第7話 座禅で精神をタタキ直すぞの巻

 博多が運転するマイクロバスに乗って、九人が向かったのは、山奥というほどではないが、そこそこ奥にある怪しい寺である。


「まずは諸君の精神を鍛えることからだ。よって座禅をする」


 博多はそう言って、知り合いに黒隠(こくいん)なる僧侶がいるので、彼の寺に案内するという。学校からもそう遠くではない。


「こんなところに禅寺があったんですね」


 バスに揺られなから空山が言う。


「禅寺?」


 博多は何のことだか分からないようだ。


「いや、座禅をやるんだから、禅寺でしょ」

「おお、そうだな。さすがぼっちゃん。教養がありますな」


 空山は何だか不安になった。

 実際に着いてみると、なかなか立派な寺院の建物であった。木造でありながら、そんなに古くはなさそうだ。ただ、周囲は深い森に囲まれているので、世間から隔離されている感はどうしてもある。大きな門を抜け、玄関から建物内に入ってみたが誰もいない。


「おおい、ごめんください!」


 博多が声を張り上げる。すると、奥の方から割と体格のよい、頭を剃った僧侶が出てきた。


「おお博多さん、もう来たか。今私しかいなくてな。あ、この九人が野球チームね。よろしい。皆さん、私がこの寺の主、黒隠と申す者です。さあさあ、上がって下さい」


 全員、大きな畳の部屋に通された。天井も高い。見上げると縦横に走る太い木材が見える。装飾はあまりないが立派だ。一方、博多はさっきからしげしげと黒隠を見ている。


「黒隠さん、最近体を鍛えられましたか?」

「おお、よく気がつきましたな。最近ボルダリングというやつを始めて、あれはなかなか面白いですぞ」

「ううむ、タギっ……」


 慌てて黒隠が遮る。


「博多さん、今その話はナシです……少年達もおりますからな」

「しかしタギって……」

「博多さん!」

「……分かった。なるべく考えないことにする」

「では皆さん、座禅の体制になりましょうか」


 九人が等間隔に並んで座るように指示される。正座ではなく、あぐらのような形で座る。手の形も決まっている。


「まだリラックスしていて、よいですか。座禅とは禅宗、すなわち仏教の一流派です。しかし仏教の基本中の基本はどこでも同じ。聞いたことがあると思いますが『色即是空、空即是色』の実感であります。この世にあるもの、全ては空であり、空より全てが生まれる。座って目を閉じ、自らを空とする。難しいことはありません。自分の体で感じることや、頭で考えること、心に浮かぶこと、それらを自らが、流れるままに流し、見つめればよいのです。あらゆることをそのままにやりすごす、これこそが空、これこそが何者にも流されぬ自分の軸となることでしょう。では、始めましょうか」


 そう言って黒隠は、長い木の棒を持ってきた。


「おお、それがタルんでるヤツをブッ叩くもんですな」


 黒隠は顔をしかめる。


「博多さん、そういう言い方はいけません。これは警策(きょうさく)というものです。集中が切れた場合、これで肩を一つ叩いて目を覚ます。罰するものではなく励ますものですぞ。痛くはありません。では皆さん、呼吸を整え、三十分ばかりやりましょうか。始めっ!」


 黒隠の引き締まった声を合図に、座禅が始まった。さすがに全員まじめにこなしている。集中が切れて、体が前のめりになってくると、黒隠が来て、警策で一つ叩く。かなりの勢いであり、結構いい音がする。ただ、痛いのは一瞬であり、どちらかというと血のめぐりがよくなって、頭が冴えてくる感じだ。数分が経過した。博多もじっと見守っているが、博多の視線は黒隠ばかりを追っていた。黒隠は暑いのか、袖をまくって腕を出した。博多の鼻息が荒くなってくるが、黒隠をはじめ誰も気がつかない。また数分が経過。


「黒隠さん……ちょっと」


 博多が小声で手招きをしている。黒隠は博多に近づいて、小声で答える。


「なんです?」

「ちょっと、こっちへ」


 何か大事なことかと思ったが、今座禅を中断するわけにもいかない。


「あ、皆さん、ちょっとそのままで」


 そう言って、博多についていった。博多は黒隠を隣の部屋に連れ込む。


「も、も、もうガマンできん、私はタギりまくっておる」

「あ、だ、だめですよ博多さん、今は座禅の最中で……」

「少しだけ。ほんの少しだけ」

「だめです……だめですって……あっ、何をなさる」

「このままだとききき気が狂ってそこらのものを破壊してしまうぞ」

「い、いや、だからって……あ、何を……そんなとこ……あっ、ダメです博多さん」

「ドンって呼んで」

「ドンさん……いややっぱり変です博多さん」

「少しの間、少しの間だっ。ハカっちゃんタギりんこ」

「わ、分かりました分かりました、ちょっと待ってて下さい。ここでは聞こえます。もっと離れた場所で……」


 一方の部員達はとりあえず座禅を続けている。何か様子がおかしいと思った頃、黒隠が戻ってきた。


「えー、座禅の途中ですが、ちょっと中断いたします。急用ができてしまったもので、私は十五分ほど、この場を外します。しかしぜひ続けていただきたいので、私の代わりを誰かに勤めてもらいましょう」


 すると空山が立ち上がった。


「じゃあ今から俺が……」


 そう言いかけるところ、黒隠が歩み寄ってきて、警策で頭をひっぱたいた。


「痛っ!」

「あなたは部長でしょう。率先して座禅に励まねばなりません」


 空山は渋々座る。次に立ち上がったのは紺野。


「じゃあ俺がやります。俺、神主の息子だし」


 黒隠は紺野を睨む。


「神社は神道。ここは仏教です」

「でも俺はここまで叩かれてませんし、精神力や忍耐力には自信があります。特に……」


 そして、やるだろうと思うことをやる。足を広げた。


「股ぢからには特に自信が。それでぶっ叩かれても屁でもありません」


 紺野は行き当たりばったりで言ってるわけではない。根拠はある。警策は丸い棒ではなく、叩くところは平べったい板状になっているので、思い切り叩いても、力が分散する。そのため、見かけほど痛くはないのだ。あれなら十分耐えられる。


「そうか。なら試そう」


 黒隠はそう言うと、板状部分の方向を変え、縦向きにして細い方で、下から紺野の股間に打撃を加えた。音は地味だが、力は分散しないで集中。紺野は股間を押さえて倒れ込んだ。


「うぐぐぐぐう……」

「はい、失格」


 どうせ誰が立ち上がり何をやってもダメだろうと鳥居は思う。この中で最もまじめに野球に取り組んでいるのは自分と尾大だ。しかし尾大は今、六角の隣で骨抜きだ。多分黒隠の代わりは自分になるだろうと思い、身を引き締める。自分にできるだろうか。

 黒隠が近づいてきて、鳥居の前に立った。鳥居も黒隠を見上げ、目が合った。これで決まりだ。

 黒隠は警策を振り上げると、思い切り鳥居の頭をぶっ叩いた。


「いってーっ!」


 鳥居は思わず頭を押さえる。


「何か期待しておったな愚か者が! 顔に大きく書いてありましたぞ。あなたのようなムッツリスケベが一番タチが悪い!」


 そして黒隠は一同を見渡した。


「従って、私の代わりを勤めてもらうのは……」


 警策でまっすぐ指したのは、板東だった。


「あなたです」

「おでか!」

「ええーっ!」

「ありえねえ!」

「危険人物だぞ」

「一番不適じゃねーか!」


 ほぼ全員がそれぞれ文句を言い始める。その時、部屋中に轟くような声が響いた。


「かあああああああああつ!」


 これぞ禅における『喝』の声。全員、一瞬頭が真っ白になった。実はこの瞬間こそ禅における色即是空、無の実感なのだが、説明は省く(「飲茶」という人が書いている「最強の哲学入門 東洋編」が分かりやすい、というか大いに参考にしている)。

 黒隠は続けた。


「何を心配することがあろう。見なさい。彼の目は悟りかけておりますぞ。この場を彼に任せます」


 そう言って、板東のところに行き、警策を手渡した。


「頼みますぞ」

「はい、じっがりづどめまず!」


 板東は警策を手に立ち上がった。


「では諸君、座禅を続けます。始めっ!」


 そう言って、黒隠は出て行った。警策を手にした板東が得意そうにうろつき始める。黒隠の意図はどうあれ、こんなヤツに叩かれてたまるかという思いが確かに全員に生まれていて、割と緊張感の高い時間が経過していった。

 しかしそうなると板東は面白くない。当然ながら板東は悟りかけているどころか、こいつで人をぶっ叩くのは超楽しそうだぐらいしか考えていないのだ。

 鳥居は目を閉じていたが、何となく前の方に人の気配を感じた。何だろうかと薄目を開けてみたら、すぐ目の前に板東のデカい顔があった。


「わあっ!」


 声を出して驚き、後ろに飛び退く。


「鳥居ぐん、ざわぐでない。なにごどにもしゅうぢゅうじゃ。しきじょぐじぇぐう!」


 板東はニヤニヤ笑いながら言うと、警策で鳥居の肩を一発叩いた。あまり痛くはないが、それより頭に来る。鳥居が再び目を閉じると、板東はまたうろつき始める。今度は紺野の前に来て、しゃがんだ。紺野は目を閉じて座ったままだ。気配に気づかないか。無視しているのだ。板東は周囲を見回し、部屋の隅にティッシュペーパーの箱を見つけた。一枚取って、細く丸め、こよりにする。紺野の前に戻り、そっと鼻に突っ込んだ。紺野の鼻がムズムズしてくる。


「へーくしょい!」

「紺野ぐん、ぐじゃみはいげないなあ」


 そう言って板東は、紺野の後ろに回り、警策で肩を思い切りひっぱたいた。


「いってーなっ! てめー何かやったろ!」

「えええ? べづに何もやっでないど。しぎじょぐじぇぐう!」


 板東はしらを切る。


「しかし俺の鼻がだな……」


 その時、二階堂がふらついて座ったまま後ろに倒れてしまった。


「あー、も、もう俺疲れました」


 それを見て板東は飛んでいく。


「おお二階堂ぢゃん、疲れだろう。そっちに寝てやずんでるどよいど」

「あーすいません。じゃ、ちょっと休みます」


 二階堂が少し離れて横になった。空山は頭にきて歯ぎしりする。総受けの甘ったれ野郎が。しかし、今下手に動くと板東の思うつぼで、好きなだけひっぱたかれるのは目に見えている。これが終わったら二階堂を呼び出して特別にしごくしかない。今一番ぶっタルんでるのはあいつだ。


「座禅ができなくて、ざーぜん」


 そう言ったのは林。当然板東がやってくる。


「林ぐん、よけいなごとは言わない」


 そう言って肩に一発。


「叩こうったって、そうはざぜん」


 もう一発。


「座禅が前座になりまして」


 さらに強力なのが一発。さすがに林も黙る。

 これで全員黙って続くかと思ったが、尾大がクスクス笑い出してしまった。今のダジャレがツボだったらしい。


「こら、尾大っ!」


 そう言って板東は尾大のところに来ると、肩に一発。でも笑いが止まらない。そのため連発で肩を殴る。


「笑うだ! ごら! やべろ! えい! ごら!」

「ひひひ、わ、笑いたくて痛いっ笑ってるんじゃないっス痛いっス。ろ、六角先輩……助けて」

「機械暗示の指示を」

「こここ拘束マシン」

「いや、それは……」


 六角は機械モードに入ると、板東ではなく尾大を羽交い締めにして拘束した。


「あああしまったっス。ヤバいっス」


 相手が拘束されているとさらに叩きたくなり、警策が頭に連発。


「喝! 喝! 喝! 喝!」

「痛いっ! 痛いっ! 痛いっ! 痛いっ! ……六角先輩、ストップ」

「おお、尾大君……なんという姿に……」


 それから全員何とか落ち着いて座った。もう叩かれるわけにはいかない。このエコヒイキの暴力野郎、終わったら倍にして返してやると空山はハラワタが煮えくり返っている。しかしとりあえず、今の時間は、これ以上調子に乗らせるわけにはいかない。空山は違うことを考え、気を紛らわそうとした。

 先日のコロッケは惜しいことをした。地面に落ちてしまうとは。思えばあれも板東のせいではないか。あのコロッケを分け合えて食べられたなら、鳥居とより親しくなるいい機会だったのに。鳥居はまじめだし、ああ見えて頭だけでなく顔もなかなかキュートだ。

 他にも接近するいい機会は用意できないだろうか。鳥居といえばスポーツ刈りだ。そうだバリカンで刈ってあげよう。あんな道具は安いものだし、動かせば自動的に刈っていく。


「鳥居君、どうだいこの辺、刈ってあげよう」

「ああ、いいです」

「ここはどうかな」

「ああっ、そんなに刈ってしまうなんて」

「とても似合うよ鳥居君。素敵だよ」

「ああっ、そ、そこは気持ちいい……」

「気持ちいいのか?」


 そこで空山は耳元に口を寄せる。


「もっと愛を感じたくなったか?」

「え、ええと……」

「目覚めよと叫ぶ、神の声が聞こえないか?」


 その言葉で鳥居が赤くなる。これは魔法の言葉だ。


「部長、お……俺は……」


 そこに林が顔を出した。扇子で思わず口元を隠す。


「おやおや、部長がバリカン持ってガンバリカン」


 鳥居がそれを聞いてギャハハハなどと笑い出す。空山は頭に来て、林に指を突きつけた。


「おいっ、お前のせいでムードぶち壊しだっ!」


 ここで我に返った。立ち上がって前方に指を突きつけ、本当に怒鳴っていた。唸り声をあげながら板東が接近してくる。空山は慌てた。


「い、いや、待て、俺は……」

「ぶぢょうどいえども遠慮はむようじゃ。がぐごぜよ!」


 そして格上をぶっ叩ける歓喜も合わさり、容赦なく警策を浴びせる。


「喝! 喝! 喝! 喝!」

「いてっ! くそっ! このっ! バカヤロ!」


 その時、今まで我慢していた紺野が目を開けて立ち上がると、板東に飛びかかり、警策をもぎ取った。そして特大の一発を板東に浴びせる。


「だーっ!」


 警策が二つに割れて、板東はふらついて気を失って倒れた。


「アホらしいぜクソがっ! みんなもうやめたれ!」


 紺野のその声で、全員目を開けて姿勢を崩した。空山が室内を見渡す。


「黒隠さんと博多さんはどこ行ったんだ?」

「さあ、どっかでいちゃついてんじゃね?」


 紺野が吐き捨てるように言う。実際そうなのだが、誰も冗談としか思っていない。


「とにかく板東のやり方は異常だ。これは禅でもなんでもない」

「過剰に案の定異常……いやもう大変なんすから」


 扇子であおぎながら林がふと見ると、小泉だけ、まだきちんと目を閉じて座禅をきちんと組んでいる。微動だにしない。


「おやおや、小泉君がまじめにやってる。こいづは驚き」


 その声で他の者も注目。


「ほほー」

「こりゃ意外だ」

「この状況で集中できるとは、やはり地球人離れしていると言うべきか……」


 感心していると、小泉はふっと目を開いた。


「受信! 完了ーっ!」

「受信してたんかーい!」


 一同のそのツッコミを無視して、小泉は立ち上がり、続けた。


「我が星からの緊急ミッション、しかと受信しました! ただ今より実行に移します!」


 そして全員の方を向き、見渡した。


「愚かなる地球人どもよ!」


 一応真剣な顔をしている。紺野が顔をしかめた。


「……なんかはじまったぜ、おい」

「今から我が星存亡の鍵を握る男汁を採集する」

「なんだそりゃ?」


 前に聞いたことがあるような気もするが何となく思い出せない。ただ、男が出す汁なら限られている。いや、それではないと聞いたような気もするが。


「まずは雄の成虫が必要であるが……見たところろ幼虫ばかりではないか!」

「俺達は幼虫なのか? っていうか虫かよ!」


 空山が怒る。


「虫と言われても無視に限りますな」


 林はこの状況でも真剣ではないようだ。


「諸君なぞ我が星の生命体からすれば虫けら同然」

「やいっ!」


 怒って紺野が立ち上がった。


「汁でも何でもやるから、やおい穴見せろよ」

「幼虫の汁なぞ不要。従って見せる必要もない」

「俺の上半身は確かに幼虫かもしれないが……」


 そして立ち上がり足を広げると……というお決まりの状態になったので、少し略す。いずれにしてもあれこれあって最後に紺野が股間を押さえてうーうー呻く状態となった。


「うーうー」

「従って諸君に用はない。うん、近くに成虫の匂いがするぞ。向かわねば!」


 そう言って歩き出し、周囲を見ることもなく部屋を出ていった。何をするのかと思い、あとをついて行くと、しばらく廊下を歩いて、おもむろにふすまを開けてある部屋に入った。中から驚いたような、聞き慣れたような声がする。もちろん博多と黒隠だ。


「お、おい君……こ、小泉君だっけ……?」

「何をしに……い、いや我々はちょっと打ち合わせで身体構造の研究を……ね、ねえ博多さん」

「まその、そうですな。体を使うスポーツであるからして……あ、お、おい何をする……お前……オホッ……オホッ……オホホホホ……」

「ああ博多さん何というお姿に……え? 私も? どどどうしましょうかね……いや、君、いきなりそんな……いやまだ私はそのあたりは……みみ未開発のオオ……オ、オホッ……オホッオホホホホ……」

「オホホホホホホホ……」

「アハハハハハハハ……」

「イヒヒヒヒヒヒヒ……」


 狂ったような笑い声がしばらく続き、そして途絶えた。その後、小泉が平然と出てきた。全員が唖然として見ている中、無視して黙って歩き、黙って元の場所に座った。


「ミッションコンプリート! ただ今より分析データを送信いたします!」


 そして目を閉じると、また座禅と全く同じ状態になってしまった。

 その後、さっきの部屋で何があったのか、中に入ってみると、そこは布団が敷かれた和室で、脱水か何かでミイラすれすれの状態になっている博多と黒隠が気を失っていた。死んでいたわけではないので、救急車を呼び、二人は病院に搬送された。

 こうして座禅はうやむやのまま終了してしまった。まだ座禅状態の小泉だけ残して寺を出る。


「ネクストミッション、受信完了!」


 帰り際に、そんな小泉の声が聞こえたが、もう放っておくしかない。

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