第10話 母からのことば
「社長さん、ありがとうございました。ガイドまでして頂きまして、大変勉強になりました。今日の一日は、わたしの身体のすべてが覚えて忘れないでしょう。本当に、苦労をおかけいたしました」
と和世に続き由美も社長に、心からのお礼を言い頭を低くさげていた。
「あしたお帰りになるんですね?」
「はい、あす唐招堤寺と薬師寺とを見学してから帰りたいと思っています」
「ああ、唐招堤寺と薬師寺が残っていましたね、昼まででしたら仕事の段取りをつけてまた案内させていただきますわ」
「お忙しい社長さんですのに気を使わないで下さい、今日も甘えさせて頂き大変お世話になりましたのに」
「そんな事で気を使わないで下さい。勇一さんのお嬢さんですもの、あすも案内させていただきますよ、それと明日お帰りですので今夜は夜の奈良を案内しますわ」
と笑いながら誘った。
「本当ですか、行きたいわ。お願いします」
と由美がはしゃいだ。
「それでは7時にホテルのロビーで」
「よろしくお願いします」
と和世も社長の好意に甘えることにした。
二人はホテルのフロントでチェックを済ませて部屋に入った。
和世は窓に近寄り、白いカーテンの裾を少し捲って外を見つめた。
月の光に浮かぶ奈良の街は、千三百年前の都ではなく1999年の都会の姿であるが、奈良の都は、太陽よりも月のほうがよく似合うと感じていた。
「和世、さきにお風呂に入っていいの」
「どうぞ、しっかりと疲れを落として。わたしお母さんに電話を入れるから」
と携帯電話を握り和世は母に電話を入れた。
「もしもし、お母さん、元気?……」
「なに言ってんのよ、忙しいのに明日帰るのでしょう」
「もしもし、今日はねぇ社長さんに奈良を案内して頂いたのよ。お母さん、奈良って本当に良い所よ…… 今度はわたしがお母さんを案内してあげるから」
「はいはい、楽しみにしていますからね、社長さんには迷惑をかけていませんよね。くれぐれもよろしく言ってちょうだいね」
と母は忙しそうに答えた。
「お母さん、わたしを生んでくれてありがとう感謝してます」
と和世は目頭を熱くした。
「和世、優しくなったのね、ありがとう。お父さんも、お母さんも和世が誕生したから頑張って強く生きて来られたのよ。お父さんは、和世の手を見ては何時も東大寺の紅葉したもみじのようでとても綺麗だと言っていたわ。そして顔を見ては、興福寺の阿修羅像のように可愛い顔をしていると奈良を思い出して言ってたのよ。大きくなるにつれても、和世は薬師寺の日光、月光菩薩のようにスタイルも良いとみんなに自慢ばかりして、親バカぶりは近所でも有名だったのよ。だから、奈良に行かなくても和世に奈良を感じていたのでしょう。お父さんの心の遺産は和世なのよ。お母さんは和世を守って行くだけです。和世が、誰からも好かれる優しい心なら、人を思いやる優しい心なら、みんなを幸せにしてあげられる優しい心なら、きっと良い人と巡り逢うでしょう。だから早く結婚して孫の顔を見せてちょうだいね。お母さんはそれを楽しみにしているのよ、わかった…… くれぐれも気をつけて帰るのよ」
と母は一方的に電話を切った。
和世は、母の強さと女の優しさを感じ、それをしっかりと受け継いで母の様な女性になろうと思った。
「ああ、いい気持ちでした。和世、お風呂に入ってね、社長さんとデートなんだから綺麗に磨くのよ、わたしもピカピカに磨いたからね」
と楽しそうな由美は和世を急がせた。和世は、バスルームに入り鼻歌でシャワーのお湯を柔らかくふっくらと張った胸にあてながら素晴らしい一日を振り返り、幸せと一緒に身体を温めていた。
社長のお迎えは時間通りで、車の中から見る夜の奈良は、博多の夜より静かだと感じた二人です。駐車場で車から降りて社長の後に続いた、昼の暖かさとは違って、夜の冷たさが身体を刺し、吐く息が白く流れて消える。
和世は、身体も幸せも冷めないように両手で包んでいた。
「この店ですわ……」
と社長が「こいさん」と書いた店のドアを開けた。女性の客が、正面の小さなステージで歌をうたっていた。
「いらっしゃい」
と中年のママさんらしい人が迎えてくれた。
「ママさん今晩は、九州からの大事なお客さんをお招きしたんだ」
と昼間の顔と違って社長は、ニコニコと嬉しそうに二人を紹介した。
「九州からですか!遠くから奈良まで来ていただき、ありがとうございます。まさか「なんちゃん」の彼女と違うでしょうね」
とママが口を尖らせ言った。
「ちゃう、ちゃう……… 親戚のお子さんなんだ」
と社長は、慌てて嘘を言ってしまうのだった。
「なんちゃんとこは九州に親戚があったの? 奥さんは九州じゃなかったでしょう」
とママさんは、不思議そうに聞き返した。
「嫁さんは吉野の
と社長が飲み物を催促した。
「ごめん、ごめん、大事なお客さんなのに、若いお二人さんは何がいいですか?なんちゃんはいつものでいいですね」
とママは飲み物の準備にかかった。
「わたし達は、焼酎のお湯割りにレモンを入れて下さい」
と和世が、由美の分も注文した。
「お二人は、お酒はお強いのですか」
と丁寧に尋ねた。
「いいえ、二人ともあまり強くないのですよ」
「お強く、お見えしましたけれど」
「何を馬鹿丁寧に「お」ばかり付けているのよ!普段の話し方で話されたら」
とママが二人に気を使ってる社長に言った。
「そうだね、そうしよう。それではカンパイしましょうか。綺麗な二人にカンパイ」
と社長は立ってグラスを高く上げた。
楽しい雰囲気の内でカラオケの順番が回ってきました。
「何か歌って下さい」
とママがリクエストした。
「あぁ、はぃ、歌はだめなんです」
二人は、はずかしそうに下を向いた。
「そう言わずに、奈良の思い出にぜひ一曲お聞かせ下さい」
と社長もリクエストした。
「なんちゃんが先に歌って上げなさいよ大事なお客さんなんだから」
「はい、はい、わかったよ。ママ、いつもの曲を頼みます」
社長が、ステージでマイクを持ってスタンバイした。
イントロが流れ、朱雀門が画面に現われて歌詞も写って来た。
「百年ひつじでいるよりも 三日でいいから獅子になれ 花も実もある男なら 一度はくぐれ朱雀門 おのれの決めた道を行け」
と熱唱の社長に、みんなから暖かい拍手が送られた。その時、画面にカロリーの消化は11.7と出て、得点は86点と表示された。
「社長さん、すごくお上手ですねぇ、歌手みたいです」
「なんちゃんは「朱雀門」一筋なの、奈良をしっかりと宣伝しないといけないから、大変なのよ」
とママが、何故か社長に同情的だった。
「どうしてですか! クリーニング店と何か関係があるんですか?」
とママに由美が尋ねた。
「なんちゃんはねぇ、奈良市の観光協会の役員さんだから必死で奈良を宣伝されておられるのよねぇ、なんちゃん」
とママは社長の顔を横目で見た。
「なるほど、それでわかりました、世界文化遺産を案内していただいた時の説明がとってもお上手で詳しかった
と二人は納得した。
二人も、今日本で一番売れている人気アイドルの宇多田ひかるのオートマチックと浜崎あゆみのYOUの歌をうたったが、二人ともカロリーは7.2で得点は80点だった。楽しい奈良の夜を過ごしてホテルに戻ったのは10時で、テレビから選挙に当選された柿本知事さんの喜びの会見模様が放映されていた。
「社長さんも、観光客が増えるように一生懸命に頑張っておられますから柿本知事さんもお願いしますよ」
とテレビの画面に向かって二人は話しかけた。
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