第5話 友情の心

 携帯電話で由美に連絡をした

「由美、遅くなってごめん」

と歩きながら話をした。

「今何処?」

由美は、部屋でテレビを見ながら尋ねた。

「もうすぐ着くと思う」

と電話を切った和世は、重い足どりで歩いていた。旅館に戻りエレベーターで7階に上り部屋に入った。

「由美、ただいま、待たせてごめん。おなかすいたでしょう。」

和世は何度も何度も由美に頭を下げた。

「和世こそ、お父さんの働いていたお店どうだった。ちゃんと見てきたの」

「うん、行ってきて良かったわ。その話は後でするね。先に食事にしましょう」

エレべーターで2階に降りて食堂に入り、係りの人に

「遅くなってすみません。30分も遅れてしまいました」

と謝り案内された席で、いろいろな事があった一日を振り返りながら、二人で食事を楽しんだ。

「それでお父さんの良い想い出ばなしを聞いたの?」

「う~ん」

とうつむいた。そして、父が被ばく者であったことを話そうか話すまいか迷った。

「どうかしたの?」

由美は元気のない和世に聞いた。

「う~、どうもしないよ」

と和世は、今日見て来た仏像の話をして、父の話題からそらした

「興福寺の仏像すごかったね。わたし阿修羅像が好き」

「それよりねぇ、わたしに近づいた鹿とても可愛かったでしょ、わたしにやんちゃをしたけれど」

「そう、とても可愛かったわね」と由美の話に合わした。

「この陶板焼きのお肉が美味しいよ」

「どれも結構いけるじゃん」

「由美、奈良に来て本当に良かったわ」

「わたしも、和世を旅行に誘ってこうして一緒に来られて良かった」

「幼馴染っていいものね」

「本当にそう思ってるの」

「もちろんよ」

と楽しい雰囲気になって来た感じの二人。

「あぁ、美味しかった」

と由美が満足そう。

「お腹が一杯になっちゃった」

と和世はお腹を押さえるまねをして悲しみを押さえていた。そして7階の部屋に戻った二人。

「明日の予定は」

と由美が和世に尋ねた。

「もちろん世界文化遺産を回る予定よ。それでねぇ、南光の社長さんがお休みだから案内して下さるのよ」

と嬉しいはずの和世は、淋しそうに社長に甘えた事を説明した。

「ラッキー、車でしょう。助かるわ、歩かなくていいから」

何もしらない由美は、喜びを身体全体で現わしていた。

「由美、明日の出発は10時だよ」

「ハイ、わかりました」

と子供のように由美は可愛く返事した。

「由美、お風呂で疲れとれた? わたしも入ってくるわ」

と和世はバスルームに入った。和世は、湯船につかり父の事を由美に話そうと思う半面、大切な友達をなくすのではないかという怖さがあった。そして和世は、ふとわたしも原爆病なんだろうかと思った時、何かにすがりたい気持ちに襲われて泣いていた。

 湯船のなかで上を向き、タオルで顔を隠して発病したらどうしよう、由美に嫌われたらどうしようと悪い事ばかり考える和世だった。

 社長さんに、父の事を聞いている時は父に同情していたが、一人になって緊張の糸が切れたのか、自分が原爆病になったらどうしようという恐怖に襲われ、和世の気持ちが暗く揺れていた。湯船で温めている身体も、なかなか暖かくならない。

 タオルの下の顔から流れるのは汗ではなく涙であった。

 湯船の中の和世は、無力感で時の流れも忘れていた。

 その時、

「和世、和世」

と由美の呼ぶ声がした。

「和世、大丈夫? まだ出ないの。何時ものあなたはカラスの行水なのに、なかなか出て来ないから心配したの」

と入って来た。

 その声に気を取り戻したのか

「気持ちがいいから湯船で眠っていたかもね」

「いいのよ、まだ洗ってないのでしょう。一人で待っているのも淋しいから一緒に入って背中でも流してあげるわ」

 そんな由美に、甘えて背中を流してもらいながら和世は、由美が、私を嫌うのではないかと少しでも疑った自分が恥ずかしかった。

 そして、これからは母を助けて行かなくてはいけないのに、自分自身しっかりしなくてはだめだと、何度も何度も言い聞かせ、由美に父のすべてを話そうと心に決めていた。

「和世、少し太ったの?」

と由美は背中を洗いながら和世に言った。

「太ってません、一緒です。もう~、余計な事を言って。変わろう、今度はわたしが流してあげる」

そう言って、和世は、由美の背中にボディシャンプーを付けて流し始めた。

「由美、何があってもずっと友達でいてね」

と願うように言った。

「もちろんよ、わたしからもお願いしますよ和世ちゃん……」

 二人は秋の夜の奈良で友情を深めあった。

「これが本当の裸の付き合いと言うんでしょうね」

と二人の笑い声が湯気を跳ねのけてバスルームに響いた。

 そして、二人の友情が身体の中までしみこんでいった。

 部屋に戻ると布団がふたつ並べてあった。

「ああ、疲れがとれた」

和世は布団に寝転んだ。

「ああ、気持ちいい。スッキリしたわ」

由美も布団の上で大の字になった。

「テレビを、見よう」

とリモコンのスイッチを押した由美に、和世が思い出したように起き上って

「由美、話を聞いてほしいの」

「改まってどうしたの」

「大事な話なの」

和世はちょっと緊張気味だった。

「大事な話って……?」

と聞いて由美も起き上ってテレビのスイッチを切った。

 和世は、父が被ばく者であった事を恐る恐る由美に話し始めた。

「実は、社長さんのところで父の意外な事を聞かされたの」

「意外なことってどんな事なの?」

と和世の顔をじっと見つめた。

「父はねぇ、広島生まれで12才の時に広島に投下された原爆で、父母と3人の兄姉と親戚の人を一度に亡くしてしまい一人ぼっちになったらしいの。そして奈良に来て、被ばくした事を隠しながらクリーニングの修行をしたんだって」

「どうして隠さなくてはいけないのよ」

と由美は不思議に感じた。

「父の若い頃は、原爆病はうつるものと思われていたから」

「もう、50年も前のことだからねぇ。でも、ひどかったんだね」

「そうでしょう。それからもう一つ、父が苦しんでいたのは病気の事で。発病しないか発病しないかと何時もおびえていたらしいわ」

「毎日、発病の事を考えて暮らすなんて、わたしにはとても耐えられないわ」

と由美。

「父の顔と手に火傷の跡があったでしょう」

「少しだけで、ほとんど分からなかったわ」

「酷かったそうよ、でも若かったからあそこまで治ったんだって。あれは、作業中に失敗した時の火傷だと言っていたのに。わたしには、何にも言わずにすべて隠して死んで行ってしまったのよ」

和世は再び布団に寝転んだ。

「和世、あなたには心配をかけたくなかったんじゃないの」

「どうしてよ、どうして隠すのよ親子なのに」

「親子だから言えなかったのよ」

「だけどわたし、父の娘よ。私も原爆病にかかっているかもよ」

と泣き出した。

「今年も9月30日に、茨城県東海村の民間ウラン加工施設(JCO)で起きた国内初の臨界事故も、現場の作業員の無謀な作業のせいよ。

 しかし、安全を置き去りにした会社の姿勢は何よ、リストラをしての手抜きのためよ。また、原子力産業の管理・監督が甘い国の責任でもあるでしょう。

 チェルノブイリ以来の重大な原子力事故で、それは危ない事象の連鎖の末起きたんでしょう。全然関係のない真面目に働いている普通の人が被害にあってしまう。何時も、苦しみ泣くのは弱い者ばかりでしょ。

 被ばくすると、数年から数十年後に「晩発性影響」と言ってガンなどになるリスクがあるとも言われているのよ。今回の被ばく者は住民の方、120人だそうよ、一生発病を心配して生きていかなくてはいけない事になってしまったのよ。

 県と町はDNA検査や長期の健康調査を継続して行くそうだけど。被ばく者はそれでも心配なんですって。

 父もそうでしょう、普通に楽しく暮らすはずの家族と親戚を亡くし、その上に被ばく者として発病の不安におびえながらの毎日で、その事を誰にも言えずに苦しみながら死んでいったのよ。そしてこれからは、わたしの番で一生悩み苦しんで行かなくてはいけないのよ。人間にとって最も大切なのは健康じゃないの、それを壊されているのよ、由美には分からないでしょうね」

和世は、胸のむらむらを、一番信頼をしている由美に爆発させ、すべてを打ち明けた。

 それは、和世自身が父に何ひとつ親孝行する事の出来なかった悔しさ、淋しさもあっての事だったのか、布団の上で泣き崩れた。

 由美は、姉妹のように育ってきた和世のこんなに泣き崩れる姿を初めて目にした。

 父を亡くした和世を慰める為に計画した奈良旅行だったのに、和世をこんなに悲しませてしまって、どうしたら良いのだろうと由美も悩んだ。

 今は、思いきり泣かせてあげよう。だって和世の言う通りだもの。

 一度はそう思った由美だったけれども、ここでしっかりと支えてあげなくては和世は立ち直れないかもしれないと思い直した。

 由美は、気をしっかり持って和世に強く言い聞かそうと決心をした。

「和世、起きなさい」

由美が和世を起こした。

「わたし怖いの」

と下を向いて泣きじゃくる和世に由美が強く言った。

「和世、何を言ってるのよ。あなたのお父さんは、被ばくされていたのよ。一人ぼっちだったのよ、それでも必死に生きて和世を育ててこられたんでしょう」

由美は、和世に立ち直ってもらいたくて真剣だった。

「和世は被ばく者でもないし、原爆病でもないのよ、しっかりしなさいよ。どんなに元気な人でも明日は病気になるかもわからないのよ、だから毎日を大切に精一杯生きているのでしょ」

と由美は両手で和世の両肩をしっかりとつかんだ。

 そして

「和世に話せば、お父さんが発病の心配で毎日苦しんだように、あなたもきっと発病を心配して、毎日苦しむだろうと考えられたから隠して来られたのよ。自分と同じ思いを和世にさせたくなかったからでしょう。それ位いわかってあげたら」

由美の一生懸命の説得に和世は落ち着きを取り戻してきたようだ。

 心強い由美の言葉に和世は

「由美、ありがとう。由美の言う通りかも、本当にありがとう」

和世は、由美に聞いてもらった事で心のもやもやが晴れた気分になっていた。

「由美に、父の事を聞いてもらってスッとしたわ。」

和世は、由美に話せば嫌われるかもと思った自分が情なく思うのと、由美の優しい心に感謝していた。和世は、由美を世界一の友達だと改めて確信した。

 由美は、ふと思った。我慢しすぎて命が乾ききってしまうから死を選ぶ人が増えるのだろうか。おもいきり泣いて、命をしめらす事で命が生き続けるなら、おもいきり泣いた和世は、これから強く生きて行ってくれると安心感に包まれた気分になっていた。

 気持ちを落ち着かせた和世は優しく

「そうそう由美、家に連絡してね。わたしもお母さんに連絡するから」

と言って和世は携帯電話を取りだして博多の母に電話を入れた。

「もしもし、わたし、お父さんの働いていた南光さんの所に行って来ましたよ。奈良はねぇ」

と今日の出来事を話す和世の声は弾んでいた。その時突然

「お父さんは、広島生まれだったのね。原爆病だったのね」

と和世が言ったので、母はビックリした。

「誰に聞いたの」

と聞き返した。今日まで隠し通して来た事が、どうして和世に分かったのか心配になった。そして和世に、何かあったんだろうかと不安に思った。

 母は、もう一度

「もしもし、そんな事誰から聞いたの、言ってちょうだい」

と声を荒だてて聞き返した。

「お母さん、お父さんを尊敬してるのよ。立派なお父さんだったんだね」

和世の落ち着いた話し方に母は何が何だか頭の中が混乱していた。

「もしもし、わたしはお母さんとお父さんの子供でとても幸せ。これからはお母さんを大切にするからね。お父さんの分までよ。帰るのを楽しみに待っていてね」

 そんな優しい和世の言葉に母は余計に訳がわからなくなっていた。

「和世、ありがとう。お父さんの事は帰ってからお話します、気をつけてね」

「お母さん、お父さんが奈良が好きだった訳も、お母さんと結婚した訳もこの奈良に来て分かったわ。家族をとても大切にしていたし、とくに平和を愛してたのも良くわかったわ」

と話す和世は、由美に慰められて少し気分を良くして落ち着いていた。

「和世、良かったね奈良に行って。和世の言うとおり、お父さんは立派な人だったわ。広島で被ばくしたせいで、平和は守らなくてはと何時も言っていたんだよ。和世の名前も平和の「和」と世界の平和を願っての「世」で和世と名付けたのよ」

「本当なの、すごい名前なのね。じぁ、後は帰ってからね。お休み」

と電話を切った。

「由美、わたしの名前は平和の「和」と世界の「世」で父が名付けた平和のしるしだって」

と嬉しそうに由美に抱き付いた和世は、幸せな気分で嬉しさを噛みしめていた。

 初めての奈良の夜、眠りに入ったのは午前一時だった。

 何時間かたって目覚めた和世はそっと時計を見た。午前8時半になろうとしていた。

 由美に気付かれないように、静かにカーテンを少し開けると目の前に、濃緑の中の若草色が朝日に映えてた。

「若草山だ」

なんて美しいのだろうと、じっと見つめていた。

 一瞬、思い出したように

「由美、起きて朝ですよ。由美さん」

と由美を起こした。

「眠いから、もう少し眠らせて」

と由美は寝返りをうって布団に潜った。

「だめ由美、ちょっと起きて見てごらん。とっても綺麗な若草山が見えているのよ」

和世は、布団に潜っている由美を必死に起こした。

「ハイ、わかりました起きます。起きますよ」

と由美はいやいや布団から顔を出して、

「おはよう、いい気持ちで眠っていたのに」

そう言って起き上がり乱れた浴衣を直しながら窓に近づいて外を見た由美が

「ワー、きれい! 若草山。すごくきれいだネ!」

と目の前に浮かぶ若草山の美しさに寝起きの細い目がパッチリと開いた。

「若草山はとっても綺麗よね、由美の心みたい」

和世は本当にそう思ったのです。

「わたしの心じゃないわ、和世の心が綺麗だからそう見えるのよ」

由美は和世の肩を抱いた。

「夕べはありがとう。助けてもらったわ」

と和世は由美の手を握った

 窓の外の若草山は、朝日に照らされて二人の心のように美しく浮かび上がった。

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