第11話 感激の心(唐招提寺)

 最後の日の奈良も、青空の太陽が秋本番の舞台を照らし紅葉を映えさせていた。

 社長の迎えの車は、あっという間に西ノ京の唐招堤寺に着いた。

 南大門を潜ると、正面に松の木の隙間から金堂が見えていた。

 金堂に向かって左に真新しい世界文化遺産の記念碑が立てられてあり、小高い丘の老松の陰にある

「おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもえ 八一」

と会津八一の歌碑と松瀬青々の

「門を入れば両に稲田や唐招堤寺」

の句碑を読むのは三人だけで、大半の人々は正面の金堂に足を向けている。

 歌を読み終り、白砂利を踏んで金堂に進むと、8本の列柱に支えられた寄棟造の屋根の両端に、高貴な象徴である鴟尾が輝いていた。

 左の鴟尾は創建当初のままだが、右は鎌倉時代の1323年(元亨3年)6月に新造された事が銘記されている。

「8本の列柱の中央は柱間が広く、端に行くほど狭くなっているのです。円柱はまろやかで、8本とも人の手に触れられて光っているでしょう」

と今日、最初の社長のガイドぶりは、昨夜の歌をうたっている顔とちがって真剣な顔になっていた。

 会津八一の「大寺のまろき柱の月あかり――」の歌碑の意味が分かる気がした二人が、左の扉の開いてる所に立って薄暗い堂内をそっと覗いた。

「和世、千手観世音だわ!」

と由美が和世の顔を見た。

「仏像に翼を付けたようだわ!」

と和世は由美の顔を見た。

 高い天井につかえんばかりに立ちはだかっている5.35メートルの千手観世音立像に感激した二人は口を開いたままの顔になっていた。

「これが、日本最古の千手観世音立像で、千手の名称のとおり元は手が一千本(現代、大手42、小手911本)あったんですが、1185年(文治元年)7月に地震があり、千手観音像と中門が倒れ、千手観音像が破損したので、東大寺大仏師の印勝によって、文治元年9月20日修理をしたと鎌倉時代の墨書修理銘に書かれて有りました」

と小さい声で二人に言った。

「グロテスクね」

と言って通り過ぎる人、何も言わずに通り過ぎる人、静かに手を合わせる人と堂前の開放通路は、さまざまな人生観の人が行き交う。

 和世は、蓮の花・弓・宝塔・鉈など持っておられる手が、なぜ千本も必要だったのかと疑問に思い、

「観音さまに、どうしてなんですか?」

と尋ねながら両手を合わせてお願い事をした。由美は、真ん中の本尊の乾漆盧舎那かんしつるしゃな仏座像を眺めていた。和世も、静かに本尊の前に立ってしっかりと眺めた。三メートルの脱乾漆の巨像で、その重感には東大寺の大仏さまの面影を思い出させるほどの立派な仏像である。

「仏さまのうしろが光背と言うのですか、その光背に可愛いミニの仏さまがいっぱいおられますね」

とミニ仏の数の多さが不思議で社長に尋ねた。

「光背化仏けぶつは小さなお釈迦像で、総数846体(322体が原作で、524体がのちの補作)を数えるが、元は一千体あったそうですよ、可愛いでしょう」

と優しい口調で答えた。今と違って、ピカッと光りゴロゴロとなる雷も天の神様が怒っておられる、地震で揺れたら地の神様が怒っておられる、お腹が痛くなったり頭が痛くなったら神仏の崇りだと信じていた時代、科学も医学も進歩していなかった時代に、多くの諸仏が造立されてその諸仏を人々は信仰して心を癒していた。

「あおによし・奈良の都は咲く花の・匂うがごとく今盛りなり」

と奈良朝の栄華の底にあった社会不安が激しく渦まき不景気が続き、人々を苦しめた。現代のバブルが破れたのと同じかもしれない。人々の悩み、苦しみを救うのには存在する諸仏では信頼されず、もっと良い仏像をと願うのと、数より質の意味を込めて造立されたのではないだろうか。

 お金をかけて、仏を多く作るよりも、ひとつの仏に多くの願い事が叶うように考え出された知恵なのか、それとも今で言う経費節約だろうか。人々が信頼して敬い感激する仏像造りのために、千と言う数にこだわったのかもわからない。ひとつの仏に、多くの人を救う千の手と、ひとつの仏に多くの人を優しく見つめられる千の顔が人々を感激させて救われたのだろう。

 和世は、お年寄りや障害者など身体上または精神上の障害があることで、日常生活を営むのに支障がある方に対しての介助を行ったり、介護者や家族の方に、介護に関する相談と助言をして、一人一人のニーズに合わせてケアも行う介護福祉士として、特別養護老人ホームで働いている以上、お年寄りや障害者などに多くの手を差し延べて感激を与えてあげなくてはいけない。そして優しい笑顔を多くの方に振りまいてより良い感激を与えなくてはと心を新たにした。

 その時、社長が

「唐招堤寺中興の祖といわれる覚盛上人の「蚊に血を与えるのも仏の道」と蚊に刺されても殺さなかった上人の遺徳を偲んで、ハート型の柄長のうちわ撤きがここで行われるんですよ。毎年、すがすがしい初夏の薫風が頬に感じる5月19日に、赤・水色などの5色の色紙で縁どったハート型の柄長うちわ数百本と、お供え餅とが鼓楼の上から人の頭の波に撤かれたら参拝の方々が、二つを追って左右にゆれる風景は見事ですよ」

と言って寺務所で魔除け害虫よけになると言われている、綺麗なハート型のうちわを二人に買った。

「わ~、可愛いハート型ですね、大切にいたします、本当にありがとうございます」

と二人は子供みたいに何度も見つめては喜んでいた。

「すみません、そのうちわは何処で売っているのですか?」

と女学生が走って来て、尋ねた。

「そこを右に曲がった寺務所で売っていますよ」

と由美が答える前にもう女学生は

「ありがとう」

と言って走り去った。

 唐招堤寺には、本尊盧舎那像や、千手観音像のように人々が目指した本物の仏像と、蚊も殺さぬと言う仏の道の尊い教えがあり、人々の心に感激を与えている素晴らしいお寺だと思った。お父さん、和世は皆さんの力を借りて千の優しい手と、千の笑顔でお年寄りや障害者に喜ばれるように頑張って行きますから、応援していてねと空を見上げた。

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