1−2 魔法薬師と自立

 宿に帰って一番にした事は、装備の手入れだ。

 防具は革製で粗雑に扱えばあっという間にぼろぼろになってしまうし、ナイフももちろん採取用・戦闘用問わずしっかりと磨いておかなければその性能を活かせない。念のために携帯しているポーションの類いを消耗する事は無かったが、劣化しているものが無いか、何かの拍子に割れてしまった物、紛失した物が無いか小忠実こまめにチェックする。

 1つの油断が死を招く。冒険者とは、そういう職業だ。


 ひと通り確認を終えて、1日の汗を流す。

 残念ながら中堅どころの宿の並程度のグレードの部屋では、シャワーなど無い。湯桶を貰って来て手拭で身体を拭くか、客向けに開放されている井戸に趣いて水浴びをするかだ。

 衆目の中で全裸を晒す趣味は無いので、俺は常に湯桶派だった。

 まぁ、井戸についても水浴びに使う事が認められていると言うだけで、本当に水浴びに使う者は滅多にいないようだが。当初男女別なのかと勘違いしていた苦い記憶が俺にはある。

 ともあれ、それなりに身を清めて、俺はいつも通り就寝した。


◇◆◇


 早朝、宿の従業員達が起こす物音で、俺は目を覚ます。

 扉を開く音であったり、衣擦れの音であったり。重々宿泊客に気を使っている事が伺われる音量だが、気になってしまうのはもしかしたら職業病なのかも知れない。

 オプションの朝食を頼んでいるので、俺はその準備が整うまで毎朝の日課をする事にした。

 つまり、精神を集中して神に祈る事、それが終わったら簡易ポーションの作成だ。加えて、今日からは室内でも困らない四属性魔法の基礎の基礎訓練。それらを全て、斥候らしく息を殺したまま行なう。

 鍛錬は緩やかではあるが経験になる。そして経験はやがて実を結び、才能の花を開かせる事があるという。

 戦闘を生業にするつもりは無いが、出来る努力をしないでだらだら過ごしていられる程この世界は優しく無い事を、俺は肌で理解していた。


 朝食を終えれば、情報収集兼売り込み活動だ。

「ウチは手が足りてるからねぇ」

 等と断られるのは当然で、その程度で諦めていたら仕事なんて得られないのがこの世界である。

 なぜなら、仕事というのは往々にして家業であり、外部の人間に任せる様なものではないからだ。一時的な人足としての臨時雇用は兎も角、多くの子を生して間違っても血族を途切れさせない事を是とするこの社会では、外部から正規の労働者を取り入れるという事は滅多にある事ではない。もし取り入れるとしたら、それはほとんど血脈に取り入れることと同義だ。

 つまり、就職活動とは結婚活動に極めて近いのだが……流石に、働く為だけに結婚するという感覚にはまだ馴染めないのがまた難しい。

「結婚するつもりは無いが家業を教えてくれ」「家を継ぐつもりは無いから将来的独立を認めてくれ」どこまでも虫のいい話である。我が事ながら呆れ果てるばかりで、実現可能とは考えていなかった。

 しかし、とりあえず顔を売っておくだけでも有用だ。特に、魔法薬師ポーションメイカーなど冒険者が持ち帰る資源を要する職種の人間には。それだけ仕事を受けやすくなるし、副次的な利益が無いとも限らない。


「相変わらず君は、変わってるねぇ」

 と、以前俺にポーション作成の基礎を教えてくれた魔法薬師が言う。

「結婚するって認めれば、見習い弟子になる位は簡単だろうに。君は低レベルなんだから」

「低レベルで、ろくに才能も無い。その上その実本気で結婚するつもりも無いんだから、そんな事は嘘でも言えんさ」

 俺が内心を吐露すると、魔法薬師は鼻で笑う。

「……何世紀前の結婚観をもってるのか知らないけど、その家の人間を1人適当に娶れば良いんだよ。恋愛結婚をしたいなら、その後で2人でも3人でも囲えば良いじゃないか。——もちろん、相応の経済力は求められるけどね?」

「不誠実過ぎるだろう」

「良いんだよ。家に留まってる女は、それくらい覚悟してるさ。楽と安全を求めて家に留まるなら、血を繋ぐ役目を担う責任がある。逆に自由を求めるなら、相応の実力を求められる。——今はそういう時代だよ」

 やれやれ、とばかりにわざとらしく肩を竦めてみせる魔法薬師。

「そしてそう言う君はその実力を示した。という事か」

「そうでもない。私はまだまだ駆け出しさ」

 俺の指摘に、彼女は不敵な笑みを作ってみせた。

 女の身で、そして恐らくはまだ十代の若さで、独り立ちした実力と覚悟。俺が彼女からの仕事を割安であると知りながら優先して受けるのは、多なり小なり尊敬の念を抱いているからというのが少なく無い部分を占めている。

 昨日の散策で採取した薬草のうち、特に質が良い物をギルドに卸さず選り分けておいたのは、彼女に卸す為だ。

「……君と取引していると、私は自分がとんでもない悪女なんじゃないかと少しばかり不安になるんだけど」

「そんな事は無い。これは先行投資の様な物だ。もし恩を感じているなら、将来大物魔法薬師になってから返してくれれば良い」

 俺がいつもの様に薬草を査定に出すと、彼女は手を止めずに呆れた様な口調で変な感想を漏らした。確かに彼女は整った容姿をしているが、俺はその色香に惑わされた訳ではないとはっきり告げておく。

「これでも商人の端くれだ。受けた恩は、覚えておくよ」

 彼女が薬草を弄る音だけが、店内に響く。

 様々なハーブを上手く調合しているのか、数的にも種類的にも多くの薬草を取り扱っている筈だというのに、空気は悪く無い。これで紅茶でも出てくれば中々の癒し空間の出来上がりだ。

 そんな馬鹿な事を考えていると、不意に魔法薬師が口を開いた。

「そんなに取り込まれるのが嫌なら、自分で工房を開いちゃったらいいんじゃない?」

「自分で?」

「ポーションの基礎くらいならもう少し教えても良いし、根気はあるだろうから彫金なり細工師を初めても良いんじゃない? 才能があれば、魔導具師になってもいいし」

 こちらを見ようともせず、彼女は候補を挙げていく。

「いや、俺の才能なんて斥候以外には役に立たんよ」

「君はさっき、レベルが低くて才能が無い事を卑下してたけど、逆だよ。才能が無くてもまだ低レベルなんだ。そして、冒険に出る勇気もある。つまり、レベルを上げて才能を得る余地がある」

 全ての薬草を査定済みの山に移し終えた彼女は、俺に向き直る。

「自由を求める人達が冒険者になるのはつまり、何より才能を求めるからだよ」


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2018/8/26 誤字修正

2018/10/01 ルビ追加

2018/10/07 若干追記、ルビ付与。

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