第2章 全力ハイスクール!

第2章 全力!ハイスクール



19××年。僕と準はH高校へ入学。

高校1年の夏がやってきた。イメージはどこまでも広がるスカイブルー。 

「海に行かない?」僕に誘ったのは、小野(おの)美(み)香子(かこ)だった。今のように携帯やLINEがない時代。お互いに声をかけるにも勇気がいる時代だった。

美香子は男子とのパイプ役で、シャイな男女が多い中、なにかクラスの決めごとなどがあると進んで声をかけてくるのだった。女子と海へ行く、それは初めてのことだった。海へ行く、ということは水着が見れることを意味する。高1の少年たちにはそれだけで鼻血ものであった。

「いいけど、誰が行くの?」僕はそれが知りたかった。

「えみりん、ゆっこ、美穂ちゃん、ユキとか」

「とか、じゃ困るよ。何人に声をかけたらいいかわからないよ、男子に」

「じゃ、決まったら教えるから」

僕が知りたいのは沙緒里がくるかどうかだ。他の男子だってそう思うだろう。

永井(ながい)沙(さ)緒里(おり)、のちにテニス部の部長になった子で可愛くてスタイル抜群。美香子とも仲が良く同じグループだったから、きっと名前が出ると思ったのだ。

「わかった。こっちも何人か声かけてみる」僕はそう返事をした。

クラスのアイドルが来ると、来ないとは大違いだ。みんな彼女のことを気にかけていたと思う。


沙緒里が来る、と分かったときは、凄くうれしかった。男子5人はみんなOKした。

「んじゃ、8月3日ね。原田の駅の改札に7時ね」と美香子は言った。

行ったのは江の島のとなり、鵠沼海岸。電車で40分くらいかかる。

当日は快晴だった。電車に乗って僕たちは海水浴場に向かった。せっかく女子と一緒だというのに、電車の中では男女離れて座った。女子といるだけで恥ずかしいのである。男子の神田に至っては週刊マンガを読みだす始末。結局、僕ばかり女子と話す羽目になった。

「庄司クンくらいしか、声かける人いないんだもん、ウチのクラスの男子、まじめすぎ」美香子は少し離れた男子たちを見てイライラしている。

「俺がまるで軽い男に見られてるみたいだな」僕はちょっとムッとしたように言った。

 深い緑の海が果てしなく僕らの目の前に広がった。海岸はカップルや家族連れでにぎや

かだった。さすがに浜辺につくと男子もはしゃいだ。ビーチバレーで盛り上がった。


 ひとしきりビーチボールで遊んだり、泳いだりして浜辺に上がった。

 「庄司君、これ飲んでみて、美味しくない?」

浜辺で沙緒里に渡されたブルーハワイ色の缶ジュース。

僕は今でも忘れない。女子の飲みかけのジュース、しかも沙緒里が自分から渡してきたのだ。

「あ、うん」そう答えて、さも自然体を装うように僕はジュースを口にした。心臓が破裂しそうだ。こんなにドキドキしたのは初めてのことだった。

 みんなが海に泳ぎに行って、僕と沙緒里はパラソルの下で2人きりになってしまった。

「なんか、あれだね。みんな子供っぽい」沙緒里は遠のく仲間を見ながらつぶやいた。

「そ、そうかな。俺もだけど・・・」僕はリュックの中からうちわを出して彼女に渡した。

「庄司君は、いつもみんなに気を遣って、それでいて目立っていて大人だなって思うよ」沙緒里の赤い花柄のビキニがたわわな胸の間に秘密めいた谷間を作っていて、僕は思わず目をそらした。

 「さ、沙緒里ちゃんも、目立ってて、可愛くて有名だよ」僕はうちわを奪い取ってみせた。

 「うそ。庄司君、みんなにそう言ってるんだ」

 「ちがうよ。クラスの中で、なんかお互い惹かれてるなって思ってた」僕は賭けに出た。

 「フフ。そう言っていままで何人の女子と付き合ってきたの?」沙緒里は鼻で笑った。

 「13人」

 「サイテー」

 「ハハハ。13人の男とは付き合ってきたかな」

 「どこまでが本当か分かんない、庄司君のバーカ」

 「女の子だって本音はわかんないもんな」僕は飲みかけのペプシを飲み干した。

 「女の子はね、一途なんだよ」沙緒里は意味深なことを言った。

 「沙緒里ちゃんも?」

 「そうだよ。好きになったら浮気とかしないもん」

 「じゃ彼氏は幸せだな」

 「あたしは不幸になる、キャハハ」沙緒里は過去にそうされたのか笑っていた。

 「男・庄司涼太朗、浮気なんて絶対いたしません!」僕はサングラスを取って沙緒里ちゃんの目を見た。

 「フフ。今度2人で海に来よっか?」沙緒里ちゃんからのお誘い。僕は心の中でガッツポーズをした。

 「うん。14回目だな」

 「もう、サイテー」


    *


 練習に飽きると原チャリでファミレスに集合だ。

「やっぱ、ビートルズってウケないよなー」僕は言った。

「そりゃそうさ、俺らは、流行りのコピーなんてしてないから」瑠一は鼻で笑った。

「わかる奴にはわかるんだ、ロックの基本だぜ」と準は煙草の煙を吐きだした。

「いや、やっぱ真似しても俺たちは何か? ビートルズの伝道師か?」僕は苦笑した。

「今風にアレンジすれば、絶対カッコいいって、良さが伝わる」準は譲らない。

「そりゃさあ、ビートルズは最高だぜ。でも俺たちはカラオケ屋じゃないんだ」僕はちょっと不満げに吹っ掛けた。

「コピーじゃない。カバーだ。俺たちの色に染めればいいんじゃね」瑠一が仲裁に入る。

「とりあえず瑠一が上手いんだからハードロック路線でいいんじゃね」準は言う。

「ジョージアサテライツのドントパスミーバイ聞いた? 原曲を越えてるよな」瑠一は最近になってすっかりハードロック路線だ。ボンジョビやヴァンヘイレンの影響が大きい。

「んーん、涼太朗は何が言いたいわけ?」準は業を煮やした。

「んーん、やっぱ・・・オリジナル?」僕は煙草を灰皿でもみ消した。

「ホコ天か? バンドはボーカルのカリスマにかかってるよなー」瑠一は僕の考えがお見通しだ。

80年代後半は空前のバンドブーム。原宿歩行者天国、ホコ天はバンドのメッカだった。ザ・ブームやジュンスカ、ブルーハーツ、ユニコーンなどはみんなホコ天からメジャーになっていた。その他のオルタナティブなバンドは、イカすバンド天国「イカ天」からメジャーになった。そしてレベッカ、ボウイ、バービーボーイズ、爆風スランプ、プリンセスプリンセスなど数え切れないスターバンドが誕生していた。

「まあ、ウケる、ウケないかはやってみてだ。まずはビートルズのカバーっちゅう感じでやってみて、オリジナルは準に任せよう」瑠一も煙草を灰皿でもみ消した。

「受けるロックなんて無理だよ。しかも日本語でやるんだろ? 『俺にカレーを食わせろ!』とか言ってさあ、もっとスマートなラブソングならいいけどな」準はやっぱりこだわりがあるのだ。

そう。僕たちはどうしてもビートルズで基礎を学ばないと先に進めないというスペル(呪縛)にとらわれていた。何事も基礎が大事。歌舞(かぶ)くのはその後からだという観念があった。でもどうしても目先の人気欲しさに先へ進みたくなるのだ。すぐにウケルものはすぐに廃れる。古典は長い目で見ればきっとずっと役に立つ。今でもそう思う。


    *


翌週、僕は、沙緒里と江ノ電で七里ガ浜に行った。海が金色でまぶしくて目が痛くなる。

沙緒里はフレッドペリーのグリーンのポロシャツに、ブラウンのキュロットパンツ。

砂浜で彼女が作ってきたサンドイッチを食べた。

僕は全身全霊でおしゃべりをした。ありったけの話、学校のこと、将来のこと、

ウォークマンのイヤホンを片方ずつ分けあってサザンの「すいか」を聴きながら。

沙緒里の栗毛色の長い髪、首もとに見える小さなほくろ

ローファーの先に付いた小さな擦り傷、どこか年上のように安心できる声

カバンに吊りさげた小さなテディベア

ハルタのローファーにビーチの砂が入っていたから、僕は靴を脱がして砂を振り落としてあげた。

「沙緒里のこと、好きだよ」

「・・・いいよ、つきあって」紅潮した顔で沙緒里は言った。

 生まれて初めて彼女ができた。永井沙緒里。僕は忘れない。学年一の美少女。人生の運の半分を持ってかれた。今でもそう思う。

 それは淡い淡い恋だった。付き合うといったって、最初は学校を一緒に帰る、公園で話す、いっしょに渋谷に買い物に行く、そんなものだった。それでも何もかもが初めてのことなのだから幸せだった。

 「庄司君、いつから私のことが好きだった?」

「ん、前から」そんな程度の返事しか返せなかった。

水彩絵の具のようなピンクと水色の淡い恋は、色が薄すぎたまま僕の記憶の底のなかで消えることは無い。どんなにぼやけてもかすかな色になって僕の中に染み込んでいる。

初めて手をつないだ日。8月23日。その日歩道橋の上で唇と唇を重ねてみた。沙緒里の目が涙で潤んでいた。



    *


高1はスタジオ練習が多かった。

とにかく金がなかった。僕は、早朝の宅配便の倉庫の仕分け、ファミレスの皿洗いなどをやって月に10万は稼ぐのだが、バンド練習やCDにかけるお金で、いつだってお財布はすっからかんだった。バンドマンに金は無し、というのは本当だ。むしろ清貧なことがバンドマンとしての美学だと心得ていた。沙緒里にも助けてもらったが、だんだんと馬鹿にされているような気がしてきた。(いつかバンドで有名になって、沙緒里を喜ばせる!)そんな途方もないぼんやりとした目標だけが、僕の阿呆な脳みそを巣食っていった。


瑠一の高校からドラムスの金久保郊(かなくぼこう)をスカウトした。色白でやせっぽちの美少年だ。見た目は女子中高生にウケるサイケな長Tシャツに、ビリビリになったジーンズと厚底のラバーソウル。小学校から習い事で極めた本格派だが、笑ってしまうことに本人は新体操選手になりたがっている変な奴だ。


「涼太朗君凄い!」〈ティントーイズ〉というバンドの優(ゆう)香(か)は声をあげて喜んだ。僕らは〈チン倒立〉と陰で呼んでいたが。

「太刀川君のギターもユニコーンの手島さんそのまんまだね」ユニコーンのコピーに僕と瑠一がヘルプで呼ばれたのだ。僕は高校に入ったご褒美にフェンダーのプレシジョンベースを手に入れていた。この頃にはベースをピックを使わずに指腹でかき鳴らす奏法に変えていた。16ビートまで弾けるようになると大体の流行りの邦楽ロックには対応できた。

瑠一と僕はあちこちで開かれる対バン(数バンド共同公演)のヘルプに呼ばれるようになった。かえって頼まれた方が譜面を見て、原曲どおりに真面目に練習するので、自分のバンドより気合いが入った。


 この頃は瑠一の活躍が大きい。瑠一は地元の駅前のライブバー「ベクトル」でバイトし始めた。時給はなし。深夜や閉店までいて、店長のギタリスト芳さんに弟子入りしたような形だった。バーカウンターに入り店が退けては芳さんからギターを教えてもらっていた。さすがに現金収入も欲しいとあってピザ屋で配達もしていた。早朝帰宅し昼まで寝て、高校には申し訳程度に顔を出す、そんな毎日だった。客はやっぱりバンドマンか、イカツイ米軍キャンプの兵隊が多かった。だから「箱バン・ベクトル」バンドは60年代~70年代のロックやブルースが中心だった。瑠一は時には箱バンにも入れてもらえるようになったようだ。瑠一の人脈とコネで一気に僕ら「ザ・クウォータームーン」は活躍の場を広げられるようになった。


    *


高2になって、僕らザ・クウォータームーンは週末を中心に、コンクリートの中を駆け回った。池袋、高円寺、下北沢、中野などの小さなライブハウスで対バン(数バンド合同のライブ)に交ぜてもらい、ステージの醍醐味を知った。黄色い声。腹から振動するベース音。瑠一はオーバードライブやディストーション(歪む音)とコーラス(エコーのような音)をうまく使い分けた変曲でビートルズのナンバーを格好良く仕上げていった。瑠一はシャイだが歌も上手いので、準のコーラスまでしっかりとカバーしていた。


準の歌声も随分と抜けがよくなり、高音、シャウトからファルセット(裏声)まで変幻自在に歌うことができた。物まね上手だから発音もネイティブだし、ジョンやポールの高い音域までも歌い上げる。バラードから、ポップな曲まで準はその才能をいかんなく発揮した。もはや彼は生徒会長のようなヒーローではなかった。髪を長くし、爽やかスマイルは消えてアーティストのように変貌していった。


高2の秋、やっとのことで目黒のサニーサイドミュージック主催「ブライトバンドコンクール関東大会高校生の部」で準々決勝までいって敗れた。審査員には「ギターがうるさい」「もっと若さがほしいな」「元気元気で客を楽しませなきゃ」と言われた。


お金がない。それはいつになってもみんなの悩みだった。とにかくいつもお腹がすいていた。酒やたばこにも金がかかる。ライブをやればやるほど赤字になる。このままじゃ馬鹿みたいだ。お金はどんどんとノルマ制チケットによってライブハウスに吸い込まれてしまう。自己満足でやっているヘタクソ高校生のコピーバンドと一向に変わりはないくせに(早く有名になって、ギャラがほしい)と僕は相変わらず綿あめのような夢を見ていた。


沙緒里とのお付き合いには陰りが見え始めていた。僕が馬鹿で、阿呆な毎日を送って酒やたばこばっかり愛していたからだ。あれほど恋い焦がれていた彼女だったのに今では喧嘩ばっかり。女の子は早熟で賢い。年齢で性格が変わる。中学や高校の初めの男子といえば、ヤンチャでチャラいやつがモテる。それがいつしか進学校では勉強ができて将来性があってエリートな奴がモテ始める。

「涼君はどんなことしてみたいの? 将来」沙緒里は訊いた。

「うーん、音楽で喰っていきたいな―なんて、無理か」

「夢みたい。いつまでも遊んでちゃダメだよ、もう卒業したら?」沙織里は言った。

「ふん。どうせ好きな人でも出来たんじゃん?」

「そうだとしたら?」

「どうぞ、そちらを優先して下さい」僕は不貞腐れた。

「涼ちゃんのために言ってるの、わかんないかな」沙緒里とのいつもの喧嘩パターンだ。

「だって頭が良くて、帝大とかに行って、いい官僚になって優しい男、最高なんだろ?」

「もう、知らない」

 

ライブハウス「ベクトル」に、超メジャーなロックバンド「ルビーズ」のボーカル・奈々さんがよく顔を出すことは有名だった。家が近いらしい。もともとフリーランスが集まったプロバンドだから奈々さんは1人でよく来ていた。

たまたま夏のある夜に、「ベクトル」で僕らクウォータームーンが前座をさせてもらっていた時に、長いソバージュの髪を後ろに結んだ奈々さんが来た。プレイを終えると奈々さんが「いーじゃん、いーじゃん」といってあのハスキーな鼻にかかる声で、拍手してくれた。

(ああ! ルビーズの声! 僕は本物の奈々さんを前にしている!)奈々さんはどうやらお酒でご機嫌だったようだ。

「ビートルズかあ、いーよねー」奈々さんは目を細めて言った。

「あざあす」

「あんたたち上手いよ、うん。上手い」

「あざあす」

「いーなー、あたしも好きな曲だけ歌っていたいよーもう」とテーブルをバンバン叩く。

「・・・」それは奈々さんが好きな曲を歌えていないことを意味していた。

「若いんだから好きな曲を好きなようにやんなー。こんなことあたしらできないし、売れるわけでもないんだから」

「・・・」僕らは返答に困った。売れるわけでもない、その言葉を僕たちはそれぞれどう解釈したのだろう。わからない。僕は少し悲しかったかな。(売れないんだ)

「あー、でもやってみたいなー、カバーもありだよね、うん」奈々さんはそう言って浅葱色のカクテルを飲み干した。


半年ぐらい後だろうか? THKテレビの音楽PV番組で、ルビーズが青空の下、ホコ天で演奏している画像に僕は釘づけになった。なんとビートルズのI Saw Her Standing Thereを奈々さんたちルビーズがカバーして演奏していた。あのハスキーなヴォイスでノリ乗りに踊りながら嬉しそうに、ファンに囲まれて歌っていた。(格好いい!)僕は慌てていたので録画ができず目に焼き付けるようにその姿を記憶した。


    *


もう高3になってしまった。準と僕はH高校という進学校にいるわけで、ジリジリと迫る受験に怯え始めていた。まだまだ学歴重視の時代。学年の半分は、国立や難関私立大学に行く。酒に煙草に女の子・・・。頭の中はピンク色。成績はバンド活動に専念していたから、僕は学年で底辺に近くなっていた。沙緒里にも振られてしまった。彼女を見返してやりたい。ただの音楽バカじゃないんだ、そう思って初めて予備校なるものに通ってみた。(はあ、いつになっても試練は来ちゃうんだ)僕はまた目の前に来た障壁に溜息をついた。

 

 バブルは絶頂期。僕は、華の大学生になって、車に乗って、音楽やって、合コンして

・・・ウヘヘヘヘ、そんな直情径行な考えしか思い浮かばなかった。高卒でバイトしてバンドマンになる、それはあまりにも軽率だしそこまで自分たちの実力を過信してはいなかった、というより勇気もなかった。いや、単に大学で遊びたい、という言い訳だ。

 夏前の「ベクトル」でのワンマンライブを最後に、僕たちは一時活動を休止した。

僕は今まで遊んでばかりいた贖罪の気持ちとバブルな希望が混然一体となって勉強に集中した。リクガメはなぜかまた前を歩いている。

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