13
自動販売機から二人が帰ってきた頃、空には流星が見え始めた。後ろから、鰤谷ものそのそと歩いて来た。
「星、やばいっスね。めっちゃ出てるじゃないっスか。夜明け前が一番暗くなるらしいっスから、それまでが見ごろでしょうね」賢治が空を見上げながら言う。
賢治が三本、佐久間が二本持っている。
「えっと、野菜ジュースもあったんで買ってきたんですが…その」佐久間は遠慮がちに、言った。
「おう、それそれ」鰤谷は屈託のない笑顔で野菜ジュースを手に取った。
佐久間は「あ、はい」と委縮しながらそれを渡した。
二人の関係は相変わらず、よそよそしい。優しいけれど気遣いが下手な二人だ。
「あとは、コーヒー2つとかカフェオレ2つっス」賢治がウィンクをしながら言った。
すぐに、おどけてしまうところが、自分と似ていると香織は心底思った。
「私、カフェオレ」美沙は賢治の手から抜き取ってから言った。
「佐久間は自分が持っているやつだろうから、私もカフェオレだね」
「越谷、俺がブラック飲めないこと知っててそんなこと言うのかよ。交換だろ」
「ああ。うん、まあそれでいいよ。でも、それならブラックは一本でよかったじゃない」
「賢治がブラック飲みたいっていうからだ」
「それなら一本で…」
「うわあ。ケンちゃんもかおりんもブラックで飲めるの?すごいね」美沙が嬌声をあげながら言った。いつも通り人好きのする笑顔だった。
「俺も飲めるよ。美沙ちゃん。ただね、缶コーヒーのブラックはブラックだと認めていないだけなんだ」佐久間が焦ったように言った。
「佐久間君、早くしないと流星群終わっちゃうよ」美沙は佐久間をうまくいなしていた。
*
天の川は薄く白んで、とても明るい。
展望台のベンチにみんなで腰かけて、空を見つめていたが、流れ星は数えるほどしか降ってこなかった。そのうち、「寒くなってきた」といって、鰤谷と美沙は車に戻ってしまった。賢治はわざとらしく「トイレっス」と言ってどこかに消えた。
「綺麗だね。天の川」
ずっと話したいと思っていたのに、いざ二人になれば、話すことが見つからず、香織は空を見上げて言った。
「地球も遠くから見たら天の川の中にあるんだよ」佐久間はただぼんやりと呟いた。
「天の川の内側にいたら、空が天の川だらけにならない?」
「ならないよ。夏の天の川、冬の天の川っていうだろ?」
「冬の天の川ってあるんだっけ?」
「あるよ。地球のどこかではいつでも天の川は見える。季節によって日本では見えないこともあるけど。でも、見えないからって、ないってことじゃないんだよ」
「なんか、ちょっとロマンチックなセリフだね」
「越谷、地学取ってたくせに、全然興味ないんだな」
「私が地学取ってたの知ってるの?」
「俺は物理・化学取ってたから、移動教室の度になんか目が合うなって思ってた」
「ああ、それなんだけど、鬱陶しかった?」
「え?ああ、ちょっと。なんだよいきなり…」
香織はわざとらしくそっぽを向いた。
「え、何?ごめん」
「いいえー。鬱陶しかったんだ。あーあ、せっかく乙女心全開で頑張ってたのにな」
「いや、鬱陶しかったというか恥ずかしかったんだよ…」
そっぽを向いたのは、話ができるだけで、にやけてしまった顔を隠すためだったが、佐久間はこちらを見る様子もなく、話をつづけた。
「賢治、やっぱりダメだった?いい奴だけど」
「いい人だと思うよ。私にはもったいない」
「なんだよ。生理的に無理って言ってたくせに」
「ちょっと反省した。何?嫉妬?」
「いや、人の気持ちなんて一瞬で変わるんだなと思って」
「そうかも。でも、変わらない気持ちもあるよ」香織は佐久間の方を向き直して言った。
佐久間は香織を一瞥すると、困った顔をして空を見上げた。
香織はそのしぐさに少し傷ついたが、めげずに話を続けた。
「コーヒー、ありがとう。私がブラックしか飲まないって覚えてた?」
「別に…いや、別に」
「素直じゃないな。ねえ、大学行かないの?」
「越谷も行かないだろ」
「私、単位足りてるからね。でも、美沙が言う通り、後期は厳しいからいくよ」
「真面目だな」
「真面目になろうと思ってる。今日、ちょっと決心した」
「やっぱり、人の気持ちなんて、すぐに変わるんだよ」佐久間は諭すように言った。
「変わらないよ」香織は反論するように言った。
佐久間は困った顔をしている。
「ねえ、なんで泣いてたの?」香織は俯きながら呟いた。
「いつ?」
「師匠がベンツ買ったときの話をしていたとき」
「ああ」
「あんまりいい話じゃないけど、言わないでいるのもフェアじゃないか。これで、結構、越谷には感謝してるから」
彼は何かを決心したような表情になった。
息をのんで、その様子を見守った。
「彼女がいたんだよ。大学に入ってすぐに付き合い始めて」
「うん」
香織は相槌を打つのでいっぱいだった。
なんとなく気付いていたが、改めて言われると重たい。
「彼女のお兄さんが、淳さん」
「え」
「俺も参加してたサークルのコンパの帰り道だったんだ。遠くの方で淳さんが
「彼女はなんて?」
「何にも言わなかった。すごく悔しそうな顔してた。その顔を見たら、もう何も言えなくなってしまって。きっと、救急車が来るまで何かできることを探さなければいけなかったんだ。何にもできなかったから、淳さんが死んだ」
「なんか、彼女とはもう一緒にいることもできなくて、大学をさぼって、逃げたんだ」
それだけ言うと、佐久間はカフェオレを飲み干して、俯いた。
佐久間がこの一年、何を抱えて生きてきたのか、私は知らなかった。
ただ、適当に話して、適当に遊んで、佐久間が何を抱えているのか、私は聞かなかった。それどころか、彼も大学に行かなくなったことに運命さえ感じていた。彼のことをそばで見つめているつもりになっていた。何も見えていなかった。
「それは、佐久間のせいじゃないと思う」香織は声を絞り出していった。
「さっき、鰤谷さんにも同じこと言われた。車まで起こしに行ったとき。あの人、本当はとても悔しいはずなのに、やっぱり責めないんだな。『淳のこと、悲しんでくれてありがとう』って言ってくれた」
「師匠も、彼女さんも佐久間は責めないでしょ」
「わかってるんだ。自分にはどうしようもなかったことだって。でも、ちょっとでも誰か責めてくれたらいいのにって思う」
「それは、自分がかっこつけたいだけだよ」香織は震える声で言った。
佐久間は香織の顔を見た。初めてしっかりと自分を見てくれた。
「え?」
「それは、自己満足だよ。分かるけどさ」
「自己満足か…」
「そうだよ…」香織はどうにか言葉を紡いだ。
「そうか、そうだな。そうか…」佐久間はただ呟いた。
佐久間は悲しみをにじませた顔で遠くを見つめる。
香織も同じ方向を見つめる。
視線の先に、流れ星が降ってきた。
その瞬間、香織は決意をした。
「流れ星だよ!お願いごと!早く!」
香織は佐久間の肩を思い切り叩いた。
「え、なんだよ。急に」
佐久間はやっぱり困ったように笑った。
本当は、優しい言葉をかけてあげたかった。
それでも、今まで、思ったことは何でも言ってきたから、そうしたいと思った。
彼が大きな辛さ抱えていても、私に会ってくれていた理由がなんとなくわかったからだ。これからも、彼には思ったことは何でも言ってあげようと改めて思った。それで彼の救いになるのだったら、たとえ嫌われても構わない。
もう、誰かに合わせたり、見下したり、卑屈になったりしない。勝手につまらなくなったりしない。ふてくされない。気持ちを閉ざしたりしない。
そう決めた。
二人は流れ星を見つけるたびに、指をさして、はしゃいだ。本当は、二人とも泣いていたけれど、とにかくはしゃぎ続けた。
星は、明け方まで降り続けていた。
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