第一章 Ⅵ 今夜月の見える丘に

06 今夜月の見える丘に



 風呂場での思わぬ激戦でのぼせあがった身体を冷ますために、俺たちはバルコニーに足を運んだ。すでに日は落ちきっていて、篝火のように優しく町を照らし出す街灯に彩られた眼下の夜景を二人で眺める。


「ねえ、リート。クラクラはもう大丈夫?ワタシはすぐに良くなったけど...」


「あぁ、大分良くなった。心配してくれてありがとな。もう普通に歩けるし問題ない。」


「そっか、そっか。良かったよー。」


 バルコニーの手すりに掴まり、ぐっと背を反らすシェリア。

 火照った頬を夜風が撫で、シェリアの髪の匂いが俺の鼻をくすぐる。


「なぁ、シェリア...楽しかったか?あぁ、いや風呂だけの話じゃなくてさ。」


 シェリアは今日一番の笑顔で、


「うん!とっても楽しかった!!」


 何の含みもない真っ直ぐな感情をのせた言葉を紡ぐ。


 そっか、俺はコイツのこの顔が見たかったんだ。


 イタズラっぽい笑顔も、メシを頬張ってる時の笑顔も、少年合唱団を眺めているときの優しい笑顔も......


 シェリアが色々な顔を俺に見せてくれる度に、もっとコイツの事を知りたいって欲が湧いてきて、止まらなくなっていった。


「ねぇねぇ、リート!お散歩しよう!!ワタシ、夜のグリグランも見てみたい!」


 弾けるシェリアの声。

 そうだよな。この夜景を眺めるだけでシェリアが満足するなんてことはまず無いだろう。


 日は落ちたといっても、祭りの喧騒はまだまだ続いている。


 この様子だと店も開いているだろうし、色々な店を回りながら街中をブラつくのも悪くない。


「よっし、行ってみるか。ゴエツドーシューだ。」


「やたっ!よーし、いっぱい食べるぞー!ゴエツドーシュー!!」


 シェリアが跳ねながらバルコニーを後にする。


 バルコニーから見える夜空にぽっかりと浮かぶ二つの月。

 それが未だ見ぬこの世界の全容を象徴するように、俺の眼に焼き付いた。



 どちらからともなく繋いだ手の感触を確かめながら、街灯に照らされた町並みを歩いていく。


 噴水広場を抜けて大通りへ。


 昼間の熱気はそのままに、酒場から聞こえてくる酔っぱらいの笑い声や、怪しげな露店商、ここからは大人の時間だとばかりに露出の高いドレスを着こなした娼館のおねーさん達、そういった人の営みの混沌が夜のグリグランを彩っていた。


「わー!すごいね!すごいね、リート!昼間とは全然違うよー!」


 シェリアはその眼を輝かせながら町並みを見渡して、何かを見つけたのか俺の手を引いて駆け出す。


「トルネソのおじさんだー!おーい、おじさーん!!シェリアだよー!」


 シェリアが駆け出した先には、荷馬車から下ろした大量の品物を店先に広げたトルネソのおっさんの姿があった。


「おぉ、シェリア嬢ちゃんにリートじゃないか!どうじゃ?祭りを楽しんどるか?」


 変わらず丸い目をこちらに向けるトルネソのおっさん。


「うん。お陰様で全力で楽しんでるよ。トルネソさんこそ仕事は順調?」


「お陰様でな。お前さんが譲ってくれた魚肉ソーセージも、それなりに高く買い取って貰えての。上々じゃわい。」


 おっさんはもっさりしたヒゲを引っ張りながらホクホクした顔を見せる。


「ねぇ、リートリート。いっぱいキラキラしたのがある!見ていっていいよね?ねっ?」


 並べられた商品に興味津々のシェリア。


 そういえば俺も何か適当な服を買わないと、ひたすらトレーニングウェアで過ごすことになってしまう。この機会に動きやすい装備を調えるのも悪くない。


「トルネソさん。俺、服をこれしか持ってなくて...適当な装備をを見繕ってもらいたいんだけどいいかな?」


「そうさの。旅の道中、モンスターに絡まれる機会もあるじゃろうしの。シェリア嬢ちゃんを連れて行くなら、尚更リートがしっかりしなきゃならんじゃろう。いいぞ、サービスもしてやる。何か希望はあるか?」


「動きやすさが最優先。そんであとは固めのグローブと軽めの靴。」


「まるで格闘士グラップラーの注文じゃな。まぁ、ええじゃろ。ちょっと、待っておれ。」


 そう残しておっさんは店の裏手の方に、重たそうな体を揺すりながら走っていった。


「わー。うわー。キレーイ!これキラキラだよぅ!ね、ね、見て!リート!!」


 そう言って手に取った銀細工のブローチを俺に見せてくるシェリア。


 繊細な職人芸で形造られた薔薇の意匠の銀細工。その中央に嵌め込まれた緑色の光を放つ鉱石。...確かに綺麗だ。


 ......でもお高いんでしょう?

 だがしかし、俺だけ装備を調えて、シェリアに何もプレゼントしないなんていうのはありえない。トルネソのおっさんが帰ってきたら値段を聞いてみよう。


「本当に綺麗だな。あんまりアクセサリーとかには興味なかったけど、これはスゴいってわかる。シェリアにもきっと似合うんじゃないか?」


「えへへ。そうかなー?リートがそう言ってくれるとなんかドキドキする。」


 わずかに頬を赤らめたシェリアを見て俺の胸も高鳴る。知らずシェリアの頭に手を乗せて、そのさらりとした髪の毛をなでていた。


「リートの手で撫でられるの、すき。きもちいい。ふわぁー。」


 ややくすぐったそうに目を細めるシェリア。やっぱり可愛いな、コイツ。


 そう考えながらシェリアの頭を撫でていると、おっさんが帰ってきたのか、奥の方からガチャガチャと金属が擦れる音が聞こえてきた。


「リートよ。待たせたの。なるたけお前さんの希望に合うようなモンを見繕ってきたぞ。ホレ。」


 シェリアの頭を撫でる手を止めて、並べられた品物を乗せたテーブルに目を向ける。


「まずはこれじゃの。鬼種の胴着。上下セットで8000Gギームまでまけてやる。素材の強度は市販のそれの二倍以上はある。生半可な衝撃では破れも解れもせん。着てみるか?」


「リート着てみてよぅ。ワタシ、リートが着てるとこ見たい!」


 漆黒の布地のところどころに血文字のような赤い紋様が浮かび上がった、学ランの様なデザインのノースリーブ。


 おいおい、コレ呪いの装備とかじゃないのか?ダイジョブなのか?


 言われるがままに試着用の簡易ブースでお着替えタイム。


 少し大きいかとも思ったが、身に着けた瞬間に俺の身体の形状に自動的にアジャストされる便利機能。ズボンも同様の素材なのか、しっくりくる履き心地。


 とくに生気が抜けていくような呪いオマケもついてなさそうだし、コレで決定だ。


 新しいワタシ デビュー。

 カーテンを開けてブースから戻る。


「どうじゃ、着心地は?気に入らないのであれば別のもあるが...」


「わぁー!リートね、すごいわるものっぽいよー!似合う、似合う!!」


 どういう意味だ、そりゃ。


「いや、これでいいよ。てか、これがいい。」


 改めて、広いところで軽く身体を動かしてみる。その動きをみたシェリアも見様見真似でケラケラ笑いながら身体を動かす。


「問題ないなら、次はこれじゃな。鬼種の籠手と鬼種の具足。」


 ......まさかのセット販売だった。


「これは東の大陸に生息する独自の進化をしたオーガの骨を削り出して形にしたものじゃ。装備者の闘志を反映して、その形を変化させる。デザインがこの地域の人間にはピンとこんらしく、売れ残っとったが、正真正銘のレア装備じゃ。ほれ。着けてみい。」


 胴着同様の統一された意匠の漆黒の籠手を手にはめる。するとさっきと同様にしっかりと拳に馴染んでいき、丁度俺の拳の骨を覆うように鬼の白骨がナックルガードになっていく。


 形状が変わるってのは後の楽しみにとっておこう。多分、足の方も似たような感じだろうし試着はいいや。


「トルネソさん。これ一式セットでいくらかな?」


「お前さん達には稼がせて貰ったからの。胴着とセットで30000Gってとこじゃ。どうかの?」


 そうだ。忘れちゃいけない。


「あとさ、シェリアが気に入ったブローチがあるみたいなんだ。銀細工の真ん中に石が嵌め込まれてるヤツ。それも欲しいんだけど...」


「あぁ、祈りの翠石かの。サービスじゃ。タダでくれてやるわい。持ってけ。」


「いいの?トルネソのおじさん?!ホントにホント?ありがとー!わーい!!」


 ブローチを手にその場でジャンプするシェリア。


「ありがとう、トルネソさん。こんなによくしてくれて。」


 言いながらトルネソのおっさんに金貨を手渡すと、


「なぁに、シェリア嬢ちゃんの喜ぶ顔が見たかっただけじゃよ。お前さんと一緒じゃの。」


 ...やっぱりこのおっさんイケメンだわ。


「ねぇねぇ、リート!これつけてくれる?」


 俺の胴着の裾をくいくい引っ張りながら、シェリアが上目遣いで要求してくる。その要求を突っぱねるなどという選択肢は俺の中には最早存在しない。


「ほら、シェリア。後ろ向いてくれ。前からじゃつけづらい。」


「イーヤ。前からがいいの!じゃないと、つけてくれるリートの顔が見えないよぅ。しっかり大切な思い出にしておきたいんだもん!」


 シェリアが俺の頬を引っ張りながら、ニシシとイタズラっぽい笑顔を向けてくる。コイツのこういうところは本当にずるい。

たぶん今、俺の顔は耳まで赤くなっているはずだ。


「わかった。大人しくしとけよ。」


 シェリアの後ろ髪を片側に寄せて、あらわになった首筋に細い銀鎖を掛けていく。そばにあるシェリアの頬にどことなく赤みがさしているのは気のせいか。うなじの裏で留め具を固定する。


 銀のブローチがその重みで胸元に落ち、しゃらりと音を立てながらシェリアの紅のワンピースに彩りを添える。


「えへへへ。ありがとね。リート。これ、すっごくすっごく大切にするから。」


 手に取ったブローチを慈しむような眼差しで見つめるシェリアの表情は、ただただ美しくて......


 そんな姿に見惚れていると、思わぬ一言がシェリアの口から飛び出した。


「そうだ!ねぇ、リート。ワタシからもプレゼントしたいものがあるの。いっしょについてきてくれるかな?」




06 another sight シェリア・サラマンデル・ユーツフォリア



 リートの手をにぎって、さっき上から見つけたところまで走っていく。きっとあそこなら他の人はいなさそうだし、だいじょうぶ。


 えへへ。...リートよろこんでくれるかなぁ?


 走るたびにリートにつけてもらったブローチがしゃらしゃら鳴って、胸のところがとくんとくんってなる。さっきだけじゃなくて、リートに頭をなでてもらったときも、いっしょにおふろにはいったときも、ずっととくんとくんって胸が鳴る。


 だから、これはそのお礼!


「シェリア、どこに行くつもりなんだよ?プレゼントって...」


「えへへ。まだ秘密なんだから。きっとキラキラしてると思うんだー。だから楽しみにしててね?』


 リートの手をぎゅってして、だんだん暗くなっていく道をどんどん進む。だんだん、他の人の数もへってくる。


 よし、見えてきた。あれならきっとだいじょうぶだ。


 グリグランでもちょっと高いところにある、お月さまが見える公園。さっき、ばるこにーから見つけた公園。


 よし、とうちゃく。ゴエツドーシュー!

 リートといっしょに来てみたかったの。ここならリートにお礼ができる!


「ここは公園か?...シェリア、どうしてここに?」


 リートはだれもいない公園をぐるって見回して、ワタシに聞いてくる。


「えへへ。リートはワタシにいっぱいキラキラしたのを見せてくれたでしょ?だからね、ワタシもリートにキラキラを見せてあげたいの!それがワタシからのプレゼントだよ。」


 よし。他の人はいない。


 へんしんだ!


 からだがいつものワタシに戻る。なんだかさびしい気持ちになるのはどうしてだろう?


『リート、リート。早く背中に乗って!だれかに見られちゃうとダメなんだよね?ほら!』


 ぽかんとしてるリートをしっぽでぐるっとして、背中に乗せる。


『しっかりつかまっててね。リート!』


 浮かんでいるお月さまに向かって、翼をひろげて飛んでいく。おっきなおっきなお月さま。


 その光がワタシとリートを照らしてくれる。


『リート、リート!下を見て!きっとキラキラがいっぱいだよ!!』


 リートといっしょにグリグランの町を上からながめる。


「うわ、これは......凄いな。ホントに町がキラキラしてる。町の灯りと月の光で町全体が光に包まれて...」


 やたっ!リートがおどろいてくれてる!だいせいこう!!


『あのね...これがワタシからのプレゼント!たくさんのキラキラ!!どう...かな?よろこんでくれる?』


 ドキドキが止まらない。なにか言ってよぅ...


 せびれがくすぐったくなる。リートがワタシの背中をなでてくれてる!


「ありがとな、シェリア。とても綺麗だ。とてもキラキラだ!」


 リートからの返事をきいてもドキドキが止まらない。どうしよう。かってにしっぽが動いちゃう。


 えへへ。こんなの初めてだ。


......あれ?なんか町の方からどーんって音がする。


「おい、シェリア!町の方!見てみろ!花火だ!!」


はなび?お昼にリートが言ってたヤツだ。リートに言われたとおりに町の方を見てみる。


『わぁー!わぁーわぁーわぁー!!スゴい、スゴい、スゴい!!!キラキラだーっ!!』


おなかにひびく、どーんって音。それといっしょに弾ける光!

いろんな色の光!!

いっぱいいっぱい光の花が空に咲いていく!

なんども、なんども!!

ぱらぱら散って、また咲いていく。


夜空に咲くお花畑。


人界ここじゃなきゃぜったいに見れなかったお花畑。

リートといっしょだったから見れたお花畑!


『ねぇ、リート。今日はとっても楽しかったね。』


「あぁ。」


『ワタシ今日のコト、ずっとずっとずっと忘れないよ。』


「あぁ。俺も絶対に忘れない。」


『えへへ。おそろいだね。ワタシ達。』


胸のところがきゅーってなって、どんどんあったかいのがひろかってくる。


どーんどーんって咲きつづける光のお花畑を、ワタシとリートはずっとずっと眺めていた。


夜空に光る二つのお月さまもそんなワタシ達をずっとずっと眺めてくれていた。

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