第5章 有希乃との出会い

第5章 有希乃との出会い



春が来て、夏が来て・・・。僕らは相変わらず忙しかったが、順調だったんだと思う。

 秋のレコーディングまでは。

 秋についにレコーディングが始まった。トータルプロデューサーには元「Dファンクション」というバンドのヴォーカル・ボンド梶山さん(僕たちは知らないバンドだったが)という人になったらしく、チャ―には「凄いじゃん」と羨ましがれた。

ディレクターには、南さんという若いサラリーマンのようなお兄さん。

プロデューサーには、茶髪にメガネが不釣り合いな蘭さんというお兄さん。

千駄ヶ谷に来た梶山さんは、サイケな白黒シャツを着たテクノ時代を思わせる都会的でお洒落なオジサンだった。

「アシッド、グル―ヴ、軟弱、オシャレ、それでいこうね、あとはこっちで何とかするから」梶山さんはそういって去っていった。

「アシッドって何だ?」準は意外におぼっちゃまでそういうところには疎いのだ。

「LSDっていう麻薬のスラングだよ」僕は言った。

「ビートルズもやったろLSD。あれだよあれ。クラブやパーティーでかける曲自体アシッドを使って作られたから、聴く奴もアシッドを「キメて」聴くわけだな、ま、昔じゃないから使ったらパクられておさらばってわけさ」


      *



最初の1曲で蘭さんは言った。

「ひでえなーよくここまでこれたなあ、はいみんな解散!」「・・・」

「まずね、トータルから言うよ。みんな先が読めてない。弾きながら次のパートやコードの準備ができていないから、誰かの後追いになる。俗に言う「下手の後ノリ」だ。緊張が足んねえんだよ。ギターテクで引っ張る美味しい・・・リュウくんっていったっけ? 目立ってないのに音が大きい。なんだよそのオーバードライブのサスティーン? 要らないね。わかってるんでしょ。ヴォーカルを消しちゃってる。ジュン君はリュウ君に遠慮してんの? 二人でいいところを消しあっている。ドラム。まあいいや。こっちで何とかする。ベース。抜けてないね。粒がない。ドンシャリの設定かな? せっかくの指引きや遊びが全く聞こえない。まあいいや、これもこっちで何とかする。あー大変」蘭さんは伸びをした。

「南ちゃーん! この子らのスケジュールってどうなってんの?」蘭さんが大声で訊いた。

「昼は学校で、あとバイトだそうです」南さんは蘭さんに敬語を使う。

「じゃ、バイトは休止だな。夕方からヴォイトレ(ヴォイストレーニング)と楽器練習だ」蘭さんは面倒な顔をして、頭を掻いた。

「はい」なぜか南さんが返事をする。


「ハイ涼君。君はね、ローのレベルを下げて、3かな。ミドル、ハイを8で。スラップの時は、イコライザーのエフェクターでロー、ハイ上げてのミドル消し」蘭さんはアンプをいじりながら、こっちを見るよう教えてくれている。

「イコライザーくらい買いなさいよ。あとあのベースで入るイントロ、あそこはコンポレッサーのエフェクターを音上げ代わりに踏んでやれ。終われば踏んで消す。それも買いなさい。ああ、でも今の話はあくまでライブ会場での話。今、スタジオでは、極力ローを3,4にして、粒立ちいいリフをちょうだい。なるべくブリッジに近いところで弾く。わかる? 言ってること?」

「は、はい」僕は必死で聞いた。 

「せっかく2種類のピックアップを改造したジャズベースなんだから、普段はシングルピックアップで、バラードはハムバッカーで、0か10だ。ハムキャンセルとか気にしなくていいから。 ベースのツマミを1から10まで曲ごとにちゃんと管理しなさい」蘭さんと南さんはそう言って僕ら1人1人に指令を出していった。

「はい、止めて。いまのギター、ジャガジャーンじゃなくてジャガジャン! でミュート」

「ハイ止めて、ハル君、走りすぎ。あなたがしっかりしなくちゃ。ヴォーカルよく聞いて」

「ちゃうちゃう。そこはルートが違うよ、ベース。そこから4度に上げて」

この日は1曲だけで8時間。まともに1曲を通すこともできなかった。

こうして僕らは、まるでロック入門学校の生徒のように基礎からやり直しをしなければならなかった。学校が終わると千駄ヶ谷の生活が始まった。準はヴォイストレイニング、瑠一は、金髪のお兄さんとギターの研究。ハルと僕はひたすら100曲の練習。ジェイだけが自由だった。僕らはバイトができなくなって、エリックから経由して入る小遣いと事務所からの固定給を合わせた10万が頼りだった。

僕にとって怖いのは、「Bの4度ちょうだい」とか「A7のスケール鳴らしてみて」という注文だった。BのメジャーコードならBから2,3,4,5・・・と押さえるフレットが決まっているのだ〈スケール〉。ギターならわかるがベースでコードのスケールを言われると一瞬頭を使う。AマイナーやA7のようなスケールにパニックになる。もじもじしてると蘭さんから「ちぇっ、ったく、ここだよここ!」と怒られる。僕は瑠一に教えを乞うて、毎晩必死で頭に詰め込んだ。ジャズ部に入ればよかったと後悔した。


 もうひとつの悩みは、見た目だ。

 「あのさあ、涼太朗君、いまや縄文時代じゃないんだから、胸で弾くのはやめなさい。シャコタンだよシャコタン。(車(・)の車高(・)を短(・)くしてヤンキー仕様にしたものをシャコタンという)ベースは低ければ低いほどかっこよく見えんの。ストラップ特注のヤツあげるからそれで弾きなさい」蘭さんは股を広げ床近くまでベースを降ろす仕草でやってみせた。

(うへ―無理無理)ベースは計算上、乳首のあたりまで持ってきて弾くのが一番効率よく弾きやすい。とくにスラップをする僕には、死ねと言われるようなもんだ。低いのはパンクの人たちがやるのであって、僕はお上品に弾きたかった。

「わかった?」

「はい! やってみます」

「やってみますじゃない、やんなきゃいけないの」


 


彩花にはなかなか会えなくなっていた。

(心配じゃないのだろうか? なんで僕がいつも彩花の心配ばかりするのだろう。Hとかしたくならないのかなあ?)多分僕とは違う次元でモノを考えているから、考えても無駄なような気がした。でも時間が過ぎてばかりいると、お互い離れ離れになっていくような気がしてつい電話をして、下手(したて)に出たような感覚になって惨めになった。 

 

「ハイ、みんな聞いて。アルバムリリースは十一月十一日。きりがいいでしょ。8曲のミニね。レコーディングは来週から。プロデューサーさんやディレクターさんのことをよく聞いてしっかり練習してちょうだい! 十月十日にはPV撮影。しっかりそれまでパフォーマンスを整えてよ」シマちゃんはクタクタになった応接ソファーにもたれかかったハルの肩を揉みながら言った。

「ライブは? やるんですか?」準は訊いた。

「もちろん。週末はいつも通り。お給料のためにも頑張って」

「はあー俺っち、レコーディングやだな。意味ないし」ジェイは言った。

「あなたは指揮者。あなたがしっかりリードしないとみんなまとまらないの、ジェイは責任重大よ」シマちゃんはメガネをつり上げて言った。

「ウヘエーしょうがねえなーPV楽しみに頑張ろう・・・」


ボンド梶山さんもやっと顔を出すようになった。

「It won’t be long it won’t be long it’s gonna be chance for boys and girls・・」

「はい、カット! ベースのミュートが利いてない。ダダ流れ。はいもう1回」

「I don’t want to be here to waste my time ,I swear to God that I told a lie 」

「カット! ハイハットをペダルでちょうだい、ンツー、ンツー、ウラからね」

もう僕は頭がおかしくなりそうだった。1曲にかけるスタッフの情熱たるや、逆にこちらが冷めていくようだった。(いいじゃん、そんなのどうでも)僕は甘ちゃんだった。

やっと1曲を通し演奏で来たと思ったら、

 「ハイ、じゃ3テイク通してやってみよう」(ギョエー!!!)

 「ハイ、じゃオケ完成。明日は1人ずつ別ドリで。お疲れ様―」梶山さんは去っていった。

(ウソー!)

 なんとみんなで同時に弾いたのは、1人ずつがモニターを聴いて演奏するため。本番は1人ずつ別録音なのだ。気が狂いそう。楽しみは煙草と宅配の食事だけだ。

スタジオが終わると、ダンスレーベルのあるダンスフロアの2階へ集合し、曲を流して、メンバーのパフォーマンスの練習。音の出ない楽器を弾きながらメンバーの動きに指導が入る。南さんの声が飛ぶ。

 「ジェイ、ここで前だ!」「リュウ! ここで前に来てギターの角度は45度」「ジュン、お前はこのパートで何が伝えたいんだ、ここでマイク斜め握りだろ」「涼、膝を使え、内股気味に姿勢を低くして、ベースを下げろ、そう。ブリッジから離れるな!」

 ボンド梶山さんは、ひたすらにコンピューターの画面と向き合っていたり、キーボードを弾きながら蘭さんに楽器を弾かせていた。

「この曲ベース全部カット、蘭ちゃん入れて」「ここ全部ピアノに変更」「これは消して打ち込みかけて」梶山さんの声。なんだかおぞましい声を聞いてしまった。準以外、ぼくらメンバーは存在する意味がないように思われた。要は誰だっていいのだ。存在しなくてはならないのは、表舞台に出るときに、メンバーはいるんですよ、という証明であって、準以外はライブや撮影の時だけ必要とされる操り人形のようなものだ。いや、わかってはいた。予想はしていた。なにもこんなはずじゃなかった、なんて今さら悲劇を嘆く馬鹿じゃなかった。2年で辞めると決めていたから。ただ、いざ夢をかなえようというこの状況はあまり気持ちのいいものでもなかった。滅入りそうな時は準の宣言を思い出した。

「If you wanna dream on , you must be a demon 」(悪魔になれ!)そう。夢はもっと先だ。僕の夢はまだわからないけど、今は通過点だ。

(梶山さん、蘭さん、南さん、カムラッドのみなさん、ごめんなさい!)他のメンバーもそう思っていたに違いない。 


そんな毎日が2週間も続き、ようやっと8曲の録音が終わった。結局一番大変だし大切にされるのは準だった。エンジニアの倉島さんという人も職人で、何度もヴォーカルの取り直しになった。コーラスも入れるので準は3人分くらい歌わされる。これを待っている僕たちも苦痛であった。出来上がった曲はよそのバンドの曲に聞こえた。僕のベースなんて楽器はあってもなくてもいいような仕上がりになっていて、今までの気の遠くなるような時間を思うと眩暈がして倒れそうになった。

「はあージュンにもっと勢いがないとなあ、オーラだよ、売れるための。この先難しい

ぞ」ボンド梶山は蘭さんにそう言って帰って行った。正直、腹が立った。


ジェイが楽しみにしていたPV(プロモーションビデオ)の撮影日が来た。僕らは高年式のボロいフォルクスワーゲンバスに乗せられ、機材車と2台で横浜のコンテナ倉庫の前で降ろされた。PV撮影会社のスタッフが大勢集まっていた。ひたすら挨拶だ。夕日が射すようになってようやっと演奏だ。隣には撮影用のドでかいアメ車、カマロのZ―28が夕日を浴びて輝いている。僕たちはダンスフロアで練習した通りのモーションで動き、ジェイはなぜかターンテーブルでディスクを回す演技をさせられた。銀の全身タイツにヘッドホンをしてとび跳ねている。

 「ウヘエー勘弁ですよ、俺っちは、好きな服で、好きなように動けると思っていたのに

これじゃ変態だよ、もう」ジェイなりにこだわりがあるらしい。

「もともと変態じゃねえか、全身ペイントよりマシだろ」僕は慰めた。

 「ドカーン! 俺っちはパンク&ファンクの帝王っすよ。ブーツがなきゃ話にならねえ」

 よくわからない世界だ。ジェイはこの頃から、様子がますますおかしくなっていった。

 カメラディレクターの相原さんに挨拶をして、撮影は終わった。


 出来上がったPVはびっくりだった。主人公がルーズソックスをはいた短いスカートの制服女子高生で、全速力で倉庫街を走っている。ちょいちょい僕らの演奏シーンにカットインされて、結局女子高生は転んで躓き、見上げれば夕日に三日月が昇っている。そんなPVだった。

「なんだこれ? 準さんの世界も糞もねえ」ジェイは怒った。

「音楽産業だよ。産業。女子高生とDJとイケメンがいればウケがいいわけよ」瑠一はボソッと言った。


 音楽雑誌「ノッキング オン」の雑誌インタビュー。僕に順番が来た。

 「始めたきっかけはなんですか?」

 「ビートルズっすね。最初はギターで、でもリュウに取られて、ベースになりました」

 「好きな食べ物は?」

 「イカの肝ワタ焼っすね。酒が好きなんで」

 「音楽はご両親の影響?」

 「親父は画家です。ヨーロッパを放浪して、今はどこにいるやら」

 「リョウさんの目指す音楽とは?」

 「不安と悲しみそれに脱落、失敗・・・」

 「好きな女性のタイプは?」

 「優しくて、それでいて強くて、必死な子ですかね」

 「どうもありがとうございました」そう言って雑誌のお姉さんは瑠一のほうへ向いた。

 雑誌のインタビュー。まったくもってひどい編集になってしまう。本当に笑っちゃう。

出来た原稿はこれ。


THE QUARTER MOOn

ポイズンベリーなポップンロールにやられちゃうかも

禁断の黒い果実たち、三日月の夜ついに始動! 

メンバーがついに語った!



「記者:なんでも芸術一家だとか?」

「リョウ:まあ父が画家なんです。そんな影響もあってか気づいたらブリティッシュロックにはまっていた(笑)ファンと一緒に生きる不安や悲しみを共有したいとおもってる。最近はシーフードに凝っていて、好きな人に料理してあげたい(笑)」

(イカ肝はどうした! )


 いよいよ199×年11月、CDデビューの日が来た。

ミニアルバムは「Wherever ウェアエバー」2000円。ジャケットのデザインは、由美子ちゃんの友人の美大生が描いた。黒地に赤い三日月が血を滴らせて、遠くに青い地球、みたいなシュールな感じだ。なかなかの出来だ。

シングルは「ゲットアウト」と「スノーストーム」。キャッチーなポップとクリスマスの悲哀を風刺した2曲。800円。

 僕らはたっての希望で、多摩の地元のメガCDショップで握手・サイン会をした。

 「シマちゃん、もう限界だよ。まだ?」ハルがぼやいた。

 「あと2時間。頑張って」マネージャーだって辛いのだ。僕らのために働いている。

 アルバムは、約1万枚が売れた。デビューとしてはなかなかの数字だ。2千円で1万枚は2千万円。このうち8割はレコード会社と事務所へ行く。1600万だ。残り400万のうち半分は著作権出版社へ。のこり200万は作詞作曲の準へ行く。

じゃあ、準以外の俺たちは? そう。固定給と1%の印税だ。貰えるのは半年から1年後まで先の話。2000万の1%は20万。これを準以外の4人で割る。1人5万! 僕はまた眩暈がして倒れ込みそうになった。


   *


 CD発売から少し落ち着いた12月。僕はいつものように彩花の家を訪ねたんだ。今年こそはどこか家ではなくホテルにでも行ってクリスマスを過ごそうなんて計画をしていた。オートロックを開けると彩花の部屋は開いていて、入っていくと見知らぬ女の子がテレビを見てソファーで寝ていた。Gジャンのような上着に、ピンクのショートパンツ、黒いタイツの女の子。

「ご、ごめん。知り合いなんだけど勝手に入ったりしてごめん」僕はまず犯罪者でない事をなんとかして説明しなくてはならなかった。女の子はちょっとびっくりしていたが、

「お姉ちゃんの友達でしょ。もしかして涼太朗さん?」

「そ、そう。同じ大学でね」

「凄い! ザ・クォータームーンのリョウさんだ、ヤバい!」女の子はソファーから跳び起きて握手を求めてきた。

「いや、その、自分はベーシストだから。た、たいした人じゃないよ」

「あたしファンなんです。お姉ちゃんのとこにいれば会えるかなと思って、東京に来ちゃった。まさか? 本当に本人? 」

「庄司涼太朗、よろしくお願いします」僕は握手をしたまま恥ずかしくて逃げたくなった。

「妹の有希乃(ゆきの)でーす。マジ緊張しちゃう」

「いや、こっちも。有紀乃ちゃんのことはお姉ちゃんから聞いていたよ、歯科衛生士なんだって?」

「凄い。そんなことも知ってたんだ。お姉ちゃんの話本当だったんだ」

「ああ、そのお姉ちゃんは学校?」

「ううん。なんかね、しばらくニューヨークに行くって出て行っちゃった」

「そ、そうなんだ。どうしよっかな、連絡なんて取れないよね」

「向こうからかかってくると思うけど、しばらく帰んないと思うよ」

(彩花のやつ、ついに行動に移したな、こっちにはなんも連絡もなく。全く彩花様だ)

「そっか。じゃ、帰ろうかな」僕はここに居る理由はなかった。

僕は車の鍵ジャラからメタルのペンダントを取り外した。〈QM Ryo Treasures You〉

ジェイの彫った三日月のサージカルステンレスでできたオリジナルペンダントだ。

「これ、あげる。ファンだななんて言ってくれて嬉しかったよ、安モノだけど」

「え、え!? いいんですか? 凄い! 感動しちゃう、宝物にします!」

「いや、そんなものでもないよ、お姉ちゃんは笑って『要らない』って言ってた」

「ああ!・・・その・・・ご飯でもどうですか? リョウさんと話してみたい」

「え? でもお姉ちゃんもいないし、妹さんだから」僕は躊躇した。

「だってリョウさんに会いに来たんだもん。帰ってほしくない。ファンサービスだと思って居てください! そうだ、お鍋食べよ、リョウさん。あたし今日まだ何も食べてない」

「・・・うん。僕も。いいのかなあ、お姉ちゃん怒らないかな」

「平気平気! かえって喜ぶよ。ね、ね、お願い」有紀乃ちゃんは僕の手を引いて、ソファーに座らせた。

島崎有希乃(しまざきゆきの)。僕の1歳下だ。姉の彩花とは全く逆と言っていい。一言でいえばキュート。姉は清楚で美人系なのに対して、有紀乃はくりくりした目に小さな口で、笑顔には八重歯がのぞいている。姉とは違って、チャーミングで人懐っこい感じの子だった。いかにも末っ子で自由に育てられた感じだ。

僕は有希乃と近くのスーパーに行って食材と酒類を買った。

「どうしよう、リョウさんと買い物なんて、写真でスクープされたらあたし困っちゃう」

「誰も知らないよ、俺のことなんて。大学でも知られていないんだ」

「うっそー、大学生って変なの。お姉ちゃんも無関心でしょ」有希乃は言った。

「まあね。それでいいんだよ。お姉ちゃんのそういうところ、嫌いじゃないから」

僕らは二人でキッチンに立って料理をした。有希乃は大根の皮を剥くために包丁を目のあたりまで持ってきて格闘している。危なっかしく笑ましい。

鍋を肴に、焼酎を飲んだ。有希乃もお酒が大好きのようで、どんどんテンションが上がっていく。お団子の髪を崩したヘアに、童顔な顔。こんな妹がいてもいいなと思った。

「なんでリョウさんたちは、英語の歌なの?」有希乃は機関銃のように質問をする。

「うーん。・・・たとえばさTeddy John’s speaker always makes my head dizzy and giddy ってどんなふうに聞こえる?」

「テディーじょんずぴーかーへっどほにゃほにゃ?」

「うん。それでいいんだ。どんな感じ?」僕は訊いた。

「テディージョンのヘッドがどうかしている?」

「凄い! ほぼ正解! 有希乃ちゃん賢いね」「え、なに、どうして?」

「テディージョンのー♪持っているスピーカーの音はー♪いつも俺をー♪くらくらさせるほどイカしてるー♪」僕は歌った後に訊いた。

「どう? これ日本語にして歌ったんだけど」

「ヤダ―、そんな曲ダサくて、聴いてらんない」

「だろ。そんなもんさ。ダサくても英語にしちゃえば、ちょっと聞こえた単語で、想像力が拡がる。聴く人になんだろうなあ?っていう遊びを持たせるわけ。日本語だとジュンのメッセージが直(ちょく)に届いちゃう。それってちょっと押しつけがましくて、つまんなくない?」

 「そっかー、じゃあ 『ザ・ウェイ アイ ドゥ』って曲はどういう意味?」

 「僕のやり方、かな。有希乃ちゃんはどういう意味だと思った?」

 「道で、私はする、かと思った」

 「いいじゃない。それでも。『私の道で私はするんだ、ほっといてくれ』なんていい解釈だと思うな、うん。「する」を『Hする』なんて解釈も可能だよ」

 「キャハハ、道でHするんだ、ウケる」有希乃は脚をバタバタさせて喜んだ。

 僕らはそのあとスーパーファミコンのマリオカートで盛り上がり、彩花の持っているお笑い劇団のビデオを見て、気がつけば焼酎を3本も開けてしまった。僕はそろそろソファーでまどろみ始めた。

 「リョウさん、お姉ちゃんのこと好き?」有希乃は僕の肩にしな垂れかかって言った。

 「うん。僕はね。お姉ちゃんはどうなんだろうな? 最近よく分かんない」僕は言った。

 「リョウさん、お姉ちゃんの彼氏なの?」ちょっと意外な質問だった。

 「ん? 違うのかな? お姉ちゃんは、そう思ってないかもな」

 「お姉ちゃんは、いけない人だよ。リョウさんのこと友達だって言っているんだもん。

そういう男友達いっぱいいるよ、お姉ちゃん。ニューヨークにも友達に会うって言って

行っちゃったんだよ」有希乃は呟くように言った。

 「あははは。そっか。ありがと。教えてくれて。でもそれはお姉ちゃんだけが悪いんじゃないんだ。僕だっていつも側にいてやれなかったからね。お互い様だ」僕は言った。

 「リョウさんにはファンだっていっぱいいるはずなのに、なんでお姉ちゃんなの?」

 「気が合って好きになって、それだけだよ。お姉ちゃんはね、僕が芸能人だろうが、優秀な会社の人だろうが関係ないんだ。それはそれで僕も気が楽でさ、安心するんだ」

 「あたしは嫌だな。好きな人は大切にしたい。お姉ちゃんは浮気症だよ」

 「うフフ。それも僕の負けだよ。浮気させちゃったんだから」僕は大人に徹した。

 「もうーイライラする。リョウさん気が弱すぎだよ、可哀そう」

 「そっか。ありがとう。なんか疲れちゃった。このまま眠っていいかい?」

 「うん。このまま2人で寝よ」

 僕らはビデオを流しっぱなしのままソファで眠りについてしまった。

(彩花、君は僕がありったけ愛しても、いつだって僕には気付いてくれないんだね)

 

    *


 僕はそれからちょくちょくと有希乃に会いに行った。どうやら栃木の歯医者の助手をやめて、東京にでてきたこと、彩花の部屋に同居するなら上京してもいいとご両親と約束をしたことなどがわかった。

 こっちで歯医者の仕事場を見つけるまで、僕は面倒をみようと思って会いに行った。いやそれは嘘だ。有希乃が可愛いのだ。無邪気で、キュートで、妙に艶っぽい唇が、日を重ねるうちに愛(いと)おしくなってくるのだ。彩花と違ってどこか放っておけない引力に惹かれていった。

 クリスマス・イブには2人で買い物に行った。有希乃に手を引かれマルキューで服を選ぶ。僕は恥ずかしいから店になんて入れないのだが、有希乃がどうしても試着だけは見てほしいというので、店の外で知らぬ存ぜぬで立っていた。ファンに会ったら面目ないのでフードをかぶりサングラスだ。

ベージュピンクのコート、白のニット、ミニの巻スカート、スウェードのロングブーツなど、結構なお買い物だ。有希乃は嬉しそうに「可愛い?」を連発した。

いったん帰って、早速買った服に着替えた彼女を連れて、僕の実家の近くにある六国山公園という丘陵地までドライブした。

多摩丘陵の里山で、駐車場から10分ほど登れば大山・丹沢の峰々が見えるのだが、生憎曇り空で、夕暮れにもなって山々は見えず。スキッとした風が冬の到来を告げていた。散らばった銀杏の葉は見事な黄金色になっていて、靴でかき分けるように歩いた。赤や黄色で染まった桜の葉も踏みしめるのがもったいないくらいだった。12月の天気はこれでいいのかな、と僕は思った。有希乃は「暖かいっ」と言いながら買ったばかりのコートのポケットに僕の手を握って入れた。手を繋ぐと汗ばんで、僕はほっこりした。

「これなに?」「ハナミズキ」「これなに?」「コナラ・どんぐり」「これ何?」「椿」「これなに?」「ヤマボウシ」「すごーい、涼ちゃんなんでも知ってる」

尾根沿いに登ると、山頂は平地になって、都心の方も丹沢の方も見渡せる。夕暮れになってきて、都心の方に向いたベンチに座った。遠くのビルや送電線の航空障害灯がポワーん、ポワーんとほの赤く光って、高層マンションの白い光がやけに明るかった。

「なんか、遠くの街がクリスマスツリーみたいだね」有希乃が肩を寄せた。

「うん。でも明かり1つ1つには家があって家族があって、なんかいいよね」僕は言った。

「みんな今日はクリスマス・イブだからきっとごちそうとか食べてそう」

「ハハハ。幸せかもね。ごちそうを食べる日かあ、有希乃はクリスマスは何の日かわかってるよね?」

「うん。サンタさんの誕生日!」有希乃の無邪気な顔が可愛い。

「アチャー、サンタさんは自分の誕生日なのに世界中の子供にプレゼントを渡すんだ」

「そっか、おかしいか。クリス様の誕生日?」

「ブフーっ、だれだよ、それ。イエスの誕生日。正確には12月25日じゃないらしいけど」

「そうそう。それだ。でもなんで好きな人と過ごすの? みんな」有希乃は言った。

「日本人はね。ふつうは愛する家族と一緒にイエス様をお祝いするんだ」

「・・・涼ちゃん。やっぱり愛する人はお姉ちゃん?」

「それは、その・・・いもう・・・」

その瞬間、僕の唇に有希乃の柔らかく暖かい唇が押しあてられた。

「あたしはいつだって涼ちゃんだけ、涼ちゃんだけを愛してる」有希乃の目が潤んでいた。


部屋に帰って台所に立つ有希乃。彩花より料理が出来るのだ。シチューを作ると言ってまたジャガイモ剥きで包丁と格闘している。シュシュで縛った後ろ髪、フリルのついた白いエプロン、すらっと伸びた長い脚、ピンクのスリッパ。

僕は思わず後ろから抱き締めた。

「ああっ!びっくりした、おどかさないでよ」有希乃はフリーズした。

「有希乃を好きになってもいいのかな?」

「うん。大好き」

僕は有希乃をそのままお姫様抱っこをしてベッドへと運んだ。有希乃の体中にキスをして、溢れんばかりに愛液の湧きでている泉の底へと僕の身体を挿入した。絶叫と狂喜の喘ぎの中で有希乃は絶頂を迎えた。

こうして僕と有希乃は体を合体させ愛を育むことになったのだった。


    *


彩花が帰ってきた。3人で部屋で夕食となった。彩花の土産話が途切れたところで、

「彩花、話があるんだけど・・・」僕は勇気を持って白状することにした。

「有希乃と出来たんでしょ。あたしもごめんね、涼ちゃん。いつも寂しい思いさせて。

あたし明日から友達の家に一緒に住むから、大丈夫。最近気鋭な劇団監督の人と仲良くなったの。あたしは彼のお手伝いがしたいなあ、と思って。服だけ持っていくからあとは有希乃と自由に使って。有希乃をよろしくお願いします」彩花は最後まで彩花様だった。自分の好きなように生きていく。裏を返せば、人のことはどうでもよいのだ。

「ほら、涼ちゃん、お姉ちゃんなんてそんなもんだよ」有希乃も唖然としていた。

「大学はどうすんだ?」

「そうね、1年は留年かな。親には悪いけど、あと1年はいろいろやってみたいの」

彩花は彩花で夢があるらしい。演劇のことはよくわからないが、それに向かって揺るぎない信念をもっている。(If you wanna dream on , you must be a demon )僕は心の中で呟いた。この人も悪魔だ。


2月から有希乃は、多摩ニュータウンで、歯科衛生士として歯医者の仕事を始めた。住民票などもこっちに移して、朝から仕事に出るようになった。僕としてもひと安心だ。

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