第3章 ジェイムズ登場

第3章 ジェイムズ登場



 19××年4月。準は好きな英語の道に進みたいと、私立の英米文学科に、僕はあまり考えず、社会の機能を調べてみたい、そんな軽い気持ちで私立の社会学科になんとか無事に合格した。

 入学と同時にバブル経済が崩壊した。時は第2次ベビーブーム。とっても子供が多かった僕らの世代は熾烈な競争に勝ち抜いても、一気に絶望へと追い込まれたような感じになってしまった。同時に虚脱感が溢れ始めた。世の中が、日常世界が、急に暗い表情になっていって退いていったように思えた。僕もご多分に漏れず、壁を登った後の空虚な景色に失望した。リクガメは遠く先に進んでいた。

 バンドブームも次第に陰りを見せて、数々の大御所バンドが解散やソロ活動へと動いていった。その理由はさまざまだろうが、バンドというものは長くは続かないことは明白に見えた。

 橘田準は、本格的に作詞作曲を始めた。もともと中学時代から作っていたが、日本語のラブソングの王道でどれもエゴが強く、「After Q」という名で高校の文化祭にも出たが客の反応はイマイチだった。今回は満を持しての全曲英語による創作が始まった。

 僕はといえば、JTが主催する「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」というジャズ・フュージョンの野外フェスをテレビで見て感動し、まだ若く絶頂期だったスターたち、泣きのサックス、デヴィッド・サンボーン、ギターのハイラム・ブロックのグルーヴ、ベースのマーカス・ミラーなど錚錚(そうそう)たる面々に打ちのめされてしまった。とくにベースのマーカス・ミラーが弾く「スラップ」(当時はチョッパーといったっけ笑)は真似をしないわけにはいかなかった。弦を上からは親指で叩き、下からは他の指で弦を引っ張るようにはじく。今までのベースと言えばコードの低音を支えるという役割だったわけだが、このスラップによってベースはドラムのようなリズムを叩きだす楽器へと概念が変わってしまうのだ。ベースの神様ジャコ・パストリアスのTeen townをスラップでやるのだから狂っているとしか思えない。僕はいろんなビデオを見ては練習を重ね、少しずつベースを主としたインストゥルメンタル(ボーカルなしで楽器にフォーカスした曲)を作り出していった。

 太刀川瑠一は、サンタナやピンクフロイドなどプログレな領域にのめり込んでいた。僕の曲に何とも珍妙なスケール(コードに対しての音の並び)で超絶なテクニックをアナログのMTR(多重音楽テープ録音機)を使ってミックスダウンで被せてきたり、僕と二人で適当にコードを決めて即興で曲を弾きながらソロの掛け合いをしたりして楽しんでいた。

 そんな僕ら3人は、ふたたび僕の家の狭い4畳半に集まってはMTRで、それぞれが好きなように曲を作っていた。

 準は、ギターで、片思いや自由や虚無感を求めた英語の曲を作り、僕らが楽器を入れる。

 瑠一は、難解なスケールとエフェクターを駆使した曲を作り、僕らがマスタリングする。

 僕は、さっきのスラップを多用してロックやファンクに近い曲を作り、準に歌ってもらい、瑠一に弾いてもらう。

 3人がまったく笑ってしまうほどバラバラな方向性ながら、不思議と化学変化を起こして、だんだんと独特なオリジナリティを生み出して、今までにない世界が見え始めたんだ。

 準の曲は、ちゃんとメロディーに合わせてきれいに英語のライム(韻)を踏んでいて、誰もが弾けるようなコードを使っていた。キャッチーでいて斬新。メッセージ性の強い曲からたわいもない詞のポップス、ラブバラード、3(スリ―)コードロックまで偏りもなく飽きが来ない。瑠一は、そんな準のわかりやすい曲をしっかり珍妙難解にせず、もっとメロディアスに「おお!」といわせるテクニックでプロ志向に仕上げていった。


 ドラムには準の大学から春(はる)八木(やぎ)光生(みつお)、通称ハルをスカウトした。金久保郊が脱退したためだが、プレイに失敗が少ない分、遊びが足りないがいい腕前だ。リズムはしっかりしていて走らない。まあドラムがいなくては始まらないのだから選りすぐりなどできる余裕はなかった。人懐っこくてチャラいところがいいのだが、他方チキンな性格をもつ布団屋の息子だった。


 スタジオに入ること十数回。最初は20曲ほどをハードディスクレコーディングし、4畳半に戻っては、ああでもない、こうでもない、を繰り返し取捨選択していった。曲の良しあしは、準にかかっていた。ヤツが気にいった曲は自然とギターやベースにも面白いテクニックが生まれついた。

 新生「ザ・クウォータームーン」は下北沢の「M」というライブハウスで始動した。数バンド合同の対バンで6曲披露。

I’ll Find My Way

Demon’s Song

Assembly Line

It’s Gonna Be A Sign

The Way I Do

Let’s Get Out

全曲オールイングリッシュのオリジナルだ。

チャカチャカしたポップとファンキーな曲が中心だがオーセンティックなロックが基盤だから最大公約数にウケる仕上がりにはなっているはずだった。準の最高に甘く抜けの良いヴォイス、ハルのキレの良いビート、瑠一のクールな姿から繰り出されるギターサウンドと超絶テクニック、腹を突きぬけるベース音。これはイケる、と思った。久しぶりに味わうこのグルーブ感。(気持ち良くて、これだから止めらんねえ)

お客はスタンディングのまま、肩を揺らし、片手をあげているヤツもいた。滑り出しはこれで上々だ。あとは数だ。ライブ、ファン、お金、どれも数を稼いでいくしかない。

 「なんかさ、うちら方向性って何なんだ?」僕は提起した。いつも目標が欲しいのだ。

 「ポップでロック、知的でおバカ、そんな感じ?」準は言う。

 「んじゃなくて、どこを目指すんだ?」僕はまた訊く。

 「そだね。なんかコンクール的なものかな?」

 「で、どうすんのよ?」

 「そりゃ、ウケりゃそんとき考えよ」準は刹那的だ。その方が賢い。

 「絶対ウケないって。英語だもん。趣味でいこ、趣味」瑠一はかぶりを振った。

 「でもさ、やる以上はさ・・・」僕は言葉に詰まった。夢が見たいのだ。

 「プロかデビューかって? そんなん俺らの決めることじゃないよ」準は冷静だ。


    *


 ジェイムズが現れたのは、僕らが大学1年の秋だった。いつもの下北沢Mで、対バンしていたらヤツがステージに乱入してきた。

身長190センチ。金髪五分刈り。日本人離れしていて鼻が異様にでかい。前歯が1本欠けていてヒョロヒョロの細い体にブーツィーコリンズの履くような白くて長い厚底ブーツと白いスリムジーンズ。星条旗よろしく星をちりばめた赤いタイトなゆるゆる丈の長Tシャツ。

「When All Nation’s Dead」 というギターカッティングのきれいなポップを弾いていたらヤツが勝手にステージに上がって来やがったんだ。ステージに上がるや否や準の前で頭を振ってジャンプしている。(クスリやってんだろう・・・)みんなそう思った。190センチに厚底だからそれはもう目立つ。


 「ウヘエ、おれ? ジェイムズ、ジェイって呼んでくれ」ジェイムズは楽屋にきやがった。

 「最高だよ。ウォータームーン。おれもギターに入れて」ジェイは狂っている。

 「ザ・クウォータームーンだよ。なんだよ水の月って」僕はツッコミをいれた。

 「ウヘエ(これがヤツの口癖だ)、まあいいからさ、おれも入れて」

 「何だよ、お前、誰なんだよ」僕はイラッとしてもう1度訊いた。

 「ジェイムズ。歯だろ? シンナーで溶けただけ。なあ、いいだろ? お前らのカセットだってみんな買ったし聴いたんだぜ、ケツの穴にコロナの瓶入れられたようにヤラれちまったよ、まったくイカれてるぜ」妙にブコウスキーの書くようなセリフに一同皆どん引き。

瑠一はキャメルのソフトケースから最後の1本を取り出して袋を捻って言った。

「うちらのどこがいいの?」瑠一が煙を吐いて言う。

「リズムだよ、リズ。体が跳ねるんだ。準さんの歌詞を聴いて跳ねるんだ、ウヘエーこれマジだよ。太っ刀さんのギターも気持ちいいし、ハルさんのドラムも半端ねえし、みんなクールだもんな」

「ジェイ、なんかやろう。ギターはいいから練習に遊びに来なよ」準は思いついたように言い放った。

「ウヘエー! マジで! 俺やるよ! なんかもっと盛り上げっからさー!」ジェイは手を叩いて奇声を発した。「ヤーフフー!」

 僕は目を覆った。

 本当にヤツの情報はこれだけなんだ。歳もどこから来たかも何も分からない。本当にただ酔っぱらっているか、クスリでイカれちまっただけだと思っていた。ただ、歯はシンナーで溶けたというのは信じがたい。どうせ事故か喧嘩でもして折っただけだろう。


 「ジャイーン」

 ジェイが僕らのスタジオ練習に現れたとき、ヤツは大きな大きなデッサン帳を上に掲げた。

 「なんじゃそれ?」

 「歌詞―、1曲ごとに歌詞のカンペを作ったんだもんねー」ジェイは言った。

 「はあ?」準は凍った。

 「歌詞をカンペにしたわけ!」ジェイはまたしても頭が狂ったのかと思った。

 「カンぺって俺、歌詞覚えてるし」準は言った。

 「ドカーン! 違うよ、これは客に見せるカンペ! 洋楽の弱点ってなーんだ?」

 「ああ、歌詞がわからねえ、ってことか」瑠一は言った。

 「ウヘエー正解。洋楽のファンはそのバンドの歌詞を知っているともっと曲を好きになれる。いや正直、ネイティブの発音なんて俺ら音楽じゃ聴きとれねえんだから、ファンじゃなければもっと意味不明な呪文さ。それを聞かされ好きになった気でいる奴らもいるんだぜ。大半は歌詞なんてどうでもいいんだ」

 「じゃ、どうでもいいじゃねえか」僕は笑った。

 「ドカーン! いや違う。準さんの歌詞を味わって見てもらう。俺は曲に合わせて歌詞の書いたこのカンぺをめくっていくワケ。準さんの歌詞、悪いけどわかりやすいから、お客はこれ見ながら曲のメッセージを味わえるわけよ」

「ふーーーー」一同凝り固まった。

「ありか?」僕は訊いた。

「・・・んー? やってみよ、意外とありかも」準は膝を叩いた。

「When All Nation’s Dead」を弾き始めるとヤツはしょっぱなからとび跳ねて居もしない客を想定して踊りだす。そしてAメロが始まるや否や大きなカンペを抱えながら、黒いマジックで書かれた歌詞を進行どおりにめくっていく。リフレインはしっかり戻る。(ハハ、なんか面白いかも・・・)みんな呆気にとられた。


 ジェイはライブでウケた。まず笑いが取れた。歌詞のカンペは、果たしてお客に単語の意味が伝わっているのかは分からないが、洋楽の難点である呪文のように聞こえる英語を確実に文字で伝えている点ではこちらの発信力が強くなった。

 準より目立たずそれでいて引き立てるように観客を盛り上げるジェイは、結構賢いのだ。

「涼太朗さん、この曲のここはオレと跳ねて」とか、シャイで気障(きざ)な瑠一に「タッチさん、せめてそこはターンでしょ」とか、「ここは涼さん、タッチさん、前に来てアクションでしょ、こうギターを擦りよせて」などジェイはプロデューサーのように褒めながら注文を付けるのだ。それでいて音作りには絶対注文しなかった。こっちのプライドも気にかけているのだ。どうしたら見栄えがよくなるかをジェイや前列の熱烈なファンだけでなく、奥にいるお客の好みや空気までを読みながら動くのだ。


 ジェイが入りバンド活動は本格化した。先当たってまずは金だった。僕らはみんなアルバイトをして週末の資金に充てた。対バン(数バンド合同開催ライブ)では30分、2万5千円が相場だった。これを5人で分けるから5千円。チケットは1枚1千円で25枚でペイする計算だが、大抵は赤字だ。5千円は捨て金だと思った方がいい。


 僕は塾の個人指導のアルバイト、家庭教師、徹夜のマックの掃除など、なんでもやった。車の免許も欲しかったので、月20万くらいは稼ぎはじめた。毎日がヘトヘトだった。それでも日曜は出来るだけライブを入れて、知名度を上げようとした。金は見る見る無くなっていく。スタジオ練習、ライブハウス出演料、CD買い、酒に煙草・・・。常に財布の中は1枚の1千円札か100円銀貨数枚だった。まだネットもケータイもない時代。出来ることはライブにきたファンを確実に口説くことだった。


 「ファンジン」とはファンが作るマガジンの略だ。僕らはまずこのファンジンに目を付けた。メンバーの写真やプロフィール,ツイートを始めに書いて、ライブでやる曲を固定化し、曲順どおりに歌詞を載せる。これをセットリスト(セトリ)という。パソコンもないからワープロか手書きで原稿にして、もう時効だろうが、バイト塾のコピー機を使って印刷して冊子にしていたのだ。出来上がった冊子をプレイの前にお客全員に配る。冊子の最後には返信欄があって、次のライブに来てくれたお客から返信メッセージをもらい、お礼にカセットを無料で配った。こうしたアイデアから冊子配りまで、すべてジェイが動き回った。

 返事が届くようになった。メンバーはみなカタカナの名前だけ。これもジェイの案だ。


 〈ジュン様、髪は短く、きれいにして下さい、・・・云々〉

 〈わたしもピラピラめくってみたい! ジェイ、ガンバッテ〉

 〈リュウ、グラサンは取ってください〉

 〈あたしもハル君の服、いつも好きです、この前ね・・・云々〉

 〈リョウの右手の指輪は、どこで買ったんですか・・・云々〉


 「ったく、曲は関係ないって感じだな」僕は返信を読みながらみんなに言った。

 「うん。しかも女子ばっか。ビジュアル系でもないのにな」準は言った。

 「この前のお客はねえ、男7、女子は15だよ」ジェイは記録している。

 「野郎を増やしたいなあ」準は言った。

 「今さら無理だよ、コア系かヘビメタにするかい?」ジェイは言った。

 「いややややや」

 「まずは数だ。女子いっぱい最高じゃねえか、お客は神様だ」ハルは言った。

 「なんかお客の御用聞きみたいだな」僕はどこか不満だった。

 「涼さん、当たり前っしょー! お客を喜ばせてナンボでしょ」ジェイは言う。

 「俺はサングラスとらねーよ」瑠一は淡々としてバドの缶ビールを呷った。

 「リュウさんはそうだね、そのほうがいい。それからファンジンなんだけど、今度からファンの子に向けて、〈ファンジン編集者募集〉って書こうと思う。本来のファンジンにしようかと思って」ジェイはそう言ってやはり缶ビールを呷った。

 「うん、そうだね、ファン同士で好きなように書かせて、近況報告とかは俺らで書く、みたいな」ハルが言った。

 「いやあー大変なこった・・・」僕は手を頭の後ろに組んで伸びをした。


 ファンジンの編集は、由美子ちゃんという専門学校生に決まった。編集系のコンピューターを勉強しているポッチャリさんだ。ファンに焼きもちを焼かせないルックスというあざとい知恵もジェイのモノだ。ライブの受け付けや勘定役も頼んだ。

 「まずはーコンセプトを教えてください」そう訊いてきたのは由美子ちゃんだ。

「おい、準! お前言えよ」僕は準に振った。

「・・・フリーロック・・・かな」準は適当だと思われる返答をした。

「んんー駄目だと思う。ロックはフリーなの」由美子ちゃんはもうマネージャー気取りだ。

「ブラックポイズンストロベリーポップね。B・P・S・P、『僕ら、ポイズンフルーツのジュースになって、君たちを殺(あや)めてしまうんだ、スマートだろ?』みたいな感じかな」由美子ちゃんは早口だ。

「ブーーー!!」みんなで吹き出した。

瑠一は無言で天を仰いだ。

「何だよ、訊いといて由美子ちゃんもう決めてんじゃん」僕は言った。

「まあね。ロックってつくともう流行らないよ。ポップ。サイケ。クラブ。フリッパーズギターって2人組知ってる? あなたたちは英語で歌ってるけどジャンル的には渋谷系ポップでいいんじゃない? 私大の付属上がりの悪ガキ達が聴いてるよ」(僕らはこのとき全員フリッパーズギターを知らなかった)

「ああ! 渋カジ! 俺ら渋谷知らねえし、クラブとかわかんねえし」ハルが言った。

「いいのよ。とにかく今まで通りの曲でいいから。衣装は、渋カジじゃバンドらしくないから赤・黒で固めて。黒いイチゴをイメージするの、わかった?」

「いやだよ、渋カジも、ジュリアナも、クラブも、わからない」準は笑った。

「いいの。見た目よ。だったらせめてトップスとジーンズぐらいは揃えて」由美子ちゃんは言った。

「衣装は、俺に任せてよ。原宿で服売ってんだ。これでも原宿では有名なんだぜ」ジェイは言った。

瑠一は、相変わらず天を仰いで煙を吐いている。


    *


 1年の夏に彼女ができた。ファンではない。大学のクラスの女子繋がりで飲みに行って、経済学部の女の子と出会ったのだ。

島崎(しまざき)彩(あや)花(か)。栃木の漬物屋さんのお嬢様で、聖蹟桜ヶ丘に部屋を借りて住んでいた。

アシンメトリーに分けたブラウンの髪にゆるいパーマがきれいで、小さい顔に大きな瞳。きっと地元じゃ有名な美人だったんだろうなあ、と思った。もっと背が高ければファッションのモデルさんにでもなっているだろう。お酒が強く、この日の飲み会は、僕と彩花だけを残してみんなは帰ってしまった。

「ほんと、ショックだったよ、大学入って」彩花は酔って愚痴を言い始めた。

「真面目だから?」僕はせせら笑って聞いていた。

「そう。みんな音楽も映画も本も読んでない、恋もしてない。メガネちゃんばっかり。入試はそんな子の全国大会だよ。勉強ばっかりしてきて話が合わない」

「もうバブルは終わったんだよ。残念だけどまた就職に向かって、スキルや資格を取って頑張ろう、みたいな。みんな怖いんだよ、ここまで来て世間的に失敗したくはないからね。そうやってどんどんと自分に試練を果たしていかないと満足できない人たちなんだ」  僕は居酒屋のソルティードッグをひたすらおかわりしながら彼女を宥めた。

「その世間とか無難とか、あたし大嫌い。自分のやりたいこととかをどんどん突き詰めていく人がいっぱいいるかと思っていたのに」彩花はテーブルにしな垂れて言った。

「彩花ちゃんはどんな人が好きなの」

「みんなが白だと言っているのに、黒だって胸を張って言える人」

「協調性の問題?」

「ううん。そんなことない。反骨精神かな。それをあたしが側で支えてあげる感じ」

「優しいね」

「あたし、涼太朗君のバカみたいな子供っぽさと、あやふやな優しさが好き」

「どうせみんな就職していくんだ。彩花ちゃんにも捨てられるんだろうな」僕は言った。

「そういうこと言わないで、今を楽しめばいいんだよ。あたしは涼太朗君の夢を追う姿を見るとなんか安心するの。楽しくて元気が出てくる。みんな暗いじゃない? どこか就職できればいいんだろ、みたいなニヒリズムに満ちた学校にいると、頭がおかしくなりそう」彩花はどこかヤンチャな純真さを秘めていて、僕も安心するのだった。

「彩花ちゃんは就職するの?」

「知らないよ、今は。そんときはそんとき。家、実家がお店だからそれを継いでもいいし、自由かな」

「ふーん。いいなあ。ねえ花火しない?」僕は言った。

「やろ! ドンと一発! あ、線香花火もいいな、涼太朗君の肩に寄り添って」


こうして僕らはこの日の晩に、恋人となった。

彼女の部屋に泊まり、シングルベッドで抱き合って寝た。

この後、僕は彩花と半同棲のような形で暮らすようになった。

ランチには僕がよくカルボナーラやボンゴレロッソを作った。彼女はよくお気に入りのエリッククラプトンのジャーニーマンをかけて、掃除や洗濯をしていた。

僕は20万の古い軽の4WDジープをローンで買い、聖蹟桜ヶ丘の彼女の家に通った。休みには二人で近くの海や山に行った。エアコンもナビもない昭和55年製のジープは、熱くて狭かったけど、幌をはずせばオープンカーにもなったし、キャンプやスキーには大活躍した。

お金のない僕は、彩花の所にさえ行けば、その日は暮らせることができた。二人で深夜になってまでお酒を飲みながら音楽の話をしたり、貸しビデオの映画を見た。塾のバイトが終わると深夜12時近くなるので、彩花の家に行って食べて飲んで話しているうちに窓の景色が白んでくる。起きると昼という生活が多くなって、学校はときどきサボってしまった。


    *


そうやって2年が過ぎた。大学3年生。

ファンジンも効を奏して、今やファンは500人を越えたようだ。ジェイ曰く。

ライブハウスは下北沢「M」の店長に可愛がられて、僕らはワンマンで出来るようになった。

ファンはやっぱり女の子中心で、最初は大学生以上が多かった。ファンジンの返信にも

ラブレターが多くなっていて時には、写真付き電話番号とか、「Hします、電話下さい」とか「困った時に使って」と万札が1枚入っていたりして怖くなった。

ワンマンだと2時間半。25曲。やる前は結構しんどい。お客のワンドリンクから酒を飲むのもはしたないと思い、僕らはいつの間にかウィスキーをいれるスキットルのステンレス容器をポケットに忍ばせて、ジェイや準のMCの間にウィスキーを喉へ流し込んだ。モワンとした苦みがお腹の中に広がって、滲みわたる。グッと腹に力が出て万能になったような気がして、気分が高揚する。ついアドリブを入れてみたり、ステージを動き回ったり、飛んだり跳ねたりして盛り上がるから、観客もヒートアップする。メンバーとお客が一体となってとび跳ねるのは最高だった。この体験を味わうともう自分は世界の中心になった気がするのだ。腹から突きあげるビート、躍動、サビの大合唱、虹色の照明、アンコールの声の波、ラストの跳躍、快楽の脳髄が頭の中で溢れんばかりにぐるぐると溶け出してしまったような感覚。これだからライブはやめられない。

当然楽しみは、ライブ後の打ち上げだ。しばらくは頭の中が朦朧としてテンションはそのままに、ファンジン編集の由美子ちゃんそしてその仲間たちと打ち合わせと称して飲みが始まる。

時には他の女の子バンドと合コンのような状態にもなった。当然みんなこっちの奢りだ。

終電はとっくに無くなって、メンバーはそれぞれバンドの女の子の家に泊めてもらったり、時にはホテル行きとなる。その日稼いだ千円札がまるで札束のように見えたので酔うと気が大きくなって金は宵越しまで持たなかった。刹那的な快楽と翌朝の後悔。これの繰り返しだ。


    *


嫌になるほど質問された。

「このさきクウォータームーンはどうすんの?」

僕らだってわからなかった。もはや僕は学校では逸脱者だった。学校のみんなは就職活動に備えて、やれ教職課程だの、公務員試験だの、と取り憑かれたように動き出していた。企業へはまだネットが無かった時代。会社採用案内を手に入れて同封されたはがきでアクセスし、会社説明会にいく、という手順だった。

僕は準と2人で話した。

「どうする? 就職。まさかバンドってわけじゃないよな」

「まさか。でも俺、映画とか作ってみたい」準も夢のようなことを言う。

「まあ、いいけど、4年生で解散ならその方向でみんなに伝えないと」僕は進言した。

「就職するから解散しますってのもあれだよな、情けないっちゅうか・・・」

「うん。たしかに。でも就職なんて出来ないらしいぞ。100社受けて1社受かるかどうか」僕は巷で訊く噂を鵜呑みにして悲観に満ちた声で言った。

「涼太朗は何がしたいの?」準が痛い質問をする。

「・・・まだ考えてない。レコード会社?」僕は恥ずかしくなった。

「ふーん、音楽系か、楽器屋とかCD屋とかもいいんじゃいの」

「う、うん。不況だから売れなさそうだね」僕は言った。

「何がしたいか、わかるまで焦らなくていいんじゃね」準は言った。

「ジェイは自由人だし、瑠一はベクトルで働けるし、ハルは実家の店継ぐって言うし、みんないいよなあ」そうやって僕はいつも他人を羨む。

「みんな大変だよ。だから好きなことやってる俺たちは幸せだって」準は言う。

(ああ、就職失敗、浪人、無職、怖―っ)僕の知能はまだこんなもんだったんだ。

今が良ければそれでいい。早く帰って彩花と寝たい、嫌なことを考えるといつだって逃避したくなる。

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