応援コメント

5−2 詐欺師と哀れな羊」への応援コメント

  • そこに、付け込む隙があった。
    「通りです。趣味に金を使う余裕のある貴族と

    →その通りです(?)

  • お疲れ様です!紅月さま。

     『詐欺師と哀れな羊』拝読しました。

    ※考察大好きな性格なので、先の展開やらを勝手に予測したりしてしまうかも知れません。ご容赦ください。

    ――さて、一見、話の内容が今までと別のベクトルに進んでいるように見えるのですが、題名とそもそも奴隷商と交渉を始めた経緯を考えると、奴隷となった少女を『融資』という形でぶんどってしまおう、ということですね?

    貴族が庶民に教育を施さないのは、民に対し必要以上の教育は不用だと考えていたからです。ヨーロッパにおいて識字率――義務教育の必要性が叫ばれ始めたのは、マルティン・ルターの宗教改革からでした(プロテスタントは聖書を信仰の基軸に据えているが、当時の聖書はラテン語で書かれており、庶民は読むことができなかった。ルターは聖書をその地域の言葉に翻訳し、併せて庶民を教育して聖書を皆が読めるようにした)。フランスやイギリスで義務教育が一般的になるのは産業革命以後になります(産業革命により、労働者が文字が読めなければ仕事ができなくなった為)

    ……勿論、この世界の貴族と庶民の文化格差を私たちの世界のそれと同列に語ることはできませんが、『庶民とは無知蒙昧なものであり、貴族は庶民の無知に対し教え導かねばならない』という矜持と、文化レベルでの支配者階級である貴族の優位性を保つためには庶民は無知である必要があるので、この世界の貴族も庶民の教育に興味を抱かなかったのだと推察します。

    さらに人間以外の驚異が身近にある世界。命の価値が限りなく低く、『死』が『終わり』ではないこの世界で、庶民サイドも明日をも知れぬ日々に『教育』に意味を見出だしていない、または余裕がない。

    庶民の貧困の理由のひとつが教育の不足であるのは間違いないですが、それを解消するには世界のあり方そのものを変えなければならないように思います。

    さて、主人公は非常にスケールの大きな議論――一冒険者と奴隷商がするには――をふっかけて何やら社会福祉的な事業の片棒を担がせようとしているようですが、詐欺ですよね? これは。
    商人も生き馬の目を抜く戦場を生き抜いてきた猛者。果たして狙い通りいくのか?

    非常に興味深いです。

    作者からの返信

    榎原様、いつもコメント頂きありがとうございます。

    5章の今後の展開や6章にも波及する話なので、余り深く触れる事は出来ないのが申し訳ないのですが、ご指摘の通り、所謂『愚民政策』が今回の焦点です。

    土地を拡張できない(正しくは難しい、コストが嵩む)都合、様々な面で効率化を求められるため、教育の必要性は既に広く認知されている様です。
    しかし、その教育が施された結果、既得権益を脅かされる者がいる。
    それは例えば作中で登場した紙(辺境伯からの招待状)というオーバーテクノロジーを実現している魔法使いや、或は生産用魔導具の生産で利益を得ている者、労する事無く幹部の座に座っていた者などですが。総じて経済力があるため、影響力や発言力も伴います。

    この支配者層と既得権益保持者の対立(多くの者は両方の性質を持っているため尚決着が難しい)に、商人の視点から打撃を与えて流れを確定してしまう。それが、主人公の主張となります。乗って来ない奴は放置して、利益を独占してしまおう、とばかりに。
    (……資本主義社会の価値観に毒されきった思考ですね。)

    ▼以下余談

    この5−2、実は2章序盤を公開している頃には既に書き始めていた話なのですが、この形になったのはほんの数日前です。
    舌戦って難しいですね。

    なお『哀れな羊』は『詐術に翻弄される被害者』『スケープゴートとなる主人公』『他者の交渉の結果で将来が決定される姉妹』という3要素を掛け合わせてみました。