第4話

 ■◆◇


 嫌な予感とは当たるものだ。

「おやおや。随分酷いやられっぷりだね」

 三十分程経って帰って来た二人を見る前に瑠羅が言った。

 それもそのはずで、二人が出発した直後から遠見の魔術で見ていたのだから、どのようにられたのか手に取るように分かっている。

「心臓をぶち抜くとは、奴さんも大した度胸だよ」

 瑠羅の言う通り、散々なやられようだった。行った先に狙う対象はおらず、無関係な輩に邪魔された挙句、突然現れた橋姫紫音によって二人とも心臓を抜かれた。そして封書を渡せと言って追い返したのだ。

「それで?彼女からのメッセージは?」

 敦は生気のない顔をしながら、手にした手紙を瑠羅に渡した。

「どれどれ……」



 前略

 麾下の能力者二名の心臓を頂きました。

 つきましては今後一切私、及び私の関係者に関わらないで頂きます。

 現在二人は魔術的に生かしてありますが、こちらの要求に従って頂けない場合は即刻心臓を破壊致します。

                草々

   年 月 日

     魔術連盟 神道学科 橋姫紫音

 異能力者グループ『セプテム』団長殿



「…………」

 瑠羅が沈黙した。

「これ、年月日が空欄ってことは事前に書いてあったってことだよな」

 聖司が言う。

 瑠羅が険しい顔で頷いた。

「そういうことだろうね。そしてそのまま書き足さずに渡した。つまり、最初から彼女の掌の上ってことだ」

「どうするんだ?」

「…………」

「…………」

 裕翔が尋ねたが、瑠羅も聖司も何も言わなかった。

「聖司」

 呼びかけたのは玲だった。

「このままソイツの相手をしていたら、確実に全員が死ぬ。わたし達の命が最優先。違う?」

 聖司は頷いた。

「勿論だ。死んだら元も子もない」

「だったら、悔しいけど今回はわたし達の負け」

「負け?負けてはないさ」

 裕翔が口を挟んだ。

「俺達の負けは、俺達が死ぬ事だ。現状誰も死んでいない。死にかけてはいても、生きている。そうだろう、敦、一真?」

「まぁ、確かに生きてはいるけどよ」

 敦が応える。先程まで完全に死人の顔だったのに、今はすっかり元のように戻っている。

「ここまであっさりやられるとは思わなかったぜ。あんなに強い魔術師がいるとはな」

「予想外だね。ぼくが気付くよりも前に倒されるなんて」

 一真もまるでいつも通りだ。

 ただ一つ、彼等の心臓がないということを除けば。

 それが強力な魔術によるものであることを裕翔は瑠羅から聞いて知っている。それは既に失われたと思われていた秘術だと聞いていたが、ある所にはあるらしい。

 肉体から心臓を取り出し、魔術を施した瓶に詰めた上で更に術式をかける。これによって、肉体と心臓が離れていながら血流を滞りなく送ることが出来る。

 これは相手の生殺与奪の権利を完全に掌握することと等しく、かなりこちらが不利になるものだった。

 解除する方法は一つ。心臓を元に戻して治癒させることだけだ。そのためには術者を排除する必要があるが、そもそも関わることを禁じられた時点でもう詰みだった。

「……負けてはない、か。勝ってもいない」

「現状アレには誰も勝てねえだろうよ。何とか奪い返さねえとな」

 直哉の呟きに、聖司が応えた。

 もっとも、これは元々瑠羅の見解だったが。彼女が聖司に伝えただけだ。

 当の彼女はと言うと、何をとち狂ったか玲とキャッチボールをしていた。投げられているのはボールでもなんでもない。直径十センチメートル程の物体だ。パッと見は球形だが、よく見ると多面体になっている。色はほぼ漆黒でありながら、所々に赤い線が入っていた。

「……おい瑠羅、玲。いつまでも遊んでんじゃねえ。つーかこんな時に遊んでんじゃねえ」

「あ、ごめん」

 玲は素直に謝り、物体を瑠羅に返し、瑠羅はそれを金の紋様の彫られた歪んだ箱に入れれ、袖の内にしまい込んだ。彼女の袖の中はどうなっているんだろうか。ネコ型ロボットのポケットみたいな感じだろうか。

「んー、奪い返すのはいいけれど、その前にお客さんだ。いよいよ本格的に動き出したね、『ウーヌス』の奴ら」

 瑠羅が笑いながら言った。

 ハッとして外に意識を向けると、確かに人の気配がする。五、六人といったところか。確かに『ウーヌス』の人数と符合する。

「……何故このタイミングで?」

 直哉が零した。

 今まで一度も他のグループと戦闘状態になったことはなかった。Phoney Warフォウニー ウォーが続いていたのだ。

「均衡状態が崩れたということだ。つまり、どこかがやられた」

『クィーンクゥェ』がやられたんだよ。玉鬘綾女に見つかる直前の話さ」

 裕翔の分析、という程のものでもない呟きに、瑠羅が答えた。

「全滅させたよ。一瞬でね。五番目くらいなら大したことはないさ。元一番としてはね」

「待て、お前の単独行動については今は置いておこう。問題はそこじゃあねえ。一番が一人で五番を瞬時に全滅させることが簡単なら、その一番が全員揃えば俺達七番目を全滅させるのは尚更簡単なはずだよな?」

「そういうことになる。僕らは未だかつて無い危機に晒されているということだ」

「口より足を動かせ、聖司、直哉。私が抜けた後アイツらがどれだけ強くなっているかなんて私にも分からないんだから。今は逃げる他ないよ。負けない為にも」

 瑠羅は袖の中から再び先刻の歪な箱を取り出し、裕翔に投げ渡した。

 ズシリと重い。

「裕翔。それを持って逃げろ。全員一緒に。安全な所まで行ったら、その箱を開けて欲しい。ただし、中の物には絶対触るな。君が触ると台無しだ」

 瑠羅は虚空から鎌を取り出す。戦う用意ということだ。

「屋上から上手く逃げてくれ。私はここで足止めしよう」

「お前……」

 裕翔が漏らした呟き声に、瑠羅は笑って答えた。

「私の撒いた諍いの種だ。拾うのもまた私の仕事さ。箱のこと、くれぐれも頼んだよ──」

 その言葉を背に、裕翔達は階段を一気に駆け上がった。


 ▲■▲


「ご無沙汰しています、我らがアーサー王」

 少女は、最後に会った時と同じ十歳児程度の体格のまま、相変わらずのゴスロリファッションで言った。

 変わったことと言えば、どういうことかの右腕が銀色の義手になっている事くらいか。左手に握られた身の丈ほどの鎌も、人を食ったような笑みも、趣味の悪いツインテールの髪型も、何もかも出奔した時と変わっていない。

「……余の前に再び現れるとは、良い度胸だ。尻尾を巻いて逃げ出すものと思っていたが」

「生憎と、私には今守るべき人がいますので。私自身の為に、まだ彼らに死んでもらっては困りますから」

 アーサーは腰の鞘から剣を引き抜いた。華美な装飾が施された、両刃の剣だ。

 彼は極めて現代的な装いでありながら、腰には剣を提げている。これはここにいる『ウーヌス』のメンバー全員に共通することだった。

「悪いが、貴様の戯言に耳を貸す気はない」

「王よ、お待ちを!」

 一太刀のもと少女を斬り殺そうとしたアーサーを、従者メンバーの一人が制止した。

「何事か、ガウェイン」

「は、恐れながら申し上げます。此奴など、王の手にかける程の相手ではございません。私めに此奴の相手をさせて頂けませんでしょうか」

 ガウェインは片膝を地につき、完璧な服従を見せている。普段の彼ならアーサーを制止してまで自分が相手したいとなど言わないが、今回ばかりは一歩も引かぬという想いが見て取れたので、アーサーは剣を鞘に収めた。

「よかろう。期待している」

「は、ありがたき幸せ」

 ガウェインはすっくと立ち上がり、やはり腰の剣を抜いた。

「……ガラティン。忠誠の騎士ガウェインの愛剣、か。まさかその剣を向けられることがあろうとは、四年前には思わなかったね」

 剣を向けられた少女が嘯いた。

「私もこれを貴様に向けることがあろうとは思っていなかった。向けることがあるとすれば、ラーンスロット卿かモルドレッド卿であろうと思っていた。何故我らが王を裏切った、!?」

「そりゃ、君達より彼らについた方が得があると踏んだからさ。君こそ何故未だにその王に仕えているんだ、ガウェイン卿サー・ガウェイン

「知れたこと。私がガウェインであると王に定義されたからだ」

「……大した忠義だよ、全く」

 少女──『セプテム』に於いては奈以亜瑠羅、『ウーヌス』ではベディヴィア──は呆れ顔で鎌を手放した。途端に鎌は霧散する。

 空いた左手を右肩に添え何事か呟くと、その右腕として機能していた義腕が外れて落ちた。これもやはり、地につくかどうかという所で霞か雲のように消え去った。

「どういうつもりだ?」

「いや何、君がせっかく隻腕の騎士ベディヴィアと呼んでくれたんだ。期待に応えようと思ってね」

 そう答えた彼女の腰には、細い長剣が提げられていた。

「面白い。貴方とは是非一度手合わせしたいと思っていた」

 ガウェインが構える。ベディヴィアはまだ抜かない。お互いに睨み合ったまま動くことが出来ずにいた。

 ベディヴィアの手がゆっくりと剣の柄に伸びる。彼女の指先がその柄に触れた瞬間、ガウェインが動いた。

 真上に。

「その身を以て知るが良い!忠義と太陽の騎士ガウェインの名を受けた私に敵無しと!!」

「こんな天気の日に言う台詞じゃあないね」

 太陽の騎士ガウェイン。その二つ名が示す通り、彼は太陽の下では三倍の力を発揮出来るという。その時の彼は、円卓の騎士最強と言われるラーンスロット卿と並ぶとも言われている。

 だが、今は曇りである。当然太陽など出ていない。太陽を出すスキルを誰かが持っているならともかく、ガウェインのスキルはあくまでも『太陽の下に限り力が三倍になる』能力なので、現在は全く役に立たなかった。

 他の者も同じである。

 唯一、瑠羅を除いては。

 ベディヴィアとしての彼女ではなく、ニャルラトホテプとしての彼女でもなく、奈以亜瑠羅としての彼女が持つスキルだ。それを使えば太陽を出すことは容易い。天気も時間も関係ない。

 だが、今の彼女はあくまでもベディヴィアであったし、そもそも敵に塩を送るようなことをするような彼女ではない。飢え死にそうならそのまま死んでしまえ、というのが彼女のスタンスだ。

 それでも、太陽がないとしてもガウェインの攻撃は驚異的だった。

 なにしろ人として有り得ない高度から斬りつけてくるのだ。ベディヴィアとしては避ける他ない。

「音に聞こえたベディヴィア卿がその程度か。もっとも、その細剣で受け止めようものなら、間違いなく刃が折れるだろうが」

 斬られる寸前に大きく後ろに下がって躱したベディヴィアを、ガウェインは嗤った。

「無駄だよ。もし仮にラーンスロット卿と二人がかりだったとしても、私には傷一つ付けられない」

「大したハッタリだな。その隻腕で、二人を相手すると?」

 アーサーの後ろに控えていた男が反応した。その男こそ『湖の騎士』と称されるラーンスロット卿、その名を受けし者だ。

「そうとも。私が君達を恐れる理由はないからね」

 そう言いながら、ベディヴィアは髪を解きだした。そして背中まであるその黒髪を、肩のところでバッサリと斬り捨てた。

「何を考えている。身体を少しでも軽くしようとでもしているのか?」

「『語りえぬものについては沈黙しなければならない』だよ、ラーンスロット。当てずっぽうでものを言わない方がいい。命取りになるぞ」

「…………」

 いわゆるジト目という顔でラーンスロットは見つめた。そして一歩前へ出る。

わたくしも参戦致します。宜しいですね、王?」

「好きにせよ。余はもう飽きた」

「ありがたき幸せ」

 そう答えるなりラーンスロットは斬りかかって来た。

 ベディヴィアはひらりと躱して剣を向ける。

「二人同時に来ないと無理だよ。まあ、それでも無理だけど──」

 ベディヴィアが言い終わらない内にガウェインと共に二方から斬りつけようとする。

 太陽の現身たる聖剣ガラティンと、決して壊れぬ魔剣アロンダイトによる挟み撃ち。並外れた剣士であっても、その両方を防ぐことは難しく、避けることなど尚更不可能だった。

 だが、二人とも彼女に届かずに止まる。

「ぐっ……」

「ぬう……」

 ガウェインの首元にはベディヴィアの細剣が伸び、ラーンスロットの剣は数多の触手によって押さえつけられていた。

 ガウェインが斬りつけるより、ベディヴィアが首を斬る方が圧倒的に容易い為に、ガウェインは身動きが取れない。ベディヴィアの右袖内側から伸びてきた触手は、ラーンスロットの剣にがっちりと絡みつき、微動だにしない。二人とも完全に攻撃を封じられた。

 ベディヴィアにしてみれば、この状況は甚だ不本意だった。ガウェインは多少距離があったので剣を使って動きを封じられたが、ラーンスロットは近すぎて触手を使う他なかった。そもそも余計な挑発をするのがいけないのだが。悪い癖である。覚悟の上だったが。

「何と面妖な……」

 ラーンスロットが呻く。

 ゴム状のヌルヌルとした触手がさらに伸び、今やラーンスロットの手首に巻き付いている。

 ガウェインは一歩下がり、凄まじい速度でベディヴィアの剣を弾き飛ばそうとしたが、一瞬速くベディヴィアが剣を引いたので、ガラティンは空を切った。

「……円卓最強と謳われる二人を相手にしてその戦いぶり、以前よりかなり腕を上げたとみえる。どうだ、ベディヴィアよ。今一度、余の騎士として仕えぬか?余は寛大だ。今ならまだ許してやっても良いだろう」

「陛下!?」

 静観していたアーサーが声を上げた。

 驚いたのはガウェインである。まさか自分の戦っている相手を、それも裏切り者を勧誘するとは考えていなかった。

「……願ってもないお誘いですが、私を信じてくれる仲間がおりますから」

 それに、と彼女は続ける。

「見ての通り、私はもうヒトではありません。私のようなモノが『ウーヌスキャメロット』にいる訳にはいきません」

 花のキャメロットが台無しです、と寂しげに笑って、剣を収めた。

 同時に、彼女の身体が淡く光り出す。

「嗚呼、お迎えのようだ。私の仕事はここまでです。さようなら、我らが王、騎士達の王アーサー王よ。次に会う時は、躊躇いなくお斬り下さい」

 言い終わるかどうか、という所でベディヴィアの姿は消失した。気配も完全にない。お迎え、ということは逃げた仲間とやらの何らかの能力なのだろうとアーサーは判断した。

「王よ、何をお考えなのかご教示下さいませ。何故あのような者を引き入れようなどと思われたのです?」

 弓を持った騎士メンバーが問うてくる。

「──悲しみの騎士トリスタンよ。貴様なら分かっているのではないか?」

「信じたくない、というのが本心でございます」

「……そうか」

 アーサーはそれ以上何も言わなかった。

 トリスタンを含めた騎士達もまた、無言だった。一言も発せられぬままに、『ウーヌス』の気配は一つ、また一つと闇の中に消えていった。


 ◆◇◆


「ここまで逃げれば大丈夫だろう」

 聖司が言った。裕翔としても異論はなかったし、他のメンバーに関しても同じ意見のようだった。

 場所はやはり廃ビルの屋上。先程まで拠点にしていた廃ビルからはかなり離れるが、雰囲気は似たり寄ったりだった。

 裕翔は腰を下ろした。この三年間でかなりの戦闘経験を積んできた彼ではあったが、ビルからビルへ飛び移って逃げるという経験はなかった。走って、跳んで、また走る。それを15分ほど。疲れないわけがない。

「さてと、コイツを開けなきゃならないんだっけな」

 ポケットから歪んだ箱を取り出す。

「開けて、それから中の物を見つめる必要があるだろうね」

 直哉が言った。

「コレが何だか知っているのか?」

「嗚呼、多分だけど。それは『輝くトラペゾヘドロン』だな」

 裕翔には聞き覚えがない単語だ。直哉を除く他のメンバー達も皆一様に「分からない」という顔をしている。

「クトゥルー神話に出てくるアイテムで、その黒い物体を見つめることで『闇に棲みつくもの』を召喚できるんだとさ。『闇に棲みつくもの』っていうのは即ちニャルラトホテプのことだから、今は瑠羅のことだ」

 唐突に裕翔は理解した。

 何故瑠羅が敢えて箱を渡したのか。逃げた後で開けろと言ったのか。

 つまり彼女は、自分が襲撃者達から逃げる手段として、この『輝くトラペゾヘドロン』とやらを使おうと考えていたのだ。

 だが、それでは何故敢えて渡したのか。中の物には絶対触るな、とまで言っていたが、触られたくなければそもそも裕翔に渡さなければいいだけの話だ。

 考えても仕方ない。これがどういうもので、どのように使うのか分かったのであれば、ぐずぐずしている必要はない。裕翔は躊躇いなく箱を開け、中の多面体を凝視する。

「俺達は周りを見張っていよう。皆で覗き込んで敵に襲われたりしたら話にならねえ」

 聖司が指令をだした。それに従って他の四人が散らばって周囲を警戒するが、特に何も見いだせなかった。

 一方で、裕翔が見つめる黒い多面体が仄かに輝きを放ち始めた。まさに『トラペゾヘドロン』というわけだ。

 物体から影のように漆黒のモノが溢れ、やがてソレは人型を成す。

偏方二十四面体トラペゾヘドロンに呼ばれて颯爽登場!」

「……お前そんなキャラだったか?」

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