第4話 父の苦しみ

「お父さんからもお母さんからも何も聞いておられなかったんですか」

社長はもう一度和世に確認をした。

「はい、父のことは何にも聞かされていません」

と元気のない声の和世だった。

「そうでしたか………」

と言って社長は、肩をガックリと落とした。

「社長さん、せっかく奈良に来たのですから、お話を聞かせてください。父のことは何でも、知っておきたいのです」

和世は、知ればどんなに辛い事でも知りたいと覚悟を決めて言った。

「それではお話しいたしましょう」

と社長も覚悟を決めて和世に話し始めた。

「勇一さんは、広島県で生まれて12才の時に広島に投下された原爆で家族と親戚の方々を一度に亡くされたそうです。勇一さんは、幸運にも顔と手を火傷されただけで助かられたんですが、一人ぼっちになってしまわれて、毎日を淋しさと悲しさの中で過ごされたそうです」

社長の話に、和世は身を堅くして聞き入った。

「広島では、検査と治療のために病院をあっちこっちに回されたそうです。すべてを忘れるために広島を後にされて奈良に来られたのでしょう。おやじの軍隊友達の紹介で17才の時にこの店に見習いで来られたんです。うちの店は、奈良県で一番最初にクリーニング店を始めた店で職人も多く居ました。今と違って大変厳しく、一人前になるのには十年はかかりました。クリーニングの基本は洗いで、洗いを覚えるにも三年はかかりました。洗いは汚れを(ささら)でこすって落とす作業です。(ささら)は30センチほどの竹を細かく切ったもので、お茶の道具の茶せんを大きくしたような物です。それで汚れを落とすのですが夏も冬も辛い仕事でした。外回りもお得意様との心の触れ合いですので大事な仕事でしたが、勇一さんは絶対に行かないと言って困らせ、おやじから外回りはお客さまに信頼を得て、初めて大切な品物を預けて下さるのに、嫌だとは何を我がままな事を言っているのだと怒られても行かなかったそうです。よほど人と会うのが嫌だったんでしょう。言う事を聞かないのなら辞めてしまえ、とおやじに怒鳴られても広島には二度と帰らないと言っておられたそうで…… 広島では地獄を見られたんでしょう。勇一さんは、頑張り屋さんで良く働かれました。しかし、被ばく者であると言う事を隠しておられたから何時も周囲を気にして仕事をされていました」

「どうして隠さなくてはいけないのですか?」

父は、戦争の犠牲者なのにどうして隠して生きて行かなくてはいけないのだろうかと和世は不思議に思った。

「昔は、被ばく者を特別な目で見て、原爆病もうつると思って嫌われたんです」

「うつるんですか?」

複雑な気持ちの和世の目が潤んでいた。

「うつりませんが、医学の進んでいない当時は誰もがそう思っていたんです」

 和世は、父の悲しい過去に触れていくにつれ、悲しい気持ちになっていた。

 目から溢れる涙をハンカチで押さえて、核を怒り、唇を噛み締めていた。

「核戦争など絶対に駄目なんです。二度とやってはいけないのです」

社長は力強く和世に聞かせた。

「あれは、わたしが中学校に入学した時でした。勇一さんが、おやじにしか話をしていなかった事だと言って、わたしに話を聞かせて下さったんです。昭和20年8月6日だったそうです。その日の広島は雲ひとつない素晴らしく良い天気で、人々は朝の動きを始めた午前8時15分広島市の中心に侵入してきたB-29のエノラ・ゲイが、約9500メートルの上空から人類が初めて経験するウラニウム爆弾(リトル・ボーイ)を投下した。ピカッと光ったその瞬間、広島の町を地獄の惨禍の中に叩き込んだのです。大地は砕けたかと思うほどの響きで揺れて、素晴らしい青空がイカの墨を掛けられたように黒く濁り、何も見えないほどの煤煙の中で、高熱の突風に襲われたそうです。皮膚が雑巾のようになって人は苦しみ、のた打ち回り、水が欲しいよともがいて死んでいかれた。家も学校も工場も消えた。綺麗な花もみどりも消えた。可愛い小鳥も小猫も犬もみんなが消えて焼け野原になり、広島市の人口30万の内の20万人が亡くなったと聞きました。見た事も聞いた事もない爆弾に、広島はもとより日本国でも何が起こったのか何があったのかさっぱり判らない状態の中で、ものすごく混乱したそうです。日に日に負傷者も死者に変りその数は、どんどん増えるばかりで、そのニュースを聞いた世界中の人達も、一つの爆弾での死傷者のすごい数に驚かれたそうです。本当に話を聞いているだけでも怖かったです」

社長の話に和世は、父と行った広島の原爆資料館の事を思い出した。

 原爆資料館で、戦争の知らないわたしが初めて目にした地獄のような光景は、ただむごい事をしたものだと人ごとのように思っていた。それなのに一番身近な父が、被ばくしていて家族も親戚も亡くしていたなんて、とても信じられない。

 父がわたしを、原爆資料館に連れて行ってくれたのは原爆の恐ろしさを見せておきたかったからなのでしょう。そして、一部の人の過ちで友人・知人・家族をも亡くしてしまう悲しい戦争と、地球上のすべての生命が亡くなってしまう核戦争は、絶対に許してはだめだよときっと伝えたかったのではないでしょうか。

「勇一さんは、身体の事をいつも気にして病気にならないかと、そればかりを心配されて検査には欠かさず行っておられました。毎日、毎日が病気にかからないか不安との戦いだったそうです」

と社長が言うと

「わたしにも、父は健康が一番なんだから、と言って何時も検査を忘れないようにしつこく注意していました。わたしの身体をよほど心配していたんですね」

和世は、優しい父だったのですよと社長に言っているようだった。

「そうでしょう。被ばくされた人は、誰もが発病しないかと悩みながら毎日を過ごしておられるそうです。勇一さんも、そんな毎日で気持ちがすさむと、よく大仏さんや興福寺、そして奈良公園などに行っては気をまぎらしておられたようです。被ばく者であることを隠して生きていく毎日は苦しかった事でしょう。家族も親戚もないまったくの一人ぼっちはとても淋しかったと思います。苦しさと淋しさの中で厳しい仕事にも耐えていくのには、よほどの強い精神力がないと耐えていけなかったでしょう」

と社長は、父がいかに苦労をしたかを教えていた。

「よほど苦しかったんでしょうね」

と父に同情をしていた和世は、父は奈良の自然と文化にきっと支えられていたから頑張れたんだと思った。

「父は奈良がとても好きだと何時も言っていました」

「勇一さんは仏像も好きでしたが、奈良のすべてが気にいっておられたみたいですよ」

「ここに寄せて頂く前に、興福寺と元興寺を拝観して来ました」

「どうでしたか?」

と若い和世の拝観の感想を聞いた。

「仏像を見ていると、どんなに辛くてもどんなに苦しくても耐えていけそうな気持ちになりました。父が、奈良を好きになった訳がわかります」

とちょっと大人ぶって答えた。

「勇一さんは、若い頃からとてもしっかりとした人で、生きることに関してはとくに強い信念を持っておられて、亡くなられた家族と親戚の方の分まで生きなくてはと考えておられたのでしょう」

社長は、力を込めてそう語った。

「そんなに父は強かったのでしょうか?」

「強い人でした。昔はねぇ、洗った物は外に干し、乾くと中に取り込むのですが、この作業も数が多いから大変だったんですよ。焼きアイロンを覚えてこなすにも2~3年はかかったし、蒸気アイロンを覚えるにも2~3年はかかったんです。俺は、修行僧だ、修行僧だと云いながら誰よりも早く覚えられ、みんなから慕われておられました」

「そうですか、父は皆さんに好かれていましたか」

和世は、自分が誉められているような気分になっていた。

「みんなには、何時も俺は奈良で生まれたんだと言っておられたそうです」

「きっと、父は奈良で生まれ変わったんでしょう」

「何時だったか、おやじが勇一さんの結婚話を聞かせてくれました」

「結婚話ですか?」

和世は、父と母がどうして結婚したのか知らなかったのです。

「そうです。勇一さんとお母さんとの結婚話です」

「聞かせて下さい」

和世は、父と母の結婚の経緯いきさつなど聞いた事がなく、胸をときめかせながらお願いをした。

「この店で一人前になられてから、暫くして独立をするんだと奈良から博多に行かれたんです。博多でクリーニング店を開業されて、頑張っておられたそうです」

社長の言葉に和世は、奈良の好きな父が、どうして博多へ行ったのか疑間でしたが結婚話なのでそのまま聞いた。

「その頃に出会われたのが和世さんのお母さんです。はじめは勇一さんも、被ばく者だと自分の口からなかなか言えず結婚話を切り出すのが辛かったそうで、奈良に電話をしてきてはおやじに相談していたそうです」

「どの様な相談だったのですか?」

と和世は、先を急いだ。

「好きな人が出来ました。原爆病の事を話せば嫌われるかも知れないと言って、おやじから怒られたみたいです」

「何と言ってですか?」

と心配そうに和世が尋ねた。

「結婚する気があるのなら原爆病のことを一番に話さなあかん。洗いと一緒やで、心を込めて洗わんと綺麗にならん、ごまかしたら汚れは取れん。心を込めて心を込めて話すんやでと怒鳴ったそうです」

「さすがにおじさま、良いことおっしゃいますねぇ。父はうまく言えたのかしら」

「2~3日ほどして、お母さんに打ち明けたと言って電話があったそうです」

「母は、どのように返事をしたのでしょうね」

和世は激しく打つ心臓の音を感じていた。

「お母さんは、あなたを愛しています。あなたは怪我も病気もされるでしょう。わたしも怪我をしたり病気になったりします。そんな時に助けあうのが人間ではないでしょうか。明日はどうなるかは誰にもわかりません。だからあなたの側にいていつもあなたの手助けをしたいのです。こんな私で良かったらどうか結婚して下さいとおっしゃったそうです」

和世の目から光るものが次から次へとこぼれて落ちた。強いお父さんと優しいお母さん、和世が尊敬していた通りの両親だったと心からそう思った。

 今度は和世が生まれる前の話になった

「和世さん、あなたが生まれる時も大変だったそうですよ。勇一さんは、一日も早く子供が欲しいと思っておられたのですが、原爆病の事もあって、とても心配で子供を生むか生まないかをお母さんと何度も何度も話し合われたそうです」

和世は、子供を生むか生まないかで悩む両親の気持ちがわかる気がして聞き入った。

「お母さんは、どんな子供でも二人の子供です。手足が不自由な子供だったら、二人が手足になればいいし、もし身体の弱い子供であれば二人で守ってあげればいいと言われたそうです」

社長は、和世の知らなかった母の素晴らしさを教えてくれた。

「そこまで覚悟をしてわたしを生んでくれたのですね」

止めどなく流れる涙を拭うこともせず、和世は素晴らしい両親の中で生まれた嬉しさに包まれていた。

 そんな和世の気をそらすように社長が

「夕ご飯はまだなんでしょう」

と尋ねた。

「宿で友達と一緒に頂くようになっておりますので」

と涙を拭き拭き下を向いたまま和世は返事をした。

「あぁ、そうですか先に聞けばよかったのに、気が付かなくてすみません」

「いいえ、こちらこそ突然お邪魔してしまって」

と恐縮ぎみに和世は言った。そしてまだおみやげを渡していない事に気付いた。

「社長さん、おみやげをお渡しするのをすっかり忘れておりました。博多明太子です。どうぞ」

そう言って、カバンの中からみやげの明太子を取りだして社長に手渡した。

「ありがとうございます、明太子は大好きなんです。それで奈良には何時まで居られるのですか?」

「明後日までです」

「ご予定はお決まりですか?」

「ハイ、奈良の世界文化遺産を見たいと思っています」

「たしか8ヶ所でしたね、明日は店が休みなのでわたしが案内させていただきます」

「よろしいのでしょうか、甘えて」

「勇一さんの、大切な娘さんなのにほっておいたら勇一さんに化けて出られますわ。三条通りのみやこ旅館ですね。明日10時に旅館に迎えに行きますから」

「まことに申し訳ございません。それでは、明日よろしくお願いいたします。今日は、父と母のお話を聞かせていただき、わたしの知らなかった父と母を知ることが出来て感謝しています。本当にありがとうございました」

 和世は、まるで亡き父に会っていたような気持ちだった。そして父が、悩み苦しみ心を鍛え、一人前になり巣立った店を後にした。時間はもう7時になろうとしていた。

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