1−8 静寂と秘密

 疲れが顔に出ていたのだろう。

「……大丈夫か?」

 交代のためテントから抜け出すと、見張りを務めていたイシリアに不審がられてしまった。

「あぁ……いや、大丈夫だ。リリーは寝相が悪いのか?」

 自己弁護の意味もかねての確認に、イシリアは少し考えて首を振る。

「いや、時折寝返りを打つ程度で、悪いという程ではなかった筈だが」

「そうか」

 共通認識ではないというのなら、何を言っても無駄だろう。いぶかし気な表情をするイシリアに、何でもない、と意味もない言葉を告げて話題を打ち切った。

「交代だ」

 短く告げて、俺はテントから離れて視界を確保する。

 皆が寝静まっている今、必要以上に会話を重ねる事もない。

「……では、後は任せよう」

 無理矢理な話題転換に不信気な様子だったが、問答する程の事でもないと考え直したのか、彼女は俺と入れ替わりにテントへ入っていった。


 月は半欠け。

 夜は多くの動物とモンスターが活発になる時間ではあるが、多数の中型モンスターの血の匂いが混ざる開けた場所にわざわざやって来るモンスターはまずいない。

 順繰りの見張りは、念のため、という意味合いが強かった。

 蒔いた血の匂いを水で流し、しかし完全には消さない。これは理性の誇示であり、狡猾なハンターがいるぞという威嚇だった。

 それは狩場にも言える事で、明日はある程度上流に移動した方が良いだろう。誘っても獲物が寄り付かないのでは効率が悪い。もちろん、追い込むなり目の前の肉に夢中にさせるなり、方法がないわけではないのだが。

 遠くからこちらを伺う気配はある。

 しかし、雑魚をいちいち相手にしては休む事もままならない。判りやすく視線を向け、追い払うに留める。

 それ以外にやる事のない夜番は、やはり暇だ。

 明日以降はポーションキットを持ち出そう。

 心に決めて、星を見上げる。

 満天の星空。天然のプラネタリウムだ。

 もちろん俺の知っている天体も星座も、ある筈もないのだが。

 空気が澄んでいるのだろう。この光景に感慨を抱くのは、俺だけかも知れない。

 そんな事を考えていたら、テントの中で人の動く気配があった。

 虫の鳴き声さえ大きく響く大自然の中、衣擦れの音は特に耳につく。

 やがてテントから出て来たのは、魔法で大活躍のリリーだった。

 すぐに俺を見つけて、小さな歩幅でやってくる。

 足音を殺す技術は、かなり未熟だ。

「アデルさん、すみません」

 小声で話しかけて来る彼女の表情は、月明かりでも判るくらい申し訳無さげで、いったい何があったのかとそれだけで不安になる様である。

 しかし少し考えれば、追先程まで男の腕に抱きつく程に熟睡していた人物のそれが、大した問題である筈もない事は明らかだった。

「……どうした?」

「……お花摘みに行きたいんです」

 まさかこんな真夜中に、本物の花を摘みにいく訳ではあるまい。

 星明かりでは色の判別は付かないが、どうやら彼女は赤面しているらしかった。視線は忙しなく巡らされ、焦りと羞恥が伺える。

 寝相がどうであろうと、彼女は自意識的には淑女らしい。

 つまりは、男で言う所の雉撃ちである。

 しかし、俺は現在この場を離れるわけにはいかない。一応程度の夜番ではあっても、パーティメンバー全員の命を預かっているのだ。

「——というか、誰か起こせば良いだろう」

「皆疲れてぐっすり寝てるのに、可哀想じゃないですか」

 相当に参っているのか、普段の押しの強さがまるで見られない彼女はの様は、ちょっと可愛い。

「いや、しかしだな? 俺は今夜番として皆の安全を護る義務があってだな」

「すぐ済ませます。遠くまで行くつもりもないです。でも、音が皆に聞こえる場所は嫌です」

「皆に聞こえるのが嫌なのに、俺は良いのか」

「それは、背に腹は代えられないと言いますか……!」

 今にも泣き出しそうな雰囲気の彼女に、俺はお手上げ状態だ。

 というか、俺がこの場を離れるという選択肢は有り得ない。多少可哀想であっても、他の誰かを起こして着いていって貰うべきだろう。

 幾らモンスター払いをしていると言っても、純粋な後衛である彼女に1人で野外を出歩けというのは流石に酷だ。

「仕方ない、まだイシリアは深く寝入っていない筈だ。彼女を頼ろう」

「うぅう……」

 恨めし気な顔をするリリーに、俺は苦笑する他ない。

 と、そのとき。モンスターの遠吠えが聞こえた。

「ひゃう!?」

 素っ頓狂な悲鳴を上げて、リリーがうずくまる。

 純粋な後衛である彼女にとって、深夜のモンスターの気配は脅威なのだろう。ついこの間はたったの2人で森を散策したというのに。

 まぁ、理解できなくは無い。

 気配を読むのが苦手であれば、夜はモンスターが凶暴になり、人間は視界が利かないという常識が強く意識に圧を掛けるのだろうという事は。実際森に入れば木々や茂みに邪魔されて有視界距離はさして変わらないという事実が、感覚的には何の慰めにもならないのであろう事くらいは。

 悲痛な彼女の悲鳴に、テントの中で誰かが目を覚ました気配があった。

 しかし、全ては手遅れだ。リリーの名誉の為、あえて何がとは言わないが。

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