では無いが私は自分が辿り着けた1番の深海を海底と呼んでいる。毎日練習しているもののなかなか息が続かないので4分が限界だ。つまり3分間できるだけ海の奥へ奥へ潜り残りの1分で全身の力を抜き一気に海面へ戻る。これがどうにも楽しい。中学生の頃意識を失って病院に運ばれたこともあるが。
さて、今日はどこまで行けるだろうか。
大きく息を吸って肺に大量の酸素を送り込む。そしてぐっと喉に力を入れて一気に潜り込む。身体中が水に抱きかかえられるような感覚。
もっと、もっと遠くへ。
暗い海の底は冷たくよく見えないが綺麗だと思った。うん。悪くない。
大丈夫だ。やっぱり私はここが──。
その時、蒼く暗い海の底にゆっくりと何かが降り立った。その人は死んでいるように瞳を閉じて浮かぶように落ちてきた。
「………伊月、先輩……?」
思わず伸ばした腕の肘につけたサポーターが月の光を浴びて眩しく光った。
「伊月先輩が風邪を引いてしまい今別室で安静にしてますぅ。看病は私と顧問が交代でするので大会が近い人は近づかないようねぇ。」
朝のミーティングで曇った顔のまりん先輩は部員達にそう告げた。たしかに顧問の姿が見当たらない。今は顧問が看病に当たっているのだろう。
「ごめんねぇ。まったくマネージャーの癖に何やってんだかぁ。…じゃ、練習開始しようかぁ〜!」
各々が離れた場所で準備体操を始めた時、まりん先輩が私を見てこっそりと手招きをした。屈伸をやめまりん先輩の元へ足早に駆け寄る。
「どうしました?」
「…あのねぇあまはちゃん。これ…言っていいのか分かんないんだけどぉ…。あまはちゃん純先輩と仲良いから何か分かるかなぁと思ってぇ…。」
「……何でしょう?」
仲良い発言は心外だがまりん先輩にしては妙に歯切れが悪いので少しヒヤリとした。
「実はねぇ…純先輩、昨日の夜砂浜でびしょ濡れになって眠ってたのぉ。嘘じゃないよぉ!?あたし昨日の夜どうしても寝れなくて自販機に水買いに行ったら海辺に人影が見えたから近寄ったら純先輩だったのぉ!」
まりん先輩はほとんどパニックのようにまくしたてて話した。折角、私だけを呼んでくれたのに部員達に丸聞こえで皆こちらを見てざわつき出している。
「…落ち着いてください。分かりますから。」
「あ…ごめんねぇ…。それで…急いで顧問呼んで2人で部屋まで運んだんだけどぉ…。
純先輩、泳げないって言ってたのに変だなぁって思ってぇ。もしかして幽霊がおびき寄せたのかなぁ!?だったらどうしよぉ。純先輩死んじゃうよぉ…。」
まりん先輩は私に抱きついてすすり泣いた。
「…伊月先輩って、泳げないんですか…?」
震えるまりん先輩の背中を撫でながら聞くと
「そうだよぉ?なんか蕁麻疹が出ちゃうらしくてぇ…。今もすごい痛そうだもん…」
まりん先輩は私の胸に頬をすりながら甘えるように言った。
"伊月純が溺れていたところを姫が助けた"
この噂はたちまち話題になった。
「人工呼吸とかしたらしいぜ。」
「マジで?いいなぁ。俺も溺れようかなー。」
「ばーか。お前が溺れたところでだよ。あいつら美男美女なんだぜ?お似合いカップルだよ。」
「けっ!看病とか言って部屋で何やってんのか分かったもんじゃねーぜ、なぁ?」
「やめろって〜ぎゃははは!」
噂はあることないこと広まっていき合宿に来たのにも関わらず大会のメンバーはすっかり集中力を無くしてしまっている。顧問がいないのをいいことにプールサイドで胡座をかいて下品な話を大声でしているメンバーを尻目に私はプールに飛び込んだ。私はそもそもそんな話、興味が無い。伊月先輩が誰と付き合っていようと別に…。そもそも本当に付き合っているのかも怪しい。だって溺れていたのを助けたのは──。
「…おい!何してんだよ!」
突然、誰かの怒鳴り声が聴こえた。
水面から顔を出すと伊月先輩がプールサイドに居た部員を一喝しているところだった。
「い、伊月!大丈夫なのかよ…?」
「風邪なんかすぐ治る。お前らがそんなんなら俺が大会出ようか?練習もしないってことは不安なんだよなぁ〜?」
「ば、ばーか!ちょっと休憩してただけだろ!お前なんか出たら秒で負けんだろーが!任しとけよ。」
伊月先輩は笑いながら頼りにしてるぜ、と言って部員達の背中を叩いた。部員達も満更でもなさそうに微笑みながらプールへ飛び込んで行った。
…すごいな、あの人は。
改めて、思った。
部全体の空気が悪くならないように、でも、するべき注意はきちんとする。それもやる気を削がないように。
無意識に伊月先輩を見つめてしまっていると伊月先輩とがっちり目が合った。
「……あ…。」
話しかけられる、と一瞬胸が高鳴ったが伊月先輩は何も言わにず踵を返しその後ろにまりん先輩が伊月先輩に話しかけながら二人はプールを出て行った。
"美男美女なんだぜ?お似合いカップルだよ。"
全身が鉛のように固く、重くなりしばらくその場から動けなかった。
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