5
しばらくするとインターフォンが鳴った。香織は美沙だと思い、玄関先へ走った。
そこには、鰤谷が立っていた。
「よくわかりましたね」
「住所さえ書いてあればナビで来られるよ」
「師匠、ベンツで来たんですか?飲まないってこと?」
「そう。弟子の友達と会うっていう距離感が分からなかったし」
鰤谷は年不相応にベンツを持っている。以前、誰かにもらったと言っていた。
「美沙ちゃん?」
「違います。聞いて驚け、師匠がやってきました」香織はリビングに向けて大声で言った。
「はじめまして。香織の友達の佐久間龍一と申します。話は香織から伺っております。今日は遠いところわざわざありがとうございます」佐久間は深々と礼をした。
「こちらこそありがとうございます。えっと、どんな話されたのだろうな?」鰤谷は香織を睨みつけていった。
「はじめまして。中村賢治っス。よろしくお願いします」賢治は割って入るように、佐久間の肩越しにあいさつした。
「えっと?」鰤谷はやや戸惑いながら香織の方を向いた。
香織は説明に困り、目を泳がせた。
「賢治は俺の舎弟です。そして、香織の次期恋人です」佐久間が代わりに答えた。
「え、そんな、恐れ多いっスよ」賢治はふざけたように言った。
「なんだ?そういうのって、師匠に報告するのが義務でしょう?」鰤谷は落ち着き払った声で言った。
「弟子失格ですかね?」香織も落ち着き払った声で返した。
「いや、この料理の匂いに免じて許してあげよう」鰤谷は言った。
*
「私の乙女心は蒸発したのですから」
香織は地震で自分の家が住めなくなった当初の話をしていた。メンバーに流れる緊張をほぐす効果を狙ったものだった。
「雀の涙だけに?」佐久間が言った。
「雀の涙って何dlあるんだろう」鰤谷も続けた。
「香織さん、まだ大丈夫ですって。まだ乙女ですって」賢治が続けた。
賢治は下戸で、すぐに出来上がる。
「何よ?まだって?」香織は隣にいる賢治の肩をつつきながら言った。
「すみません。別に他意はないっス」賢治はにやにやしながら答えた。
結局、美沙が来たのは香織たちが最初の料理を食べながら自己紹介がてら身の上話をしている時だった。食事の途中何度か美沙からの電話があり、そのたびに最寄り駅や目印になるコンビニを教えた。電話の間、佐久間と賢治は鰤谷に「お綺麗ですね」と声をかけるのが精いっぱいのようだった。鰤谷は黙々と料理を食べていた。
「美沙ちゃん、遅いよ」佐久間がのんきな声で言った。
「ごめんね。佐久間君の家どこだったか覚えてなくて」。
「ほら、このまえ初めて来たとき、私たちコンパのあとだったじゃない?いつものことだけど、私、前後不覚だったからさ」美沙は花柄のワンピースの上に羽織っていたデニムのカーディガンをたたんで椅子の背に置きながら言った。
「そうだったっけ?美沙は顔に出ないから、吐いていたけどしっかりしているのかと思っていたよ」香織が言った。
「俺も」佐久間が続けた。
「ああ、でも佐久間君の顔は今見て思い出したよ」
「今?あんなに楽しく語らったのに?」
「あれ?ブリトニーちゃんじゃない。どうして?」美沙は鰤谷を見たとたんに言った。佐久間は無視された。
「香織の紹介で」鰤谷はサラダをよそいながらそっけなく答えた。
「何?美沙、師匠と知り合い?」
「師匠?よくわからないけど、ブリトニーちゃん、同じ授業取ってるよ」
「そうなんだ。私、最近は大学行ってないから」
「今年までは大丈夫かもしれないけど、入りたいゼミ希望できなくなっちゃうよ?」
「そうなんだよね…。後期は年貢の納め時なのかもね」
「なんでこないの?」
「面倒くさいから説明したくない。」
「学費ももったいないよ。せっかく親御さんがお金出して通わせてくれているのに」
「うーん。どうもやる気がね」
「佐久間君もだよ。思い出したけど、君も大学行ってないんだって?行きなよ」
「うーん。どうもやる気がね」佐久間は香織の声真似をしながら言った。
「龍一さん、似てるっス」賢治が手を叩きながら笑った。
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