5綱引きと綱渡り
5−1 商会幹部との交渉
拠点の隣町に到着して翌日。
辺境伯嬢の取り次ぎのおかげで、俺達は昼一にベリゴール商会の敷居を跨ぐ事が出来た。
ルーウィ以外の面々も同行しているが、基本的に口は挟まない約束だ。相手が組織規模に物を言わせて丸め込もうとしてきたりさえしなければ。
ベリゴール商会幹部を名乗る男性は、奴隷商という言葉のイメージに反して物腰の柔らかい人物だった。いや、辺境伯の令嬢から紹介された客に対して下手な対応をするようでは、商会の幹部にはなれないだろうと考えれば当然か。
「——妹さんを買い戻したいとの事でしたが。まずは、貴方方の幸運と熱意に敬意を。」
挨拶を交えた直後からいったい何を言い出すのかと、怪訝に思った俺が方眉を上げる前で、俺の表情を、場の雰囲気を笑顔の仮面で飲み込んで、彼は続ける。
「やむを得ぬ事情で家族を売る事は、世に知られているよりも遥かに有り触れた事なのです。そして、買い戻し交渉に至れる者は、殆ど居りません。故に私共は、この短期間でその偉業を遂げた貴女と、そのお仲間に敬意を抱いている旨、まずはご理解下さい」
悲しみと喜びを、声の緩急だけで表現した彼は、1つ大きく礼をした。
その言葉を受けるのは、やはり交渉の中心人物であるルーウィであるべきだろう。
そう思って彼女を見たのだが、彼女は俺に視線を返すばかりで無言を貫いた。
彼女は自分を売ってでも妹を取り戻すという覚悟を持ってこの場に居る。つまり、彼女の認識では、彼女自身は交渉の手札や或は金品であり、交渉の中心人物は俺と言う事なのかも知れない。
許されるなら、投げ出したい程に大きなプレッシャーだった。
返礼がない事を不審に思っただろうに、そんな事は尾首も出さず、長過ぎない程度の礼を終えたベリゴール商会幹部は言葉を続ける。
「しかし、私は商人だ。今日の感動の為に無償で彼女を手放す事は、出来ません。生活費や教育費、その他雑費に加え十分な利益を確保する責務が、私にはある」
奴隷取引に疎い俺達に言い聞かせるように、彼は一言一言丁寧に発音する。それが何らかの心理的交渉術なのか、それとも単に彼の性分なのかは、俺には判らなかった。
「肉親の情に付け入って価格をつり上げる様な、セコい交渉をする商会ではないでしょう?」
俺個人の信頼だとか商会の気風だとかという問題以前に、辺境伯縁者という極めて発言力の強い人物を前に、そのような小さな利益の為に下手を打って心証を損ねる様な愚者が幹部を務めている様な商会が、その辺境伯の娘の耳にとまる程の規模で商いが出来るとは思えない。
殆ど確信に近い思いで俺が指摘すると、彼は笑みを僅かに深めた。
「如何にも、単純な表面上の利益だけでは成り立たないのが商いの妙でして」
そんな意味深な言葉を口にした彼が、続いて提示したルーウィの妹の価格は想定より50kエルほど安かった。奴隷の質はピンキリ、価格の変動も激しいとはいえ、ルーウィの妹なのだから当然、基礎身体能力に優れる獣人だ。予想から安い方へ金貨5枚もズレると、単に運が良かったと見るには大きすぎるように思える。
そんな思いが表情に出ていたのか。
「風の噂に依りますと、アデルさんはサウスティナ辺境伯殿から開拓を期待される冒険者であられるとか。恒久的な人財をお求めの際は、当商会をお引き立て下さい」
商取引のイロハを知らない俺に、熟練の商人はわざわざ明け透けな表現で割引価格の意図を語る。
彼の態度には罪悪感を感じている様子はまるで無い。そんな付け入る隙を見せるようでは半人前もいいとこだろうし、
彼の背景事情なんて正直知った事ではないし、どうだっていい事だ。重要なのは、割引をしてもらって尚、約100kほど手が届かない事である。
俺が
故に、俺は彼女が口を開くより早く言葉を投げた。
「ベリゴール商会は——」
呼吸のリズムとズレていたので、言葉は長く続かない。とにかくルーウィの発言を封じる事を優先したので仕方がないが、少しばかり格好がつかないのは否めない。
しかしそんな思いは表情に出ない様、平静を装う。敢えて意図的に言葉を切ったというように堂々と。目を細め、口元に笑みを作って。ここ数日、可能な限り調べた情報を動員して虚勢を補完する。
「——敢えて利率の低い物資を手広く取り扱っているらしいですね? 奴隷の販売にも、競売の類いは一切使わないとか」
ルーウィの肩に手を置いて、押しのける様に、入れ替わる様に前に出る。「1度任された以上、ここは既に俺の戦場だ」と主張する為に。
「ええ。当商会は即物的な利益ではなく、人が本当の意味で必要とする物を手配する様、常々心を配っておりますので」
「子育ては愚か生活も安定しない家庭から食い扶持を買い取り、教育を施して労働力に転換する事もその一環であると」
「負の連鎖を断ち切る為には必要な措置であると、私共は考えております」
奴隷制度を、正しく本来の形であるセーフティとして機能させている。彼は胸を張ってそう応えた。
「なるほど。確かに、救済は必要でしょう。ですが、俺はもう1歩その問題に踏み込みたい」
「救済、などと
「優劣ではなく、より根本的な解決を測りたい、という考えですね」
「未来を切り開く事を託された者としての所信表明……と言う訳ではありませんね? 具体的には、どのようなお考えでしょうか」
ただ所信表明をするだけなら、このタイミングで切り出す筈もないだろう。と、彼は勿体ぶる俺を非難するように、牽制気味の相槌を打つ。
彼は商会の幹部で、こちらは準貴族位である騎士爵を賜ったとはいえ一介の冒険者だ。時間の価値を比べれば、彼の方に比重が傾く事は恐らく間違いない。形式的にも実体的にも時間を割いてもらっているのはこちらの側で、彼の非難は正当なものと言えた。
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2018/10/26 指摘を受け、誤記修正
2018/11/14 指摘を受け、誤字修正
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