All You Need Is

ひじ

All You Need Is

“魔法教えますー入会生募集中! 今なら豪華入学ディナー付き”

 そのポスターを見かけたのは大学に入学して半年ほど経った秋の事だった。

 新入生だと持て囃される時期も過ぎ、試験や課題も一通りこなした俺はやる事のない毎日をただのうのうと過ごしていた。夏休みも終わりあと2週間ほどで試験期間に入るが、どうもやる気がでない。だいたいようやく過ごしやすい気温になってきたと言うのに、図書館にでも閉じこもって勉強しろというのか。

 だからと言って打ち込めるようなサークルにも入っておらず、俺は毎日昼過ぎに起きては適当なものを食べて町をふらふらするという無意味な毎日を過ごしていたのだ。

 そのポスターは駅の壁に隠れるようにして貼ってあった。角の削れていない様子から、最近貼られたものだという事が分かる。ポスターに写る男は黒いタキシードに山高帽を被っていて、大きな壁から色とりどりのリボンと鳩を出していた。魔法なんて何を突拍子もない事を、と最初は思ったが、なるほど、きっとこれはそういうコンセプトのディナーショーなのだろう。日付は今度の木曜日で、ディナーの値段は特に書いていない。破格の値段を取られる詐欺かなんかだったりしてな。

「興味がおありですか?」

 急に声をかけられ振り返る。時間が止まったかと思った。目の前にいたのは綺麗な赤い髪を腰まで伸ばした、驚くほど美人の女性だったからだ。同い年ぐらいだろうか。緑色の目が印象的だ。

「い、いやあ、どうなんでしょうね! 面白そうな気もしますけど、子供だましにも見えますし」

「きっと楽しい時間になりますよ」

「あなたも参加された事が?」

「はい。お手伝いをしているんです」

 この瞬間、ポスターを怪しむ気持ちはなくなり、俺は参加を決意した。この人とお近づきになる事ができれば、俺の大学生活も少しは色づくだろう。俺はディナーの場所をメモしようとスマホを取り出し、写真を撮る。

「……あれ?」

 おかしいな。何度シャッターを押しても、白と黒の靄がかかったようにポスターは映らない。特殊なインクを使っているのだろうか、それともカメラが壊れたか。

 困っている俺を見かねたのか、彼女はくすりと笑ってA4ほどの紙を差し出した。

「これ、良かったらどうぞ」

 受け取る。目の前にあるポスターと全く同じ顔の男がこちらを向いて笑っていた。

お礼を言おうとして顔を上げると、いつの間にか彼女はいなくなり、通りの向こうで老婆が横断歩道を渡ろうとしているのだけが見えた。


 *****


 朝方に寝て昼過ぎに起きる生活を繰り返している内に木曜日は来ていた。ポスターに記されていた場所に到着するとそこはこじんまりとしたホテルで、黄色いカーディガンを来た老人が受付をしている。駅前のポスターを見て来たというと、寝ているのか起きているのか分からない老婆は何も言わずにただ、俺が行くべき道を指し示した。

 指の先にある階段を下ると、広い会場に丸机がいくつか並べてある。俺の他には7人ほど、年齢も性別もバラバラの人たちがすでに到着していた。あまりの少なさに驚いたが、平日の夜に行われる怪しいディナーショーが混んでいる方がおかしいのかもしれない。ここに集まったもの達は変わり者なのだろう。俺自身もそうだということは置いといて。

 俺は一番近くのテーブルに座る。小学生の少年と、定年を迎えたばかりといった井出達の紳士との相席だ。目があう。少年はニッと笑うと、すぐにまた下を向いてしまった。宿題か何かをやっているようだ。

「……どうも」

「どうも」

 紳士とはそれだけ交わして、あとに流れたのは気まずい空気だった。

しばらくすると数日前に出会った彼女が駆け込むように入って来た。黄色いカーディガンが彼女の髪によく映える。あとで声をかける時の話題になりそうだ。彼女は他にも黒い山高帽を被り、黒いマントを羽織っていた。

 そして次の瞬間、俺は自分の目を疑うことになる。

「ようこそみなさん、入学おめでとうございます!」

 そう言った後、俺が瞬きをしている間に目の前にいる彼女がフロントにいた老婆に変わったのだ。周りもざわついている。俺は思わず目をこすると、今度は40代ほどの妙齢の女性になっていた。

「私が皆さんの担当教師、マーチです」

 そして彼女は元の20歳ほどの外見に戻る。……そうか、これは手品だな。俺は自分を納得させるように心の中でつぶやいた。彼女はこのディナーショーの手伝いをしていると言っていたじゃないか。手品ができても不思議ではない。

 俺を含め観客が呆然としている間に、彼女は説明を続けた。授業は1週間に2回、火曜と木曜の8時から9時の1時間であること、特に持ち物は必要なく、教材は向こうが用意するということ。月謝は満月の日に払うという事。そして一言何かを言う度、俺が瞬きをする度に、彼女の外見はどんどん幼くなっていき、今や彼女は5歳くらいになっていた。

「――以上が入学における説明です。では質問がなければ、契約書にサインをしていただきたいと思います」

 何もない空間から紙とペンが現れ、俺の前に並べられた。書面には読めないくらい達筆な字で何やらたくさん連ねてある。日本語ですらないのかもしれない。

サインしてはいけない種類の物だと言うのは明瞭だった。

「ちょ、ちょっと待てよ!」

「あら、君はこの間の……来てくれたのね!」

 俺は思わず立ち上がり、抗議の声を上げた。彼女は「質問かしら」と言いながら俺の元まで歩いてくる。途中、今度は10歳ほどの外見に瞬時に変わった。

「魔法学校に入学とか、契約書とか、訳わかんねーよ! だいたいこれってディナーショーじゃ……」

「あら、ポスターにはちゃんと魔法教えますって書いたわよ? 嘘は言ってないわ」

「そうだけど……でもだいたい魔法って、そんな事できるわけないだろ!」

 だいたい君のそれだって何か仕掛けがあるんだろ! と続けると。マーチは「ええ、自分自身に魔法をかけてあるのよ」と大真面目な顔で答える。そして目の前で20歳くらいまで成長した。この距離で手品の種を仕掛けることなんて無理だと俺の頭が言っていたが、認めたくはなかった。

「はーい、質問です。先生!」

 その時、同じテーブルに座っていた少年が手を挙げた。彼女が促すと、彼はきらきらとした目で「僕も魔法が使えるようになるの!?」と聞いている。どうやら魔法の存在を受け入れたどころか、入学する気満々らしい。

「もちろん、あなたも使えるようになるわ。駅前に貼ったポスターは、才能がある人にしか見えない魔法がかけられていたのよ」

 わあ、と嬉しそうな声をあげ、少年は迷いなく契約書にサインをした。それをきっかけに、あろう事か他にもペンを取る人が現れる。俺はまだ受け入れられなくて、彼女をきっ、とにらんだ。

「……ひとつ、頼み事をしても良いですか、先生?」

「あら、畏まらないで、マーチって呼んで! それで、何かしら?」

 いくらかまた大人びた彼女に人知れず息をのみつつ、俺は別の魔法を見せてくれるかと尋ねた。彼女は少しだけ考え込んだ後(それでもまた少し年を取るには充分だったが)、悪戯っぽい笑みを受けべて被っていた帽子を空中に放り投げる。老婆になった彼女が帽子を取る頃、それは杖になっていた。

「じゃあ、行くわよー!」

 杖を振る。その場にいた全員の身体が浮き、天井が目の前に迫った。ぶつかる!と思って目をつぶってもその感触はなく、恐る恐る目を開けると、遠く足元に広がるのは見慣れた町だった。

「みんな、乗って!」

 どこからかマーチの声が聞こえる。思わず見回すと、俺たちの背後を大きな赤いドラゴンが飛んでいた。開いた口が塞がらなかったが、もはやこの可笑しな出来事の連続に頭が慣れてきてしまっているのか。ドラゴンが彼女の声で「早く!」と急かすので俺は空中をクロールで移動してその背中に乗った。

「このまま国を一周しちゃいましょう」

 翼を動かしたかと思いきや、ドラコンはジェットコースターのような速さで飛び始める。東京タワー、田舎町、通天閣、首里城、城、牛、また城、そして気が遠くなるほどたくさんの人人人……。国を一周する旅行はあっという間に終わり、気が付けば俺たちまた、ホテルの上空まで戻ってきていた。ドラゴンはそのままホテルに向かって突進する。しかしまたもや俺たちが壁にぶつかる事はなく、いくつかのコンクリートをすり抜けた先の最初のホールで降ろされた。

テーブルには食事が用意され、暖かそうな湯気を上げている。

 ドラゴンは目の前で緑色の光を放ち、案の定20代の外見をしたマーチに姿を変えた。脳みそが追い付けず、俺は呆然と彼女を見上げる。

「これで満足かしら?」

彼女はどこか誇らしげな表情でウィンクをした。初めて会った時と同じように、俺はときめいてしまう。それを隠すように俺は慌てて口を開いた。

「ほ、本当に俺たちにもああいう事ができるようになるのか?」

「もちろんよ。練習すればもっと大きな魔法も使えるようになるわ」

「ここで入学を断った場合は?」

「残念だけど、ここでの記憶を全部消させてもらう事になるわね」

 彼女は本当に悲しそうに見えた。俺よりもいくらか幼い顔(15歳くらいだろう)もずいぶんかわいい。……あー、もう、どうにでもなれ! 俺はペンを取る。そうだよ惚れたよ何が悪い! 彼女の事を忘れてしまうのなら契約書にサインをした方がマシだ。それにあんな大きな魔法を見せられて、それが俺にもできるようになるだなんて、心が躍らないわけがない。

 サインをする。彼女は俺の肩に手を置いて、微笑んだ。

「良かったわ。忘却の呪文はあまり好きじゃないの。それに……」

 彼女は目をそらし、少し顔を赤らめた。その姿があと50年ほど若かったら俺の胸もこれ以上ないほど高鳴っていただろう。どうしてこういうときに限って老婆の姿になっているのだ。

「君、80年前に死んだ夫に似ているの。一緒に過ごせるなんて嬉しくなっちゃう」

 うふふ、と笑い。彼女は紙を回収する為に隣のテーブルまで歩いていく。俺は思わずペンを床に落とした。

 80年前に死んだ夫だって? いや、いやいやいや。嘘だろ?

「……失礼ですが、先生、おいくつ?」

「あら、レディーに年齢を聞くなんて失礼ね」

 とだけ答えて、妙齢の彼女は回収した紙に指を滑らせた。一枚一枚が白い鳩になって窓から飛び去って行く。俺はそいつらを見ながら、ふと卒業までにどれくらい時間がかかるのだろうと疑問に思った。

……魔法が使えるようになったら、ポスターを見た日まで戻って自分を殴ってやろう。「目を覚ませ。そいつとは100近い年の差があるぞ」と言ってやるんだ。




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