2−4 追走から潜入
違和感に気付いたのは殆ど偶然だ。或はそれは、幸運の女神の加護のおかげだったのかも知れない。
俺が自分の目を半ば疑いながら路地を覗くと、更に奥の裏道へと女性の足が消える所だった。
ほんの一瞬、前を行く男の影で視線が遮られたタイミングで、彼女は路地裏に引き込まれたらしい。余りに手際が見事過ぎて、本当に人1人が往来から姿を消したとは実感できなかった程だ。
正義感。あるいは義憤。
「どうしたんだい?」
背後から掛けられた同行者の言葉に、俺は即決した。
「急用ができた。すまない」
今を逃せば追いつけない。だから俺は、足音を殺して駆け出した。悩む暇も、周囲に助けを求める暇も無い。
現場を取り押さえるだけなら簡単だ。僅かなり抵抗している様子の女性を引き摺る足取りは、息を殺しながらでも容易に追いつける程度の速度でしかない。
しかしこれがもし個人ではなく、組織ぐるみの兇行であるとしたならばそれは悪手だ。
彼女には申し訳ないが、愉快犯ではないのなら命を取られる事はないだろう。もし悪漢が凶器を手にしたら、すぐに制圧する。俺はそう判断して、尾行を継続する事にした。
正面からやり合えば俺の戦闘能力ではそこらの村人と良い勝負だ。互いに同じ装備なら、多少危険に慣れて度胸のついている俺の方が有利かも知れない。
その程度の戦力しかない俺だが、完全に背後からの奇襲で一撃決着を狙うのなら話は変わる。相手は全身鎧を着込んでいる訳でもないのだ。接近し、首を掻き斬れば全てが終わる。
最大限の緊張といざとなれば命を奪う覚悟を持って、俺は息を顰めたまま歩を進めた。
遠くから響く喧騒が、少しばかり恨めしい。
抵抗する体力を失った女性を引き摺る男が姿を消したのは、表通りでは酒場を営んでいる筈の建物だった。
扉によって聞き耳を立ててみれば、報酬だの売り上げだの商品だのノルマだの浮かれた男達の話し声が聞こえてくる。
それが十分に遠ざかるのを待って、俺は扉に手をかけた。
堅い抵抗が返ってくる。
俺は周囲に視線を巡らせてから、1つ溜め息を吐いた。
鍵開けは得意ではない。しかし、ダンジョンに挑む斥候には罠解除と並んで必須の技能だ。高が酒場の勝手口に罠が仕掛けられている筈も無く、人通りのない裏路地なので見咎められる心配もない。後は時間の問題だ。
俺は幸運の女神に心の中で祈りを捧げつつ、ナイフと針金を取り出した。
扉の錠を突破するのには、5分程を要したと思う。
単純な仕掛けのノブを固定するだけの鍵に5分。斥候技能としてみれば失格レベルだ。溜め息を吐きたくもなるが、無駄な物音を立てるのは下策も下策。
俺は改めて慎重に扉を抜け、息を殺して奥へと進む。
まだ昼間なので酒場は営業していないようだ。耳を澄ませるまでもなく、表通りの喧騒が聞こえてくる。夜の営業に向けて店の準備をしている気配はない。
話し声と物音を頼りに、俺は監禁場所を探した。
程なく、というかすぐにそれは見つかった。地下への階段だ。この手の店舗の地下倉庫なんて珍しいものでもないので隠すつもりもないのか、罠かと思う程に堂々と晒されているのが呆れを誘ってくれる。
まだ人の気配は遠いので、俺はその階段を下った。
息をするだけで酔いそうな酒の匂い。長時間こんな所に拘束されたら、特殊な薬などを打たれなくても抵抗力を奪われるだろうという、そんな空気だった。
一応、気付けの魔法薬を飲み干して、更に奥へ。
呆れたことに、見張りはいなかった。
人の気配の濃い扉の前まで素通りである。さらう際の手際の良さは偶然なのか、あるいは、これまでが上手くいき過ぎて油断しているのか。はたまた、単に俺が幸運なのか。
考えても無駄なことに思考を割く暇はない。俺が行うべきは衛兵への通報と被害者の安全確保だ。最悪、例えばこの扉の向こうに牢屋のような動かせない証拠があるのであれば、武力排除という手もなくはないが、背後関係を洗う資料などは処分されるリスクが高い。
と。そこまで大真面目に考えて、バカバカしい事実に気が付いた。
視野狭窄。灯台下暗し。思い当ってしまえば、つい先ほどまでの自分が道化にも見えるほどの見落とし。
内心で盛大にため息をついて、思考を切り替える。
優先順位を書き換える。最優先は、賊の捕縛だ。
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2018/09/30 誤字修正
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