第3話

 □■□


 時間の経過は残酷である。

 瑠羅は今、そんな簡単な定理に頭を悩ませていた。

 そもそも客観的に見れば瑠羅が勝手に『クィーンクゥェ』に喧嘩を売りに行ったのがいけなかったのだが、彼女は決してそれを認めはしない。

 大体、こんなところで玉鬘綾女に出会うことになるとは思っていなかった。完全に予想外だ。ついこの間まで気配がなかったかと思えば、ここへきていきなり邂逅とは。しかも向こうはこちらを探していたという。なんという不覚か。

 助けを求めてから、もうじき五十分になる。二十分もあれば辿り着くだろうと思っていたが、既に予想から三十分も遅れている。

 そもそも彼らは自分を助けになど来てくれないのではないか、と瑠羅は思った。出来れば考えたくない可能性だが、こうなるとそうも言っていられない。

 今や絶体絶命に近い状態だ。右腕は肩から無く、左腕一つで扱うには大鎌サイズは重すぎた。別に持ち上げられないとか、振り回せない訳ではない。ただ、重量が片側に偏り過ぎてしまい、バランスを崩しかねないのだ。一瞬の隙を突いて右腕を叩き切って見せた綾女の前でその様な事は出来なかった。なので今ではただ杖のように体重を支える為の道具でしかなかった。

(血が足りないなぁ……。駄目だ、もう限界かも。まだ馴染んでないからかなぁ。折角のに、ここで終わるなんてね……いや、それも邪神わたしらしいか)

 右肩からの出血が酷く、意識を保つのがやっとだった。加えて、辺りは火の海。何もしなくても体力が奪われていく。

「もう仕舞いか?」

「……」

 答えるだけの体力もない。

「ならば死ね。貴様の居場所など、この世のどこにもありはせんのだから」

 刀を持った女がひたひたと近付いてくる。瑠羅にはその姿が、鎌を携えた死神のように見えた。

「……」

 死神が、後ろに立っている。刀を首筋に当てられているのが分かる。少し力を籠めればそれで瑠羅の命は尽きるだろう。普通の人間に斬られるならいざ知らず、彼女の持つ刀は駄目だ。瑠羅の鎌もそうだが、アレで斬られてはいかなる者であっても、直ちに死に至るだろう。右腕を即座に再生出来なかったのがいい証拠だ。いくら万能でも、死んだモノを戻すことは出来ないのだから。

 しかし、まさに瑠羅の命の火が途絶えようとする時、綾女の背に西洋刀サーベルが突き刺さった。

「何だと!?」

 綾女がバッと振り返る。

 瑠羅には分かった。玲がスキルで作ったサーベルを、聖司がスキルを使って投げたのだ、と。昔はナイフ程度のモノしか作れなかった玲は今や相当長い刃物も作れるようになっていたし、聖司のコントロールの腕も相当上がっていた。

 これは、綾女にとって予想外だった。こんな奴を助ける奴などいないだろうと思っていたのだ。瑠羅の正体を知っている綾女にしてみれば、それが当然の帰結ではあるのだが。

「お、そい……」

 やっとの思いで声を出した。

 これまで『セプテム』に限らずあらゆる所で、味方さえも道具として利用してきた瑠羅ではあったが、今程彼らが頼もしく見えた事は無いし、今後もないだろうと思った。

「えぇい! 時間切れか」

 綾女は苦々しく怒声を上げ、手で顔を覆いながら後方へ跳躍した。瑠羅の上を飛び越える形で、そのまま何処かへ姿を消す。気配が完全に消えたので、恐らく自らの本拠地へ転移したのだろう。

「瑠羅!」

 聖司が駆け寄ったが、右腕のない瑠羅を見てハタと立ち止まった。

「お前……腕──」

「嗚呼…ぶった斬られたよ。アレは、化け物だ。私よりも、遥かに度を越した、化け物だ」

 息も絶え絶えに言った。聖司は未だ絶句している。他のメンバーも、血溜まりの中に座り込む彼女を一目見るなり言葉を失った。

「助かったよ、聖司。それに、皆も。ここまでやられたのは初めてだ」

 彼女にしては珍しく、これは本心だ。本気で死ぬと思っていた所に助けが来たのだから、当たり前なはずだが。

「何があった。何があればそんな事になるんだ」

 敦が尋ねた。そうする事で目の前の光景からくる不快感を和らげようとしているかのように。

「……『神』に会った。魔術師達の頭目たる神に」

「神だって?」

 一真が聞き返す。瑠羅からすれば常識なのだが、そもそも彼らは魔術師ではないので、理解しかねるのも仕方のない事だった。

「そう、神。正確には『神に到達した人間』だ。説明すると、長くなるから、先にアジトに戻ろう。戻れば、私の腕も、どう、に…か──」

 そこまで言って瑠羅は倒れた。体力の限界だったのだろう。或いは血の。

 いずれにしても、このまま置いておく訳にもいかず、協力してアジトに運び込む事になってしまった。

「本人はオレが運ぶぜ。俺の能力なら楽勝さ。その代わり、皆はその馬鹿デカい鎌持ってくれ。もうすぐでこのボロ屋崩れるぞ」

 手早く敦が仕切って運び出す。鎌は裕翔や直哉が一人で持つには重過ぎるだろうが、玲と一真を加えた四人で運べば楽々だった。

「コイツ、腕が無いって言っても軽過ぎんだろ」

 崩れ行く廃屋から出た時、敦が呟いた。その呟きは、何故か裕翔の心に残った。


 ◆■◆


「取り敢えず、これで生活するしかないね」

 そう言った瑠羅の肩には、銀で出来た義腕が取り付けられていた。

「左右で重さが違うから、違和感はあるけど、治せないなら仕方ないさ」

 そう瑠羅は笑うが、その姿はかなり痛々しいものだった。色々な意味で。

 所々破れたゴスロリファッションに、銀の腕。その姿はまるで──

「厨二病みたいだな、その格好」

「ぐはっ!」

 敦の攻撃。会心の一撃! 瑠羅は倒れた。

「……初潮も来てないような子供に向かって言う台詞じゃないよね、それ」

「いや、お前自分が何歳いくつだと思ってんだよ。大体、お前が獲物仕留める度に自慰してんの知ってんだぞ、オレ達」

 容赦なく攻める敦だが、瑠羅にはもう効かなかった。早すぎるダウン復帰だった。

「十三だけど、初潮が来てないのは確かだもん。そして、生理が来なくても性欲はある!」

 そんな事を堂々と言われても困る、というのが構成員の総意だったが、瑠羅はその程度の事で気を遣ってくれる人物ではない。

「なぁ、いい加減説明してくれんか?」

 痺れを切らした聖司が言った。瑠羅の顔が、何かを言おうと口を開いた状態で固まる。

「あー、そんな話だったっけ。OK、じゃあよく聴いてくれ」


 ■◆■


 そもそも、アイツは誰なのかと言うと、玉鬘綾女という名の魔術師だ。更に彼女の出自を辿ると、ただの狐になる。長く生きた狐が神通力を持ったもの、それがアイツの正体だ。

 どういう経緯があったのかは分からないけど、彼女は千年ほど前に人間として生き始め、挙句の果てに神に到達した。

 さて、じゃあここで神について説明しよう。

 この世界には、人間Human動物AnimalGodの三種類の種族がいる。人と動物については説明する必要ないよね。

 神っていうのは、概念だ。神という概念。概念である以上、それに実体はない。

 でも、そんなものが地上を支配していた時代がある。その時代のことを、私達魔術師は『神代』と呼んでいる。カミヨと読んだりシンダイと読んだり、人によるけどね。

 さて、その神代が終わり、ヒトの世が来た。すると神はもう地上には表れることが出来ない。ただし、化身という形をとれば話は別だ。聖書なんかには、神の化身として鳩が登場するでしょ?それと同じ。

 ところが、神と人と、そして動物とは少しずつ概念上で重なっている。

 例えとして、色の三原色を思い浮かべて欲しい。

 この空色Cyanを人間、黄色Yellowを動物、赤紫Magentaを神としよう。

 そこでなんだけど、よくある三原色のイラストって、少しずつ重なってる部分があるでしょ?

 例えばこの緑色Green、ここは人間と動物の間だ。玉鬘綾女のように人間として生きている動物や、逆に獣同然の生活をしている人がこれにあたる。

 赤色Redは動物であり神。動物の神、例えばガネーシャみたいなのがこれにあたる。

 残る青色Blueは、人であり神でもあるものだ。現人神、或いは死後神に列せられた人間。例えは――必要ないね?

 さて、故意にだけど、残ってる色があるよね?そう、Blackだ。

 これは全ての原色の混合。つまり、人間であり動物であり、神でもある化け物の領域だ。今の玉鬘綾女はここにいる。そして、

 ストップStop。気持ちは分かるが質問は後だ。

 神は概念だってさっき言ったよね?それはつまり、『神として崇められれば』何者でも神になれるということだ。

 代わりに、信仰する人が誰もいなくなったら消滅するけどね。

 新しい神になるのは容易い。新興宗教でも立ち上げればいいことさ。

 でも、神になる方法はそれだけじゃない。既に人々に認知されている神と融合すればいい。もっとも、信仰というものが薄れた現代において、そんな手法を取れることはまず無いけどね。何しろ、大衆からその神として信仰されなきゃいけないんだから。昔はこっちの方が有効だったろうけど、今じゃよっぽど新興宗教の方が楽だな。

 で、アイツも私も、何らかの理由があって神と融合した異常者なんだよ。

 彼女は『稲荷神』及び『宇迦之御魂神』との融合体……かと思ったら、数多の神性を取り入れてるらしい。でもまあ、大本は宇迦之御魂だよ。

 私は――言わなきゃ駄目な感じかな?

 なら仕方ない。私は『ニャルラトホテプ』もしくは『トホテプ』と呼ばれる神性だ。そもそも、元から私は彼の化身Avatarなんだよ。千もの化身の内の一人。ニャルラトホテプ自体の解説は他に譲るけど、取り敢えずは邪神だと思ってくれればいいさ。かの有名な『クトゥルー神話』に登場するトリックスター的存在だよ。ただし、私もまた、それだけじゃない。

 私はね、『クトゥルー神話』に登場するあらゆる神性、あらゆる怪物の力をこの身に宿しているのさ。まあ、玉鬘綾女には通じなかったけど。

 化身として人間の姿をとりながらも、怪物の力を持ち、その正体は邪神。だから私は三原色の例えでは黒なのさ。


 ◆■◇


「――と、こんな感じで私の話はおしまいだけど」

 瑠羅は、大きく伸びをしながら言った。

「つまり、お前は元からその、神だったってことか?」

 聖司が恐る恐ると言った調子で訊いた。実際に真っ先に口に出したのが聖司だったというだけで、他の構成員メンバー達も同じことを思っていた。

「違うよ?」

 あっけらかんと答える。では今までの話は何だったのか、と拍子抜けした。

「は?」

「化身って言っても、ただの人間と変わらないんだよ。ナイアルラトホテップの場合、自分がその化身だと気が付かない奴もいるくらいさ。ただ私は、自分が邪神の化身だと自覚してからずっと自分自身の正体たる神と融合すべく鍛えただけさ」

 化身といえども神ではないのか、と裕翔は納得した。正確には納得したことにして、思考を止めた。

「神でも死ぬことってあるのか?」

 ふと気になって、裕翔が尋ねた。先刻の瑠羅は余りにも死にそうな程苦しそうにに見えたが、それは本当に死にそうだったのか。それとも、

「死ぬよ、場合によっては」

「場合によっては?」

 裕翔が聞き返すと、瑠羅は小さく頷いた。

「基本的には死なないよ。でもね、世の中には『死なない者も殺す』武器とか、そういう矛盾を孕んだ訳の分からないものもあるからね。私の鎌がそうだけど。私の腕をぶった斬った刀は、多分『神を殺す』武器だな。恐らく、そういう伝説のある刀剣の打ち直し、もしくは写しだ」

 瑠羅はそう答えながらソファに倒れ込んだ。神といえども疲労はするらしく、だいぶ疲れた顔をしている。

「そーゆー訳で、私は奈以亜瑠羅というペルソナPersonaを被っただけのアルカナArcanaさ。正体がバレた今、私の処遇は君達に任せるよ。ただ、今は少し寝させて欲しい」

 そう言うなり瑠羅は眠りに落ちた。安らかな眠りである。ついさっきまで死にかけていた人間とは思えない程だ。そもそも人間ではないようだが。

「…ペルソナとアルカナって何だ?」

 敦が尋ねて来たが、裕翔にも分からなかった。分かったのは、取り敢えず英語ではない、ということくらいだ。

 代わりに直哉が答えた。

「どっちもラテン語だよ。ペルソナは『人格・仮面』、アルカナは『秘密・神秘』って意味だ。多分瑠羅が言いたかったのは、それぞれ後者だと思う」

 相変わらず何でも知っている男だ。本人に言えば否定するだろうが、このメンバーの中で一番博識なのが直哉であることに間違いはない。小学校すら出ていない疑惑がある者がいることを鑑みれば仕方ないのかも知れないが。

「それにしても、処遇は任せると来たか。どうして欲しいんだろうな、アイツは」

「どうなんだろうね。そもそも、何で今更わたし達に話そうと思ったんだろう」

 聖司と玲が、今一番するべき話を始めた。途方に暮れたままではあったが。

「これに関しては『聖司ボスに任せる』って訳にはいかないもんね」

 一真も呟く。裕翔は沈黙した。直哉も敦も沈黙した。

「いや、俺はもう決めたぞ」

 聖司が厳かに言った。彼に厳かさは似合い過ぎて恐ろしいくらいだった。


 ■◇◆


「……で、私の処遇はどうなった?」

 瑠羅が呑気に言う。まあどう足掻いても『セプテム』のメンバーが瑠羅に勝つことなど不可能なので、さして慌てることはないのかも知れない。

「おう、よく聞け。お前は、『セプテム』に残す」

 瑠羅と対称的に硬い表情の聖司が答えた。今二人は膝ほどの高さの机を挟んで向かい合って座っている。

 瑠羅は気持ち目を見開き、ソファから飛び上がるように立ち上がった。意外な結果だったらしい。どうして、と口が動くのが見えた。声は発せられていなかったが、裕翔は確かにそう読み取った。

「俺は考えたんだ。まあ玲に言われてのことだったが。『何で今話す気になったのか』ってな。別に話さないことだって出来たはずだ。自分がそうだと言わなきゃいいだけの話だからな。にも関わらずわざわざ話したのは何故なのか」

 瑠羅がゆっくりと座り込む。構わず聖司は続けた。

「結論として、お前が俺達を信用してくれたからだと考えた。別に実際には違ったっていい。問題なのは俺が、俺達がどう受け取ったかだからな」

「……君、自分が何を言ってるのかちゃんと理解してる? 私を仲間にする、私の仲間になる事の意味、ちゃんと分かってる?」

 辛抱たまらず、といった様子で瑠羅が口を挟む。基本的に巫山戯倒しの彼女だが、流石に今ばかりは神妙な顔つきだった。

「さてな。お前の思う『意味』が俺達にとってどれほどの重要性を持つのか、分からんがな」

「お前は馬鹿なのか!? 私が何者なのか分かってるんだろ? 人類にとって敵なんだぞ。だったら──」

「だったら、俺達くらいお前の味方でもいいじゃねえか」

 聖司の静かな返答に、瑠羅は言葉を詰まらせた。両の眼を大きく見開いたその姿は、どう反論するべきか悩んでいるように裕翔には見えた。

「……君達も、ヒトの敵になろうって言うのか。自分も人間なのに。人々にとっての悪に望んでなろうと言うのか」

 瑠羅はそう言って、眼前の支配者から目を背けた。

 津葉本聖司という王に支配された『セプテム』という王国からは、何者であっても抜け出すことは出来ない。ソレが瑠羅であっても。腕に嵌められた端末がある限り、どうやっても逃げられない。外せるのは、リーダーだけだ。

「人々にとっては悪かも知れねえ。だが、それはお前にとっては正義だ。なら貫けばいい。もしお前が己の正義を貫けない程度なら、そんな奴はここには必要ない。元の奈以亜瑠羅がいればいい。お前が自分の正義を貫けるなら、それこそ大歓迎だ」

「……聖司はともかく、他の皆は?」

 瑠羅が呆れ顔で見回した。順番に顔を見合わせても、誰も声を上げなかった。ただ、彼らの表情がその意思を明確に伝えていた。言うまでもない、と。

「――なるほどねえ。君達は本気で悪の道に走りたいらしい」

 そう言いながら、瑠羅は再び立ち上がった。口の端をクッと吊り上げ、不敵な笑みを浮かべる。彼女にとって、悪へ往く同朋の存在ほど嬉しいことはなかった。

「それならいいだろう。私が君達を素晴らしい悪へ導いてあげようじゃあないか」

 高らかに宣言する。

 歌うように。唄うように。謳うように。

「でも一つだけ、忘れちゃいけないことがある。悪を貫く上で大事なことだ」

 いつの間にか手中に現れていたカードを弄びながら瑠羅が言う。ぐちゃぐちゃに掻き混ぜてから一つの束にし、それを三つに分けて組み直す。最終的に彼女が引いた札には、剣と秤を持ち、王冠を被った男が描かれていた。

「悪は正義の対義語だ。だけど、正義ってなんだろうね? この世に絶対的な正義なんてものがあるかな?答えは否だ。私にとっての正義があって、誰かの正義がある。それが対立した時に、相手方の正義が悪になるんだ」

 瑠羅は先程引いたカードを机に置いた。『正義JUSTICE』のタロットカードである。瑠羅が自分の方に向けるように置いたため、裕翔達には逆位置に見えることになっていた。

「正義の味方と悪の組織? ハッ、笑わせる。やってることは結局のところ、自分の正義の押し付け合いだ。『正義は必ず勝つ』なんて言うけど、そんなものは子供の理屈だ。正義が勝つんじゃない。勝った方が正義なんだ」

 歴史を見る限り、それは明らかである。だが多くの人が勘違いしている。本来どちらが正義かなど人によって違うはずなのに、絶対的なものとして看做したがる人のなんと多いことか。

「だから私達は私達の正義を貫けばいい。それはさっき聖司が言った通りだね。その為には、負けないことが最低条件だ。負ければ相手が正しいということになるから。他のグループと戦っては勝ち、魔術師に会っては殺し、神に遭っては滅ぼす。絶対に負けることは許されない」

 いいね、と瑠羅は目をやや細めた。

「それじゃ、早速御礼参りの算段を立てるとしようか。やられっぱなしって訳にはいかないからね」

 それを受けて聖司が立ち上がる。

「よし、当面の目標は玉鬘綾女の無力化だな。俺達ならまだ新人魔術師の振りで連盟に侵入出来るんじゃねえかと思うんだが、どうだ?」

「え? あぁ、そうか」

「どうかしたか?」

「いや、何でもない」

 聖司はまだ二十歳のはずだが、三十歳近いような落ち着きのある顔つきをしているので、こうして真面目な表情かおをしていると実年齢が分からなくなる。煙草が楽に買えていい、と本人は気にしていないようだが、裕翔は偶に聖司の年齢を忘れる事がある。今もそうだった。

「どうだろうな。チラと覗いた感じ、そうそう簡単に入れてくれそうにはなかったぜ。魔力の計測なんかされると一発でアウトだろ」

「わたしも反対かな。何の策もなしで敵地に飛び込むのはちょっと……」

「脳味噌が筋肉で出来てるのか君は」

 酷評である。

 元より口の悪い敦はともかく、玲や直哉にまで言われているのだから気の毒だ。言わなかっただけで、裕翔も同意見だったが。

「まあ私としても賛成は出来ないね。むしろ周りを囲んだ方がいい」

「周りだって? それが魔術連盟じゃないのか?」

 裕翔が尋ねた。それは真っ当な問いだと思ったが、瑠羅は呆れ顔でかぶりを振った。

「いいや。それだと広すぎる。私達だけでは囲みきれないし、入り込んだところで彼女は何の反応もせず、我々は排除されるだろうね」

 裕翔は眉間に皺を寄せた。理解し難いことに直面すると、彼はよくこういう表情を浮かべる癖があった。

「じゃあどうすればいいのかってのを魔術師じゃない君達に分かれというのも無理があるからね、今回は答えを教えてあげるよ」

 そう言って瑠羅は微笑んだ。彼女がそのような笑みを浮かべる時には大抵ろくな事がないので、裕翔はこの時点で嫌な予感をひしひしと感じていた。

「もっと近しい関係の人物、例えば家族なんかを狙うべきなんだけど、生憎と彼女にそんなものはいない。では誰を狙うか。こうなればもう、彼女の弟子を襲うしかないでしょ。他に関係者とかいないし」

「……その、狙うべき弟子って奴の正体や居所は分かってるのか?」

「勿論」

 裕翔の再度の問いかけに、瑠羅は嫌な笑顔で答えた。

「名は橋姫紫音。探偵だよ」

「探偵? 魔術師なんじゃないのか、ソイツは」

「珍しく真っ当な質問だね、敦」

「あ?」

 決して敦が普段ふざけているとか、いつもの質問が的外れだとかそういうことはないはずなのだが、瑠羅は喧嘩を売るように意地の悪い笑みを湛えながら言った。やはりコイツを信用すべきではなかったのではなかろうか、と裕翔は思ったが、首を振ってその馬鹿げた考えを振り払った。彼女を仲間と認めたのは彼等自身なのだから。

「まあ今のは冗談だけど」

 分かりにくい冗談だった。彼女の場合、そういうことが全て本当に聞こえるのだからもう少し自重した方が良いだろう。

「彼女は魔術師でありながら探偵なんだよ。神秘に触れる者としては信じられない行動だけどさ」

「神秘なんて所詮は虚構フィクションだ。現実リアルとは程遠い」

 裕翔が呟いた。神秘というものについて常々思うことだった。

「言うねえ。君以外の六人が皆神秘使いだというのに」

「つまり、現実を生きてるのは俺だけということだな」

 瑠羅の嫌味に皮肉で返す。いくら仲間と認めたとはいえ、結局のところ裕翔は瑠羅のことが好きではなかった。

 瑠羅はやや肩を竦め、敦に紙飛行機を投げつけた。いつの間に折ったのか。

 敦が広げると、そこには橋姫紫音の家の住所が書いてあった。それと、簡単な地図も。

「へぇ、立派なとこ住んでんなぁ。気に入らねえ」

 そんな理由で気に入らないと言われる橋姫が客観的には可哀想ではあるが、彼女にとって残念なことに、この場には敵にかける情けを持ち合わせている者は一人もいなかった。

「一真、一緒に行ってらっしゃい。君達の能力なら、あっという間に着くと思うからさ」

 瑠羅がその特徴的になってしまった銀の右腕で一真を指す。一真は元気よく飛び上がって、真っ直ぐ地面に降り立った。

「はいはい。久しぶりの仕事といきますか」

「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」

 軽い調子で出て行く二人。

 見送る裕翔はやはり何だか嫌な予感がした。

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