第4話 地獄の初試合の巻

 恵伝学園は隣町の高台にある。轟々学園も高台にあるので、二つの学校は並んでいる兄弟のようなものだった。偏差値としては、恵伝の方が少し高い。恵伝学園内では、轟々学園はド底辺男子校などと悪口を言われるが、実際の差はそんなになく、個人として優秀な成績の生徒は轟々学園の方が多いぐらいである。それより、恵伝学園は共学校。鳥居は女子高生の姿を拝めると思うと気もそぞろだ。


 野球部の九人は、歩いて恵伝学園まで来た。連取試合の会場は恵伝学園のグラウンドだ。校門から学園内に入ると、注目を浴びた。特に女子生徒からの視線が熱い。轟々学園野球部は、イケメン揃いだからだ。

 最も熱い視線を浴びたのは林である。長身と切れ長の目と、常に扇子を手にした気品あふれる姿は、男子でも思わず見入ってしまう。しゃべるとダジャレばかりで脱力してしまうが、黙っていると完璧だ。次点は空山。さすが部長、というより富豪の息子で、凡人にはない貴族的な雰囲気を持っている。次は美少年である二階堂とワイルドな魅力の紺野がいい勝負だ。その次は板東。若干太っているが悪くはない。六角はちょっと痩せすぎではあるが、目力は最も強く、隙のない緊張感があり、ただ者ではない感じを受けるだろう。小泉は一応イケメンと言っていい整い方をしているが、なんとなく表情が薄く、人間っぽくない。自称宇宙人だから無理もないが。ちなみに、ヒーローみたいなケッタイな格好をしていたのは最初だけで、今は普通の格好をしている。理由はというと、単に先生に怒られたらしい。残念ながら尾大だけはイケメンとは言えず、やはり関取である。ただ六角とは相愛関係にあるので、顔や体型でいかなる評価を受けようと大して関係はない。そして鳥居は、唯一のスポーツ刈り、唯一の野球少年的雰囲気を持っている。スポーツ系男子が好きなら、その需要には答えられるだろう。

 そんなわけなので、女子生徒の注目を浴びる集団にいる鳥居は全く落ち着かない。


「あ、あ、共学……共学ってすごいですね」


 すぐ隣で歩いている林が鳥居をいちべつする。


「おやおや、共学に来て驚愕してるよ……なんてな」

「だだだって女子生徒がみんな見てますよ」


 鳥居は純情だ。


「常識的に女子など無視」


 林は女子など視界に入っていないと言わんばかりである。鳥居以外はだいたいこんなもので、女子など眼中にない。

 空山がさっきから周囲を気にしている。


「何キョロキョロしてんだ部長?」


 まさか、女子を気にしてるんじゃないだろうな、という態度で微量の煙を上げつつ紺野が訊く。


「いや……『エデンの守り神』ってどれかな……と?」

「何だそりゃ。銅像?」

「知らんが、そういうものがあるらしい」


 結局それを見つけることはできなかった。

 九人は試合会場の恵伝学園グラウンドに到着。スタンド(観覧席)があるわけではないが、相手チームには応援団が来ていた。応援団も練習をするのだ。ブラスバンド部とチアガールがいて、観戦の生徒も十何人かいる。自分達、轟々学園側には誰もいなかった。一人もいない。顧問すら来ていない。顧問は野球部の存続に消極的なのだ。もっとも、こういうところを気にしているのは鳥居だけであった。中でも恵伝学園のチアガールには目が釘付けだ。なんと爽やかな、なんとミニスカートな、なんと太ももな。こうなるともう全員美少女に見える。嗚呼なぜ俺は轟々学園などという男子校に入ってしまったんだろうか。偏差値的には恵伝学園にも入れたのに。親の陰謀なのだ。硬派はカッコいいとか、男子校は楽しいとか、女子は遊んでばかりで頭がパーなヤツばかりでパーがうつるとか、絶対嘘に決まってる。本当は花園だ。パラダイスだ。共学では異性が気になり勉強が手につかないだろうなんて、親の愚かな思い込みなのだ……ってそんなにチアガールをガン見してたら思い込みでもなさそうだが。

 突然少女達の悲鳴が上がった。鳥居のイヤラシイ視線に気づいたのではない。続いて男子生徒達の騒ぐ声。相手サイドで何かが起こっている。


「悪霊退散! 悪霊退散! てめえら女にウツツを抜かしやがって悪魔にとりつかれた野郎どもが! 異化堂朱色断猛法蘇婆伽! 異化堂朱色断猛法蘇婆伽! 悪霊よ退散せよーっ! BLこそ至高!」


 祓い串を振り回して紺野が暴れていた。頭から紫の煙も噴き上げている。主にチアガールに見とれる男子生徒を怒鳴って蹴散らしているのだが、あまりの剣幕なのでチアガール達も退散を始めた。 


「しまったー! 紺野を拘束しておくのを忘れた」


 空山が頭を抱える。


「こうなることは分かっていたのに。みんなで連れ戻せっ!」


 全員相手サイドに行って、暴れる紺野を抱えて連れ戻す。紺野はベンチに座らせ、頭にバケツをかぶせておいた。もっとも、もうチアガールもブラスバンドも一人もいなくなったので、暴れる心配はないのだが。

 審判である恵伝学園の先生にこっぴどく怒られ、とりあえず試合をすることとなった。相手は二十人以上いる。こちらは九人。誰が倒れても力尽きてもそこで試合は終わりだ。この不利な人数差に、さすがの空山も呻く。


「こりゃあ厳しい……多勢に無勢だ」

「勝ったぜいVS滅ぶぜいですな……いやもう大変なんすから」


 林は扇子で扇ぎながら涼しい顔だ。余裕があるわけではない。単に真剣でないのだ。空山は顔をしかめる。

 両軍が並んで挨拶し、プレーボール。先攻は轟々学園。一番、ファースト、紺野。紺野はバットを振り回しつつバッターボックスへ。先の大暴れを見ていた恵伝学園野球部からブーイングとヤジが飛ぶ。


「ヘーイ暴力バッター」


 紺野、ヤジに反応。バットを突きつける。


「なんだてめーはっ!」


 怒る紺野にヤジもエスカレート。


「暴れたいなんて溜まってんじゃねーのか」

「男子校カワイソー」

「うちの女子生徒でシコるんじゃねーぞ」

「うるせえっ! 女に興味はねえっ!」

「へへへっ男の汚ねえケツが好きな○○野郎」


 この侮辱にはさすがに全員アタマにきた。紺野はもちろん相手サイドにダッシュし、血の気の多い板東もバットを持って飛び出した。


「おどれらーっ! おでが全員ミンチにしでやる!」


 ここで空山が叫んだ。


「やめろーっ! いちいち挑発に乗るな! 試合ができねーぞっ!」


 紺野と板東は動きを止める。


「しかし部長……」

「しかしじゃねえっ! 悔しかったらちゃんと打て! ベッドじゃなかったバットで結果を出せっ!」


 二人は唇を噛んで元の場所に戻る。紺野、バッターボックスでバットを構えた。


「来やがれ……」


 相手ピッチャーの速球。紺野はバットを振るが当たらない。三球三振。相手サイドから拍手。紺野は怒りに肩を震わせベンチに戻る。二番、レフト、板東。


「おりゃあ! おでが目にもの見せてやる!」


 その剣幕に、相手ピッチャーもややビビったが、結果はまた三球三振。三番、サード林。絵になる好男子の登場にヤジが止み、相手ピッチャーも警戒の表情になる。林は例によって扇子を畳んで尻ポケットに突っ込むと黙ってバットを構えた。ピッチャーは何を投げようか思案している。


「君」


 林がキャッチャーに話しかけた。


「え? なんでしょう?」

「キャッチャーとかけて、数学の授業にサッパリついていけない生徒ととく。その心は分かるか?」

「うーん……ちょっと考えさせて」


 一球目ストライク。林はバットを構えたまま動きもしない。ボールがピッチャーに戻される。


「分かったか?」

「分かりません」

「毎日補習(捕手)。じゃあ二問目。ピッチャーとかけて、勉強は苦手だけど体力のある生徒ととく、その心は?」

「えー? ……勉強を投げてる、とか?」

「違うな」

「うーん……」


 二球目ストライク。林、見送り。


「分かりません」

「まあ運動(マウンド)で活躍。三問目。バッターとかけて、恋人にもう嫌気がさした人ととく、その心は?」

「んー……バットでぶったたけ!」

「乱暴だな。違う」


 三球目ストライク。もちろん見送り。


「降参です!」

「振れば結果が出る。俺の勝ちだ」

「三振でアウトですよ」

「俺は気にしない」


 そう言って微笑しつつ戻っていった。もちろん空山にあれこれ言われたが、林は涼しい顔で答える。


「一応バッターとしてガンバッターんだが……いやもう大変なんすから」


 チェンジで攻守交代。轟々学園が守備である。交代のピッチャーがいない以上、鳥居としては、何とか九回まで体力を持たせないといけない。できれば打たせて取りたい。鳥居は守備を見渡す。これまでの練習で、サード林はやる気がない。ショート空山はザル(全部後ろへ抜けてしまう)、レフト板東は力みすぎ、センター二階堂はボールに負ける。ライト小泉は宇宙からの電波受信で動かないことが多い(科学的に納得できん)が、運が良ければ動ける。セカンド六角……彼はキャッチャー尾大とデキているので、いいところ見せようとするはずだ。するとライト方向か。

 鳥居、最初のバッターに投球。いきなり打った。フライだ。センター方向。二階堂が走ってボールの落下点へ。取れそうだ……ボールに負けなければ。

 二階堂、歯を食いしばってフライを見事にキャッチ。鳥居が喜んだのもつかの間、板東が二階堂めがけて突進してきていた。


「二階堂ちゅわーん! 君に苦労はがけさせねえっ! おでがっ……」


 そして見事に激突。ボールは二階堂のグローブから落ちた。ランナーは一塁へ。


「まずい! 送球して下さい!」

「やいっ! なにジャマしてんだおでん野郎!」


 ファースト紺野の罵声が飛ぶ。


「ずばねえ。今そっちにボールをやるど!」


 板東、ボールを拾ってファーストへ送球。紺野の罵声は止まない。


「だいたいおめーはそうやって無駄に騒いで動いているからギャッ!」


 罵声を飛ばすのに夢中で、送球したボールを受け忘れた。ボールは顔に命中。紺野は顔を押さえてうずくまる。


「いってーっ!」


 ランナーは走って二塁へ。鳥居が叫ぶ。


「六角先輩、セカンドに入って! 紺野先輩、ボールをセカンドへ!」

「いでででで分かったっ! おりゃああっ!」


 紺野、拾って力まかせに投げたが、ボールではなく一塁ベースだった。ベースは重いので大して飛ばない。ランナーは二塁を過ぎ、三塁に向かう。鳥居がまた叫ぶ。


「それはベースです紺野先輩! ボールをサードへ送球!」

「え? あんな遠くまで投げんのかよ!」

「いいから思い切り投げて下さい!」

「よっしゃあ!」


 紺野、ボールを拾ってサードめがけて思い切り投げた。勢い余ってボールは林の届かない頭上を通過。林はそれを見て肩をすくめて笑う。


「俺の身長はあんなにないんだがね。もっと慎重に投げてくんないかな」

「林先輩! 笑ってないでボールを拾って!」


 鳥居は必死だ。


「はいはい」


 林はボールを拾いに行く。ランナーはサードを回った。


「林先輩! ボールをホームへ!」

「え? もう帰っていいの?」

「家のことじゃないっ!」


 ランナーはホームへ。ランニングホームランになった。一回一球目で一点入れられるなんて。鳥居はガックリと膝をつく。


「だーっひゃっひゃっひゃっ!」


 恵伝学園ベンチからの嘲笑と爆笑が聞こえる。もう守備には任せられない。全員三振に取るしかない。鳥居は立ち上がった。行けるところまで全力で投げよう。

 鳥居はその後、三人を三振に取ったが、一回を終わったところで早くも疲れてきた。味方の攻撃の間、少し休めるだろう。

 しかし、そう甘くはない。四番、ショート空山。バッターボックスに向かう際、鳥居の肩を叩いた。


「ピッチャーよくがんばった! 君のがんばりは無駄にはしない」


 そう言って、バッターボックスに立つ。不安そうに見ている鳥居に笑いかける。


「大丈夫、やるさ」


 一球目、空振り。


「大丈夫、あと二球ある」


 二球目、空振り。


「次が本番だ」


 三球目、空振り三振。


「昨日の晩は鮭のムニエルだったんだが、あの皮まで食べたのかよくなかったかもしれないね。大変胃がもたれる。バッティングへの影響も少なからずあると思われる……」


 そう言いつつ戻ってきた。憮然としている鳥居とは目を合わせない。五番、セカンド六角。


「よし来たぞっ! 六角、バッティングマシンだ!」

「はい、部長」


 六角はバッターボックスに向かう。まさか前みたいに、スイングが止まらなくなる欠陥機械じゃあるまいな。鳥居は心配になる。六角、バッターボックスに入るなり、いきなり自分の頭をバッティングして、ふらついて戻ってきた。


「うああ六角先輩!」


 尾大が心配そうに叫ぶ。


「大丈夫だ。六角、ストップ」


 空山は顔をしかめている。


「いかがでしたか?」

「もういい、普通に打て」


 六角、まだふらつきつつバッターボックスへ。打てるわけがない。三振。六番、ライト小泉。ダメだ期待できない……鳥居は頭を抱える。どうせ突っ立って電波受信している間に見逃し三振だ。しかし小泉、普通にバッターボックスに立ち、颯爽とバットを構えた。


「まさか、やるのか!」


 鳥居は驚く。確かに目つきもいつもと違う。


「さあ、この星の野球とやらを見せてもらいましょうか!」


 おお、頼もしいセリフだ。期待できる。ピッチャー、構えた。


「あ、ちょっとその前に……戦いの前に、儀式として我が星の歌を歌いたいのです。よろしいですか?」


 ピッチャーにそう訊くが、ピッチャーは判断がつかない。


「審判、いかがでしょう?」


 審判は小泉に尋ねる。


「君は留学生?」

「そんなところです」

「まあいいでしょう。歌って下さい」 


 小泉はうなずくとバットを置いて、まっすぐに立って歌い始めた。


「♪ラーメン、チャーシュー、ナールートー ♪ラーメン、チャーシュー、ナールートー ♪ラーメン……」


 ここでベンチから板東がダッシュしてきて、小泉に危険タックルをかました。


「ぐえっ!」

「おどれが! 何が我が星の歌じゃ! ラーメン屋のうだでねえが!」

「じょ、冗談じゃない。ラーメンとは我が星の名、チャーシューは『永遠』、ナルトは『なれ』という意味です。我が星よ永遠なれ……」

「そんなふざけた偶然があるがニセモンうじゅうじんが! 本物なら今すぐお前のやおい穴を見せてみろ!」


 そう言って小泉を組み敷いてズボンを下ろそうとする。


「だ、だめです。それは試合に勝ってからって約束でしょ!」

「うるぜえ今日ごぞ見でやる!」


 そこに紺野が駆け寄ってきて、板東の尻を蹴り上げた。


「いでーっ! なぎずんだお!」

「一人でやおい穴見ようとすんじゃねえエロおでんが!」

「なんだど? がんぬしのバカぶすこが!」


 二人はまた取っ組み合い、空山が駆け寄ってきて、二人を分ける。


「けんかはやめろーっ!」

「だーっひゃっひゃっひゃっ! チョーウケる!」


 恵伝学園の連中から、指さして笑われている。小泉、再びバッターボックスに入った。


「あっ……ちょ、ちょっと電波がきました!」


 そのまま見送り三振。二回目の攻撃が終わった。鳥居は頭を抱える。疲れがまるで取れていない。もう恵伝学園の攻撃だ。鳥居はピッチャーマウンドに向かう。

 それでも鳥居はどうにか、次の三人を全員三振に討ち取った。粘るバッターもいて投球数がかさみ、既に疲れも蓄積している。次の轟々学園の攻撃も三人で終わったら今度は危ない。バッターは二階堂。まじめな表情で、まじめにバットを構えているが、あまり期待はできない。バットにボールを当てることができても、ボールに負けて飛ばせないのだ。鳥居はため息をつく。

 しかしその次はキャッチャーの尾大だ。自分と同じように野球を続けてきた男。期待はできる。しかし念には念を入れたい。鳥居は六角の方に近寄る。


「六角先輩……」

「何だい?」

「先輩への機械の暗示って、空山部長しかできないんですか?」


 今までずっとそうだったので、訊いてみた。


「いや、そんなことはないよ」


 これで鳥居の作戦のは決まった。


「六角先輩……尾大の能力を最大限に発揮させる、指導マシン!」


 六角はじっと聞いていて、そしてうなずいた。


「分かった、鳥居君」


 そして立ち上がり、尾大の方に近づいていく。二人は恋人同士、というほどのものかは分からないが、相思相愛。六角の愛のこもった指導で、尾大は最大のポテンシャルを発揮するだろう。ここはホームランを打って、同点にしてほしい。

 全員二階堂に注目している。さっきからバットを振っては、一応当たるのだが、ボールが前に行かない。ファールチップを連発して後ろに飛ばしていた。鳥居は六角と尾大を横目で見る。六角が尾大に何事かささやいている。そしておもむろに、二人は抱き合って唇を重ねた。鳥居は驚く。そこまでやるのか。そりゃやって当然の関係だからやるのかもしれないが。何もこんなところで。こうなったら、その効果でホームランを飛ばしてくれないと困る。

 二階堂、やっと前の方に飛んだがピッチャーフライであっけなくアウトになった。二階堂は残念がる。いよいよ尾大だ。六角のマシンの効果がどのくらい出るのか。しかし、バッターボックスに向かう尾大にあまり緊張感がない。ふらふらしている。顔までなんとなく幸せそうだ。まさか……鳥居は六角の方に近寄る。


「六角先輩……」


 六角はじっと尾大を見つめている。


「六角先輩、尾大に何を指導したんですか?」


 するとやや機械的な声で答えた。まだ機械のままなのだ。


「尾大君の唇が最大限の能力を発揮できるような、情熱的なキスのしかた」


 鳥居はまた頭を抱える。野球の能力と言わないと勝手に解釈してしまうのか。

 尾大はふらついたままバッターボックスに入り、よろめいてあっけなく三振。へらへらして戻ってきた。六角を見ると、まだまじめな顔で前方を見ている。


「六角先輩、ストップです」


 六角は我に返り、気がついたかのように鳥居を見た。


「いかがでしたか?」

「あのう……何とも言えず……」


 その時、鳥居が呼ばれた。次は自分がバッターだった。鳥居はバットを持ってバッターボックスへ向かう。ピッチャーなので、本来バッティングはそんなにしなくていいのだが、今の状況だとそうもいかない。かといって体力の消耗もできない。鳥居はバッターボックスに立って構えた。相手ピッチャーが投げてくる。球種を見て、鳥居はおもむろにバントした。相手は油断していた。鳥居は走って、セーフになった。バントで出塁だ。次のバッターは最初に戻って紺野。鳥居は必死に叫ぶ。


「紺野先輩、お願いします!」

「まかしとけ! もうあれをやるしかない」


 あれって? まさか……そのまさかだった。紺野はバッターボックスにはいると、おもむろに股間にバットを挟んだ。鳥居は慌てて叫ぶ。


「紺野先輩、それ、ダメですよ! こないだ衝撃受けてうずくまったじゃないですか」

「もうそういうことはない! 俺の股ぢからを信じろ!」


 信じろと言っても信じられない。また股間を両手で押さえてうずくまる姿が見える。


「だーっひゃっひゃっひゃっひゃっ! なーんじゃあの構えは」


 相手サイドからも指さして笑われている。紺野は相手をにらみつけた。


「笑いたいヤツは笑え! さあ来い!」


 ピッチャーはストレートを投げた。紺野は股でバットを突き出す。金属的な音がしてボールが当たり、前方に転がった。紺野はうずくまらなかった。歯を食いしばり、両手に握りこぶしを作って立っている。


「うむむむむ……」


 両手が震えている。そしておもむろに、こぶしを握った片手を上に突き上げた。


「だーっ! 俺は、耐えたぞ! どうだイガグリ野郎! 俺は……おい、お前いつの間にそっちに行ったんだ?」


 バッターが打ったので、一塁にいた鳥居は、当然二累に向かって走っていた。


「えーと、お、俺はあと、何をすればいいのかな?」

「一塁に走って下さい……もう遅いけど」


 鳥居はもうハラワタが煮えくり返っている。転がったボールはピッチャーが捕って、一塁に送球していた。もちろんアウトだ。スリーアウトチェンジが伝えられ、鳥居は再びガックリ膝をついた。打ったら一塁に向かって走るぐらいのルールは分かっていると思ったのに。

 しかし怒っても落ち込んでもいられない。鳥居は再びピッチャーマウンドに立った。気を引きしめていかなければ。最初のバッター……なんか投球にも気合いが抜けてきた。そして、それを見逃すバッターでもなかった。鳥居はここから崩れていき、あらゆる打撃を受けまくり、九点取られて、この回で十対ゼロとなり、コールドゲームとなって試合は終了した。完敗なんてものではない。もう話にならない。

 全員ベンチに座り、さすがに誰もがうつむいて言葉が出ない。空山が泣いていた。


「うっうっうっ……なんで負けたのかなあ」

「うっうっうっ……分からんのですかっ!」


 そういう鳥居も泣いていた。悔しいというより、もう情けない。

 そこに、恵伝学園のキャプテンが来た。一通の封筒を持っている。


「こちら、うちの校長からです」


 空山は涙を拭い。封筒を開けて、中を読んでみた。とんでもない内容であった。

 今回の試合前に、一生徒(紺野のこと)が、狼藉を働いたことははなはだ遺憾である。ついては轟々学園野球部の廃部を要求したいが、隣の学校でもあり、本来であればよきライバルとなり互いに切磋琢磨できる関係となるはずである。ついては三ヶ月後に再び試合を行い。今回同様恵伝学園が勝った場合は、狼藉の責任を取り、速やかに轟々学園野球部を廃部とすること。恵伝学園が負けた場合、今回の件は不問とする。


「同じものが、そちらの校長にも送られております」


 三ヶ月後勝たなければ廃部……空山は相手を呆然と見つめるばかりだった。

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