第一章 Ⅶ おはよう!!朝ごはん
07 おはよう!!朝ごはん
窓から射し込む日の光が目に刺さる。
と同時に感じたものは、昨日からずっと隣にあったシェリアのやわらかな匂い。
そっか、もう朝か......
昨日の夜のことを思い出しながら、目を擦り上体を起こす。肌に触れる上質なシーツの感覚。隣で寝ているシェリアの息づかい。まだ耳に残っている花火の炸裂音。
それら全てが昨日一日の出来事が現実なのだと、俺に教えてくれる。
穏やかに寝息を立てるシェリアの顔を眺めた後に、洗面所で顔を洗っていると、コンコンと部屋の扉がノックされる音が聞こえてくる。
......誰だ。
「おーい、いるかー?リート・ウラシマー!もしかしてお楽しみ中か?おーい!」
朝っぱらからなんともアレな目覚ましコールが響く。この歯に衣着せぬ物言いはあの人だ。
「はい、はい。今、開けますよ。カルメンさん。それにお楽しみ中じゃないっす。あとシェリアはまだ寝てるんで、もう少し声抑えてくれないっすかね。」
がちゃり。
ドアを開ければ、ニヤニヤと表情を崩したカルメンさんの姿。
......黙っていれば、エルフという種族なこともあってとんでもない美人なはずなのだが、言動のイメージが強すぎて相当アレな感じに仕上がっている。
「なんだよ!つまんねーな。せっかくアタシがその為の宿を用意してやったってのに、もしかしてホントに手ぇつけてないのか?キンタマついてんのか?!リートー!」
うぉ、酒臭ぇ...
夜通し飲んでたんじゃないか?この人。
「キンタマはしっかり二個ついてますから心配しないで下さい。それより朝っぱらからなんなんすか?イヤ、宿を提供してもらったのはホントに感謝してますけど...」
「いいから、朝メシ食い行くぞ。そん時に理由は話してやる。ほらシェリア嬢ちゃんも起こして三人で朝メシだ!とっととお姫様を起こしてこい。」
俺のケツを蹴りだして、奥のベッドに強引に向かわせるカルメンさん。まぁ、俺もそろそろ腹が減ってきたしタイミング的には問題ないんだが...
未だに布団を手足で抱え込みながら、むにゃむにゃモゴモゴと爆睡中のシェリア。
「シェリア。起きろー。おーい。」
声をかけるが反応なし。
うーん。アプローチを変えてみよう。
耳元に近づいて囁く。
「シェリア、朝ごはんの時間ですよー。とっても美味しい朝ごはん。早く起きないと無くなっちゃうぞー。」
がばりと上半身を起こすシェリア。
「ごはん食べるー!......あっ、おはよー、リート!!昨日スゴかったねー!!ドーンドーンって!!」
やはり食に関してのコイツの熱意には並々ならぬものを感じる。
「おはよ、シェリア。ぐっすり眠れたところでまずは顔を洗ってきなさい。洗面所の使い方はわかるだろ?」
「はーい。ふわぁ~。」
あくびをしながら、ペタペタ足音を立て洗面所に向かうシェリア。
「ほぉー、そんなに昨日はスゴかったのか。ドーンドーンって。なんだよ。やることはしっかりやってんじゃねぇか!なら使った分のエネルギーはしっかり補充しねぇとな!」
ニヤニヤ顔に更に含みを持たせた残念褐色エルフが白い歯を覗かせる。...おかしい。俺の中のエルフのイメージはもっとこう、繊細で知的な感じだったはずだ......
目の前にいる人物は、エルフの皮を被ったただのエロオヤジそのものだ。
「もう説明するのも疲れるんで、カルメンさんの頭ん中で勝手に盛り上がってもらってどうぞ。ちょっと待ってて下さい。今準備しちゃうんで。」
昨日、トルネソのおっさんから買い付けた胴着に袖を通す。メシを食いにいくだけだったら、物騒なもんは必要ないだろう。
「リート!顔洗ってきたよー!拭いて拭いて!」
洗面所から水を滴らせながら、シェリアがタオル片手に戻ってくる。そのタオルを手にとって、顔についた水滴を拭ってやっていると、
「朝っぱらから見せつけてくれるじゃないか。朝メシ食う前に胸焼けしちまいそうだ。おはよ、シェリア嬢ちゃん。」
部屋の中で待っていたカルメンさんがシェリアに声をかける。
「あっ!昨日の受付のエルフさん!えーとね、カルメンさんだ!」
「はいはい。カルメンさんですよー。よろしくな。」
「えへへ。よろしくねー。ワタシ、女の人とおしゃべりしたの初めて!」
シェリアはパタパタ駆けて行って、カルメンさんの手を握り人懐っこい笑みを浮かべる
「あん?おかしなコト言うヤツだな。まぁ、いっか。可愛いし。アタシの行き着けの店があるから、そこで食うぞ。おごってやる。」
「カルメンさん、二日酔いとかないの?すげー酒臭いけど。」
「あぁ、へーきへーき。そーゆー身体なんだよアタシは。」
「ごっはん、ごっはん♪二人ともはやく行こ?ワタシおなかすいちゃったよぅ。」
シェリアが俺達の手をとって扉の方に先導する。
昨日散々遊び呆けてしまった分、しっかり今後の予定もシェリアと相談して立てなくちゃならない。路銀もシェリアの賞金を合わせて若干の余裕はあるが、そこまで楽観出来る額でもないしな。
そんなことをつらつらと考えながら、宿を出てカルメンさん行き着けの店に向かい目覚めたばかりの町を進んでいく。
「今から行く店は味はそれほどでもねぇが、とにかく量が多くてな。アンタみたいな年頃にはちょうどいい店だ。覚えときな。」
その店は大通りに面した一角にひっそりと存在していた。立て看板には[食事処 ヒストリカ]と無骨な文字。
「着いたぜ、ここだ。おーい、ジジイ!生きてるかー!?朝メシ食わせてくれー!」
勢い良く観音開きになっている入り口を開け放つカルメンさん。
「なんじゃ!!朝っぱらから!五月蝿くて敵わんわ!!ちったぁ、淑やかにしとれといつも言っとるじゃろ!!このバカ孫が!!」
薄暗いカウンターの奥から、長髪を後ろで束ねた壮年のエルフが顔を覗かせてカルメンさんに罵声を返す。
その顔には数本の刀傷が深々と残されており、険のある目付きと共にその大柄な体躯を更に大きく見せている。
「この言葉遣いはアンタの英才教育の賜物だ!どーのこーの言われたくねー。とりあえずモーニング三人分。なるはやで頼むわ。他に客もいねーだろ?」
渋々カウンターで調理を始めた店長が、テーブルに向かっていた俺の姿を確かめてその猛禽の眼差しを俺に向ける。
「おい、カルメン。後ろのガキんちょ共がお前さんのツレか?男の方はアレか...アレじゃろ!トーナメントで暴れ牛をノシてた、飛び入りのアレじゃ!!」
「アレアレうるせー、この耄碌ジジイ!!口じゃなくて手ェ動かせ!」
「わぁっとるわ!おい、ボウズ!昨日のアレは中々爽快じゃったぞ!!腹いっぱい食っていけ!そこの赤い嬢ちゃんもな!ガハハハハ!!」
「シェリアだよ!ワタシの名前。よろしくね、おじいちゃん!」
物怖じせずに溌剌とした自己紹介をするシェリア。
「おじいちゃん!久しぶりにそう呼ばれたわ!!そこにおる孫娘はジジイジジイ五月蝿くてな。......グローデックじゃ。客からはグロ爺と呼ばれとる。好きに呼んでもらって構わんぞ。」
店長改めグロ爺が上機嫌で淀みなく太い腕を動かし続ける様を横目にしながら、円形のテーブルを囲んでいる固めの椅子に腰を落ち着ける。
・
・
パンの焼ける芳ばしい匂いが店内を包み始めた頃、椅子の背もたれに腕をかけながらカルメンさんが口を開いた。
「さて、今日アンタ達を朝メシに誘った理由なんだけどな。昨日のトーナメントを見てたアタシの上司がアンタ達に興味をもったみたいでよ。一度顔を合わせたいんだと。そんで、その案内役に指名されたのがアタシってワケだ。そんなに時間はとらせねぇから、着いてきてもらいたいんだが。どうだ?」
少しきまりが悪そうなカルメンさん。一宿一飯の恩義という今の状況からいっても、俺の返答はイエスなんだが...
「俺は全然いいんですけど、シェリアはどうする?」
「えー、決まってるよぅ。リートが行くんならワタシも行くー!一人でおるすばんはつまんないもん。」
カウンターから漂ってくる匂いにそわそわしながらシェリアはあっさりと承諾した。
「って、コトなんで俺達はオーケーっす。カルメンさん。」
「おっけーっす。」
シェリアも俺の口調を真似ながら後に続く。
「おーおー。流石は[
......わんどれす?何それ?
おそらく俺の事を指しているその単語の意味をカルメンさんに訊ねようと口を開きかけたタイミングで、
「はいよ。たらふく食ってけ。」
ぶっきらぼうな声色と共に、大皿に盛り付けられた大量の食事がテーブルに次々と並べられていく。
巨大な木製のボウルにこれでもかと敷き詰められた緑の野菜。大皿の上には、親指程の厚さにカットされた熱の籠った脂がパチパチ弾けるベーコンが三枚、さらに大量のスクランブルエッグ、マッシュポテト。大籠には先程から鼻腔をくすぐり続けていた、焼きたてのバゲットの山。最後にどんぶり大の容器に並々と注がれたミネストローネのような赤いスープ。
...なんだこの量。大盛といっても限度がある。果たして採算は取れているのか?
「うわー、いっぱいだー!ありがとグロ爺!ねぇねぇ、リート!食べていいよね!ね?」
すでに臨戦態勢の紅の大食いクイーン。テーブルを支配する朝食の匂いに反応した俺の腹もぐるると音を立てる。
腹が 減った。
「よし!腹一杯食おう!いただきまーす!!」
「いただきまーす!!!」
「おう、食え食え。昨日ハッスルした分、モリモリ精をつけちまえ!」
カルメンさんはテーブルに頬杖をつきながら愉しそうに笑う。
「はぐはぐ。むぐむぐ。ん~。おいひい!!」
シェリアが無心で手を動かしながら、目の前の料理の山を切り崩していく。俺も負けじと口に食事を詰め込んだ。
......旨い。確かに大味ではあるが、大雑把という意味ではなくて、しっかりとした素材の旨味が各々の料理を引き立てる。
パン、ベーコン、スープの三角食べが止まらない。スクランブルエッグやマッシュポテトも飽きがきそうな味ではあるのだが、なぜかフォークが止まらない。
なんか変な粉でも入ってるんじゃないか?コレ...
「グロ爺、グロ爺!このお肉なんてゆーの?ジュワジュワでおいしい!!」
「あぁ、そりゃアレじゃ。なんだっけかな......何かの肉のベーコンじゃ。」
「べーこん!」
マジでグロ爺はボケ始めているんではなかろうか。少し心配だ。
何かの獸肉のベーコンに舌鼓を打ちながら、
・
・
「ふいー、おいしかったねー。ねっ、リート!グロ爺もありがと!ごちそーさまでしたっ!!」
「グロ爺もカルメンさんもありがとう。ご馳走さまでした!」
俺達の言葉を受けた二人は共に白い歯をニッと剥き出しにして、
「「おう!いい食いっぷりだ!」」
同時にハモった。
「さて、それじゃ腹も膨れたし行くか!」
カルメンさんがガタリと椅子を立って、俺達を促す。
「ジジイ!ツケといてくれ!ごっそーさん!」
「あぁ。ボウズもシェリアもまた来るといい。ベーコンくらいはタダで食わせてやる。」
褐色の強面にカルメンさんそっくりな笑みをうかべながら俺達を見送るグロ爺に改めて礼を言って、俺達はヒストリカを後にした。
・
・
町を照らし出し始めた朝日の中、俺達を先導するカルメンさんの背中に質問を投げ掛ける。
「それで俺達は何処に向かってるんすか?」
「あぁ。グリグランギルド組合の本部だ。ギルド組合に登録してる連中はそこで町中から寄せられた
「なんでそんなエラい人がワタシ達に会いたがってるのかなー?リートもワタシもここに来たばかりだよぅ?」
「さあなー。アタシにもわかんねぇよ。ただ、アンタ達のトーナメントでの一部始終を見てたボスが連れてこい連れてこいうるさくてよー。まぁ、会ってみて直接本人に聞いてくれ。」
にわかに今日の祭りに向けて活気が満ちていく大通りを抜けて、さらにその先を進む。
進んで行くにつれて段々と、いかにも
(おい、カルメンさんの後ろにいるのって......)
(あぁ、昨日飛び入りで
(うぉっ、横にいる娘ヤバいだろ、アレ。ちょっと声かけて...)
(止めとけって!大食い観に行ってたダチの話じゃ、アイツらすでに...コナかけにいったら、お前みたいなの血塗れにされちまうぞ!)
(ねぇ、あの子が打ち上げで話題になってた無窮クン?...ちょっと仕掛けてみようかしら?シュタウゼンをノシたくらいで調子に乗らせるのはちょっとね...どんな斬り心地なのかしら?)
なんか色々聞こえてくる。
俺の話ならいざ知らず、シェリアに色目を使われるのが非常に面白くない。なんと器の小さい男よ...でもそんなの関係ねぇ!
遠巻きに眺めている連中の目の前で堂々とシェリアの手を握る。
「うん?どーしたの、リート?ワタシどこにも行かないよ。ずっとリートから離れないもん!」
「いや、ただ何となくな。そーゆー気分になっただけだ。」
「えへへ。そーゆー気分ならしかたないね!ワタシもぎゅー!」
俺の手を振りながら握り返してくるシェリア。
(爆発しろ爆発しろ爆発しろ爆発しろ爆発しろ爆発しろ爆発しろ)
なんか不穏な怨嗟の声が......
「おら、着いたぞ!ここがグリグランギルド組合本部!その中枢だ!」
カルメンさんの声の先に見えたのは、この町のスケールからしても十分に巨大と言える石造りの豪奢な建物。
様々な種族や
そんな人の波の中、肩で風を切りながらずんずん進んでいくカルメンさんの後を追う俺とシェリア。
「ここの案内はまた今度の機会にな。特にリートは昨日の飛び入りの件で、滅茶苦茶話題になっちまってる。もう少し落ち着いてから改めて見学させてやるよ。」
クエストの受注をする受付カウンターの脇を通って、奥にある階段を上へと昇り、ここの本部長が待つ執務室へと案内される。
「おーし、到着だ。メイー!!ご指名の二人を連れてきたぞー!!感謝に咽び泣きながらこの扉を開けてくれー!!」
ぱっと見ただけでも重そうだと分かる木製の扉をゴスゴス殴り付ける褐色エルフ受付嬢。なんか企画モノのキャッチコピーみたいだ......違う、そうじゃない。アンタの上司じゃないのか?この先にいるのは?!
「いいよ、入って来てくれ。錠なら今開けたから。」
鈴の音を思わせる声が扉越しに聞こえ...
扉が軋みを上げながら、独りでに開いていく。
日の光が射し込む執務室の中央に置かれた回転椅子がくるりとこちらに回転して、声の主がその姿を見せる。
どこか既視感のある服装。......巫女服?いや、それとは違う。あれはどちらかと言えば...
黒曜の光をそのまま形にしたような艶やかな瞳と長髪。光すら透過させてしまいそうな白磁の肌をした小柄な美少女。
その怜悧な容貌に微笑を浮かべた少女が口を開く。
「よく連れてきてくれたね、カルメン。ありがとう。そして...」
―――ようこそ
―――ボクの名前はアビィーノ・セイ・メイ。―――
―――もっと
血を塗りつけた様な唇から紡がれた日本語が、尋常ならざる妖気を纏い俺とシェリアに向けられていた。
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