2−6 癒しの一時
事情聴取という名の厳重注意から解放されたのは、日が暮れるころになってのことだった。
同日、というか異臭騒ぎの1時間ほど前にも近場で暴漢騒ぎがあったらしく、衛士隊の詰め所は騒然としていた。
一応程度にはお礼の言葉もあって、物的証拠が残った状態で捕縛できたことは僥倖であったらしい。回復魔法や魔法薬を駆使した拷問で得た情報も、虚偽がないとは限らないからだろう。
「今回の働きは見事だった。しかし、次からは1人で無茶な行動をせず、衛士に声をかける様に」
「組織犯罪の怖いところは、誰が味方か判らないところだと思うが」
鳩が豆を喰らったような顔とは、彼のこの時の表情を指すのかとよく参考になる表情だ。
至極単純な話、賊がさらった相手をそう簡単に殺すはずがないのだ。
殺せば直ちに犯行が発覚するし、顔も拠点も露見する。
洗脳なり記憶操作なりの、相手に直接干渉する強力な魔法でもあるなら事情は変わるだろうが、それほどの腕を持つ術師が犯罪に加担するのはレアケースに違いない。絶対数が少ない強力な魔法の使い手が、約束された生活と収入を棒に振ってまで罪を犯す意味はあまりないでろうからして。
故に、人質だとか被害者の身の安全だとか、そんなことは余計な気使いだ。何より早く、確実に犯人の身柄を確保することが、結果として被害者たちの為になる。
俺には想像することしかできないが、猿轡などで自殺できないようにしてから暴力で精神を屈服させるようなやり方が、この手の犯罪者の常とう手段なのだろう。
◇◆◇
なんというか、いろんな意味で緊張の連続の1日だった。
何処で夕飯にするかなんて考えるのも億劫になっていた俺は、衛士詰め所近場の賑わっている酒場に入店する。わざわざ酒場を選んだのではなく、食事処のおよそ8割が酒場なのだ。特に昼間の騒動を意識しての選択ではない。
外からでも賑わいが伺えたように、酒場は客に溢れていた。明らかにウェイターの手が回っていないので、勝手に空いていたカウンターへ向かう。
メニューを見てみると、昼に比べればだいぶ手ごろな価格だ。
同じくらいの値段でも支払いに困らないが、それでも安堵の息が思わず口を突いて出た。
喧騒にかき消されたそれを、しかし聞き咎めた人物がいた。
「どうしたい、溜息なんかついて」
俺の隣の席に腰かけていたその男は、わずかに顔をこちらに向けてグラスを揺らす。羨ましくなるくらい様になる、ダンディな中年だ。
「ああ、気を害したなら済まない。……少しばかり疲れる1日だっただけだ」
「おまえさん、この酒場は初めての口か?」
「……そうだが、何かローカルルールでもあるのか?」
会員制でもあるまいにといぶかしむ俺に、中年男は肩を揺らす。
「いいや、そうじゃねぇよ。ただな、せっかくここに飲みに来たんだ。これから今日の疲れなんざ全部吹き飛ばそうってのに、溜息なんかついてる奴は珍しいからな」
仕事明けに酒場へ足を運んで景気よく1杯、ということだろうか。
「そんなに珍しいか?」
酒場では有り触れた光景だろう。そんな俺の疑問は、肩で受け流される。
「なんだ、噂も聞かずに来たのか。あんた冒険者なら、もう少し前情報ってのを大切にすると良い」
「あいにく、街中は専門外でなぁ」
「おいおい、民の剣。敵がいるのは外だけとは限らねぇんだぜ? 今日だって大取物があったって噂だ」
冒険者は剣。騎士団は盾。稀に聞く比喩表現で、彼は冒険者のあるべき姿を説く。
「壁の内側の敵か……物騒な時代になったもんだ」
「ま、浮世の憂いも疲れも、全部落としてけ。ここはそういう場所さ」
と。そんな会話をしてるとカウンターの奥でおっさんが注文もしない俺に疎まし気な視線を送ってきたので、身振りで中年に断ってから適当に注文をした。
さて何の話だったかと中年に向き直ると、今度は中年から制止を受ける。
「お出ましだ」
何が、と問う前に弦楽器の演奏が始まった。
静かで、緩やかで、酒場の喧騒には似つかわしく無い癒しの調べだ。
音に視線をやれば、ハープを携えた男がいる。その脇には管楽器を構える男、樽を改造したらしい太鼓を構える男まで。
「楽団か……」
呟き、その演奏に耳を傾ける。
先までの喧騒が嘘のように、皆が静まり返っていた。
しかし、どうにも音楽に聞き入っているという様子ではない。
席を立ち、少しでも視界を確保しようとしている者までいる。
その様は聴衆ではなく観客だ。
いったい彼等は何を見ようとしているのか、という疑問は形にする前に答えが与えられた。
大きな歓声が上がる。
視線を巡らせれば、酒場の奥に開けたスペースがあり、そこに女性が文字通り躍り出た所だった。
彼女は露出の多い挑発的な服に、数多のアクセサリーを添えて、透ける程に薄い布を手に緩やかな舞を演じる。
フワリと宙に泳ぐ布と、アクションの度に添えられるアクセサリーの煌めき。
それは、単に踊りとか舞いうよりも、視覚的な音楽といった様子だ。
蠱惑的でありながら幻想的な、ある種の神秘性さえ孕んでいる様なそれは、観客が声援も忘れて見入ってしまうの頷ける。
注文していた料理が提供されるまで、俺自身半ば放心状態だった。
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2018/09/30 誤字修正
2018/10/26 誤字修正
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