2−11 資料室の邂逅

 その意図不明の声とも言えぬ音に資料から目を上げて振り向くと、スィーゼの姿があった。

 前回のパーティで組んだもう1人の斥候少女である。

 今日はオフという事なのか、ワンピースの上から胸当てだけという微妙な格好だ。まぁ、街中でいつもいつもボディラインのはっきり出るラバースーツっぽい格好をしていたら、それはそれで怪しい人物だが。

「おう」

 知り合いに会った挨拶に、深い意味はない。

 同じパーティであったといっても交流はあまりなく、縄張り熊から逃げる際リーダーの指示で何やら熊を誘導していた節があった事が印象に残っているくらいだ。個人的には彼女に思うところはないし、彼女のおかげで俺が自由に動けたという面もあって助かったという感謝のほうが強い。

 視線が合って15秒。挨拶を投げて10秒。正確に測ったわけではないが、2呼吸3呼吸の時間を挟んでなお、彼女は瞬きをするだけで目立ったアクションを見せなかった。

 正直に言えば気まずいが、まだ俺も調べたい情報があるので立ち去る訳にもいかない。

 知り合いの義理は挨拶で果たしたと、無視してもいいだろうか。

 俺がしびれを切らす直前、彼女が小さく唇を動かす。

「ごめんなさい」

 それは恐らく、以前熊との遭遇の際に俺の邪魔をしたことに対する謝罪であり、俺にとっては済んだことだ。

 そんな事に罪悪感を覚えてもらう必要はないし、そもそも主犯はリーダーだろう。彼女が厚い面っ皮で俺にセクハラを掛けてくるのを少しは見習って、スィーゼももう少し気楽に接してくれると嬉しいのだが。

「気にしてない。気にするな」

 距離を置かれているという意識が、俺の態度を硬くする。そんな俺の態度が、スィーゼの印象を悪くしているかもしれない。なんとも、自業自得な話である。考えてみれば、気軽に接して欲しいなどというのは俺の我儘だ。

 そんな極当たり前のことに思い当って、俺はため息を吐いた。

「いや、すまん。スズのおかげであの熊を倒す機会ができたんだ。俺だけでも、お前だけでもダメだった。それじゃあダメか?」

 歩み寄るなら俺からだ。意識を切り替え、俺はファイルを閉じて彼女に話しかけた。

 態度も感情も印象も、放置すればするほど凝り固まって解せなくなる。そのうち何が原因かもわからなくなってそれが当たり前になる。対処できるうちに対処しておくべきに違いない。

 もしかしたら、これからもまた一緒に仕事をする機会があるかもしれないのだ。同じ町を拠点にしているのだから、意図するしないに関わらず。何より、パーティからの離脱の際には俺の方から次の機会を願ったのだから、尚の事。

「ダメじゃない」

 返ってきたのは感情の伺えない、硬い声。まだまだ警戒は解けないらしい。そう簡単に人の意識も印象も変わりはしないものだ。無理強いできることでもないし、俺自身の自業自得で誰を責めることもできない。

 それでも、1歩は歩み寄れたことだろう。そう願う。人間関係とは、つまるところそれの積み重ねに違いないだろうから。

「そうか。それはよかった」

 俺がそう結ぶと、彼女は小さく頭を下げて資料室に入ってくる。

 彼女の方に俺に対する苦手意識があるなら、長時間密室に2人きりというのは精神的苦痛に違いない。

 まだ情報収集は物足りない気もするが、大勢に変化なしと判断はできている。今後の関係のためには、今日のところは一旦退散したほうが良いだろう。

 そう判断して、俺は資料を棚に戻す。

「待って」

 すぐ横から、スィーゼの声。

「私も読みたい」

 なるほど、資料室に来た彼女の目的は情報収集に違いない。このタイミングであれば、欲する情報が重なるのは当然だ。直近の報告資料が纏められたこのファイルを彼女も求めるのは自然な流れだった。

 そして、俺が戻そうとした棚は、彼女は背伸びしても届かない位置にある。もちろん踏み台などは部屋に用意されているが、俺が彼女に渡せば解決する話だ。

「戻しておいてくれよ?」

 結局棚に戻そうとすれば踏み台を持ってこなければならない事実は動かないが、そこまで言及するのは少しばかり失礼だろう。

 俺は一応釘を刺して、彼女にファイルを手渡した。

「……貴方は優秀な斥候。皆認めてる。貴方はこの報告から、何が見えた?」

 何を口にするか随分迷っている様子のたどたどしい口調だが、もしかしたらこれは彼女との初めての会話らしい会話かも知れない。そう思うと、先ほど1歩踏み出せたと考えたばかりな事もあってなんとも言語化の難しい喜びがある。1番近いのは、達成感か。

「まずは自分で読んでみなよ。正解なんてないんだ。俺の考えに汚染されて偏った見方しかできないのは勿体ない」

「でも、帰るでしょ?」

「スズが不快でないなら、まだ調べたい情報もあるし、適当に時間を潰してるが?」

「じゃあ、待ってて」

 本人の許可がいただけたという事で、俺は北の情報を調べる事にした。

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